国宝のレビュー・感想・評価
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血の繋がり
美しき狂気
25-071
木戸銭が正札では失礼と恐縮しました🙇♀️
国宝
先ずは音響の透明感に満ち溢れて
撮影の構図、照明、色彩が
美術、衣装まで美しく、汚く、年齢や時代にマッチして
その上、年齢背景に合わせたいいロケ地や景色がずば抜けて素晴らしかった
最初の任侠乱闘シーンは、長崎の史跡料亭「花月」の一部だと思う。
特に気に入ったのは、
寺島しのぶさんの所作には梨園の女将が笑えるほどピッタリだった。
板子一枚下は地獄の世界に、悪魔と命の取引した芸の道は、ドス1本の任侠の血生臭い世界で父を亡くし、背中の梟を背負った時からの覚悟なのだろう…
タップ3時間楽しませてもらった。
木戸銭を倍払ってもまた観たい。
(⌒▽⌒)
国宝
李相日監督が「悪人」「怒り」に続いて吉田修一の小説を映画化。
任侠の家に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げた男の激動の人生を描いた人間ドラマ。
任侠の一門に生まれた喜久雄は15歳の時に抗争で父を亡くし、天涯孤独となってしまう。
喜久雄の天性の才能を見抜いた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎は彼を引き取り、喜久雄は思いがけず歌舞伎の世界へ飛び込むことに。
喜久雄は半二郎の跡取り息子・俊介と兄弟のように育てられ、親友として、ライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げていく。
そんなある日、事故で入院した半二郎が自身の代役に俊介ではなく喜久雄を指名したことから、2人の運命は大きく揺るがされる。
主人公・喜久雄を吉沢亮、
喜久雄の生涯のライバルとなる俊介を横浜流星、
喜久雄を引き取る歌舞伎役者・半二郎を渡辺謙、
半二郎の妻・幸子を寺島しのぶ、
喜久雄の恋人・春江を高畑充希が演じた。
脚本を「サマー・ウォーズ」の奥寺佐渡子、
撮影をカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「アデル、ブルーは熱い色」を手がけたソフィアン・エル・ファニ、
美術を「キル・ビル」の種田陽平が担当した。
2025年・第78回カンヌ国際映画祭の監督週間部門出品。
国宝
2025/日本
鑑賞動機:この座組10割
なんかもう、とてつもなくすごかった。
2025/6/7追記というかここからどうやって言語化するか。
歌舞伎の知識が1mmくらいしかないので、公式ページ内で演目の予習しておいたのが正解だった。それだけでわかんなくてもわかるような気になったし、歌舞伎の場面で引き込まれる度合いが全然違う。中でも『曾根崎心中』は圧巻。1度目は舞台上と舞台外を二重写にするかのような使い方だし、2度目はお話と現実をより直接的に二重写しにしていて、感情を揺さぶられ続けた。
ストーリー自体も毀誉褒貶激しくて、鑑賞中に何回「!」となって前のめりになったことか。 2人の愛憎絡み合った関係は演技と真意が混ざり合っているように見えて、複雑なのだけれど、目を逸らさず観続けるしかなかった。3時間近いけど、それでも前半の濃密さに比べると、後半は駆け足に感じた。でもあのペースで最後までやったらこちらの身が持たないから、結果的によかったのかも。
吉沢亮と横浜流星は…あなたたち悪魔と取引したでしょ? 絶対したでしょ。そうでもしないと、おかしいでしょ、あんなにできないでしょ。
『さらば我が愛 覇王別姫』は大好きな映画だが、私は違うと思う。
あそこで「順風満帆」という言葉を使うことで、逆に波瀾万丈で苛烈な人生だったことを際立たせる感覚が素晴らしい。
凄いものを観た圧倒的な重厚感。
凄かった。吉沢亮さんこんなに芝居うまかったのかと終始圧倒されていた。李監督は役者さんを引き上げて全部さらけ出させるんだろうなぁ。怖いなぁ。凄いなぁ。李監督がまさに宝なんだけど。あと黒川想矢くんの存在感がめちゃくちゃ良かった。キャスト、映像美、音楽、全て圧巻。血を吐きながら仕事していた、良いものを作ろうとしていた、自分や家族を犠牲にしてでも目指すべき取り憑かれた状態。ストイックという言い方すると薄っぺらいが
そうして死にものぐるいで仕事していた時代を生きた人にしか作れない作品だった。もうこれ以上熱量のある作品はしばらく観れないだろう。歌舞伎は観た事がないけど絶対にみる!
