「化物」国宝 ひろさんの映画レビュー(感想・評価)
化物
一番好きな映画は?と聞かれたら「悪人」と答えるわたしは吉田修一✖李相日が好きなんだと思う。
歌舞伎には一度足を運んだことがある程度、ただ、中村屋に密着した番組が大好きなわたしは、この映画に期待する半面、不安もあった。
この映画、歌舞伎役者さんが演じるのではない歌舞伎というものに違和感を抱いてしまうのではないかと疑っていたからだ。
歌舞伎について無知であるわたしでも歌舞伎役者さんたちの声が独特なのはわかる。
たとえば、顔を知らない歌舞伎役者さんが大河ドラマに出演していても、「あ、この人歌舞伎役者だな」とわかる。
声の響きが違う。発音もはっきりしている。
この点で言えば、やはり本物と一般の役者さんは違うなと思った。
けれど、わたしの懸念していたのとは真逆だった。
物語に没頭し、また「一般の役者さんでもここまでできるか」という感動で違和感なんて吹っ飛んだのだ。
まったく持って、脱帽、感嘆しか無かった。
どの場面も実際に演じたらおそろしく大変なんだろうけど、わたしは道成寺のしゃがんだまま前に進む振りに驚いた。
かなりの運動量だし、そのへんのちょっと運動神経がいいくらいの人じゃ絶対にできない。
どれだけの努力をしたのだろう。
そして、なによりその美しさ。
特に吉沢亮くんは女性よりも美しく、この役をやるために生まれてきたんだと思った。
宝塚が好きだから、宝塚の男役に向いてる顔っていうのはあると思っているんだけど、女形に向いてる顔があるなら、きっと吉沢亮くんが最高峰だと思う。
もちろん、あの美しさは顔だけではなく所作や目線、研鑽の結果なんだろう。
「美しさに食われちまうから気をつけな」こんなようなセリフがあった。
吉沢亮くん、横浜流星くんという日本でも指折りの顔面国宝が出演する映画でのセリフにぴったりだ。
原作未読のわたしは「芸をどんなに極めても、その美しさが芸をかすめてしまう。だから、美しくないものよりずっと努力をして、実力をつけなければならない。また、その美しさにおごってはならない」と解釈した。違うかな?
若い時の美しさは誰だっていつか衰える。だから、顔面の美しさに頼らずに、芸で美しく見える術を身に着けなさい。って、ことかなと。
以前、なにかで見た映像ですごく印象に残っている映像がある。
仁左衛門さんがある場面を演じているところで、泣いている。
インタビュアーが「すごい熱演でしたね。感動しました」みたいなことを言うのだが、仁左衛門さんは苦笑いする。
「まだまだです。役者は舞台で泣いているのを見せるんじゃない。泣いているように見せるのが芸なんです。でも、わたしはまだまだなので、泣いてしまうんですよね」
というような話だった。
これには驚いた。映像作品だと本当に涙が出てるかどうかが重視されるような気がする。
だが、舞台では違う。泣いてないのに泣いているように見せる、それが芸だ、と。
確かに女形もそうだ。
普通に演じているのは男性で、さらにおじいちゃんだったりする。
だが、舞台では娘だ。芸ってすさまじい。
と、話がそれてしまったので、役者さんや全体的な感想を。
まず、永瀬正敏さんがかっこいい。
宮澤エマちゃんも出演をすることを知って楽しみにしてたのに、出番としては短い。
ただ、とても印象に残った。
主人公の人生に強烈な出来事として残るシーンがちゃんとインパクト強く印象づけられた。
そして黒川想矢くん。
吉沢亮くんの子役として、まったく違和感がない。というより、吉沢亮くんを観ていても黒川想矢くんの影がちらついてしまった。
なんというキャスティング。
俊介と喜久雄、見栄の練習をしている時の形が綺麗だった。
今後が楽しみな役者さんとして強くインプットされた。
喜久雄、吉沢亮くん。
先にも書いたけど、今後これ以上の役ってくるのかってほどだった。
役として、これ以上役者を体現している人物像ってあるのかと思う。
日本一の歌舞伎役者になるためなら、何にもいらない。
愛がない人でないと思う。ただ、歌舞伎への情熱に比べたら二の次になってしまうだけで。
そして、自分の芸道のためなら、一人の女性を利用することも厭わない。
そして、それが裏目に出てしまうわけだけど。
万菊が鷺娘を踊っているのを見て、「化物」とつぶやくけれど、まさに喜久雄はその化物になっていく。
非道だからじゃなく、その執念だ。
その様を演じるのは役者冥利につきると思う。
