「『半』が『全』になる」国宝 かもねぎさんの映画レビュー(感想・評価)
『半』が『全』になる
『説明不足、時間の流れが早い』等と散見しましたが、自分は想像の余地が有るあの位が好きです。
芸と血……二人の『半二郎』が、「目指していた景色」「上のほうの光」に共に到達する事で『全』になり、それこそが国宝なのかなと思いました。
※以下、自分なりの解釈と感想です。
①曽根崎心中に被せた逃亡の心理
喜久雄を通して結び付き、辛い現実から共犯(共感)者として逃げたように思いました。
俊介の「逃げたんちゃう」も芸自体からは逃げておらず、春江も「喜久ちゃんの一番のヒイキ」のままの気がします。
②いつ「全部捨てて良い」程になったのか
万菊の鷺娘が雪中の父の死を見せて、無意識に面影を追い始めた気がします。
安宿で野垂れ死ぬ万菊は、喜久雄の将来(全て捨てた姿)の暗喩なのかな。
③女性陣の存在
俊介母、春江、愛人、ドサ回り女、喜久雄の娘……女性を通して、役者の業と厳しさが見られました。
女性が可哀想だけど、男性陣もそれぞれが報われず、男女共に孤独だと思いました。
男自らが女達を捨てると言うより、失っていく感じがします。
④血統
喜久雄は芸で血統(俊介)に打ち勝ちますが、自身の血統(ヤクザの血と父の面影)からは中々逃れられず
鷺娘を舞う姿は『芸で仇討ちしたらええんや』を果たし、血としがらみから遂に解放された姿に思えました。
全て捨てて(失って)到達した舞はこの映画の一番の見所で、その余韻のままエンディングを迎えたのが良かったです。
一方で俊介は、血統で生かされ、その血統(糖尿病)で死んでいきますが、芸を全うする最期は、重すぎる血統に遂に打ち勝った瞬間なのかなと思いました。
残った脚も壊死してた時は泣けた。
⑤まとめ
対局のライバルの苦悩と決別がよく描けていて、最終的に到達した極致は、エンディング曲の歌詞『痛みも恐れも無い 光の果て』で再び出逢うようで素晴らしかった。
日本でしか作れない映像美と演技で、映画館でみるべき映画でした。
劇中・劇後の音楽も俳優さんを引き立てていたし、俳優さんの目の演技や所作は、本物の歌舞伎役者に見えました。
あ、あと着物もとても良かった。
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