てか、この映画、他の作品と同じ料金で良いの?そして余談だけどたくさん観客いるのに緊張感あってマナーが良かった。きっとみんな没入してたということ。
歌舞伎好きにも感動を与える作品
映画【国宝】すばらしい。
原作を2回読みました。
なので、小説と脚本の違いがよくわかります。
設定を変えた場面も多くありますが、なるほどと納得するばかりです。
冒頭、この作品の大序というべき「ヤクザの殴りこみ」の場は、小説の美しさとリアル感そのままで、緊張して呼吸を忘れるほどです。
もし、人生を動かしている歯車というものがあるのならば、喜久雄という男の歯車がガタガタと大きく向きを変えてあらぬ方へと動き出す瞬間です。
そんな歯車の軋みが何度も何度もやってくる。
周りの人を巻き込んで。
また、周りの人に巻き込まれて。
どうしてこうなる。
どうしてそうする。
と、いろんな場面で言いたくなるんですけど、
「どうしてもこうしてもあるかいな!」というあがきのような叫びが聞こえてくるようです。
主演のお二人は、女形の所作が驚くほどきれいです。どんなにお稽古なさったのか想像できますが、でもきっと私たちの想像をはるかに超える鍛錬をなさったに違いない。俳優さんて、すごい。
歌舞伎の楽屋裏の様子や普段の生活を細かく指導したのは鴈治郎さん。リアリティがグッと感じられます。(ご本人にもっとたくさんスクリーンに出てほしかったわ♡舞台の鴈治郎さんはほんとに素敵です)
以上、6/6の初日を観ての感想でした。
以下、2回目の鑑賞を終えての追記です。
2回目となると、原作本との違いにとらわれずに没頭できました。2回見てよかったです。
「七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生の 鐘の響きの聞きおさめ」
「聞きおさめ」の部分にたっぷりと情緒をまとって、
余韻を引く吉沢亮のセリフ回しに泣けてくるのに、
師匠の半二郎(渡辺謙)は怒り心頭。
目の前の箸や茶碗をなぎ払って怒鳴る。
「あんた、死ぬんやで。あと鐘ひとつなったら死ぬんやで。死ぬ恐怖と、好きな男と死ねる喜びが"ないまぜ"なんやで!」
あちこちにある"ないまぜ"。
代役に抜擢されて、ひとり鏡台に向かって顔をする(化粧をする)喜久雄(吉沢亮)は、緊張のあまり震えが止まらず目尻に赤が入れられない。
お前の血をがぶがぶ飲みたいわ。守ってくれる血が俺にはないねん…と震える声で俊介(横浜流星)に訴える。
その手から筆を取って、黙って紅を引いてやる俊介は、逆に俺はお前の才能がほしい、父親に認めてもらえる才能がほしいと心の中で叫んでいる。
一つの場面ごとに、重なる意味、重なる思いがあって胸が熱く、痛くなります。
田中泯の第一声「あら」がまた良かった。
女ではなく女形の声、まさにこれだなと思う。
怪演って言葉が頭に浮かびます。
喜久雄と俊介がもしこのまま歌舞伎界を担う二人であり続けたら、と映画の中のこととはいえ想像してしまいます。
「三津五郎と勘三郎」であろうか、近年の「幸四郎と猿之助」であろうか、あるいは遡って、見たことはないが「七代目榮三郎と五代目福助」であろうかと、現実の歌舞伎役者とオーバーラップせずにはいられないほど、吉沢亮と横浜流星が本物の歌舞伎役者になっています。
喜久雄と俊介が舞台から客席のはるか上を見つめて「誰かが見ている」というのは、実際に何人もの役者さんが対談などで口にする言葉です。
見ているんですね、きっと。
見守られているんです、きっと。
