「修羅の道は、人を捨ててようやくスタートライン。」国宝 カリンさんの映画レビュー(感想・評価)
修羅の道は、人を捨ててようやくスタートライン。
■まだ見てない君へ
感想以降はネタバレなので見ないよう。
気になるよな。分かる。
この映画の人気レビューは結構当てになるよ。
それ見て行く気になったら見に行くと良い。
あと病んでる君。
見に行くな。そういう時に見ていい映画じゃない。
もし病んでる状態で見に行きたいなら、一つだけ。
この映画から何かを得ようとするんじゃない。
いってらっしゃい。
■前置き
前から噂だけは聞いていた国宝。
ついに見た。
正直、女形の役に取り憑かれて、自分の人生も女形に引っ張られるとかいう安直な物語を想像していたのだが、安直なのは私の方だったらしい。
■感想
見る前から長そうだなという印象はあったが、実際はそれ程長く感じられなかった、なんて感想が多く見受けられる。
個人的には、後半はもう少し畳み掛けても良かった様な気がする。
飽きたとかではなく、
「半二郎が自身の代役に俊介ではなく喜久雄を指名し、演目が始まるまで」
がピークに見え、その後は落ちて上がるの繰り返しの「一般人の日常」を見せられている気分にさせられたのだ。
何か一つの人生の終わり、死後の世界を見せられているような感覚。その感覚が何とも遣る瀬無かった。
また、後半の「喜久雄のサイコ感」が、役者特有の異質な物ではなく、そこら中に転がっている無気力な若者達が持つ様な、「浅はかなサイコ感」であったのも、後半に魅力を感じなかった要因の一つである。
これに関しては、同じ人間なんだから、そらそうやろ、と言われればそれまでなのだが、「プロの役者」に、得も言われぬ様なカリスマ性を求めてしまう感覚は、皆にも理解出来るのではないだろうか。
次に肝心の歌舞伎。
歌舞伎に関しては何も知らない。知識で言えば本当に一般人以下だ。
その上で、感じ取れるだけの物を得ようとして、2シーンだけ響いたものがあった。
一つ目は、化け物爺さんの演目。
そこかよ、と、浅はかに思われるだろうか。安心して欲しい。恐怖を感じさせようと音楽が流れ始めてからの演技ではない。むしろそこらは全然顔が映らなかったのでガッカリした。
注目したのは、演目の始まりの部分。
何の調味料も無い状態の爺さんに、鳥肌が立った。
人生で始めて、ちょっとだけ思わされた。
「妖か?」と。
あのお爺さんは誰なのだろう。歌舞伎を全く知らないが凄い人なのだろうか。無名の役者だったとしても、あの演技にはとても引き込まれた。この際、名声の有無はどうでもいい。
ただ素晴らしい、と思った。
二つ目は分かりやすい。
半二郎の病室での一幕。
自身をビンタした後の喜久雄の演技だ。
分かりやすくこちらに響かせようと演出してきて腹が立って、「響かんぞ」と構えていたが、あれは見事だった。
何と言っても目だ、鼻だ、口先だ、顎先だ。
そして、声だ。
あれは素晴らしい。
.....ただ他の演目は響かなかった。
客の中には喜久雄の演目中にすすり泣く方もいたが、私にはその感覚がイマイチ分からなかった。
「我が子が沢山努力や苦労を上で、形にしようと頑張る姿に泣けた」とかそういう感覚なんだろうか。
ならまだ理解は出来る。
「演目中の役者の姿に自分を投影して」とかだったら、すまないが普通に腹が立つ。おこがましい。
彼の歩んだ人生は誰にも歩めないし、それ故に誰も彼の人生を参考にする事は出来ない。
強いて言うなら、覚悟を決め過ぎると、人生どうなるのか、
覚悟という言葉を、我々がどれ程浅はかに浪費してきたのか、
それらは何となく学び取れるだろう。
修羅の道は、人を捨ててようやくスタートライン。
そんな事を感じさせられる作品だった。
■総評
国宝がいて、歌舞伎があった。
ただ、そこに人はいなかった。
あくまで、彼は国宝なのだ。
人ではなく国宝なのだ。
あくま、で。
■自由欄
外行きの感想はこれ位にして、後は浅はかに行くとしよう。
まず、雰囲気だ。
いいじゃないか。とても好きだ。やはり昭和中期あたりのセットは大好きだ。
そして歌舞伎。
こんなにも感情が読めるものなのか。正直舐めていた。
映画の内容抜きにして、歌舞伎がとても好きになった。
必ず見に行こう。あわよくばレビューしよう。
良い映画だった。
良い三時間だった。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。