ハロルド・フライのまさかの旅立ちのレビュー・感想・評価
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後悔と恩返し。
恩人から届いた手紙の返信へと手紙を書きポストへ向かった定年退職してるハロルド・フライと自宅で待つ妻モーリーンの話。
ポストから郵便局へと書いた手紙を持ち歩き、途中ミルクを買いに立ち寄ったスタンドの青髪ファンキー女子から「病気に効くのは薬じゃないよ!気持ちだよ!」と自分の胸を叩く、その言葉を聞き普段は自宅の駐車場までしか歩かないハロルドが800キロ先恩人がいるホスピスを目指し歩き出す。
その歩く道中、息子との事、恩人クイーにーとの経緯を小出ししながら 800キロ先のホスピスを目的地に歩くけれど…、作品とはいえ幾らなんでも無理でしょと!途中買い物、泊まるホテル代あるなら交通機関使ったらと脳内ツッコミ!
歩き疲れ倒れて面倒見てくれる看護士さんから始まり、途中撮られた1枚の写真でニュースに出ちゃって時の人となっちゃうハロルド、1人の未成年とワンコから始まりいつの間にか凄い団体になってお祭り騒ぎみたいになっちゃったけど。
ホスピスまで残り28キロで突然奥さんへ「もう無理だ」と泣きの電話と、喫茶店で「息子に会いたい」と泣き始めたのには何故ここで?とちょっと笑っちゃったかな。
ラストのハロルドがスタンドで働くファンキー女子へ送った手紙で涙と、息子の事で25年前からハロルドに対して冷めてたモーリーンから「やっぱり貴方を愛してる」とハロルドへのキスにも涙。
最初は少々身勝手な男性の旅立ちにも思えるお話ですが、実は妻とのパートナーシップが肝になっているのも素敵なところです。
イギリスの作家レイチェル・ジョイスによる累計発行部数600万部を誇るベストセラー小説「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」。日本でも2014年の本屋大賞翻訳小説部門第2位に輝いた傑作です。それを、イギリスを代表する「アイリス」のオスカー俳優ジム・ブロードベント主演で映画化したのが本作です。原作者ジョイスが自ら脚本を担当。本国イギリスで新作映画初登場No.1の大ヒットを記録した必見の一本です。
イギリスの南西から最北端まで、800キロに及ぶ息を吞むような美しい風景が贅沢にスクリーンに広がる、新たな感動の物語です。
●ストーリー
英国南西部の郊外で、長年勤めた工場を定年退職。穏やかな老後生活ながらも妻と冷え切った日々を過ごしているハロルド(ジム・ブロードベント)のもとに、ある日、北の果てから思いがけない手紙が届きます。
差出人は、かつてビール工場で一緒に働いていた元同僚の女性クイーニー(リンダ・バセット)ホスピスに入院中の彼女の命はもうすぐ尽きるというのです。
クイーニーが余命わずかだと知ったハロルドは、「お大事に」と書いた返事の手紙を手に家を出たのですが、途中で心変わりするのです。彼にはクイーニーにどうしても会って伝えたい“ある想い”がありました。
彼女がいるホスピスに電話し、職員に「今から歩いて会いに行くから、それまで生きていてくれ」と伝言を依頼。妻の反対を振り切って普段着、革靴のまま彼女が収容された北部のホスピスをめざして歩き出しはじめます。
