ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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暖かくも儚いフィギアスケートを題材にした邦楽。 本年度ベスト!!
中途半端に終わってしまった感はあったけど自分好みの作品だった。
スケートのコーチ。荒川を演じた池松壮亮さんの演技やスケートの技術が素晴らしい!
加えてタクヤとさくら役の2人の子供達の演技も素晴らしかった。
そして3人共スケートがとても上手い!
野球もアイスホッケーもイマヒトツなタクヤ。
スケートリンクでフィギュアスケートの練習をするさくらに刺激を受け、荒川が2人にアイスダンスを教えて行く感じのストーリー。
リンクに窓から暖かい日差しが差し込むシーンの映像が美しく印象に残る。
タクヤが最初はスケートが上手く無いんだけど、さくらとのアイスダンスが素晴らしかった!
最初の下手くそな滑りは演技だったんだ(笑)
3人でカップラーメンすすりながらステップの練習するシーンが最高!!
アイスクリームのシーンから事態が一変。
前振りはあったものの、そう言う展開になるとは思わず、寂しくなる。
終盤、道でタクヤとさくらが出会うシーンが良い。
その先の展開がどうなるのか気になる。
さくらを演じた中西希亜良さん。
初めての女優業との事だけど素晴らしい演技と美しいフィギアスケートが良かった。
荒川がコーチしているシーンは本物のコーチが指導している感じでなかなかリアル。
ラストの歌の歌詞も心に残る。
タイトルの「ぼくのお日さま」の意味。
さくらのお日さまは荒川(過去形)。
タクヤのお日さまはさくら(進行形)。
荒川のお日さまは○○○かな?(過去形)
池松壮亮さん。
雑誌の写真のフィギアスケートの姿が本物っぽかったです( ´∀`)
ある視点ってなに?
2024年映画館鑑賞88作品目
9月13日(金)フォーラム仙台
会員デイ1200円
監督と脚本は『僕はイエス様が嫌い』の奥山大史
舞台は北海道
三ツ風町と二坂市
教室にあった「みつかぜ」のあいうえお作文好き
ロケ地は北海道各地
赤井川村に余市町に札幌市
屋内スケートリンクは札幌市の真駒内セキスイハイムアイスアリーナ
あとなぜか岩手県一関市の千厩アイスアリーナ←けっこう地元に近いのでとても嬉しい
粗筋
野球ができない冬季はアイスホッケーのクラブに入り練習に打ち込む小6のタクヤ
東京から引っ越してきた中1のさくらはフィギュアスケーター
彼女の演技に目を奪われうっとりするタクヤ
ついには彼女の真似をしてフィギュアを始めるタクヤ
それを見ていたさくらのコーチの荒川はタクヤにフィギュアスケート専用のスケート靴を貸し無償でタクヤにも指導し始めた
みるみる上達していくタクヤ
挙げ句の果てにはさくらの多少の反対を押し切り2人にペアを組ませアイスダンスの大会を目指すことになった
結局アイスダンスを受け入れたさくらは器が大きいな大人だなと感心した
しかしコーチがゲイだと知ると「気持ち悪い」と言い放ちアイスダンスの大会をボイコットしタクヤを悲しませる身勝手ぶり
スオミじゃないけど人間とはやはり多面的だなと
ヤフコメ民じゃあるまいし自分はさくらを叩かないけどね
だって中1だよ
それを本気でキレる40代のオッサンってまともじゃないよ
ラストシーンはあんな形で終わるがそれはとても映画的
一人で観るより複数で観るのが良い
映画館の隣の喫茶店で感想を言い合ったりラストのタクヤが何を言おうしたのか大喜利的なもので盛り上がるのも良い
エンディングテーマもかなり秀逸
配役
吃音気味の小6でホッケーをしていた多田拓也に越山敬達
フィギュアスケートの選手を目指す三上さくらに中西希亜良
元フィギュアスケートの選手でさくらのコーチの荒川永士に池松壮亮
荒川のパートナーでガソリンスタンドを継いだ五十嵐海に若葉竜也
さくらの母の三上真歩に山田真歩
タクヤの親友のコウセイに潤浩
ホッケーのコーチに篠原篤
小学校の教師に田村健太郎
さくらの親友のナツコに佐々木告
タクヤの父に大迫一平
タクヤの母に兵藤公美
タクヤの兄に坂本愛登
多田家の犬にもなか
事前情報なしの鑑賞をオススメします。
"奥山大史"監督作品は見た事がないはずなのに、何か知ってる名前。。
と、ずっと考えていたら思い出しました!
去年(もう去年だ!)公開した、
宮崎駿監督"君たちはどう生きるか"の主題歌。
米津玄師さんの"地球儀"のMV撮った人だった!!
