国宝のレビュー・感想・評価
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圧倒的な「凄み」と「貫禄」
とにかく圧倒的な「凄み」と「貫禄」に満ち溢れた壮絶な逸品であり、吉沢亮さんに関しては、間違いなく今年の映画賞を総なめするだろうなと想えるほど、渾身かつ絶品の演技でした。
と同時に、相手役に関しては、「もし横浜さんじゃなかったら、ここまで絶妙なバランスはとれなかっただろう」と思えるほど、こちらもまた、安定の味わい深さが滲み出ていました。
とりわけ「曾根崎心中」では、徳兵衛とお初、喜久雄と俊介が絶妙に交差し、「圧巻」の一言に尽きます!
あと、二人の間を交差する高畑充希さんについても、特にこれといった派手な見せ場があるわけではなく、それほど大きな役でもないのに、相変わらず奥深い雰囲気を醸し出していて印象的。
そういえば幼少期の役の男の子。「どこかで見たなぁ」と思ってたら「怪物」の男の子だったんですね。恥ずかしながら、あとでキャストを見返すまで気がつきませんでした
ちなみに、吉沢さんについては「バンパイヤ」との大きな落差が話題ですが、計算だけでは弾き出せない「憑依感」という点では、ある意味共通してといるのかもしれません。
ストーリーよりも俳優の役者魂にただただ感心させられる作品。
ストーリーはまあ、あらすじにある通りヤクザの息子が歌舞伎の世界に入って才能はあるけどいろいろ苦労していく話。正直ストーリーはそんなに面白くはないです。なんせフィクションなもんで。
ただ、ただただ俳優さんの演技というかこの映画にかける熱量に感嘆させられます。
すごいと。映画のためにここまでやるのかと。この映画のドキュメンタリーを映画で上映してもいいんじゃないかと思うくらい。
吉沢亮、すごいですよね。最近の若手俳優さんの中では演技力は頭三つくらいとびぬけてると思います。
しかも本作のあとが『ババンババンバンバンパイア』ですよ。嬉しいですねえ。
吉沢亮さんには、本作のせいで大物役者扱いされちゃうかもだけど、これからもおバカ作品に出続けてほしいです。
芸に"愛されてしまった"者の生涯
歌舞伎含めた「伝統芸能」は門外漢です。
軽く紹介されてるあらすじと「評判良い」くらいの事前知識で鑑賞しました。
映画ど素人ですが、結論から言うと
評判に違わぬ傑作ヒューマンドラマの一つとして数えても良いでしょう。
「才能と嫉妬」
「『持たざる者』が成り上がった結果失ったもの」
「芸能界という血と欲に塗れた世界の恐ろしさ」
という使い古された要素を高水準で織り交ぜていてとても引き込まれました。
結構言われていますがホアキンフェニックス主演の「ジョーカー」を彷彿とさせる中盤と終盤の間の演技や、
(あとで調べて合点がいったのですが)「ファウスト」を想起させる物語運びもなかなか見応えがありました。
最後の「失って、失って、また失って……最後に彼が得たもの、観たものとは?」という少し破滅的にも見える終わり方や、
決して主人公を「単純な可哀想な人」として終始描かなかった点も個人的にプラスポイントですね。
何より主演のお二人から脇役に至るまで印象に残る役者さんばかりでした。
演技に関しては子役含めて殆ど言う事無しです。
(強いて言えば中盤に出てくる「あの子」とその子が成長した姿の演技は微妙だったかも。「そこだけ説明的」ってのもあるかもしれませんが…)
「今年度暫定ベスト」と呼ぶ方も多いのも納得の一本です。
歌舞伎役者の人生を間近で垣間見る。
絹ずれの音が聞こえるほど間近に迫る映像で、歌舞伎役者を見つめ、舞台で舞う美しい姿を眺め、生き様を見せつけられました。
一度目は、映像に魅了され、筋書きに圧倒され、怒涛の人生が晩年を迎える頃には、もう終わってしまう寂しい感情が湧きました。
観終わってからも、浅い知識の中から思い浮かぶ歌舞伎役者さんのこと、歌舞伎の決まりごとなどや、演じた役者さん達のことで、暫く抜け出せない感覚でした。
一緒に映画鑑賞した友達と話が尽きないまま、シネマ歌舞伎を鑑賞する約束をして、観終わったら再度「国宝」を観たいとなり梯子しました。
二度目は、話の展開は記憶にあるので、任侠の世界から歌舞伎の世界へ、少年から大人へと成長する姿が、本当に美しくて見惚れました。
