ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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シンメトリーで「真正面」からとらえられた、北国の風物と三者三様の切なくピュアな想い。
一見して印象的なのは、
映画のほとんどの構図が、
シンメトリー(左右対称)
を意識して撮られているということだ。
グラウンドに立つ少年。
路傍に立つ郵便ポスト。
双耳峰と沸き立つ白雲。
少年とホッケーゴール。
スケートリンクの少女。
建物も、人物も、風景も、
この映画は常に真正面から、
衒いなく見据えようとする。
それは、曇りなき視点であり、
どこまでもフェアな視点である。
相手のことをまっすぐに見つめる視点である。
その潔さ、清々しさが、奥山大史監督の視座なのだ。
画面の奥のど真ん中にひとり佇むとき、
右にも、左にも、等間隔で何もない空間で、
被写体は、どこまでも孤独でよるべない存在だ。
その一方で、対象をど真ん中からまっすぐ見据えてぶれることのない、監督の真摯な眼差しが、キャラクターをある種の孤独からすくい上げているのもまた確かだ。
本作において、会話する二人は、常に左右に並んで意見を述べ合う。
積み重ねられてきた「二人のシンメトリー」は、終盤の三つのショットに結実する。
ベッドに横たわる、池松壮亮と若葉竜也の会話。
想い出の湖のほとりと車中で並ぶ少年とコーチ。
春の通学途上で、新たに出会い直す少年と少女。
ここにたどり着くために、敢えてシンメトリーを積み重ねてきた、という言い方もできるだろう。
そのへん、ビクトル・エリセの『瞳をとじて』あたりの作劇を少し想起させる。
― ― ― ―
一方で、この物語は「二人のシンメトリー」がなかなかに成就しない物語でもある。
少年と少女とコーチ。
スケートリンクでは、常にこの三者が三様にひきつけ合い、微妙なバランスを保っているからだ。
リンクで向き合う二人を、残る一人が外から眺めている。
最初は少女とコーチが練習するところを、少年が外から見つめている。
それから今度は、少年とコーチが練習するところを、少女が外から見つめている。
さらには、少年と少女が練習するところを、コーチが外から見つめている。
それぞれの胸に去来する想いは、一方通行だ。
少年の慕情。少女の慕情。コーチが二人に託したい想い。
ベクトルはかみ合わず、憧れの視線はいつも誤解とためらいに満ちている。
そんなとき、カメラは必ずといっていいほど、外から見つめる人間を「真横」から捉える。
被写体の横顔を映しながら、その右側に向けられる羨望の眼差しをひたと見つめる。
眼差しの先は遠く、見つめる者の想いは常に伝わらない。
それでも、三人の幸せな時間は、しばらくのあいだだけ共有される。
そのとき、三人の視線はほどよい感じで絡み合い、三人で分かち合う大切な瞬間が積み重ねられる。
この映画は、そうやって、ほんのわずかな時間だけ保たれた「奇跡のような関係性」の「尊さ」と「多幸感」によって、他にない特別な作品となり得ている。
男二人と女一人。
青春の輝きを、最も際立たせる取り合わせだ。
『ぼくのお日さま』は、この黄金パターンのヴァリエイションだと言っていい。
すなわち、映画としての『ぼくのお日さま』は、
ジャン=リュック・ゴダールの『はなればなれに』や、
フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』や、
ロベール・アンリコの『冒険者たち』や、
ジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向って撃て!』や、
ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の
精神的な後継作にあたるとも言えるのだ。
上記の映画群にはいずれも、「友情以上、恋愛未満」の関係性で結ばれた三人が、童心に返って「わちゃわちゃ」してみせる、底抜けに幸せなシーンが象徴的に存在する。