本作もそうだが(本作は脚本も手がけている)このMVも、監督・撮影・編集まで1人でこなしている!
自然光の入れ方が特徴的だと思う。
きっと、光りと影の表現にこだわって作ったんだな〜と想像出来る。
幻想的で、あの場の空気感、匂い、温度まで感じられるような映像で、それは本作にも通じる所があり、更にグレードアップしていました。
(見始めは、白っちゃけてるな四角いなって思ったけれど、この表現で良かったのかも)
若い才能!!が眩し過ぎる!!
本作の奥山監督はじめ、ちょっと前だと、個人的に注目している加藤拓也監督(ほつれる)
最近だと、山中瑶子監督(ナミビア)
二十代の若い才能ある監督が、商業作品映画を発表してくれる事が、映画ファンとしてはとても嬉しいです。
今後の日本の映画界をリードしていくであろう監督達の作品を、この若さで撮った作品を、リアタイで観られる事が嬉しいです。
将来、子が映画に興味を持った時、
「◯◯監督の初期作はリアタイで劇場で観たよぉ〜」って自慢になるかな?なんて、思っちゃいました。
さてさて、
予告で何度か目にしていた本作。
ベール(ヴェール?w)がかかった様な、
絵画の様な美しい景色。
どのシーンも額に入れて飾れそう。
幻想的な光が差し込むスケートリンクで滑る少年少女。
タイトルからして優しそうな作品だと思っていました。
池松君の芝居は好き。スケートは詳しくない。子役も知らない。
フライヤーももらっていたけれど、いつも通り読んでいませんでした。
だけどそれが良かった。事前情報なしでの鑑賞がベストですね。
ほほう。。そう来たか。
まさかのソレはう〜んとなったが、ガラケーだったり、カセットテープだったり、時代設定が現在より少し前なのかな。
そうすると、"多様性"について今ほど語られる事がなかった時代、周囲の理解も今より進んでいなかったからな。
さくら(中西希亜良ちゃん)の動揺も本来なら大人(母親)がしっかりと説明し、何も問題ないと教えるべきだが、まだ、時代(日本)と人間が追いついていなかったからな。。
母親も嫌悪感丸出しで悲しくなりました
( ; ; )
(山田真歩ちゃんが中学生のお母さん役をやるようになったかぁ〜と思った)
彼女の刺した棘が悲しい変化をもたらしてしまうのだけれど、、
何故だろう。
彼女を責める気持ちにもならなかった。
タクヤ(越山敬達君:すごい名前ですね)も
荒川(池松君)も彼女を責めない。
哀しいし残酷だし残念なんだけど、、
車内の荒川と五十嵐(若葉君)の様子を目撃し、ある種の嫌悪感を抱くさくら。
自分の指導中にも関わらず、荒川がタクヤに向ける視線にも疑問を抱いていたのだろう。
ボタンの掛け違い、哀しい誤解。
さくらの、あの年代が持っている、
"特有の潔癖さ"が姿を現す。
あの言葉は残酷なのだけど、少女の動揺や嫌悪感、まだ分からない世界に触れた時の気持ちは理解してあげたかった。
3人で練習したかけがえのない時間、上達していく喜び。
それは紛れもない事実でそこに存在していた。
それだけで、尊く美しかった。
凍った湖で戯れる3人を観ているだけで泣けてきた。
どんな言葉を並べても表現出来ないような作品だし、自分の、どの感情が刺激されているのかもわからない。
この歳になっても、まだ言葉では例えられない感情があるものかと驚いた。
「PERFECT DAYS」鑑賞後に感じたような余韻が残る。
語れば語るほど遠くなりそうな作品なのだけど、誰かと感想を語り合いたくなる作品。
3人の宝物の様な時間を分けてもらった気分。
冒頭の初雪が降り始めたグラウンドに映し出されるタイトルから、もう決まっていた。
役者の演技も主題歌も全て完璧。
大きな事件も起きないしセリフも少ない。
終始静かに流れる時間。
それなのに、こんなにも心を揺さぶられるとは!
ラストの解釈も人それぞれだろう。
だけど、それで良いのだと言い切れる。
こんな表現の仕方で
"小さな恋の物語"を見せられるとは!