少年時代の二人、喜久雄(黒川想矢)、俊介(越山敬達)、瑞々しく輝いていた。
大人になり、花井東一郎・きくちゃん(吉沢亮)、花井半弥・俊ぼん(横浜流星)、それぞれに美しかった。
吉沢亮さんの左右対称に整った顔が本当に美しく、端正な顔立ちに改めて驚きました。
キレて怒るところ、好きでした。
横浜流星さんが共に居たからこそ、素晴らしい映画になり、全て役者さん達が皆さん欠く事が出来ない重要な配役だったと、原作が凄いのだと、未読ですが感じました。
原作は、映画と少し違うようで、興味を引かれました。
美術・衣装は目が離せないほど美しく作り込まれていて感動。
時代を感じる小物から背景や舞台、エキストラさんの衣装まで、凄かった。
この映画を撮ろうと決め完成させた全ての方々に感謝です。
歌舞伎に興味が増し、多くの美しい作品を観たいと思いました。
映画の魅力を改めて感じ、沢山の作品を出来る限り観たいと思い直す、素晴らしい映画でした。
2025/6/28 映画館ミッドランドシネマ2
2025/7/6 映画館MOVIX三好
劇中劇に泣かされた。大変な稽古と撮影をよくぞ乗り越えてくれた。
一流食材で作られた三流料理
梨園の女性はしたたか
公開から一月半ほど経過しましたが、いまだに満席状態が続く超人気作品。
高齢の女性グループが目に付くのは珍しいですね。
ワタシ的には吉田修一さんの作品(原作)は苦手で映画は敬遠しがちなのですが、余りの人気ぶりにその理由を探るべく鑑賞しました。
結果、映像が美しかったですね!最前列で観たからこその白塗りの毛羽立ちや首の皺、そして目頭から湧いてきて今にも零れ落ちそうな涙など、圧巻でした。
主人公たちの中学生時代を演じた二人も良かったですね、大人になってからの吉沢亮&横浜流星はもちろん美形で、その姿を観るだけでも十分な価値を感じました。
ただ、描かれる世界はやはり吉田修一ワールドでドロリとしたもの、そして男どもは大概どこかクズなのに、女性たちはしたたか(途中で姿を消した森七菜さん以外)、特に高畑充希さんの常に微笑を浮かべる姿や、家にしがみ付きながら、きちんと成果を残す寺島しのぶさんの生きざまはあっぱれでした。
さて、歌舞伎絡みでひとつ。歌舞伎役者とは本作のように「家」や「血」が重要とのイメージは多くの方が抱いていると思いますが、歌舞伎にとって欠くことのできない存在である「清元」や「竹本」、知り合いの方の親戚がこの竹本であり、しかも人間国宝!
ただ、竹本に関しては代々その血筋ということではないらしく、この人間国宝の方も若い頃に【ビビビッ!】と来て入門、芸を極めたとのことですから、同じ舞台に立つものではありながらこちらは実力次第の世界なのだなぁと、この作品を観て、教わった話を再度思い出した次第でした。
上映時間は長いですが、ダレることなく一気に観られた佳作でした。
哀しさを感じる
最高クラスの映画
邦画久しぶりの力作
朝鮮系の人が監督。それに製作、配給は東宝。歌舞伎座を興行している松竹は協力的立場。
日本伝統文化をちょっと斜めの立場から制作したのが結果大成功で、もし松竹が作っていたら歌舞伎をヨイショする退屈なプロモーション映画になっていたかもしれない。
歌舞伎は一度だけ観に行ったが、正直その良さは理解出来なかった。でも昔から続く日本の伝統娯楽芸術。映画ならその魅力を分かりやすく伝えてくれると言う期待もあったが、観たあと歌舞伎を観に行きたくなったので、その期待には十分応えてくれた。
ヤクザと芸能界の繋がりも描いて、現実から逃げていないのも良い。
ただ2人の女形歌舞伎役者の対立と友情はちょっと浅い。舞台シーンを削ってでも深く描く方が良かったと思う。
しかしこう言う力作が日本でも生まれ、それが大ヒットしている事は素晴らしい。
邦画実写は安上がりのホラーか、コミック原作の女子高生ラブストーリーばかり目立いますからね。
最近の邦画で一番面白かった。
探していた雪景色
歌舞伎界を舞台にした本作『国宝』は、単なる芸道ドラマではなく、血統と実力、伝統と個、愛と孤独、死と芸術の交錯する構造的悲劇でした。鑑賞中から、私は『さらば、わが愛/覇王別姫』との共通性を強く感じていました。どちらの作品も、「演目の中の死」と「現実の死」とが交差し、登場人物の実存が演技に呑み込まれていくという、メタ演劇的構造を持っています。
