「舞台から発せられて、届くもの」国宝 くさんの映画レビュー(感想・評価)
舞台から発せられて、届くもの
自分はひどく実利に特化した人間で常識の中でしか生き得ないから、演じる、創造するという世界に従事する人に憧れるし、その姿から発せられるものに心動かされる。万菊さんの「ここには奇麗なものが全くないから救われる」には煌びやかな場に立つ人達の極限を示されたようではっとした。そういう人達であるから、綾乃が口にしたように「お正月のような何ともいいことがありそうな幸せな気分になっていつの間にか一生懸命に拍手をしている」と目にする人に感じさせるのだろうなと。
吉沢亮君は「この世ならざる美しい顔」との役どころに相応しい顔面に底知れない「無」な目が配されているのをいつも興味深く思って見ている*。決して努力を表に見せるわけではないのにあの所作を身に着けるのにどれだけの鍛錬があったろう。題材からも内容からも恐らく今年から来年の賞は国内外問わず総ざらいするのだろうな。
そして、想像していたより黒川想矢君が素晴らしかった。
自分は医療従事者なので、最後の「曽根崎心中」の縁側のシーンでお初が徳兵衛に差し出す右足の、母趾の爪が白癬で肥厚し、趾や踵が血行不良で紫変している糖尿病足であることがわかる。だからこその、映像ならではの素足を見せる演目であり(原作未読だけれど、演目が変わったことを書いておられる方がいらした)その時の喜久雄の絶望が窺い知れる。糖尿病の足病変の外見については左下肢切断前の病室のシーンで”予習”(切断に至る足にしては地味目だけれど)してからの流れではあるが、医療は素人の夫には「右足」のくだりがいまひとつわかりにくかったようで、話の流れや演目の意味がわかりづらいという方はその辺りなのだろうか。
*再放送でスイッチインタビュー見ていたら、吉沢亮君ご自身で「虚無の表情」が好き、静寂が気持ち良い、とおっしゃっていて、自分の感じ取ったのも間違ってないのだと思った。李監督も似たようなことおっしゃっているのを読み、吉沢亮君の虚無の目(三白眼も良き)は普遍的に感じ取られるものなのだなと。
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