とても良い映画でした。
鑑賞動機:たまにはピュアピュアほっこりなお話で、心洗われて見よう10割
単なる要素の一つかなと思っていたらガッツリストーリーに関わってきて、ちょっとたじろぐ。いや思春期の潔癖さもあるのだろうけど、ただタクヤは…いいの? この歯痒さとやるせなさに心が波立った。現在ではない…よねこれ。
一方でスケート場面の光の加減の美しさやカメラも一緒に滑ってるっぽい場面は心穏やかに観ていられた。
タクヤの友達(コウセイ)は本当にいい子だ。
ふわぁ~と
心地良いもどかしさに包まれております
やっぱり、さくらは、荒川がほんのり好きだったのかな
だから、少しイジワルしちゃったのかな
そんな繊細な少年少女の心の機微を笑顔で眺めておりました
映像も演出も脚本も、すべてがキレイな作品
光りの加減、景色、音楽、
タクヤ、さくら、コウセイたち子どもの笑顔、
荒川と五十嵐のやりとり、
すべてが優しくて、ホンワリとした時間の中で流れていく…
それは、ちょっとした心のボタンの掛け違いで続かなかったけれど…
決して後ろ向きな気分になることなく、
雪が溶けて春が訪れるような温かく前向きな気分にさせてくれました
その視線の先に居る者
北海道の少年スポーツの事情はこうなっていたのか。
たぶん物語りの舞台は小樽だろう。
夏場は野球。冬になれば積もった雪でグラウンドが使えないので
同じメンツでアイスホッケー。
でも、これじゃあ用具代が高額で、
よほどの金持ち世帯でないとムリな気がするのだが。
『タクヤ(越山敬達)』は吃音を同級生にからかわれ、
野球もセンターの背番号を貰っていながら、
練習中もぼ~っとしている。
アイスホッケーでもゴールキーパーを押し付けられ、
そこでも動きが鈍く、易々とゴールを次々に許してしまう。
打ち込めるものが無い、なんとも中途半端な日常。
そんな彼が、練習後に向けた視線の先に居たのは。
『さくら(中西希亜良)』は『タクヤ』よりも年長で
フィギュアスケートに熱中。技量もかなりのもの。
謝礼を払いコーチをアサインし指導を受けるが、
的確な指示に不満はないものの、
時としてコーチが自分を見てないのが不満のタネ。
『荒川(池松壮亮)』は嘗ては一流選手だったようだが、
今は現役を引退し、スケートリンクの管理をしながら
『さくら』のコーチも務める。
が、暫く前から、視界に気になる影の存在が。
『タクヤ』が『さくら』の真似をし、
アイスホッケーのシューズでフィギュアスケートに挑み転び続ける。
『荒川』は専用のシューズを貸し与え、時間を見ながら指導、
ある程度サマになったタイミングで
二人にアイスダンスへの挑戦を提案する。
最初の三人の視線は見事に三角関係。
それが二人がアイスダンスの練習を重ねるうちに
ベクトルに変化が生じる。
全てが上手く回り出したと思った矢先、
『荒川』が同性の恋人とじゃれあうのを目撃した『さくら』は
少女らしい潔癖さと視線の意味を曲解し、以降の指導を拒絶する。
三人の関係の線は、ぷっつりと千切れてしまったようにも見えた。
デビュー作の〔僕はイエス様が嫌い(2018年)〕でもそうだったように
『奥山大史』が撮ると寒々しい雪でさえ、
何故かふわりと暖かいものに感じてしまう。
差し込む柔らかい光線の具合も同様で、
凍てついた季節も、何時かはほころびる日が来ることを予感させる。
本作ではラストシーンでとりわけ明快に
それが示唆される。
思わず胸がきゅんとするような
希望に満ちた結末が。
心の雫がワッとあふれだすエンドロール
*
観に行きたい観に行きたいと
ずっと楽しみにしていた作品でした
結果…本当に観てよかった!
個人的に今年のベスト5に入りそうです
そしてそして
パンフレット買って大正解!