本作で演じられる『曽根崎心中』の演目は、その典型です。前半で吉沢亮演じる主人公が「お初」を演じ、横浜流星はその様子を舞台袖から見つめています。しかし、血統を継ぐはずの自分ではなく、実力で役を奪い取られたこと、そしてその演技の純度の高さに、自らが舞台を降りるという決断に至ります。この「役を譲る」行為は、単なる物語上のエピソードではなく、実人生の敗北と芸の前での降伏を象徴していました。
その後、彼は吉沢亮の恋人に手を引かれるようにして駆け落ちし、8年間行方をくらませます。演目内でも、女がお初として男を死へ引っ張る構図が描かれていましたが、それが現実の人物関係でも繰り返されているのです。この「女が手を引く」構図は本作において繰り返し現れ、それはもはや女性の象徴ではなく、「運命」「芸能」「死」のメタファーだと感じました。
やがて、先代(渡辺謙)が死に、横浜流星は帰還します。彼は糖尿病に侵されており、足を切断し、もう一方の足もやがて失われる運命にありながらも、舞台に立ちます。そして、演目『曽根崎心中』の中で「お初」を演じ、吉沢亮が「徳兵衛」を演じる。役は入れ替わり、まるで魂が交差し、芸が人物そのものになっていくような錯覚を覚えました。
そして物語の終盤、横浜流星は舞台の上で死んでいきます。彼の死は、まさに「役の死」であると同時に、「人としての死」であり、「芸の完成」でありました。吉沢亮はその彼に手を引かれて、つまり芸の死者に手を引かれるかのように、終幕へと向かっていきます。
この映画は、「血統主義の否定」というテーマを持ちながら、同時に「実力主義の残酷さと孤独」も描き出しています。才能ある者が、その才能ゆえに、すべてを捨て、倫理も家族も感情も捨て去り、ただ芸の頂点を目指していく。その果てに待つのは、必ずしも“幸福”ではない。人であることをやめて、芸そのものになるしかないという孤絶の境地です。
最終盤、吉沢亮が演じるのは『鷺娘』です。鷺娘とは、白鷺の精が人間の男に恋をし、報われぬまま狂い、雪の中で死んでいく舞踊演目です。この舞いは、彼の人生の総決算として選ばれたのでしょう。鷺娘は、一つの踊りの中で「清楚な乙女」「狂気に満ちた情念」「死者としての精霊」を演じ分けなければならず、それはまさに彼が生涯で演じてきた全存在の統合だったのです。
しかも、『国宝』という映画では、最初に父親が銃殺される場面でも雪が舞っており、その雪が映画全体を通して繰り返し現れます。父の死を見届けた少年時代の記憶、駆け落ち、別離、引き裂かれた娘との再会、そしてラストの鷺娘へと至るまで、雪は常に死と記憶と芸とをつなぐ結晶として現れていました。
終盤、リポーターに「なぜこの仕事をしているのか」と問われた吉沢亮は、こう答えます——「見たい景色がある」と。それは、舞台上で舞う自分の姿でもあり、父の死に際のきらめきでもあり、失った家族や愛の残像でもあり、芸の果てに見える“真実の雪景色”だったのかもしれません。そして、その景色は、ただ芸の最奥でしか見ることができない場所に存在していた。
技法的にも本作は見事でした。ディープスペースの使い方、舞台の奥行き、照明による雪のきらめきの際立たせ方、特にラストの鷺娘のシーンの紙吹雪とライティングは、まさに映像詩としての完成度を見せていました。
この映画は、表面的には「国宝になるまでの物語」ですが、深層では「芸が人をどう殺し、どう救うのか」「芸は血統を超えられるのか」「演目とは何か」「死とは何か」といった根源的な問いが織り込まれていました。
そしてラストシーン、芸の極致でようやく“見たかった景色”にたどり着いた吉沢亮の老いた背中は、まるで一つの命が雪の中に還っていくような静けさを湛えていました。
『国宝』は、単なる芸道ドラマではありません。これは“演じる”ということそのものが、人間を変え、焼き尽くし、最後に美へと昇華していく過程を描いた映画でした。日本映画において稀に見る、構造と象徴と感情が統合された傑作です。
鑑賞方法: TOHOシネマズ 池袋 SCREEN7
評価: 90点
全1630件中、541~560件目を表示
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