「現代の中村仲蔵か???映画「国宝」」国宝 椿六十郎さんの映画レビュー(感想・評価)
現代の中村仲蔵か???映画「国宝」
歌舞伎界の門閥・家柄にあらがって看板役者にまで上り詰める歌舞伎役者の物語が「国宝」である。このエピソードを聞いて歌舞伎や落語が好きな人なら先ず浮かべるのが「中村仲蔵」の話しである。江戸時代、歌舞伎の家柄では無い家庭で生まれた仲蔵が名題役者になるまでが色々な作品で描かれている。映画「国宝」が話題になった時、「主人公のモデルは玉三郎か?」と言われたが、私は真っ先に仲蔵の姿が浮かんだ。
中村仲蔵の噺は、講談・落語・新劇・ドラマなどで扱われ、新作歌舞伎にまでなった題材で有る。私が先ずこの噺に触れたのは、2000年 日生劇場での公演「栄屋異聞影伝来~ 夢の仲蔵」であった。仲蔵を演じたのは当時の幸四郎さんであった。その後、志の輔さんの落語を聞き、当代の勘九郎さんが演じたドラマ「忠臣蔵狂詩曲 No.5 中村仲蔵 出世階段」を見て、つい最近は藤原竜也さんが演じた新劇「中村仲蔵 〜歌舞伎王国 下剋上異聞〜」を拝見している。私は、余程仲蔵が好きなのだろう。仲蔵は、元々浪人(武士)の子であったが長唄の師匠と舞踊家の家に養子に入り、特に踊りの稽古を母親から厳しく受けた。その後、芝居小屋である中村座で歌舞伎役者としてのスタートを切る。当時の歌舞伎界の階層区分は厳密で、どんなに踊りの上手い仲蔵(当時は中蔵)であっても「稲荷町」と呼ばれる大部屋役者から始め、役者の家柄では無い仲蔵にとっては階層の頂点である「名題」に上がるのは不可能と言える世界であった。そんな中、一時期。ひいき筋から「身請け」・・・一説では男色家のひいき筋・・・をされ役者の世界から身を引くが、それでも夢は諦めきれず中村座に戻る。謂わば「出戻り」である。その為、大部屋では壮絶な「楽屋いびり」にあったりするが必死の演技を当時大看板であった四代目団十郎に認められ名題役者にまで登り詰める。しかし、話しはそれだけでは無い。独自の工夫をこらした仲蔵の演技に反感を持つ座付きの演出家・・・金井三笑の反感をかい、人気の演目である「仮名手本忠臣蔵」の配役で、当時人気の無かった五段目・斧定九郎一役だけという「いやがらせ」に合う。五段目の斧定九郎と言えば、六段目で非業の最期遂げる早野勘平(はやの かんぺい)を引き立てるだけの役とも言える。しかし、仲蔵は素晴らしい工夫でこの段で見物衆や楽屋内を圧倒する。これ以降、五段目は仲蔵のカタで演じられ、二枚目の看板役者が演じる処となった。そんな話しが伝えられるのが中村仲蔵である。
さてそんな事を思いながらの映画「国宝」である。モデルは誰か?確かに、坂東玉三郎さんは、歌舞伎の家柄では無い。東京で料亭を営む家の生まれだ。「国宝」での主人公が「ヤクザの家柄」というのとはかなりの違いはある。更に、玉三郎さんは十四代目守田勘弥と云う大名跡を継ぐ役者の門弟となり、後に養子ともなっている。たしかに「国宝」の主人公・喜久雄も上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎のもとで修行をする。しかし、「国宝」ではその半二郎の息子・俊介とのライバル関係を軸に話しを組み立てるが、一方の守田勘弥には養子玉三郎以外に息子は無く、居るのは2代目水谷八重子だけであり、彼女は新派の女優だ。ただ、大きな意味で玉三郎さんのライバルと目される人は居た。年齢はかなり開くが六代目中村 歌右衛門丈である。但し、何か表立った確執があったとは聞かない。坂東玉三郎が、歌舞伎の世界だけでは無く映画や新劇・創作舞踊・中国劇(崑劇)などに広く手を伸ばして行くこととは対照的に歌舞伎の世界だけで生きる名人成駒屋との違いがそんな憶測を生んだのであろう。映画「国宝」にも歌右衛門丈らしき人間国宝の大看板が出てくるが、既にかなりの年配で、後に歌舞伎界から離れる事になってしまった主人公をもう一度引き戻す役割を担っている。余談だが、この役を演じている田中泯さんがご当人にどことなく似ているのが笑えた。
そんなワケで、この映画「国宝」は実在の人物をそれ程意識して作られた様には見えない。それではストーリーはどうか?私が思い描いていた「中村仲蔵」の様に、門閥以外の人間が腕と工夫を凝らしてのし上がって行く物語と言うよりは、単なる門弟である主人公と歌舞伎の家の御曹司の間に芽生える愛憎劇という感じになっている。そこが、歌舞伎を好きな人間には少し物足りなさを感じる処だ。ただ、一つ一つの歌舞伎のシーンについては十分であった。ロケ地も南座を中心に豊岡の古い芝居小屋や歌舞練場等を使っていて臨場感に溢れ、演目も兄弟弟子であるふたりの女形に相応しい「二人藤娘」や「二人道成寺」・・・、更に上方歌舞伎らしい世話物「曽根崎心中」を持ってくる処も良かった。特に、私は玉三郎さんと八代目菊五郎さんが先代の菊之助時代に演じた「二人道成寺」が大好きだったので、吉沢君と流星君の踊りも興味深く見ることが出来た。その、吉沢君と流星君の歌舞伎の場面での演技だが、これは二人の努力とカメラの力で中々の出来だったと思う。但し、これを本物の歌舞伎役者と比べるワケには行かない。それは、歌舞伎役者に対して失礼に当たる。芝居と映画の違いは、編集とクローズアップである。良いところだけ繋ぎ、見せ場となるシーンをグーッと引き寄せる事の出来る映画と一発勝負のワンカットである芝居とは比べるには無理があると言う事だ。ただ、それでも二人の演技は良かったと思う。
まあ、主人公・喜久雄が花井半二郎を襲名し、「何を成して」重要無形文化財の保持者=人間国宝に成ったかは判然としないが、一つの愛憎劇として見れば・・・「まあ、有りかな?」と思える部分もあった。これを機会に若い人が歌舞伎に興味を持って貰えると良いと思うが、これはまた別の話の様な気もする
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