登場人物の深い部分を知れます
馴れ初めも知れます
ぼくのお日さま読んで泣けます
*
ぽかぽかとした陽だまりが
いつもスケートリンクを
ふんわりと照らしていました
美しくて繊細な白い世界が広がっています
雪の日の清らかな空気感です
*
スケートの楽しさを
タクヤと一緒に感じるような時間に
なんだかわくわくしました
初めてのことを覚えるって
ぜんぶ新鮮でぜんぶ楽しいなって
子ども時代のわくわくを感じました
何度か笑えるシーンもあって
心がぽわっとあたたかくなりました
ペアでの練習のときの
「タクヤ〜!」のガヤだったり
プロ時代の荒川の写真を真似て
茶化す五十嵐だったり…
3人で課外練習をするシーンは
ずっとずっと心にしまっておきたい
綺麗で大事な宝物になりました
永遠ではない儚い永遠です
タクヤとコウセイのシーンも好きでした
屋上の雪が綿にみえました
ふたりの雰囲気がふわふわしているから
そんなふうにみえたのかもしれません
登場人物の一人ひとりが
とにかく愛おしくてたまらないです
*
サクラが「気持ち悪い」と言い放ったのは
ほんのり淡く荒川を好きだったから
余計そう感じてしまったのかもしれません
マイノリティの捉え方は
子どもとか大人とかは関係ありません
相手の人のことをどう思っているかで
変わってくるものだと思います
目撃してしまった…のあのシーンは
雪がとても重々しく感じられて
まるで泥のようでした…
荒川はコーチにつく生徒がいなくなって
あの街を離れていってしまうけど
五十嵐とは遠距離でもいいから
繋がっていてほしいと願うばかり…
「分からない」という曖昧な言葉を信じたい
しかし、パンフを読むとこの願いは
雪解けのように儚く消えてしまいそうです
荒川も五十嵐も好きな人を好きでいて
ただ普通にふたりの幸せの暮らしを
営んでいただけなのに
その幸せが別の幸せを壊した
どっちもは難しい どっちかはダメ
だったら両方置いていく
そんな荒川の選択が切なくてたまらないです
*
春になってタクヤがサクラに伝えた言葉
「ありがとう」かな…なんだろう…
ふたりのダンスがまたあそこから
始まっていけばいいなと思いました
ハンバードハンバードの
『ぼくのお日さま』を聴いていたら
いろいろな感情がこみ上げてきて
ぽろぽろと涙が頬を転がっていきました
エンドロールも本編
エンドロールこそ本編
*
池松壮亮さんはいい意味で
脱力感のある演技が上手ですね
演技なのかそうじゃないのか
よく分からないところが
神の仕業だと思っています
越山敬遠くんは天狗の台所から
注目している俳優さんです
これからもっと伸びていくのは
間違いないと思っています
インタビューの受け答えが
しっかりしていて素晴らしい
今後も出演作に注目していきたいです
*
映像や演技は素敵だけどラストは嫌い
なんで、吃音の主人公なのに言葉が出るまで待たずに終わらせたの?
二人が再会したところで終わってたら、遅くても主人公が声を出す前に、開口したタイミングで終わってたら全然印象が違った。
明らかに声出てたよね?話そうとしてたのに言葉が出る前に切ったよね?そのタイミングだと『あの後なんて言ったのかな〜』みたいな感想にならないよ。なんで待たないんだよって思うよ。
主人公がコーチに靴を貸してもらうシーンで、やっと「ありがとう」が出たときにはコーチは去ってて。靴をもらうシーンではちゃんと「ありがとう」が伝わって。『あー良かった』って思ったのに。
女の子の扱いも結構ひどい。突然、スケート始めたばっかりの主人公と組まされて。明らかに女の子の力を伸ばすためじゃなくて、主人公の都合優先ってわかるもん。コーチが主人公の恋を応援してあげたかったから??そりゃモヤッとして当然だよ。せめて正当に怒らせてあげてよ。なんでコーチがゲイだったから差別されて拒否られた、みたいになってんの。あの子がコーチにもお母さんにも、私はあんたたちの夢を叶える道具じゃないよって、怒るシーンがあったらマシだったのに。
主人公の行動も理解不能で。なんでホッケーに戻ってんの?フィギュアスケートには興味なくて、ただ女の子に近づきたかっただけ?誰かに憧れて新しいことを始めるって、きっとよくあることで。そのうちにそれ自体が好きになって、大切になるものだと思ってた。そういうふうに見えてたから、なかなかショックだった。
時代がピンとこなかったのはあって、20〜30年前のゲイやフィギュアスケートに対する偏見をもっと描いてくれたら違ったかもしれない。もう昔すぎて覚えてないから。
懐かしくてあたたかい。大人に沢山みてほしいな
初めのシーンから
なんとなく古めかしい、いや、懐かしく感じる画像。。わざと、そうしているんだろうな、と思いながら。
主人公であろう、タクヤくんは
ヒーローでも、なんでもない、ちょっと吃音の小学生。ぼやーとしているところ、あー、クラスに1人はいそうな、普通の男の子。
その彼が
冬になると、アイスホッケーを習うわけなんですが、
そこで、1人の可憐にフィギュアスケートをする
女の子にときめいちゃうんですな。
池松壮亮くん演じるフィギュアスケートの先生は
はた、と男の子の様子に気が付き、
声をかけて、フィギュアスケートを
教え始める。。。
静かなテンポで3人が近づき信頼が生まれ、
ほんとにココロが穏やかにながめられて(鑑賞ですな)おばさんは、いつのまにやら、
じんわり、なみだ。。。
急展開もまた、静かに起こる。。
だって、思春期だもの。
難しいよね。
パンフレット購入して、読み返したら、
人物設定が!!そーか。いろいろ、納得した。
個人的にストン、とおちました。
子役て、すごいな。
今年、わたしの中では「カラオケ行こ!」
と、接戦していますだ。
す‼️❓す‼️❓好きだ‼️❓
途中まで、池松くんが主役だと感じていた。
でも、彼がゲイで、少女に嫌われてから、違うことに気がついた。
