「二度にわたる「曽根崎心中」」国宝 giantstepsさんの映画レビュー(感想・評価)
二度にわたる「曽根崎心中」
あれこれ賛辞したいことは、多々ありますが、二度にわたる「曽根崎心中」について感想を綴りたいと思います。
映画の中盤、半二郎が怪我をして、代役に息子の俊介では無く、喜久雄(東一郎)を指名し、喜久雄が「曽根崎心中」のお初を演じることになります。半次郎から厳しい稽古をつけられ、舞台への不安から、俊介の血を渇望する喜久雄。「喜久ちゃんには芸があるやないか」と励ます俊介。
そして、いざ舞台が始まるや圧巻の演技を見せる喜久雄。とりわけ、縁の下に匿った徳兵衛に、お初が足を踏み鳴らしつつ、「死ぬる覚悟が聞きたい」と問い詰める姿は鬼気迫るものがあり、足を踏み鳴らす音がだん、だんと腹に響きました。
圧巻の演技を見せつけられた俊介は、いたたまれなくなり席を立ち、それに気づいた晴江も俊介を追いかけます。はじめは、何で俊介に、と解せなかったですが、喜久雄のためにうんと稼いで劇場を建ててやる、と夢を語らいでいた晴江にとって、目の前で完璧にお初を演じる喜久雄を見て、喜久雄は遥か遠くに行ってしまい、もはや自分がしてあげることは何も無いのだと悟ってしまったのかと、思い直しました。
その後、喜久雄、俊介は、それぞれ絶望に近い経験の後、また、二人揃って舞台に立つことが叶います。が、それも束の間、視力を失い吐血して亡くなった実父半次郎と同じ糖尿病を俊介も患い片足切断を余儀なくされます。これまで自分を守ってくれ、喜久雄から飲みたいと渇望された、歌舞伎の名門の血によって皮肉にも苦境に立たされることになります。
義足となった俊介は、「曽根崎心中」のお初を演りたいと喜久雄に(心中相手の)徳兵衛を演じてほしいと頼みます。
私が、劇中、最も心に刻まれたのは、この喜久雄、俊介による「曽根崎心中」でした。
俊介演じるお初が、義足をだん、だんと踏み鳴らし、縁の下に匿った徳兵衛に「死ぬる覚悟が聞きたい」と問い詰める姿は、あたかも俊介が自分自身に問うているかのように聞こえました。歌舞伎の解説では、徳兵衛はお初の足を刃物のように喉に当て(死ぬる覚悟に)同意を示すとのことですが、義足でない方の既に壊死して真黒になった俊介の生足を目の当たりにし、その腐臭漂う(であろう)足先に頬を寄せる徳兵衛(吉沢)の姿は、もう二度と舞台に立てないであろう俊介の片足を慈しんでいるとしか見えず、この一幕は映画史に残る名シ―ンだと思いました。
映画を鑑賞したこの日の午後は、時折、このシ―ンが蘇り、その度に涙が溢れてきて参りました。
他の方のレビューによると、原作ではこの二度目の「曽根崎心中」は、別の演目とのことで、脚本家奥寺さんなのか李監督の発想なのか、この2度にわたる「曽根崎心中」の舞台を取り入れたことは、彼らの実人生と相まって映画の中で見事に結実していたと思いました。
その後、映画は一気に、喜久雄が人間国宝になった後の話しになりますが、俊介の死後、看板役者として花井一門を担い、俊介と晴江の息子を跡継ぎとして仕立て上げていく喜久雄の人生は、語らずとも理解でき、ラストの人間国宝喜久雄による「鷺娘」に結実していました。その客席に俊介の母幸子は居らず、舞台を見つめる晴江の顔は、いまは熱心なファンのひとりとして喜久雄の芸を見守る穏やかな顔に見えました。
なお、ラストの「鷺娘」の音楽ついて、長唄と鳴物による伴奏だけでよく、踊り終盤の劇伴に否定的なコメントも目に止まりましたが、私はあの急峻にして圧倒的なボリュームの劇伴に痺れましたし、映画でしか成し得ない感動の高みに連れていってもらいました。グッジョブ!
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