歌舞伎場面は圧巻だったし、この役にかける彼の執念すら感じる。
そして、それに加えて芸名を脱いだ喜久雄としての場面の繊細な演技も素晴らしい。
緊張で震えて化粧ができない場面。
血が欲しいと懇願する時の赤く潤んだ目。
(もう1本の映画を思い出だしてしまって、ちょっと笑ってしまったが)
男たちに暴力を振るわれて、自分が何をしてるんだろうと嘆く屋上のシーン。
そして、曽根崎心中を演じているときに半弥の義足ではない方の足も壊死し始めていると気づいた時の演技。
挙げ連ねれば、きりがない。
吉沢亮くんは喜久雄として生きていた、それにつきる。
俊介、横浜流星くん。
ダブル主演くらいなのかと思ってたら、そこまで、クローズアップされているわけでもなく。
いいやつだったなという印象。
いきなりヤクザモンの同じ年の子が来て、はじめはちょっとムッとしてたけど意地悪するでもなく、親友になる。
原作未読だからわからないけれど、原作でも意地悪する→なにかきっかけで仲良くなる、ではなくてすぐに打ち解けたのかな。だとしたら、本当にいいやつ。
自分がやりたい、自分のほうがふさわしいと思っていた父親の代役を歌舞伎の血を引かない同い年の親友が演じる。複雑なのに、化粧を手伝う。
本当にいいやつ。
憎からず思ってる女性に部屋にあがりなよと言われたのに、あがらずに帰る。
本当にいいやつ。
喜久雄を殴って、血が出たら平謝りする。
いいやつ?
足を切断するっていうのに自暴自棄にならず、周りに当たり散らすわけでもない。
本当にいいやつ。
歌舞伎シーンはともかくとして、出番が多い割にそこまで見せ場があるわけではないかな。
旦那、渡辺謙さま。
この役も役者の業を体現していた。
目が見えず、まともな芸が見せられない状況でも襲名したい。
血を吐き、命の火が消えかけているのに舞台に立ちたい。
その執念。
前半はいつもの渡辺謙と思ってみていたけど、年を取ってからの演技が「本当に歌舞伎の人で、こんな人いたよな?」ってくらいのリアリティだった。
かっこいいヒーロー役者なイメージがあったけど、こんな演技もするのかと驚いた。
寺島しのぶさん。
いつもの寺島しのぶだった。
ただ、本物の彼女がいるだけで、作品の重厚感が違う。
特筆すべきだと思うのは田中泯氏。
名前と顔は存じていて、怖い顔のダンサー兼俳優さんのイメージしかなかった。
けれど、その話し方、声、お名前は失念してしまったが中村屋の密着番組で、勘九郎さんや七之助さんの世話をあれこれ焼いていた、名物おじいちゃん女形の方を思い出した。
もちろん、その方は部屋子の方で人間国宝とはまったく違う立場の人だったけれど、「歳を重ねた女形の話し方ってきっとこうなんだろう」のそのままだった。
この物語の大きな象徴として非常に強い印象を残した。
この人もまた、喜久雄と同じように美しいものに囲まれ、美しくあろうと芸道にすべてを捧げてきたのだろうと思う。
だからこそ、豪華な家も家族もいない晩年なんだろう。
そして、それをすべて手放して最期の時を迎えようとしている今、やっと何かから解放され、ほっとしている。
きっと今まで歌舞伎が愛しくて、憎くて、憎くて、愛しくて、すべてを捧げてきたんだろう。
そんな自分と喜久雄は同じと思っているのかもしれない。
いつも劇場の天井から何かが見ている。
それは神のようなものなのか、
悪魔のようなものなのか。
それとも自分自身なのか。
抱いた感想は
「役者は浅ましい。そして、どこまでも美しい」ってことだった。
いつか、吉沢亮くんの人生も観てみたい、そんなことを考えてしまった。
圧巻の映像美、
役者さん達の執念を感じる演技、
100点をつけたいところだけど、話自体は想像の域を出なかったこと、(歌舞伎の名門のボンボンと一般からのし上がる子が親友になる話を書いたら、だいたいこんな感じになるよね)
さらに長い話をまとめると仕方ないかもしれないけれど、時間の切り替わりがぶつ切りのように「◯◯年」って続くのがちょっと気になったので、ちょっとだけマイナス評価。
とにかく歌舞伎が見たくなった。
そして、この映画のメイキングの円盤とか番組とかあったら絶対見るので、お願いします。
もし、このとりとめない長文を読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。
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