吃音の彼と少女が出逢う、ボーイミーツガール、純愛物語なのだ、それに気づいて、あゝ、最高点の映画だと感じた。
池松くんも若葉竜也も、タバコとアイスの共有だけではゲイだとは気づかない、仲の良い兄弟くらいに感じてた、さすがの自然な演技の二人。
でも、少年少女、少女は可憐で、少年は素直で、スケートは血の滲む努力をしたんだろう、池松を含めて、それを感じさせないくらい、演技が上手いレベルじゃなくて、そのものがそこにいるように感じた。
余談だが、アインシュタインやトムクルーズは幼い頃、失語症だそうだ。
障害は個性、パラの特集で、本人や周りが、そう言っていたのを思い出した。
それを思い出させてくれて、なお、感動の純愛物語を見せてくれた、映画も捨てたもんじゃ無い、ありがとうございます😭
軒並み高評価の中、恐縮ですが(^^ゞ
寝落ちしなかったスオミを2.5としている手前上、半分以上寝落ちしていた作品を2.5以上付けるわけにはいかんのです😅
ストーリーは全然覚えていません🤣
というか、エンドロールの音楽が流れてハッと目が覚めるくらい熟睡できました(笑)
スケートの場面が美しい
タクヤとさくらのスケート場面が美しい。夏は野球、冬はアイスホッケーの生活の中、さくらのスケート姿に魅せられてスケートを始めるタクヤ。コーチへの信頼と憧れの入り混じった気持ちの中、タクヤとペアを組むことになるさくら。彼と暮らす場所を探し、この街にやってきた荒川。三人は小さな閉塞感の中で懸命に暮らしている。
特に大きな出来事はなく、三人は小さなきっかけで繋がり、小さなきっかけですれ違うが、タクヤとさくらの再会で、希望を感じさせて終わる。
カップ麺をすすり合う場面で描く、小さな触れ合いと幸せを感じる作品。
美しさのあとの鑑賞後の胸のざわつき
子どもたちの繊細でピュアな心の描き方、屋内に差し込む「美しすぎる」光。素晴らしかった。
最初は美しすぎると感じるも、そこにまけない演技とスケートと画作りにより、うっとりするとともに、神々しさも感じる。
スタンダードで人物が中央に立つ画はどの作品でも好き。
そして、湖での3人のスケートは近年稀に見る、心に残るシーンだった。
無邪気な子どもたちに触発されて、のびのびとする荒川役の池松壮亮もいいね。
このまま美しく終わってほしいとおもっていたが、そこで終わらないのも映画としてよかった。
ともすれ、池松壮亮に目が行きがちだけども、
「ぼくのお日さま」、それは人に与えられたものではなく、タクヤが自立して自分で掴んでこそ意味がある。波乱の中でのもやもや、ざわつきとともに、終了。
そして、主題歌で心情を描く。これ以上ない終わり方ではないだろうか。
月の光とお日さまの光
吃音症で言葉を上手く伝えられないタクヤ
感情を表に出すことが少ないさくら
かつて一流のプロスケーターだった荒川先生
3人の感情の交わりを描いた群像劇。
吃音症や同性愛をテーマにした映画はこれまでも沢山あっただろうが、この映画ではそれらの「特徴」に過剰なスポットライトを当てることはない。あくまで3人の心のやり取りを描いている点が、作品としての美しさと澱みのなさを作り出しているように感じる。
3人とも言葉数が多い人物では無いが、スケートという言語を通じて互いに必死になって感情をやり取りしているように見えた。それぞれの目線と動き、スケート靴で氷を砕いて滑る音、リンクに残る軌跡、それらから言葉以上のものが伝わってきた。
映像としても非常に綺麗で、劇中のキーになる曲である「月の光」とタイトルの「お日さま」という対になる2つのモチーフを表現する光の使い方が印象的だった。
そして、「ぼくのお日さま」というタイトルから、お日さまとは、タクヤにとってのさくらのことだと思うかもしれない。しかし、果たしてそれだけだろうか。さくらにとってもまた、タクヤや荒川先生がお日さまであったかもしれないし、荒川先生にとってもタクヤとさくらがお日さまであったかもしれない。
3人ともが互いに光を与え合うように、スケート靴を履いて舞う光景が魅力的だった。
だが、お日さまはいつまでも空を照らしてくれる訳では無い。月の光が差す時に3人がどのような選択をするのか。
派手さはないけどジーンときた
「コーチ」と言う立場だけでなく「大人の男性」として荒川を意識し始めていたさくら。その荒川の「氷上では決して見ることのない笑顔」を見てしまってショックだったんだろうなぁ。初恋だったんだろうな。
ちょっと運動神経の鈍さが見え隠れするタクヤが練習を重ねて、綺麗に背筋を伸ばして滑ることができようになった時、「おっ、やるじゃん」と思わずニヤリとしてしまった。
エンドロールに流れるハンバートハンバートの曲が作品全体を締めてくれたような感じで、最後の最後まで楽しめた作品だった。
光の射す中で・・・‼️
ある雪国を舞台に、吃音の少年タクヤが、スケートを一生懸命に練習するさくらに一目惚れ。さくらのコーチである荒川の計らいで、タクヤとさくらはペアのアイスダンスの練習をすることに。メキメキと上達していく二人だったが、ある日、荒川がゲイであることを知ったさくらは・・・‼️三人のひと冬の出来事を、スケッチ風にほのぼのと綴った好編です‼️光が射し込むアイスリンクや、氷が張った池の上でスケートの練習をする二人のシーンが美しく、さくら役の中西希亜良ちゃんの透明感がホントにスゴい‼️将来が楽しみな女優さんですね‼️冬が終わり、荒川は町を去り、さくらは一人でスケートの練習、タクヤは野球部へ‼️苦いラストかと思いきや、道端で偶然再会したタクヤとさくらの表情には笑顔が‼️ペアの再結成かもですね‼️
恋とは厄介なものだな
昔のTVサイズ。
横に長くない分、高さを感じやすいし、役者の顔がよく見える。
子役の2人が良い。友達役の子も良い。
それよりも池松壮亮!スケート上手過ぎ!!