厳しくも優しい目で。
さてこの映画を見て、初めて歌舞伎を見てみようかなと思った方には、七月歌舞伎座の夜の部がお勧めです。
染五郎と團子の舞踊「蝶の道行」。
染五郎は幸四郎の息子で高麗屋の御曹司。
團子は市川中車(香川照之)の息子です。
年はひとつ違いの20歳と21歳。
喜久雄と俊介にイメージが重なります。
映像が目に焼き付いた
タイトルなし
結構入ってた。大島さんの絶賛するほどではないけど、歌舞伎がよかった。歌舞伎のような伝統的芸能を裏側から見せたのはすごい。
雪の景色は、死んだ父親の大舞台だ。でも父に何で逃げない必要があったのかとか、いまいちよく分からない。あと、永瀬は少し若くて、もっと貫録ある人がよかった。
渡辺は二人道成寺を袖で見守る不安そうな表情が良かった。連獅子はきれが悪いし。父というより、母的ポジション。
歌舞伎で血より才能のある人に継がせるのはありえないそうだし、しかも彫り物があるので、間違いなくフィクションなのだけど、歌舞伎界の非情さもちゃんと描かれている。
返り咲けたのは、3代目ができて、その後見人としてだったのではと思えば、高畑はそこまで計算して主人公を助けたのかとまでうがった見方も。
2人の道成寺の再現はもとより、曽根崎の反復。演劇そのものが上演という反復なのだけど、そしておそらく現実にもあるあるなのだろうけれど、感慨深い。すでに片方しか残っていない足を見せるためにこの設定にしたのかと思うほど、劇的な仕掛け。その足もすでに指先は黒ずんでいる。
横浜流星もとても目の涼しいイケメンで、2人主演の女形歌舞伎というだけで、もうこの作品は十分豪華なのだけど。
田中泯は、セリフの意地悪な感じと佇まいだけで様になる。何を考えてたのかよく分からないけど。
吉沢くんは顔が端正な点にポイントがあるので、子役の子は演技力はあるけど、この点ではミスキャスト。女性としての色気はあったけれど。
吉沢くんという人は、顔が端正すぎて、その外見に比して演技は下手なのではと思われてきたゆえ、それをバネにしてきた人。まさにこの映画の初期設定。その吉沢くんの努力とこの映画が重なる。
女形歌舞伎の表情は見事。
流星くんの曽根崎も良かった。
歌舞伎は、すでに見せ場が定型化されているだけに、話が分からなくても鑑賞できる点もこの映画の成功の理由。
運命に翻弄され、不条理を身体に受けるのが名俳優の定めなので、どうしても受動的になりがちなのだけれど、吉沢くんにはさっきの要素があるだけに余計に受動的ポジションで、それは女形というポジションと重なった。名キャスティングだった。
国宝
鬼気迫る演技
久しぶりにCM以上の迫力ある作品。
華やかな歌舞伎の世界の舞台裏。2人の女形は本当に美しい!
世襲制度や
あらゆる仕事の裏の世界、
歌舞伎の世界だけでなく
人の営みの縮図のようだった。
と思ったら原作は以前も面白いと思った吉田修一さん。
血の繋がりがないのは‥田中泯の台詞が頭から離れない。
吉沢亮、個人的に顔が綺麗なだけの役者さんというイメージだった。ごめんなさい。まるでイメージが変わってしまった。
鬼気迫った演技が素晴らしかった。
女性以上に気高く美しい。踊りにどんどん引き込まれる。神のような領域。
周りのとりまき女性達が残念なのだが、それもまたこういう世界にリアリティがあるのかもしれない。
見応えあり。
化けに化けた吉沢亮!
映画が終わった瞬間に、エンドロールを観ながら、続けて今からもう一度観たい!と思ったのは久しぶりだ。
素晴らしい!化けに化けたな吉沢亮!
