入国審査 : 映画評論・批評
2025年7月29日更新
2025年8月1日より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷、 シネ・リーブル池袋ほかにてロードショー
心が丸裸にされた時、あなたならどうする―「入国審査」が問いかけること
9.11がすべてを変えた。米国の入国審査の話である。テロ対策システムが厳格化し、事前審査電子渡航システムESTAを導入、パスポートによる犯歴確認、指紋採取と顔写真撮影も追加され、目視によるチェックだけでは済まなくなった。最近ではSNSの投稿履歴まで審査対象となり、ビザを申請して移住となると尚更厳重になる。今、アメリカでは入国拒否されるケースも多々あるという。
この映画を観て最初に思い出したのは北京での体験だ。初めての中国で入国書類とパスポートを差し出した時、係官は素知らぬ顔で審査用紙をわざと落とすと「書類がない」と言う。そんなことってあるのかと憤るが返す言葉がない。ましてや英語も日本語も通じない。完全アウェイのこの地に自分の居場所はないと感じてぞっとした。黙って再記入して俯き加減で審査が終わるのを待った。こんな経験は二度としたくない。

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「目的地に入国出来たわけでもなく、入国を拒否されたわけでもない、宙に浮いたような状況。他人の恣意的な判断が人生を一変させてしまうような、ある意味極限の状況を描いた」と語るベネズエラ出身のアレハンドロ・ロハス監督は、他人事ではない自らの実体験を基にフアン・セバスティアン・バスケスと共同で映画を作った。撮影は僅か17日間、65万ドル(円換算で約9600万円:7/22時点)の予算で制作し、インディペンデント・スピリット賞3部門(新人作品賞、新人脚本賞、編集賞)にノミネートという快挙を成し遂げ、2022年のスペイン映画で最も視聴された作品となった(配信含む)。
ベネズエラ生まれでスペイン国籍を申請中のディエゴ(アルベルト・アンマン)と、バルセロナ出身でダンサーのエレナ(ブルーナ・クッシ) がタクシーに乗り込む。エレナがグリーンカード抽選プログラムに当選し、アメリカ移住を夢見るふたりは空港へと向かう。車内のラジオは、第一次トランプ政権による不寛容政策、メキシコ国境の壁をめぐる入国規制強化を伝えている。
ニューヨークの空港に着くと早速入国審査。パスポートのチェック、指紋のスキャン、顔写真撮影へと審査はつつがなく進むが、神妙な顔つきの係官は「ご同行を」と別フロアに案内する。閑散とした待合室で隣の男性は「3時間待っている」と言う。最終目的地フロリダ便に乗り換えるまで2時間しかない。既に30分は経過し苛立ちが募る。
散々待たされた後、審査室に連れて行かれる。手荷物検査され、警察犬に匂いを嗅がれ。男女それぞれでボディチェック。一体全体どうなっているの、まるで犯罪者扱いではないかと訝るふたり。だが、それは単なる前振りに過ぎなかった。
ローラ・ゴメスが演じる眼光鋭い女性審査官が現れると事態は一変、容赦のない尋問が始まる。待合室で散々待たせたあげく、手荷物検査を経て、不意を突く質問が連発される。この先自分たちはどうなるのか。先が見えず心理的に追い込まれるこのプロセスにふたりは翻弄されていく。
この作品が激賞された理由を考えてみる。次に何を問われるのか分からないスリリングな応酬が、僅か77分の時間に凝縮されて描かれること。続いて、尋問によってパートナーに隠していた過去や本音が暴かれていく驚き。さらに、審査室の廊下の電気配線工事の作業音が緊張感に拍車をかける音の演出も効く。
翻弄、愚弄、戯弄、嘲弄…、意表を突かれた先で過去の汚点までもが白日の下に晒される。心が丸裸にされ、“もう勘弁してくれ!”と叫びたくなった時、あなたならどうする。国際化とは裏腹に、右傾化し排他的姿勢が加速する世界を生きる我々に、この映画が問いかけることは決して少なくはない。
(髙橋直樹)