元からやってたのか、今回のために猛練習したのか?
3人のシーンはキラキラしてて、思わず微笑んでしまった。
思春期の女の子があのように感じてしまうのは分かるし、無自覚に人を傷つける発言をしてしまうのも分かる。
これまであったドラマとかだと、街の大人達に見られて、要らぬ詮索で騒がれて、となる所をうまくまとめて、嫌なものにならずに進めてるな、と思った。
シンメトリーで「真正面」からとらえられた、北国の風物と三者三様の切なくピュアな想い。
一見して印象的なのは、
映画のほとんどの構図が、
シンメトリー(左右対称)
を意識して撮られているということだ。
グラウンドに立つ少年。
路傍に立つ郵便ポスト。
双耳峰と沸き立つ白雲。
少年とホッケーゴール。
スケートリンクの少女。
建物も、人物も、風景も、
この映画は常に真正面から、
衒いなく見据えようとする。
それは、曇りなき視点であり、
どこまでもフェアな視点である。
相手のことをまっすぐに見つめる視点である。
その潔さ、清々しさが、奥山大史監督の視座なのだ。
画面の奥のど真ん中にひとり佇むとき、
右にも、左にも、等間隔で何もない空間で、
被写体は、どこまでも孤独でよるべない存在だ。
その一方で、対象をど真ん中からまっすぐ見据えてぶれることのない、監督の真摯な眼差しが、キャラクターをある種の孤独からすくい上げているのもまた確かだ。
本作において、会話する二人は、常に左右に並んで意見を述べ合う。
積み重ねられてきた「二人のシンメトリー」は、終盤の三つのショットに結実する。
ベッドに横たわる、池松壮亮と若葉竜也の会話。
想い出の湖のほとりと車中で並ぶ少年とコーチ。
春の通学途上で、新たに出会い直す少年と少女。
ここにたどり着くために、敢えてシンメトリーを積み重ねてきた、という言い方もできるだろう。
そのへん、ビクトル・エリセの『瞳をとじて』あたりの作劇を少し想起させる。
― ― ― ―
一方で、この物語は「二人のシンメトリー」がなかなかに成就しない物語でもある。
少年と少女とコーチ。
スケートリンクでは、常にこの三者が三様にひきつけ合い、微妙なバランスを保っているからだ。
リンクで向き合う二人を、残る一人が外から眺めている。
最初は少女とコーチが練習するところを、少年が外から見つめている。
それから今度は、少年とコーチが練習するところを、少女が外から見つめている。
さらには、少年と少女が練習するところを、コーチが外から見つめている。
それぞれの胸に去来する想いは、一方通行だ。
少年の慕情。少女の慕情。コーチが二人に託したい想い。
ベクトルはかみ合わず、憧れの視線はいつも誤解とためらいに満ちている。
そんなとき、カメラは必ずといっていいほど、外から見つめる人間を「真横」から捉える。
被写体の横顔を映しながら、その右側に向けられる羨望の眼差しをひたと見つめる。
眼差しの先は遠く、見つめる者の想いは常に伝わらない。
それでも、三人の幸せな時間は、しばらくのあいだだけ共有される。
そのとき、三人の視線はほどよい感じで絡み合い、三人で分かち合う大切な瞬間が積み重ねられる。
この映画は、そうやって、ほんのわずかな時間だけ保たれた「奇跡のような関係性」の「尊さ」と「多幸感」によって、他にない特別な作品となり得ている。
男二人と女一人。
青春の輝きを、最も際立たせる取り合わせだ。
『ぼくのお日さま』は、この黄金パターンのヴァリエイションだと言っていい。
すなわち、映画としての『ぼくのお日さま』は、
ジャン=リュック・ゴダールの『はなればなれに』や、
フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』や、
ロベール・アンリコの『冒険者たち』や、
ジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向って撃て!』や、
ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の
精神的な後継作にあたるとも言えるのだ。
上記の映画群にはいずれも、「友情以上、恋愛未満」の関係性で結ばれた三人が、童心に返って「わちゃわちゃ」してみせる、底抜けに幸せなシーンが象徴的に存在する。