横浜流星との化学変化で息を飲むようなシーンがどんどん生まれて行く感じ。
二人道成寺や曽根崎心中などの歌舞伎のシーンは圧巻。
嫉妬と恨みから出る本音の言葉を上手く濁すシーンが2回。2回とも素晴らしい。立場が逆なのがなんとも言えない。
そして、少年時代を演じた2人も素晴らしかった。
とにかく、あっという間の時間。映画館を出た時、え?3時間近くもあったの?という感じ。ミッションインポッシブルファイナルレコニングも同じく長い映画だったけど、国宝の方は1秒たりとも無駄なシーンがない。
贅肉を全てこ削ぎ落としたような無駄のなさ。説明ゼリフのなさ。瞬きするのも惜しい美しさがある。
画角がまたいい。このアングルで来るか!と唸る。
キャストが抜群で非の打ち所がない。
田中泯さんの舞も観られて大満足。所作も目の動きも唸るしかなかった。
歌舞伎界から、寺島しのぶが睨みを効かせているのがまたよかった。
個人的には三上愛ちゃんの耐え忍ぶ隠し妻の役も良かった。
そして成長した娘、瀧内公美のカメラマンも良かった。
本物の南座が京座として映ったり京都の景色も楽しめた。
間違いなくもう一度観る。外国に向けても自信を持って勧められる日本の映画が生まれた。
【”積恋雪関扉、二人道成寺。そして曽根崎心中、鷺娘。”任侠一家に生まれながら歌舞伎に魅了された男と名門の家に生まれた男の歌舞伎と心中した如き人生を描いた作品。吉沢亮さんの女形の舞は壮絶な美しさです。】
■任侠一家に生まれた喜久雄(長じてからは、吉沢亮)は組長の父(永瀬正敏)を、正月の宴で自分が”関の扉(積恋雪扉)”を舞った後に、討ち入りで射殺される。
その後、上方歌舞伎の名門の当主、花井半二郎(渡辺謙)の部屋弟子になり、歌舞伎役者の道を歩み出す。半二郎の鬼の様な指導の元、喜久雄と半二郎の息子、俊介(長じてからは、横浜流星)と芸を磨く日々。
喜久雄は東一郎を襲名し、俊介は半弥を襲名し、女形コンビで”二人道成寺”で人気を博す。だが、半二郎は糖尿病の悪化で襲名披露の際に吐血し、入院。半二郎が代役に息子半弥ではなく、東一郎を指名した事から、半二郎の妻(寺島しのぶ)の怒りは炸裂し、喜久雄と俊介の関係もこじれて行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は、2時間55分のマアマア長尺な作品だが、二人の男と複数の女達の30年の関係性を描いているために、脳内フル回転で観たためか、体感2時間であったし、結構疲れた。
疲れた理由は、喜久雄と俊介に絡む女性が複数居て、描き方が少し粗い気がしたからである。
■だが、俊介を演じた横浜流星と、特に喜久雄を演じた吉沢亮の白粉を首筋から上に刷毛で塗した女形の所作と舞は見応え充分であり、且つ二人の毀誉褒貶の人生の描き方が凄く、魅入られたのである。
更に言えば、二人の毀誉褒貶の人生の節目節目に、”積恋雪関扉”、”二人道成寺”、”曽根崎心中”、”鷺娘”といった歌舞伎の有名な演目が、彼らの人生を表したかの如く嵌められている、作品構成の秀逸さも、凄いのである。
俊介は名門の跡継ぎながら喜久雄の芸には劣るが故に(と言っても、今作でも頻繁に舞台になる京都の南座で数度歌舞伎を見ただけの素人には、違い分からず・・。)喜久雄の晴れ姿を観た俊介は長きに亘り姿を消し、喜久雄も又、舞妓(三上愛)との関係や、他の一門の統領の娘(森七菜)と良い仲になった事と、背中に彫った刺青が暴露されたスキャンダルにより、歌舞伎の表舞台から姿を消し、ドサ回りの日々を送るのである。
■花井半二郎の死により歌舞伎界に戻った俊介は、再び花形になり、喜久雄はヒラの役者として、歌舞伎界に戻るのである。
俊介は父と同じく、糖尿病のために片足を失い、残った一本の足と義足で”曽根崎心中”で再び共演するシーンは凄い。俊介の残った片足の足先も壊疽しつつある中、”お初”を演じる、その足先を全身で支える喜久雄の姿・・。
