「舞台は美しかったが、原作の改変が上手くない」国宝 島田庵さんの映画レビュー(感想・評価)
舞台は美しかったが、原作の改変が上手くない
原作の上巻だけ読んでから、映画を観た。
舞台が美しかった。
姿も、踊りも、
切ない台詞も、そして意外にもロックな魂を感じた音楽も。
* * *
原作は文庫上下巻合わせて800頁を超える分量だから、
映画で1時間40分かかった上巻の内容も、その実かなりダイジェスト。
おまけに大事なキャラの徳次が、冒頭の場面以外全カット。
徳次なしに喜久雄は存在し得なかったのに。
でもまあ、その他の大筋は原作のままだし、
しかたないか、と思って観ていると、
ワタクシ未読の下巻の内容とおぼしき部分に突入。
ところがあちこちで、
なんか変、と思ったり、
違和感や不自然さを感じたり。
気になるので早速下巻を読んでみたら、
そのほとんどは、原作を改変した部分だったのであります。
ここから後は、ネタバレ全開。
というより、映画か原作かどちらかでもご存じないと、おそらくチンプンカンプン。
* * *
まず映画では、俊介が復帰してTVでインタビューを受けるのが唐突。
これは原作では、
写真週刊誌への「隠し子」リークともども、
俊介復帰宣伝のための、竹野の策略だった。
なるほど不自然なわけだ。
次に、吾妻千五郎とその娘の彰子のこと。
映画では、彰子は途中で退場?しちゃってるが、
原作では、最後まで喜久雄に寄り添う。
それから映画の、ドサ回りとも呼べないような場末の「仕事」。
原作ではこんなことはしない。居場所のなくなった喜久雄を、新派が救ってくれる。
その後喜久雄が、長崎抗争のあおりを受けて再び批判の矢面に立たされた時には、新派への出演も無理になるんだが、
その時には、「勘当」を言い渡したはずの彰子の父・吾妻千五郎が、手を差し伸べてくれる。
藤娘を踊っている時に、狂った客が舞台に上がってきちゃうのも、
映画では場末の舞台だが、
原作では歴とした劇場でのこと。
件の男は1名だけで、しかも取り押さえられて乱闘になどならないし、
それをきっかけに彰子が去ったりもしない。
(ただ、これ以降、喜久雄に異変が……)
芸妓の藤駒(原作では市駒)の娘、綾乃のことは、
映画では幼い時からずっと見捨てていたようだが、
原作では、彼女が中学生の時に荒れているのを見かねて引き取り、
春恵(と俊介)が預かって大学にまでやっている。
つまり、原作にはいろいろと救いがあるのに対し、
映画は原作より、苛酷・苛烈で極端な設定が目につく。
不自然になってしまってるし、
ワタクシの好みではない。
* * *
ただ、本当のラストについて言うと
――これまた映画と原作は異なるのだが――
原作は、映画より怖い。
ここのネタバレは、致しませぬ。あしからず。
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