『ぼくのお日さま』にとってのそれは、言うまでもなくあの、氷結した湖上での練習風景だ。
あの一連のシーンをフィルムに収められただけでも、この映画が作られた意味はあった。
そのくらいに良いシーンだと思う。
― ― ― ―
それでも。だからこそ。
三人の奇跡のような幸せな時間は、
結局は、かりそめのものにすぎない。
幸せ過ぎる魔法は、やがては解けてしまう。
雪のように。はかなく。容赦なく。
その背景にあるのは、とても哀しい無理解と一方的な断絶であって、映画によればそこを「深掘り」してみせる作品だってありそうなものだ。
でも、この映画は、敢えてそちらに踏み込まない。
この映画は、偏見を持ってしまった者を断罪しない。
起きてしまった哀しい結末を、あえて蒸し返さない。
背負うマイノリティの辛さを、剥き出しで描かない。
下した決断の重さを、無理やり強調しようとしない。
すべてを、冬から春への季節の移り変わりのなかで、
あるがままに描いて、教訓や結論を見出そうとしない。
それでいい。
僕は、この映画に関しては、このオープンエンドで良かったのだと思う。
これ以上でも、これ以下でも、きっと説教臭くなった気がする。
このくらい、語り切らず、これから起きることを観客にゆだねて、そのまま潔く終わるくらいで、ちょうどよかった。僕はそう思う。
― ― ― ―
とにかく、美少年と、美少女と、池松壮亮の存在がまぶしい。
ただ傍観者として観ているだけでも、ほっこりした気持ちになれる、どこまでも美しい映画だった。
決して、器用に撮られた映画ではない。
監督が映画青年のように「ショットの強度」と「視線の交錯劇」にこだわりすぎて、自然なナラティヴを欠いている面は否めないし、屋内ショットは逆光にこだわりすぎて、全体に白くけぶっていて画面の精度が低い印象も免れない。
もう少し少年の様子は、くねくねしていないほうが良かったかもしれないし、
ヒロインについても、多少は演技経験のある女の子だったほうが、あの「気持ち悪い」のシーンなどはもっとうまくいったかもしれない(きわめて重要な楔となるシーンだけに、どうしても現状の仕上がりには物足りなさと唐突さが残ってしまう)。
三人の関係性の進展に関しても、淡い憧れを抱く女の子と突然アイスダンスの「ペア」をやってみろと言われたタクヤの困惑や動揺、興奮や昂揚をろくに描こうとしていないし、いきなり見知らぬフィギュア未経験らしい少年と二人でアイスダンスの練習をやらされる羽目になったさくらの動揺や嫌悪感、怯えといった感情も、ほとんど描かれない。
あれっ? と言いたくなるくらい、二人はスムーズにペアになることを受け入れ、異性に触り触られることを受け入れ、二人で練習することを受け入れていて、その辺は個人的にはどうしても不自然に思えてならなかった。
とはいえ、子役は二人とも「透明感」があって、何より「存在感」があった。
役者自身の朴訥とした素直な人柄が伝わって来て、心からの愛着が持てた。
愛着が持てたからこそ、起きてしまった哀しい展開も、ぐっと吞み込むことができた。
無理なコーチの要求を、すんなり受け入れるような純朴で素直な女の子だからこそ、あそこでは裏切られたと思ったのだろうし、少女特有の潔癖さが、コーチの在り方を赦せなかったのだろう。自分のコーチに対する(本人が自覚しているとはいいがたいある種の)慕情が踏みにじられた気がしたのだろう。
むしろ、そこで彼女に生まれたような残酷な「負の感情」を、大上段に「道徳」によって一刀両断するような映画でなくて、本当に良かったと僕は思う。
同様なことはマイノリティの描き方にも言える。
敢えて題材として自分から取り入れているだけあって、監督は(カメラワークと同じように)真正面から、衒わず、ぶれず、障害や性的指向について扱っている。だが、そこに「かくあるべし」論は持ち込まない。あくまで、自然な当事者感覚の延長で作品に取り込んでいる。そこの見識がしっかりしていて素晴らしい。
特に「吃音」については、構えれば構えるほど言葉の冒頭が出にくくなる感じや、コウセイとの気の置けない何気ない会話だとスムーズに言葉が出ている感じが、実に生々しい。