・劇中、二度出演する人間国宝の女形を演じた田中泯さんの演技は凄かった。一度目は人間国宝として堂々たる女形の声音と所作が、二度目は零落れてボロイアパートで煎餅布団に横たわりながらも”ここは、綺麗なモノが無いでしょう。だから、ホッとするのよ・・。”と呟く姿は、今作の陰のMVPだと思ったな。人間国宝の称号の光と影を表した人物だと思ったな。
・そして、喜久雄と俊介が出会って30年が経ち、俊介はもういない。
喜久雄は人間国宝に史上最短で成り、その記念の舞を披露をする前に彼の写真を撮る女性カメラマン(瀧内公美)。彼女は、喜久雄が若い頃に慕って来た舞妓の娘であり”貴方は、悪魔だわ。周囲の数々の人達を足場にしてのし上がって・・。けれども、貴方の舞には引き込まれるのよ・・。”と呟き、涙を流すのである。
<人間国宝になった喜久雄こと、東一郎は再び舞台下の”奈落”から華やかな舞台にせりあがり、紙吹雪の舞う中、一人”鷺娘”を舞い、亡き父と同じように雪の中で静に横になり、息絶えるのである。
今作は、任侠一家に生まれながら歌舞伎に魅了された男と名門の家に生まれた息子の、歌舞伎と心中した如き人生を描いた作品なのである。>
■付記
多くの作品で、歌舞伎をテーマにした秀でた耽美的世界を描き、私に届けてくれた故赤江獏さんに感謝いたします。
ちょっと震えた
凄すぎるものを目の当たりにした
役者の凄さに圧倒されまくり
どうしても初日に観たいため、
時間をこじ開け、映画館に足を
運ぶ。
役者の凄さに圧倒されまくり。
歌舞伎役者の喜久雄と俊介に。
役を演じる吉沢亮と横浜流星に。
芸に生きる厳しさ、喜び、怒り、
哀しみ、苦しみ、妬み、嫉み、
そして別れを渾身の力で魅せて
くれる。
初めての大舞台での二人道成寺
には緊張感がこちらまで伝わり、
拳を握りしめて見入ってしまい
じわじわと胸が熱くなる。
喜久雄の曽根崎心中、切々と語
るお初の心情が沁みてくる名場
面、さらに拳に力が入る。
極めつけは、左脚の切断をもの
ともせずに曽根崎心中のお初を
演じた俊介と、徳兵衛を買って
出て演じた喜久雄。
鬼気迫る迫真の演技は、スクリ
ーン越しでなく、舞台を間近に
観ているかのような錯覚に陥り、
観客と一緒に拍手しそうになる。
くどいようだが、役者の凄さに
圧倒されまくり。
3時間があっという間。
この臨場感をぜひ劇場で味わう
ことをおすすめする。
2533
古典芸能に限った話ではなく
大作です。圧倒されました。
本作は歌舞伎の世界が舞台ではありますが、
何かに懸命に打ち込んで「悪魔と取引してでも」何事かを成し遂げたいと願うことは
誰にもあるのではないか。
その気持ちになってみると、
不遇の時期の喜久雄が目指すものを見失って狂乱するシーンは
胸に迫ってくるものがありました。
吉沢亮さん、素晴らしい演技でした。
原作を読んでから(というか、某サービスで尾上菊之助さんによる朗読で鑑賞して=これがまた凄い完成度でした)観たのですが
作中で2度演じられる「曽根崎心中」の扱いが映画ならではの構成になっていて、
これには大きな拍手を送りたいです。
横浜流星さんのお初、泣けました。
惜しむらくは、映画の尺に収めるために削られてしまった
原作で描かれたチャーミングな登場人物のことです。
長崎で喜久雄ぼっちゃんのお供役だった徳次が
放浪の果てにシンガポールで大成功して凱旋する様子は、
映像で見てみたかったなあ~~~。
「百年に一本の壮大な芸道映画」
決してオーバーな表現ではないと思います。ぜひ劇場でご鑑賞を。
全476件中、401~420件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。