「生きる覚悟が物語を熱くさせる「国宝」」国宝 REDXさんの映画レビュー(感想・評価)
生きる覚悟が物語を熱くさせる「国宝」
映画「国宝」がこれほどまでに惹きつけられるポイントに関して自分なりに考察をしてみた。
要約すると以下となるだろう。
1. 脚本(構成)・セリフ
2. 俳優の演技
3. 映像美/音楽
どれも素晴らしかったが、1に関して深掘りしてみる。
まず、主人公である吉沢亮演じる喜久雄の運命を決定づける事件として、父親を目の前で殺害される事件が起きる。
そして復讐を試みるが失敗して、身寄りのない喜久雄は歌舞伎の世界に入っていく。
そこから彼の復讐は父を殺した男を殺害する代わりに、銃よりもナイフよりも強力な「芝居」を極めることで復讐を果たすことを目指していく。
映画の後半で喜久雄が「ある景色を求めている」といったセリフがあるが、映画のところどころに登場する雪が降り頻るシーンはまさに父が殺された時の光景であり、彼の復讐が始まった原点である。
復讐を完遂させるため、彼は「復讐の悪魔(鬼)=芝居の鬼神」となって日本一を目指すことになる。
この「父を殺される」シーンが彼の運命を決定づける訳だが、単に歌舞伎に入るきっかけのようにも見られてしまい、
彼の演技に対する動機というのが少し分かりずらいというのはあったかもしれないが結果的に分かりづらさ故に何度も見る方が多くいたとも言えるのではないか。
分かりずらいシーンで言うと、一生添い遂げると言っていた幼馴染が、横浜流星演じる俊介の元に行ってしまったのも、
のちに子を授かる芸妓と関係を持つことにより、個人的には理解できた部分があった。
喜久雄の幼馴染は、喜久雄のことを誰よりも理解しており、芝居の鬼神となり「自分だけの男」ではなくなってしまったことを理解していた。
「永久に自分の男」にならないと理解してるからこそ、彼を諦め俊介の元に行ったのではないだろうか。
喜久雄が3代目を就任した際に、元芸妓との子供が「お父さん」という呼びかけに応じなかったのも彼はもう「父=人」ではなく「芝居の鬼」となったからだろう。
最終的に芝居の世界で国宝となり、彼の復讐=見たかった世界を成し遂げることになる。
個人的には、この復讐という脚本のエンジンがこの物語を深くそして狂気の世界を創造していく訳ではあるが、
彼がなぜそこまでこの復讐にこだわったのか、また復讐の先に彼は何を感じたのかというのはもう少し見たかった/理解したかったと感じてしまった。
イプセンが「人形の家」を作って以降、物語に「生き方」を求めてしまうようになってしまった観客である我々に、
喜久雄が問いたかった生き方というのはどのようなものだったのだろうか。それは見たものの「覚悟」によって景色は違ってくるだろう。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。