『ぼくのお日さま』にとってのそれは、言うまでもなくあの、氷結した湖上での練習風景だ。
あの一連のシーンをフィルムに収められただけでも、この映画が作られた意味はあった。
そのくらいに良いシーンだと思う。
― ― ― ―
それでも。だからこそ。
三人の奇跡のような幸せな時間は、
結局は、かりそめのものにすぎない。
幸せ過ぎる魔法は、やがては解けてしまう。
雪のように。はかなく。容赦なく。
その背景にあるのは、とても哀しい無理解と一方的な断絶であって、映画によればそこを「深掘り」してみせる作品だってありそうなものだ。
でも、この映画は、敢えてそちらに踏み込まない。
この映画は、偏見を持ってしまった者を断罪しない。
起きてしまった哀しい結末を、あえて蒸し返さない。
背負うマイノリティの辛さを、剥き出しで描かない。
下した決断の重さを、無理やり強調しようとしない。
すべてを、冬から春への季節の移り変わりのなかで、
あるがままに描いて、教訓や結論を見出そうとしない。
それでいい。
僕は、この映画に関しては、このオープンエンドで良かったのだと思う。
これ以上でも、これ以下でも、きっと説教臭くなった気がする。
このくらい、語り切らず、これから起きることを観客にゆだねて、そのまま潔く終わるくらいで、ちょうどよかった。僕はそう思う。
― ― ― ―
とにかく、美少年と、美少女と、池松壮亮の存在がまぶしい。
ただ傍観者として観ているだけでも、ほっこりした気持ちになれる、どこまでも美しい映画だった。
決して、器用に撮られた映画ではない。
監督が映画青年のように「ショットの強度」と「視線の交錯劇」にこだわりすぎて、自然なナラティヴを欠いている面は否めないし、屋内ショットは逆光にこだわりすぎて、全体に白くけぶっていて画面の精度が低い印象も免れない。
もう少し少年の様子は、くねくねしていないほうが良かったかもしれないし、
ヒロインについても、多少は演技経験のある女の子だったほうが、あの「気持ち悪い」のシーンなどはもっとうまくいったかもしれない(きわめて重要な楔となるシーンだけに、どうしても現状の仕上がりには物足りなさと唐突さが残ってしまう)。
三人の関係性の進展に関しても、淡い憧れを抱く女の子と突然アイスダンスの「ペア」をやってみろと言われたタクヤの困惑や動揺、興奮や昂揚をろくに描こうとしていないし、いきなり見知らぬフィギュア未経験らしい少年と二人でアイスダンスの練習をやらされる羽目になったさくらの動揺や嫌悪感、怯えといった感情も、ほとんど描かれない。
あれっ? と言いたくなるくらい、二人はスムーズにペアになることを受け入れ、異性に触り触られることを受け入れ、二人で練習することを受け入れていて、その辺は個人的にはどうしても不自然に思えてならなかった。
とはいえ、子役は二人とも「透明感」があって、何より「存在感」があった。
役者自身の朴訥とした素直な人柄が伝わって来て、心からの愛着が持てた。
愛着が持てたからこそ、起きてしまった哀しい展開も、ぐっと吞み込むことができた。
無理なコーチの要求を、すんなり受け入れるような純朴で素直な女の子だからこそ、あそこでは裏切られたと思ったのだろうし、少女特有の潔癖さが、コーチの在り方を赦せなかったのだろう。自分のコーチに対する(本人が自覚しているとはいいがたいある種の)慕情が踏みにじられた気がしたのだろう。
むしろ、そこで彼女に生まれたような残酷な「負の感情」を、大上段に「道徳」によって一刀両断するような映画でなくて、本当に良かったと僕は思う。
同様なことはマイノリティの描き方にも言える。
敢えて題材として自分から取り入れているだけあって、監督は(カメラワークと同じように)真正面から、衒わず、ぶれず、障害や性的指向について扱っている。だが、そこに「かくあるべし」論は持ち込まない。あくまで、自然な当事者感覚の延長で作品に取り込んでいる。そこの見識がしっかりしていて素晴らしい。
特に「吃音」については、構えれば構えるほど言葉の冒頭が出にくくなる感じや、コウセイとの気の置けない何気ない会話だとスムーズに言葉が出ている感じが、実に生々しい。
お父さんが明快に吃音だというのも、だいぶ踏み込んだ表現の導入だと思う(たとえ最近は吃音になるかどうかは遺伝的要素が大きいということに学術的になって来ていたとしても、なかなか公けの場では設定として明確にしづらい部分を、敢えてぶっこんできている感じ……)。