お父さんが明快に吃音だというのも、だいぶ踏み込んだ表現の導入だと思う(たとえ最近は吃音になるかどうかは遺伝的要素が大きいということに学術的になって来ていたとしても、なかなか公けの場では設定として明確にしづらい部分を、敢えてぶっこんできている感じ……)。
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その他、雑感を箇条書きにて。
●若葉竜也はホントに良い役者。
●きょうび、北海道では現代でも犬は外飼いなのだろうか(あんなに冬は寒いのに)。都市部だと大型犬でも室内飼いにするのが一般的になってきている感じがあるので、ちょっと気になった。まあ、コーチがガラケー使ってたし、ガンガン煙草吸ってたし、カセットテープ使ってたし、時代設定自体かなり古いのかもしれないけど。
●まあなんにせよ、北国の淡い光線と雪で覆われた風景には、クロード・ドビュッシーの「月の光」がドンピシャで合うんだよね。この取り合わせの妙を見出した時点で、この作品はすでに半分成功を約束されていたと言えるのではないか。
●キャッチボールで「投げ損ねた」ことを「口実」に、湖畔に連れ出してまで本当に伝えたかった言葉(「ごめん!」)をようやく口の端に載せるコーチ。さくらが試験会場へ来なかった本当の理由も、きっとうまく話せてなかったんだろうね。で、タクヤはずっと自分が嫌われたと思ってたという。辛い。
●主人公3人を追い詰める環境と状況を作るために、友だちや大人たちがちょろっと出てきては、揃いも揃ってかなり感じの悪い「毒」を吹き込んで回るという作劇は、ちょっと安易な感じもしないでもない。とくにさくらのお母さんをああいう設定にすると、本人まで親のコピーみたいな人間に育ちつつあるって話になっちゃうわけで……。
●監督はフィギュアを描いた映画がほとんどない(野球のようにダブルが使えず、演技者がスケートが出来ることが前提になるのがネックとなる)から、ぜひ撮ってみたかったといったことをパンフで語っていた。個人的に「少女×フィギュア」だと、倉本聰の初監督作で『時計』という映画があったのを覚えているが、主演の中嶋朋子が上手かったかどうかはもはや思い出せない。そういやこの監督さんは、ガンガンに滑れることは十分判っていても、敢えて小芝風花や本田望結で映画を撮りたいとは思わなそうではあるな(笑)。
ちなみに洋画だと、『冬の恋人たち』という、とても後味の良いペアスケートのラブコメがあって、お薦めです。
●ラストシーン。監督としては、『第三の男』や『ロング・グッドバイ』の有名すぎるエンディングを映画ファンの観客が勝手に想起して、おやそのまますれ違うのか?と脳内でシミュレーションしたあと、「ああそうじゃなかったか」と落ち着くまでの思考過程を最初から期待しているのではないか。
●エンドクレジットの、歌詞をしっかり文字起こしして呈示していくつくりは素晴らしい。
思った以上に「そっち」を念頭に置いて作られた映画だったんだな。
しかも、あのシルヴァスタインの絵本のようなカーブの線が、フィギュアのスケート痕だと気づいていなかったので、最後にシューズの絵が出てきて、なんかちょっと感動した。
●ちなみにパンフは装幀・内容とも素晴らしい作りで感心した。巻末のカンヌ凱旋ロング対談では、池松くんや監督が、いかに子役ふたりと親密で和やかな関係性を築けていたかがよく伝わってきて、胸が熱くなった。
●この映画、結局僕は渋谷でNHKホールの帰りに観たのだが、実は前日夜の時点では、川崎のラゾーナにある109で観るつもりで、レイトショーのチケットを現地で購入していた。ところがラゾーナの3階で時間をつぶしていたら、20時半ごろ、まさかの「全館停電」が勃発、館内の照明が一斉に落ちて、非常灯に! 空調もエスカレーターも止まり、慌てて映画館に行ってみたら、ロビーに観客が吐き出されていて、払い戻しの列を形成している。僕が観ようと思っていたレイトショーも、結局予定の21時35分までには館内電気が復旧せず、払い戻しも当日中は無理とのことで、まずはタダ券だけ一枚もらって帰途についたのだった……。こんな映画みたいなこと、本当にあるんだなあ……。