歩き続けることに、クイーニーの命を救う願いをかけるハロルド。目的地までは800キロ。彼の無謀な試みはやがて大きな話題となり、イギリス中に応援される縦断の旅となっていきます。
●解説
ハロルドの過去に何があったか――それは少しずつ観客に開示され、次第にこれが贖罪の旅であることが判ってきます。彼はなるだけ手ぶらで、長距離の歩行には不向きなデッキシューズを履いたまま、自ら苦行を受け入れるように足を痛めながら歩き続けるのです。原題には“巡礼”という言葉が入っています。確かにこの旅は宗教的な儀礼のイメージを帯びたものです。
なぜハロルドは無謀な旅に挑むのか。それを解き明かすキーワードは「信じる心」で、清らかな「光」のイメージが随所にちりばめられていますが、宗教的な映画ではありません。
ハロルドが裸足で歩く聖者のようにカリスマ視されるくだりは「フォレスト・ガンプ/一期一会」に似たパートがありますが、彼はあくまで個的な回復に向けて歩みを進めていただけなのです。
ハロルドが道中で出会う名もなき人々との交流、彼の痛ましい過去、冷えきった妻との関係、息子との断絶など多彩なエピソードを通して、人生の喪失や悔恨、そして再生の物語が展開していきます。それらの多くは観客の想像の範囲内に着地するかもしれませんが、俳優陣の哀感にじむ演技、美しい丘陵や田園風景をカメラに収めた映像に魅了される一作です。デボン州の「美しく、狭い田舎道」や工業地帯、スコットランド近くの「沼っぽく、野性的な場所」など、英国の様々な原風景を堪能できることでしょう。
●感想
ロードムービーの魅力を醸造する要素が詰まっている作品だと思います。旅が進むにつれ、徐々にハロルドの人生の悔恨悲しみが次第にあらわになってきて、無謀な旅に出た理由が立ち上がってくる仕掛けです。信じる心を持ち続ける大切さも伝わってきて、冷え切った関係にあった妻とのラストシーンは涙を誘われました。
ハロルドの毎日はルーティン化していたのです。それゆえに冷え切った夫婦でもやってこられたんでしょう。しかしそんなルーティンの積み重ねで、彼の心は閉ざされてしまったのです。それが、歩いているうちにだんだん解放されていきます。自分で築いた壁が壊れていくことに、彼自身が驚いているんだと思いました。
ビム・ベンダース監督はあるインタビューでロードムービーを「道は人生の暗喩」と位置づけていましたが、本作もハロルドの人生の悲しみや後悔、愛が行路とともに表出してくるのです。そして「暗喩」より、もう少し素直に心に染みこむゴールが用意されていました。
最初は少々身勝手な男性の旅立ちにも思えるお話ですが、実は妻とのパートナーシップが肝になっているのも素敵なところです。
監督や撮影、原作者など、女性メインのチームによる、優しさにあふれた作品であることにも注目してください。
晩年の素晴らしい旅路
地図も無ければ コンパスも無い そりゃ無理だっつーの。(゙ `-´)/
自己満足、身勝手さが鼻について共感できず
ちょっとポストまで、のはずが、
何も言わず、携帯も持たずに800㎞歩くことにした、はないでしょう
助けられなかった息子、助けられたクイーンをもう裏切れない?
長年連れ添った伴侶は放っておいてもいいのですか?
