「日本人が知ってる様で知らない“歌舞伎”の世界」国宝 菊千代さんの映画レビュー(感想・評価)
日本人が知ってる様で知らない“歌舞伎”の世界
当代の“人気役者(大河主演)”の吉沢亮と横浜流星が、“舞台”で演ずる舞に“美しさ”を感じた。
勿論、日舞の手習をしていた訳では無いのでその良さ・真髄がわかっている訳では無いが、それでもその姿に美しさや優雅さを感じたのなら、それが正解だと思う。
その道のプロフェッショナルを演じる事は容易では無い。
ドクターしかり料理人しかり、それが実在した人物なら尚更だ。
「ボヘミアンラプソディ」のフレディ・マーキュリー、音楽はクイーンの音楽に吹き替えられていたがラミ・マレックの演技も作品も素晴らしかったし、「天皇の料理番」を演じた佐藤健の包丁捌きは目を見張るものがあった。一流料理人からすればまだまだとしても、あの包丁捌きは木村拓哉演ずる「グランメゾン東京」のシェフより見応えあったと思う。
本作でも、上方歌舞伎の名門・丹波屋当主の花井半二郎役を演じた渡辺謙は「僕らごときに歌舞伎ができるわけがないですから真似事でしかありません」と謙虚に語っているが、渡辺謙も大河主役は勿論のこと、ハリウッド作品やミュージカルの主演も務めた、日本を代表する“役者”だ。
歌舞伎の看板役者となると、月に25日昼夜3〜4時間の公演に、稽古が5日、それが12ヶ月でざっくり見積もって360日“歌舞伎”を演じている。当然、そんじょそこらの役者が真似したとしても、早々その立ち居振る舞いが板につく訳無い。
それでも、この作品には映画としての面白さがある。
もしこの二人が梨園の御曹司だったら?さぞ世の話題をさらったであろうし、そんな二人が映画の中で舞い踊る姿には正直魅了された。
歌舞伎の演技監修・出演もした中村鴈治郎曰く「賛否両論があるでしょう。でも、歌舞伎の記録映画ではなく、歌舞伎を題材にした人間ドラマですから。絶対に映画として成り立っていると思います」
正に本作の本質だ。
歌舞伎のご贔屓さんから見れば恐らく粗だらけ、それでも歌舞伎どころか舞台を観に行った事が無い多くの人に伝わるものはあると思う。
本作は“歌舞伎”の映画版では無い、そして歌舞伎の世界を知ってる様で知らない、“歌舞伎”を観たことが無いであろう多くの観客に伝わる何かがあれば、それが大正解な作品なのだと思う。
繰り返し言うが、吉沢亮と横浜流星の“演技”する舞は、物心着いた頃から身につけてきたものでは無いし、通し狂言「菅原伝授手習鑑」の全五段約7時間半の演舞ができるはずも無い。映画で演ずる演目・舞は極々一部に過ぎない、それでもスクリーンに映し出されたその姿に、魅力や美しさを感じる事が出来ればこの作品を観る価値は大いにあると思う。
そして、恐らく今年上半期邦画作品を代表する一作として日本アカデミー賞の候補にも上がってくるだろう大作となっている。
ただ、この作品に少し違和感を感じた事も事実。
縁があって六代目 中村 歌右衛門さん、四代目 坂田 藤十郎さん、五代目 坂東玉三郎さんなどいわゆる“人間国宝”と呼ばれる重要無形文化財保持者の方とお会いしている、まだ幼い時や小中学生の頃父に連れられ楽屋にお招き頂いた。そんなご縁もあり結構な演目を観劇させて頂いた。当時は、正直あの独特な台詞回しが分からずだったが、「菅原伝授手習鑑」や「義経千本桜」、夏に開催される納涼物などは立ち回りや舞台転換も多く、子供ながらに面白いと思った。
時には、客席の盛り上がりにつられて「成駒屋!」なんて掛け声を掛けると、“威勢のいいガキンチョの掛け声に”大向うのご贔屓さんが「〇代目!」なんて絶妙な間合いの掛け声がかかり、子供なりに楽しんだものだ。
本作も、吉沢亮と横浜流星が舞台で演ずるシーンで、満場の拍手はあるのだが大向うの掛け声が無い。
映画の演出上そうしたのかもしれないが、映画の中の客席にいる“観客”が“出演者”になってしまっていた。
映画やテレビと違い、舞台空間を作り上げるのは役者だけでは無い。観客と共に一期一会な時と場所を作り上げるのが舞台だ。
それは“舞台は生物”と言われる所以でもある。
映画としての面白さはあったが、その劇中劇として描かれた“舞台空間”までも映画になってしまったのはやや残念かもしれない。
それともう一点、気になったのはやはり台詞回し。歌舞伎では顔や姿も大切だが、あの口跡はやはりそう簡単に演じる事は出来ない。
その違いは、是非本物の舞台で肌で感じるのが一番良いかと思うので、機会があれば是非舞台空間に足を向けるのが良いのかと思う。