美しく幸せで残酷な傑作。
吃音をもつ少年のフィギュアスケート選手である美しい少女への純粋で一途な恋を、少女のコーチである青年を絡めて描いた傑作です。
物語前半の多幸感は本当に素晴らしく、美しい雪国の風景の中で楽しそうにしている三人や恋する少女に追い付こうとスケートリンクで必死にでも楽しそうに練習する主人公の男の子を観ていると映画を鑑賞している私自身も幸福感で一杯になりました。
凍結した自然の湖でthe zombies の「going out of my head」をBGMに戯れる三人の描写には幸せ死にするかと思いましたよ。
しかし、物語後半は一転しある出来事のせいで悲しく寂しく残酷なお話しになって行きました。やっぱり女の子の方が成熟が速いのでしょうか?あれは大人の恋心だと感じました。全く成長するって事は…。
ラストシーンの切れ味も最高です、エンドロールのハンバート・ハンバートの主題歌も素晴らしい!吃音を伝えたい事が多過ぎて大き過ぎて言葉が出ない事だと映像と歌詞で表現するなんて美し過ぎますよ。
男の子はフィギュアスケートの靴を両手に抱えて少女と再会しました、コーチの予言した通りこの二人は将来日本一のペアとなる事でしょう、これが私がこの素晴らしい映画から受け取った楽観的過ぎる私のラストシーンです。
雪景色だけど暖かい、その分切なさが際立つ
寒い雪景色なのに暖かさを感じる絵作りに、冬嫌いの自分だけどこんな冬なら好きになれそうなんて思ってたら…なかなかほっこりとは言えない、世知辛いなぁという感じの作品。
暖かさを感じるシーンが多い分、終盤は描写以上により切なさが際立つ作品だった。
「吃音症」
男の子のタクヤは吃音を持っているけど、そこはそれほど重要ではなかった気がする。
音読では人より緊張したり、吃音のせいで引っ込みがちではある感じだけど、吃音じゃなくても、音読苦手だったり大人しい子はいるだろう。
劇中だとそれほどそれが原因で仲間はずれにされているとも思わなかったけど、そういうのはあえて描かなかった感じなのかな?
家庭的にも父親も吃音っぽいので、家庭も一応は居場所がちゃんとある気がする。
「スケート靴」
単純に知識がなかっただけだけど、フィギュアスケートの靴とアイスホッケーの靴って違うんだなぁと。
そりゃそうかとは思ったけど、体重のかけ方とかそういうの意識ないとちゃんと滑れないくらいには違うものなんだなぁー
「氷の湖でのシーン」
このシーンが最高だと思えるシーンはたくさんあった気がするけど、そこでの人たちの表現なんか含め自分はコーチの荒川が気分転換?親睦を深めるため?に連れて行った氷の湖での3人のふれあいが最高だった。
さくらはペアでの競技の練習ホントは嫌だったりするのかなとも思ってたけど、あのシーンみたら(その前の室内の練習の時からすでに)なんだかとても楽しそうで、提案された時こそ煮え切らない感じの表情だったけど、
ペアで、いやあの3人での練習をすごく楽しんでるように思えた。
またコーチの荒川もなんだか暗そうな人の第一印象だったけど、子供たちとの年齢差を感じさせないような、お茶目で遊び心ある人なんだなぁと思えた。
「だれも悪くないと思うけど、離れてしまう」
上記のような最高にほっこりするシーンがある反面で、シーンとしてはほんの些細なとも思えることでそれが崩れてしまう。
ある意味タクヤは振り回されてしまったような気もするけど、タクヤは自分が原因かな…なんて考えたりもしている。
さくらの抱く感情も年齢的にまだ子どもではあることを考えると、間違っているとは言い切れないかなと。すっと受け流せる同年代の人もいるだろうけど、現代においてそれはまだ難しいのかも。
そして一番しんどいのは荒川コーチだろう。決して悪いことをしたわけではないからこそ、こちらとしてもこういう結果はとても悩ましいし悲しい気もする。
「最後タクヤはなんて言ったのかな…」
ラスト久々に再開したタクヤとさくら
タクヤが何か言おうとしているところで、終わってしまうけど、なんて言おうとしたんだろ?普通に「久しぶり」とかかな?