必ずしも良妻ではないかもしれない
けれど、モーリーンの心情を考えると、辛かった
置いてけぼりにされたモーリーンがどんな気分になるのか、
彼女にひどい仕打ちをしているとは考えないのでしょうか
また、
最期を覚悟しているクイーニーに本当に会いたいなら、
願をかけて歩くより、時間優先ではないのか
自己満足を優先させ、
末期の癌患者にとっての2か月がどんなものかも現実離れしすぎていて、
苛々してしまった
あなたを愛していることに気づかされた、
という、
モーリーンの言葉に救われたが、
ハロルドの自己満足で、迷惑極まりない行動に共感できず
ただし、
ペネロープ・ウィルトン、ジョセフ・マイデルはさすがの演技だった
場面は少ないものの、リンダ・バセットも凛として素敵だった点は評価している
正直、ちょっと展開が退屈だった。
有名な小説だという原作を知らずに映画として初めて味わう。
なぜそこまでして無謀な旅?この夫婦の冷え方はなんで?息子はどうした?、、、なんとなく予測がつく中、随所に文句なしの地平線や山並みを挟んで気持ちいいロードムービーとして魅せてくる。
英国では「人生最後に国縦断するおじいさんの旅」は定番なのだろうか。しかも途中でバズって有名人になっていくところは「君を想い、バスに乗る」をなぞっているようだし、薬中の挫折息子の追憶の展開では「The Son息子」がフラッシュバックしてしまう。
そんなこんなで雑念にとらわれつつ睡魔には襲われなかったのは、奥さんの女優さんがダウントンアビーで安定の演技を見せてくれた方だったからだろうか。
一歩でも前に進めばいつかは辿り着く
それこそが人生
前へ、置き去りの心を。
ちょうど時間が合ったので、「なんかおじいさんが主役っぽいな」くらいの前知識で観ました。
オスカー俳優のようですが、自分が知ってる人は誰1人出ておらず、予告ポスターのような明るい感じでもなく、ドキュメンタリーのような現実的な感じのストーリーでした。
なんというか…本当にこういう人はいそうだし、奥さんのヤキモキもよくわかるし、まぁ蟠りが解消できて良かったね、という感じで、見終わった後に何かすごい残る訳ではないけど、かといって全然退屈ではない。
自分がイギリスの地理に詳しくて、だいたいどの辺かとかがすぐわかればまた違った見方ができたのかもしれないけど。
ちなみに800kmは東京~広島くらいでした。
でも一番気になったのは、近くで観てた老夫婦が、このあとどんな感想を言い合うのか…。
それと、邦題がちょっと気になるかな。
歩いても、歩いても
おじいちゃんのホッコリ映画じゃない! (1200文字)
着の身着のままで家を出たハロルド。
800キロというと、東京から札幌や広島くらいの距離で、おじいちゃんだから…ともっと近いイメージでいた私は後から調べてびっくりしました。
それは何週間もかかりますね。
最初はクイーニーに会いに行くことで彼女に希望を与えたいという動機があったものの、歩みを進めるうちにハロルドの心に変化が表れます。
ホスピスへの旅は、次第に息子が生まれてから亡くなるまでをたどる、彼の追想の旅に置き換わっていくのです。
ドラッグにより病んでいく息子を救うことができなかったという自責の念や、そこから25年にわたる妻との心の隔たりなど、これまで心の底に沈めていたさまざまな思いが浮かび上がってきます。
ナメていたわけではないのですが、この映画がおじいちゃんのホッコリ映画でないことが分かってくると、こちらも急に真剣味が増してきました。
ハロルドの妻、モーリーンの様子が多く出てくるのは、この映画に夫婦の絆の再構築という要素があるからです。
母親であれば、父親と同じかそれ以上に、息子のことで心を痛めていたはず。
「ハロルドばかり慰められ、注目され、褒められ…自分だって苦しんでいるのに!」という辛さは、ごく自然なものに感じました。
隣家の妻を亡くした黒人男性に心を開いて癒やされ、ハロルドの元へ足を運んでボロボロの姿に対峙し、彼女は彼女で夫への負の感情を乗り越えることが必要だったのですね。
ハロルドの亡くなった息子デイヴィッドを演じているのが、アール・ケイブという若い俳優さん。
もしや…と思ったら、ミュージシャンのニック・ケイブの息子さんでした。角度によってはお父さんにすごく似ています。
ドラッグに依存して病んでいる感じが妙に生々しく、真に迫っていて、上手いのか天然(!?)なのか分かりませんが、とても良かったです。
息子デイヴィッドの幻影を人混みの中に見て、それを妻に報告するシーンは、夫婦がこれまでの悲しみを共有する、切ないながらもあたたかい場面でした。
当初の目的クイーニーとの再会は、彼女がもうろうとしていたため、たいして感動もなく、道連れの青年も、犬も、応援の団体も、みんないなくなり、最後はハロルドひとりとなります。
そこへモーリーンが迎えに来るラスト、これはずるい…(涙)
息子へのつぐない、夫婦の絆の再構築には、ハロルドが長い道のりを歩く必要があったのです。
道中で出会った女性が印象的な話をしていました。
「基本的なことが意外と難しい、歩くことや寝ること、食べること、子育ても…」
確かにそうだわと、ハッとしました。
生きていれば、必要なことは何でもうまくできるかといえば、そうでもないのです。
ハロルドみたいに、近道をせず、不器用に愚直に、試行錯誤していくことが大切なのでしょうね。
ありふれた展開かと思いきや、厳しく深い話で、とても良かったです。
長文お読みいただき、ありがとうございました!
