「おとこに賭けるおんなたち」国宝 usher223さんの映画レビュー(感想・評価)
おとこに賭けるおんなたち
もしかしたら、監督か意図するところではないのかもしれないけれど。
私には、この作品のテーマは、
夢に賭けた男に寄り添う女たちの生き様
に思えてならない。
まず最初に。
私自身は、幼少期から歌舞伎を祖母や叔母に連れられて、長年見続けてきた、ひとりの歌舞伎好きであるため、
正直、大きな期待値を持たず、エンタメとして受け止めるフラットなスタンスで、上映を待ったのだが。
否応なく圧倒された。
どこまでも耽美である。
という表現しか見つからない。
二人の男たちの舞台を陰で支えるのはあくまで己を捨てた女たちであることに打たれる。
物語の軸となるのは、所謂歌舞伎の世界の血筋と
それに抗うかの様な圧倒的な美と才能を併せ持つ
ひとりの男の生き様ではあるのだが。
自分も背中に彫り物を背負いつつ惚れた男を支える覚悟を持つ女、
瞬時に男の才を見抜き、惹かれて、人生を賭すと宣言してみせる女、
何不自由なく生まれ育ち、それ故にか、男の哀愁にどうしようもなく惹かれつつもやりきれない女、
大名跡を持つ男の妻として、我が子可愛さと違い稀な才能との狭間で葛藤しつつ、守るべきものを絶対的に突き通す女、
もし自分なら。
誰の人生を選ぶのだろう。
いや選べるとするなら。
そう漠然と思いながら、
物語に深く没入していった。
わたしなら。
藤駒の生き様を選びたい。
年端もいかない少女の頃に、
出会ってしまった運命の男へ。
うちの人生をあんたに賭ける事にした。
なんて痺れる、男前な台詞ではないか。
そしてその男前な台詞はラストで伏線回収されていく。
惜しむらくは、藤駒の芸事をも飲み込んでいく、そして彼女の芸が結実していく様がほんの少しでも魅せてくれたら。
(それには3時間では足りないのか。)
そして恐らく、殆どの女性が春江のあの場面は納得がいかないのではないか。
それについて、常日頃から歌舞伎贔屓の友人と、
翌日に語り合う事になるのだが。
(あれはあり得ないよねい、
そんなはずないけどねい、と、数々の突っ込みどころはこの際、全て棚に上げた上で。)
春江は、身を挺して男を支える自分を、
愛するタチの女なのではないか。
という見解に落ち着いた。
そしてあの捨て猫の様な哀れな姿の御曹司を
私しか護ってあげられない!
と決めて支える道を選ぶ。
自分の夢というものが、
須く男の隣で支えていく人生とは。
そう言えば。
かなり高名な華道家の方に師事していた頃、
偶然ホテルのサロンで遭遇してご一緒することになり。
(その当時の彼氏の、お坊ちゃま学校として知られた一貫校の先輩にあたる方だった…)
師匠が仰るには。
『あのね、あなたは本当に欲が無いから。
教えてあげるけど、女はね、必死で頑張らなくて良いの。
これは!という男を見つけて育てるの。
そしてその男を王様にすれば良いのよ。
そしたら自分は王妃様なんだから。
あなたの彼、デキる男だから、手放すんじゃ無いわよ!』
と。
当時の彼は既婚者でw
手放すもなにも。
その後、
絵に描いたような御曹司と出会い、
これは!と思ったのだけど…
支える覚悟が足りず、手放す事になった。
(春江はしっかり王妃さまになったが。)
そんな半端な私には、
この物語の数多の女たちの気合いは凄まじくて
眩しい。
木兎は受けた恩を忘れない。
その呪縛を背中に背負いつつ
それでも尚且つどこまでも美しいその姿に。
背筋が凍る様な痺れが走る。
観終わって二日も経つのに
余韻が身体から抜けていかない。
もう一度、
いや、何度か見直したい。
今度は御曹司の所作を、表情を見届けたい。
これは不思議な事だけど。
私が生まれて初めて見たのは、
鴈治郎さんの舞台だった。
幼くて意味もよくわからず、
祖母に訊ねた記憶が残る。
そして、まんまと
歌舞伎に嵌るきっかけとなったのは、
8代目菊五郎を襲名された、菊之助さんの
約20年前の暴力的なまでの美しさだった。
(今も素敵だけど、当時はこの世のものと思えない美しさだった…)
菊五郎さんの父は人間国宝、
そして義父も。
だからこそのキャスティングも
当然あるのだろうけれど。
しのぶさんと鴈治郎さんが
そこに居るだけで、
物語は途端に格調高いものとなった。
間違いなく
日本映画の高みに突出した名作である。
と。断言しておく。
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