「総括」
タイトルの僕のお日さまだけど、メインの3人にとってそれぞれがそれぞれのお日さまだったなぁと思う。ある種の3角関係みたいな。きっとそれはとても良いバランスの三角だったんだろうな。
またお日さまをタイトルに入れてあるのに劇中で使用されるのは月光なのも意味ありげな気がする。
ポスターや予告から受ける暖かさは十分に感じ取れる作品なのだけど、
終盤の世知辛さはそんな温かさがあったからこそ、感じ肌寒さのようだった。
劇中では春になるのにね。
風景もストーリーもすべて美しい
三人三様の恋心が交錯しながらも氷上に集まり美しく昇華していく様が静に描かれている。
北海道の風景と相まってとても美しい作品だった。
あと子どもたちのピュアな表情もとてもよかった
あの頃のこと
風に雪が混ざってきて初雪が降る
一晩で辺り真っ白になる
今はもうあまり積もる事のなくなった田舎のなつかしい思い出
今から思えば雪の降らない土地に引越した時のホームシックの治らなさは雪が関係していたのかもしれないな
とか考えつつタクヤの言おうとした言葉を想像します
よく選ばなかった方の道に思いを馳せるけど
みんなそれぞれ前を向いて進んでいて良かった
監督の2作目を何年も楽しみに待っていたので
終わってしまったのかと少しさみしい気持ちにもなったが
今夜心の中のおひさまを反芻して明日からまた
おいしい肉まん
草野球も草アイスホッケーも苦手な吃音ボーイが、フィギュアスケートガールとアイスダンスを学ぶことになる話。
ホッケーの試合後フィギュアスケートの練習をするさくらに心奪われて、そしてステップのマネごとをしていたところをコーチに声をかけられて巻き起こっていくストーリー。
恋心ってことだけれど、フィギュアに興味が湧いただけ…ってことはないよね?
そしてフィギュアガールにと共に滑りはじめ、コーチを含む3人の交流が始まって行くけれど、爽やかでとても良いですね!