巡礼の旅
思ったより、宗教的なイメージを強く感じました。
といっても、ストーリーにそういう要素がたくさん入ってるというのではなく。
途中で世間からも「巡礼の旅」と扱われるのだけど、それよりもずっと、ハロルド自身の姿勢が、巡礼者のそれになっていると思いました。
その描かれ方は、真面目で、深いものでした。
正直もう少しハートウォーミングでほっこりする感じを想像してたのですが(見に行く人は概ねそうだと思うんだけど)そういうものとは少し違いましたね。
結末もそうなんですけど、やりとげて良かった、みたいに安易に言えるようなものではなくて。
旅の終わりに、主人公は灰色の海を見つめて、顔には笑顔もない。
旅はただ終わって、何が得られたわけでもなかった、と彼は言います。
そんなことない、あなたはやり遂げたんだ、それには意味があるんだと必死に諭す妻の言葉にも、表情が緩むことはない。
でもなんだか、その彼の険しい表情の中にこそ、言葉にならない答があるような気がしました。
厳しくも暖かく、誠実さを感じる終わり方だったと思います。
途中世間に注目されるくだりの都合よさとか、回想シーンが親子というより祖父母と孫にしか見えなかったりとか、いろいろ気になるところはあったのですが、、予想とは違う、静謐な余韻の残る良作でした。
最後の、登場人物たちが様々な形で、揺れ動く光に照らされる場面を見て思ったのですが、、神は気まぐれにこの世界のところどころに光を投げかけて、それに照らされることも照らされないこともある。
その見えざる意図を知ろうとして、もしくはそこに導きがあるのを信じて、人は巡礼の旅に出る。
その先にそれぞれが得る答こそが、例え望んだとおりのものでなくても、それこそが神の恩寵と言えるものなのかもしれない。
そんなことを思いました。
老域の心の在り方を描く
観る前は、昨年観た『君を想い、バスに乗る』の徒歩版で「初恋の人に会うために徒歩の旅なのかな?」みたいに想像していたのですが、全然違いました。
末期がんの友人に会うのがゴールではなかった。
極めて内面的な心の在り方を描く映画でした。
神に祈るのではなく、友人の無事を祈る旅。
その中で自分と向き合う旅。
まさに巡礼。
前へ向かって歩きながら、旅の途中で知り合った人と話す中で過去へと記憶を遡っていく。
過去の自分の過ちに向き合い、友人や妻、息子への悔恨と贖罪。
そのうえで、夫婦にできた心の傷と溝を見つめて、悲しみに止まっていた時間を改めて動かす決意をし、夫婦の在り方や自分の生き方を考える旅であったことが分かる仕組み。
友人が死に瀕し、自らも死を意識する年齢に達したことに気づき、目を背けたままでいいのかと自らに問う。
重い哲学的な話だった。
面白いと一括りに評することはできないが、いろいろ考えさせられる作品でした。
主人公が特定の宗教に関わらず、無宗教だったのもよかった。
500マイル歩き通す「動機」が重すぎて…
監督:へティ・マクドナルド
原作・脚本:レイチェル・ジョイス
原題は『The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry』、
俳優として活躍していたレイチェル・ジョイスが、2012年に発売した小説処女作『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』が、世界600万部を超えるベストセラーとなった。
今回、映画化に合わせタイトルを『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』に改題して再販するという。
いうなれば、老いらくのロードムービーだ。
デビッド・リンチの『ストレイト・ストーリー』を思い出す。
妻とふたり、静かな老後を過ごすハロルド・フライは、元同僚のクイーニーから手紙を受け取る。
彼女はホスピスで終末医療を受けていて、別れを告げる内容だった。
ハロルドは返事を書いて投函しに出掛けたその足で、
クイーニーがいる病院まで800km(500マイル)の道のりを歩いていくことを決意する。
なぜ、歩きでいくの?
