「禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…か。」国宝 わいちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…か。
凄いものを見せられたナという気持ちはしています。
観賞以前からキャスティングが逆じゃないか、吉沢亮と横浜流星が逆の役をやった方がシックリとくるんじゃないのか、もっと良い作品になったんじゃないのかというのが有って、観賞中もますますその思いを強くしていたのだけれども、それでも途中から段々とそんな事どうでも良いヤと思う様になって来ました。
人生というのは生まれた時代や場所や境遇を背負って、死ぬ迄その役柄を演じ続ける事に他なりません。他人の人生を生きる事は出来ないし、他人の境遇を羨んでもその人間に成り変わる事は出来ないのです。
それは俳優の演技にしても全く同じ事が言えて、あの人の役の方が良かった、この人の役の方が良かったと言っても仕方が無くて、自分が与えられた役の中で懸命に生きる、与えられた役の中の人生を生き抜けるという使命を果たすという事に他なりません。
そういう意味では二人は間違いなく与えられた役柄の人生を生き抜いていたし、その人生を全うしたという事が出来るのでしょう。
禍福は糾える縄のごとし乃至は人間万事塞翁が馬…
父親の敵討ちを戒め、将来を誓う証に背中一面に彫り物を入れたハズの喜久雄と春江は遂に結ばれる事は無かったし、実子の俊介を差し置いて花井家の後継に指名されたハズの喜久雄の見た夢は、半二郎の本心を悟ると時を同じくして音を立てて崩れ落ちて行きます。
それでも失ったハズの人生は、何処かで帳尻が合う様に出来ているのかも知れません。最後に悪魔との取り引きは果たされたのだという事を観客は知りますが、その喜久雄に笑顔は有りません。
「順風満帆な役者人生を歩んで来られて…」と事も無げに発するインタビュアーの問い掛けに、「皆様方の支えがあって此処までやってこれました…」と面白味の無い定型句を返答する喜久雄の人生の壮絶さを、けれども我々観客は知っています。
人は与えられた自分の人生を全うする事でしか、自分自身の役割を果たす事はきっと出来ないのだろうという事をつくづくと考えさせて貰いました。
原作の吉田先生は、映画『楽園』の原作者でもあるとの事。
映画『楽園』も以前に観賞しましたが、奇をてらった感じが凄くして自分は駄目だったのを覚えています。こちらの作品は人の持つ業だとか宿命の様なものを深く感じて、とても強く心を揺さぶられました。
先生も…腕を上げましたネ…なんてww
わいちゃんさま、初めまして
共感ありがとうございます🙂
>観賞以前からキャスティングが逆じゃないか、吉沢亮と横浜流星が逆の役をやった方がシックリとくるんじゃないのか、もっと良い作品になったんじゃないのかかというのが有って、観賞中もますますその思いを強くしていたのだけれども、
2人のファンの間でも、映画化が発表されてから、キャスティングが逆では…と、長いことSNSがざわついていました。
李相日監督が6年前に、吉沢亮さんに主役のオファーをした時、「吉沢亮の喜久雄ありき」だったと語られていました。
これまでの出演作を観ても、吉沢亮さんは、主演でなくても“主役”になってしまう俳優。横浜流星さんは、助演で受けの演技が上手い俳優だと感じていました。
>人生というのは生まれた時代や場所や境遇を背負って、死ぬ迄その役柄を演じ続ける事に他なりません。他人の人生を生きる事は出来ないし、他人の境遇を羨んでもその人間に成り変わる事は出来ないのです。
映画『国宝』で歌舞伎指導をされた中村鴈治郎さんが、吉沢亮さんとの対談で話していました。 「喜久雄という役を演じながら、同時に歌舞伎の演目の役を演じるという、二重の芝居は僕ら歌舞伎役者にはできない」
とても興味深いレビューを読ませていただき、ありがとうございました🫡
※長文コメント失礼しました。
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