コーチの私生活を見たさくらの心境よ変化は、大人の男の自分からみたら寧ろ自分には関係ないし、そういう目を向けられないから安心なんじゃ?と思ったけれど、中学生にはそうはいかないのか…。
せっかく良い感じの作品だったのに、母親が騒ぎ立てたりとか、やっぱりアイスダンスは納得いかないとかがあるならまだしも、なんだか釈然としない展開だし、そのまま終わってしまってモヤッとした。
画質と内容が相俟って─
なんであんなビデオ映像みたいな白っちゃけた画質なんだろう・・・画角もスタンダードな感じだし予算削減の弊害・・・そもそも低予算の作品なのかもしれませんが・・・など勝手に決めつけて文句たらたらに見始めましたが、終わってみれば、すごーく優しーいく作品に包み込まれて浸りきっていた自分が─・・・なんか作品の変な終わり方でようやく我に返ったという─・・・
トータル的な雰囲気で作品が完成されていた印象で、非常に良かったです。じんわり笑えるし、ジンワリくるし、じんわり癒やされるし、意外とというか評価どおりの秀作でした。
牧歌的なロケーションで静かに時が流れる感じ、内容もジワジワ盛り上がっていく感じで、すんなりと行かず色々と考えさせられる─ほんのちょっとだけ─、でこの作品タイトル、めっちゃ融合しまくった感じがして、今更ながらにニンマリとしている次第です。不自然に絡み合うナチュラル感?まぁ矛盾したら表現かもしれませんが、きめ細かさを感じる演出もまた素晴らしいです。音楽とか、季節とか、電車や自然や動物、家族とか友達とか音響とか、キャッチボールとか─とにかく素晴らしかったです。
セリフが少ないので想像力を働かせて
吃音があり話すのが苦手、運動も苦手な男の子が、フィギュアスケートの練習をする女の子にあこがれてスケートを始める話。
とにかくセリフが最小限。特に女の子はほとんど喋らないので彼女の心のうちは想像するしかない。
序盤から不穏な雰囲気を出しているが、中盤までは順調に話が進み、なんだみんないい子じゃん!
…からの終盤にどっかーん!
そりゃ、その年の女の子ならそうなるかー。
終わり方もそこで終わるかーって感じでした。
すごく映画的な映画。文学的な映画が好きならオススメ。
スケートリンクのシーンがきれいだった
リンクの外から光が差す中での演技とてもきれいな絵でした。
池松壮亮さんと、越山敬達さん、中西希亜良さんの奏でる自然で幸せそうな演技に癒されました
ついでに何度かでてくるワンコのアップにも。
ラストシーンのあとどうなるかわかりませんが、またみんなが一緒に集まる未来があることを期待しています
なお、109シネマズ川崎の舞台挨拶でみましたが、前日の大停電で開催危ぶまれていたのを劇場の方が頑張って開催できるとこまで持ってきてくれたのはほんとにありがたかったです。おつかれさまでした
女の子のスポーツを男の子にやらせて楽しいですか
映画っていいなー
映像ってステキだなーと改めて感じさせてくれる。
一方的な視線の曖昧な関係を曖昧なまま曖昧な距離感で映し出されていく。その映像に中に様々感情の動きを感じさせながら。一方的だった3人が一つのチームになり、多幸感が溢れ、また一方的な思い込みで関係が崩れていく。それが成長なのか、自覚なのか、自立なのか、そして最後はなんと声をかけたのか…
そう、全部わからんでええんよな(๑˃̵ᴗ˂̵)
なんだか、いい。
監督初の、商業映画とのこと。
吃音がある少年は、スケートリンクで見かけたフィギュアスケートの少女に美しさというか魅力を感じ、自分もフィギュアを真似てみる。それを見た少女のコーチは、彼にフィギュアの基礎を教え、さらに少年と少女をアイスダンスへの挑戦にいざなう、という話。
をを、書いてみるとまるでスポーツ映画。ただ、実際は、何も起きない。「これ、商業映画なのだろうか?」と心配になっちゃうくらい、何も起きない。
では、何もないつまらない映画なのか? これが不思議なことに、エンドロールで主題歌を聞きながらの時間、俺はこの上なく幸せに包まれていた。観ている間ずっと「何も起きないなあ」と感じていた俺が。
いや、これは観てみなければわからない感覚だったな、と、観た俺を褒めたいかな。
「僕はイエス様が嫌い」も、心の震え度合いを上手くレビューできなかったなあ、なんか控えめなレビューになっちゃったなあ、と思ったのだが、今回もその点はやはり変わらない。
監督は "映像の人" なのかな? 俺の言葉の中に、この映画の素敵さを上手く伝える言葉が、足りなすぎる。
ぜひ観てみてください。そして感じてみてください。
おまけ1
四角い映画でした。スタンダードサイズって言うのかな。
おまけ2
MVも手がけている監督なんだそうですね。米津さん(玄師)の「地球儀」のMV撮った人と聞きました。(ゆきさん、教えてくれてありがとうございました!)