映画の中で明快な説明はなかったが、
歩いてくるハロルドを待つことで少しでも長生きして欲しかったのか?
あるいは、歩く(苦難を選ぶ)ことがクイーニーへの罪滅ぼしになると考えたからか?
ロードムービーならではの、
「一期一会」や「人との触れ合い」が豊富に用意されている。
出演しているキャストがみなさん、なかなか個性的で魅力的だ。
◆向かいに住む妻を亡くしたレックス
◆ガソリンスタンドの若いレジ係(なかなか重要)
◆駅で朝食を共にするゲイのビジネスマン
◆農道でクルマに乗るか声をかけてくる女性
◆スロバキアから来た女医
◆妻モーリーが相談にいく医師
◆カフェで相席した中年
◆ホスピスのシスター
◆記念に写真を撮るヒゲ面(たぶん記者?)
◆カフェのウェイトレス(2か所)
◆巡礼グループのリーダー格・ケイト
道行きのウィルフに一人息子・デヴィッドを重ねるハロルド。
クイーニーへの想いで始めた旅は、
日が経つに連れ、デヴィッドへの想いがまさりはじめる。
新聞に美談として紹介されたハロルドには、
多くの人々が連れ立って移動するようになる。
このあたりは、『フォレスト・ガンプ』だ(笑)。
冗談はさておき、
老人を800km歩かせるには、「強い動機」が必要だった。
本作は、良くも悪くもこれに尽きる。
旅の途中の人々との出会いを、すごくチャーミングに表現できていただけに、
この「強い動機」がリアルに強すぎて、
すべてを覆い尽くしてしまった。
「そっちなんだ〜」となってしまったので、☆3.0
ゆっくり時間を掛けて歩くのも良い旅
小説は面白そう
800km
高校の頃、隣の県のいとこの家まで歩いて行ったことがある。220km。たしか5日かかったと思う。
この映画は800kmだからその4倍。いくらなんでも2カ月はかかりすぎだ。
所持金は少なかったので野宿したが、途中、お寺に泊まった。軒先を借りようと思って声をかけたら、なんと、本堂を使ってよいという。だだっ広い本堂に寝袋を広げていると、「夕御飯を食べなさい」との声。厚かましくごちそうになってると「お風呂に入りなさい」と風呂に入れてくれた。明朝、起きて出かけようとすると、「朝御飯を食べていきなさい」。図々しくごちそうになり、今度こそ出かけようとすると、なんとおにぎりを持たせてくれた。
私は、それまで、近所のおばちゃんが飴をくれようとすると、遠慮して断るような子どもだった。この旅以降、間違いなく、私は変わった。
帰りはヒッチハイクで他県を経由して帰った。距離は何倍にもなったが、歩く距離が短くなった分、逆に楽だった。
そんなことを思い出しながら見た。
歩いての旅というのは、人生を変える力がある。もちろんハロルドも。
可愛いおじいちゃんが
友達に会いに何百キロも歩き人気者になっていく話かと思ったけれどテーマはとても重くて無力感もあるけれどそれでも何かをすること動くことは無駄ではないと思いたい。
英国にて。 ある老人、余命わずかの旧友に会いに、遠い街からホスピス...
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