因みに、本作では歌舞伎界の「世襲」が話しの大きな筋となっている。
2025年八代目尾上菊五郎襲名、中村屋ファミリーのドキュメンタリーや市川團十郎親子の姿が茶の間に映し出されると、ついつい「梨園は世襲が当たり前」
と思ってしまう人は多いのだろう。受け継ぐ主体が血縁者というのが“世襲”と言えるのは言うまでも無いが、歌舞伎界に於いては「家芸」の継承が最も重要視され、決して実子・血縁だけに受け継がれてきた訳では無い。
十四代目守田勘弥は実子を遠ざけ玉三郎を養子にしたのは家芸を伝承する為の選択肢だったのかもしれない。
坂東玉三郎は人間国宝となっている。ではその他の家はどうだろうか。
十三代目 市川 團十郎 白猿の祖父は、七代目松本幸四郎の長男十一代目市川團十郎だが、七代目幸四郎は役者と無縁な伊勢の土建屋の三男から養子縁組され大名跡を継ぐ迄に襲う。亡くなった中村屋の十八代目中村勘三郎の祖父は中村歌六という、元来高名では無い役者であったが兄の初代中村吉右衛門の活躍などにより家格が上がった。江戸時代は養子縁組も頻繁、現代でも女形は日常生活も“女性”であった一面もあり実子をもつことも減じられたりもした。
市川團十郎名跡の異色は、死後襲名した十代市川團十郎。銀行員の家系から九代目市川團十郎の長女実子と恋愛結婚、29歳にして歌舞伎役者に転向した、大成はしなかったが市川團十郎不在の市川宗家にあってその代つなぎとして絶えていた歌舞伎十八番を次々に復活上演。意欲的な舞台活動と研究によって市川宗家の家格を守り抜いた。五代目菊五郎には中々子供が授からず、養子を取り後継者として「菊之助」の名を名乗らせていたが、妾との間に実子が産まれると不仲となり名を捨て上方芝居の世界に、実子が六代目菊五郎、その養子七代目尾上梅香(人間国宝)は本作でも出演した寺島しのぶ・八代目 尾上菊五郎の祖父(父七代目菊五郎も人間国宝)にして、赤坂の芸者の三男として産まれている。
歌舞伎の名跡は、あくまで実子だ養子だなどという名前ではなく「芸に譲る」というのが基本だが、そうだとしても物心着いた時から芸に触れるという事は大きい。そして、名跡は決して一子相伝的なものでは無い、名前は勿論、家族・兄弟・友人・お弟子は元より会社やなんと言っても観客によって一人前として育て上げられる。そして、まだ若いうちは演ずる事、芸事の精進にひたすら努めれば良いのかもしれないが、座頭となれば当然如何に興行するかが重要になる。
ふと思い出す。
四代目市川猿之助・・・。
正に天才役者だ、華もあれば演技も別格だった。
ただ、澤瀉屋は歌舞伎界でも少し特殊な存在、初代は9代目市川團十郎の弟子だったが破門になり、やがて許されて復帰。
2代目も、新劇に出たりしながら松竹に反旗を翻したこともある。
3代目は23歳で猿之助を襲名したが、直後に祖父(2代目)と父が亡くなったので、「劇界の孤児」となった。後ろ楯のなくなった3代目猿之助は、大幹部の誰かに頭を下げて一門に加えてもらうしかなかったが、それを断り、自分で独自の公演を始めた。スーパー歌舞伎など独特な世界を作り上げたが、歌舞伎界の異端児的扱い(悪く言えば色物扱い)。そして、四代目は弟・4代目段四郎の子、市川亀治郎。実子の香川照之が9代目市川中車を名乗った頃から歯車は狂い始めていたのかもしれない。
四代目猿之助襲名時亀次郎は「ずっと亀治郎でいたい」、「生涯一役者として生きたい」と言っていたと言う。役者として、「猿之助の芸」は継ぎたかったが「一門の長」になる気は本当は無かったのかもしれない。
それでもさまざまな事情で、「猿之助」になってしまった。
その後の顛末は、世の多くの人が知っているだろう。
名跡を継ぎ、座頭になるという事はただひたすら“芸事に打ち込む”事だけでは済まされない事だ。そこには芸の上に、一門を率いるリーダーたり得る素質も必要とされる。
「天才であること」と「組織のリーダーであること」はときに矛盾する。
その両立ができず、己の矛盾が臨界点に達したのかもしれない、猿之助さんのあまりにも衝撃的な事件を思い出すと、この作品の見え方も変わってくる。
そして、一人の“人間”としての「人間国宝(重要無形文化財保持者)」。
その名が如何に偉大なのか感じずにはいられない。
今まで取り上げられそうで無かった「日本人が知ってる様で知らない歌舞伎界」の人間模様。中々見応えある作品だが、3時間近い時間があっという間に過ぎた。
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