言われてみれば、「映像の人」という感じは、よくわかります。「映像で語る人」と言った方がいいのかな。ともすればMVを手がけて、映画に来た人には、絵はきれいなんだけど、お話がなあ、と感じる人も少なくないと俺は勝手に思っているのですが、監督は前作「僕はイエス様が嫌い」に続いて、俺の心を捉えてくれました!
絵で語りかけてくれたんだろうな。絵のタイプは違うけど、岩井監督(俊二)のいる象限に位置している監督なんだろうな…
おまけ3
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を思いだしながら、「吃音を扱った映画にハズレなし!」と勝手な思いを馳せました。
おまけ4
朝の通勤電車で「ぼくのお日さま」聞いてたら、最後の方で涙が出そうになった。危ない、危ない。(実際は、ちょっと出た)
やさしい映画
北海道の風景。
小学生と中学生の初恋。
やさしい大人。
子供の成長。
どれもとても優しく良い話。
ただ、一つだけ「普通」じゃないだけなのに、全てのバランスが崩れて行く。
池松壮亮はさすが。スケート上手いな。
子役の2人もとても可愛らしく。スケートも上手い。よく見付かったな、と関心。
またふたりの作品が見てみたい。
カンヌのある視点という時点でそういうことかもと思ったけど。あの言葉は刺さるね。辛い。
最後の終わり方も好き。
良い映画でした。
さくらの行動に納得がいかない
さくらが先生の事でショックを受けたのは仕方がないとしても、本番をすっぽかしてタクヤを傷つけてもいいという事にはならない。
それがどれだけ今まで一生懸命やってきたタクヤを傷つけるか、彼女の年齢ならわかるはずだ。
先生に対しても暴言を吐いてたし、自分と違う生き方をする人を貶めても、さくらは後悔しないんだろうか。
とりあえず、さくらの事を一言も責めなかったタクヤに謝ってほしいと思った。
女の子見てたよね。見てます。
こんなこと言うおじさんは、とうの昔に忘れてしまった、少年の純粋な思い、フィギュアの美しさ。
子供(とは言えない年齢かも)が美しいく描かれている。
セリフは少ないが、それが良い。
二人のアイスダンスが美しい。
最後どうなったのか?また再会してほしいが、何と言って始めるのか、いろいろ想像してしまう。
役所さんのコメント通りの映画でした。 追記
「清潔で美しい映画でした。」
3人でアイスダンスの練習を始めたら涙が出てしまった。悲しい涙でも嬉しい涙でもない、自然と涙が溢れてきた。
そして、多幸感につつまれた湖のシーンが観られただけでいい。
全く予想していなかったから、そっちへいくのか、その設定いるのかなとも思ったけど、まぁあれじゃ女の子ヤキモチ妬いちゃうよね。
こういう終わり方か、と思った途端にあの主題歌!
反則だ。泣いちゃうよ。
誰も死ななくても、誘拐されなくても、爆弾爆発しなくても、チェンソー出さなくても、過去や未来に行ったりしなくても、映画って面白い。
追記
「明日に向かって撃て」のバート・バカラックの主題歌にのせてポール・ニューマンとキャサリン・ロスが自転車に乗るシーンや、「小さな恋のメロディ」のトレーシー・ハイドとマーク・レスターが学校を抜け出して遊園地でデートするシーンと同じように、多幸感あふれるあの湖のシーンだけでも、宝物として記憶に残る作品になりました。
中西希亜良ちゃんは
可愛くて綺麗で、皆さん言う通りこれから大活躍間違いないでしょう。越山くんが抜群によいし、そういうことでいえば役者さんがみんな上手い上質な映画です。ただ個人的にはこんな哀しいお話しにする必要ありますか?心の柔らかいところに、浅いけど長い傷を付けて、ヒリヒリとなかなか癒えない感じです。
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