劇場公開日 2025年10月31日

「佐々木蔵之介は丹波哲郎にはなれない」盤上の向日葵 よしてさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5 佐々木蔵之介は丹波哲郎にはなれない

2025年11月9日
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鑑賞方法:映画館

予告で声を張り上げる佐々木蔵之介さんの演技に疑問を持ちつつも鑑賞。
映画が始まってすぐにその大仰な演技の理由は理解できました。

他でも言われていますが『砂の器』なんですね。
作品内で描かれている事件の構造だけならまだしも、ベテランと新米の刑事コンビが日本各地を飛び回って捜査したり、ベテラン刑事が大仰な演技で事件の真相に迫る部分など、絵作りも含めて似せてしまっているため、どうしても比較してしまいます。

確かに映画としてはそれなりに楽しめましたが、いくつもの点で残念な部分がありました。

最たるものは「向日葵」。なぜタイトルに「盤上の」とついているのかは理解できないですし、映画内でも上条の母親との思い出の場所に咲いていたというだけで特別な意味を持つように思えないです。ラストシーン近くで突然現れるのも唐突で理解が難しい。
出生の秘密や東明との別れなどに関しても、突然告げられるため、物語の展開上、そういう風になっているとしか思えませんでいた。

また、メインの題材になっている将棋へのリスペクトが欠けているのもガッカリ。
終始、将棋の盤面がまともに映らないため、ほとんどの対局でどちらが優勢なのか、わかりにくく、将棋という要素が映画的な意味を持たない単なる小道具になってしまっています。町場での対局や早指しの新人戦であれば現状の描写でもいいでしょうが、東北での真剣五番勝負や最後の上条と東明の対局くらいは盤面をもう少しちゃんと見せてほしかったところ。
将棋監修としてプロ棋士が関与しているのだから、相応の盤面にはなっていたはずなので、演出のコンセプトなのか、単なる無神経なのかはわかりませんが、ひたすら残念です。
また、龍昇戦の対局をクライマックスに持ってこなかったのは原作通りなのかもしれませんが、ここも残念ポイント。それこそ『砂の器』における「宿命」のような使い方をすることもできたでしょうに……。

ただし、時代設定が1994年となっているは絶妙です(これは原作小説のうまいところでしょうが)。東明のモデルである小池重明が死んだ2年後であり、壬生のモデルである羽生善治が6冠制覇した年でもあります。若干ずれますが、アマチュア王将がプロ編入試験を受けたのは1996年なので、アマチュアで頭角を現した上条がプロで活躍する、という話もあながち荒唐無稽な時代ではありません。
おそらく、これ以降後の時代設定にしてしまうと、将棋の研究が緻密に行われる時代になるため、将棋が好きだったとはいえ、将棋漬けの人生を送っていなかった上条がプロになる、という話は絵空事になっていたことでしょう。

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よして
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