「奇々怪々な部分が多い映画でコンペティション部門に出品ならず」国宝 marieluiseさんの映画レビュー(感想・評価)
奇々怪々な部分が多い映画でコンペティション部門に出品ならず
ネタばれ含むので、映画鑑賞が未だの方は絶対にお読みにならないように...
奇々怪々と感じた部分は、歌舞伎役者でない役者が歌舞伎役者を苦労して演じてはみたもののやはり本物の歌舞伎役者の技量にはかなわない不自然さが目に付くとかそういう部分ではない。自分は歌舞伎や能はよく見に行くが、歌舞伎役者であろうとなかろうと、やはり美形が演じる女形のほうが圧倒的に美を感じるものなのだと、つくづく納得した。渡辺謙の毛ぶりはなかなかであったし、たとえ多くの不自然さが目立たないように撮影・編集されていてもそれは当然だろう。
原作を読んでいないので、原作にはきちんと描かれているのかもしれないが、
喜久雄とともに生きるために自らも背中に彫り物をしたほど喜久雄を愛した春江が、俊介のあとを追い、そのまま二人で姿を消してしまう春江の心情がきちんと観客に伝わるように描かれておらず、なぜ二人で消えた??? その???でしばらく頭がいっぱいになった。
あと、この映画を初日に観た理由は、自分が崇拝して止まない世界的ダンサー田中泯が出演しているからなのだが、その『鷺娘』の踊りに全く感動できなかった。玉三郎の『鷺娘』の足元にも及ばない。残念である。国宝を演じているわけだから、これではまずいだろうと思う。
あと、みすぼらしい狭い部屋で万菊が横たわり、喜久雄と再会するシーンで、「ここには美しいものがない。」と語り、美から解放されたという境地が、国宝であることからのストレス開放なのか、芸を極めたもののみが達することができる境地なのか、どちらなのか???理解できずにまた???であった。それに加えて、どうして歌舞伎の舞台に立てずにドサ回り中の喜久雄をその芸の上達も直接見ることなく万菊が「ようやく認める気になったのか」まったく理解できずに??だった。
それから、最後のシーンで喜久雄が国宝として観た景色がわけのわからない雪吹雪のような桜吹雪のようなものが散って、日本的美で誤魔化されてしまったような気分になって映画は気まずく終わった。
ここまで説明不可能な奇々怪々なシーンが次から次へとあると、
日本のメディアのプロパガンダにだまされてしまうことなく、
この作品がコンペティション部門で出品されなかった理由がはっきりする。
邦画の監督たちの映画の論理的思考や論理的構築の欠如があらわになった作品だと思う。
正直な感想です。ごめんね。
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