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その他、雑感を箇条書きにて。
●若葉竜也はホントに良い役者。
●きょうび、北海道では現代でも犬は外飼いなのだろうか(あんなに冬は寒いのに)。都市部だと大型犬でも室内飼いにするのが一般的になってきている感じがあるので、ちょっと気になった。まあ、コーチがガラケー使ってたし、ガンガン煙草吸ってたし、カセットテープ使ってたし、時代設定自体かなり古いのかもしれないけど。
●まあなんにせよ、北国の淡い光線と雪で覆われた風景には、クロード・ドビュッシーの「月の光」がドンピシャで合うんだよね。この取り合わせの妙を見出した時点で、この作品はすでに半分成功を約束されていたと言えるのではないか。
●キャッチボールで「投げ損ねた」ことを「口実」に、湖畔に連れ出してまで本当に伝えたかった言葉(「ごめん!」)をようやく口の端に載せるコーチ。さくらが試験会場へ来なかった本当の理由も、きっとうまく話せてなかったんだろうね。で、タクヤはずっと自分が嫌われたと思ってたという。辛い。
●主人公3人を追い詰める環境と状況を作るために、友だちや大人たちがちょろっと出てきては、揃いも揃ってかなり感じの悪い「毒」を吹き込んで回るという作劇は、ちょっと安易な感じもしないでもない。とくにさくらのお母さんをああいう設定にすると、本人まで親のコピーみたいな人間に育ちつつあるって話になっちゃうわけで……。
●監督はフィギュアを描いた映画がほとんどない(野球のようにダブルが使えず、演技者がスケートが出来ることが前提になるのがネックとなる)から、ぜひ撮ってみたかったといったことをパンフで語っていた。個人的に「少女×フィギュア」だと、倉本聰の初監督作で『時計』という映画があったのを覚えているが、主演の中嶋朋子が上手かったかどうかはもはや思い出せない。そういやこの監督さんは、ガンガンに滑れることは十分判っていても、敢えて小芝風花や本田望結で映画を撮りたいとは思わなそうではあるな(笑)。
ちなみに洋画だと、『冬の恋人たち』という、とても後味の良いペアスケートのラブコメがあって、お薦めです。
●ラストシーン。監督としては、『第三の男』や『ロング・グッドバイ』の有名すぎるエンディングを映画ファンの観客が勝手に想起して、おやそのまますれ違うのか?と脳内でシミュレーションしたあと、「ああそうじゃなかったか」と落ち着くまでの思考過程を最初から期待しているのではないか。
●エンドクレジットの、歌詞をしっかり文字起こしして呈示していくつくりは素晴らしい。
思った以上に「そっち」を念頭に置いて作られた映画だったんだな。
しかも、あのシルヴァスタインの絵本のようなカーブの線が、フィギュアのスケート痕だと気づいていなかったので、最後にシューズの絵が出てきて、なんかちょっと感動した。
●ちなみにパンフは装幀・内容とも素晴らしい作りで感心した。巻末のカンヌ凱旋ロング対談では、池松くんや監督が、いかに子役ふたりと親密で和やかな関係性を築けていたかがよく伝わってきて、胸が熱くなった。
●この映画、結局僕は渋谷でNHKホールの帰りに観たのだが、実は前日夜の時点では、川崎のラゾーナにある109で観るつもりで、レイトショーのチケットを現地で購入していた。ところがラゾーナの3階で時間をつぶしていたら、20時半ごろ、まさかの「全館停電」が勃発、館内の照明が一斉に落ちて、非常灯に! 空調もエスカレーターも止まり、慌てて映画館に行ってみたら、ロビーに観客が吐き出されていて、払い戻しの列を形成している。僕が観ようと思っていたレイトショーも、結局予定の21時35分までには館内電気が復旧せず、払い戻しも当日中は無理とのことで、まずはタダ券だけ一枚もらって帰途についたのだった……。こんな映画みたいなこと、本当にあるんだなあ……。
美しく幸せで残酷な傑作。
吃音をもつ少年のフィギュアスケート選手である美しい少女への純粋で一途な恋を、少女のコーチである青年を絡めて描いた傑作です。
物語前半の多幸感は本当に素晴らしく、美しい雪国の風景の中で楽しそうにしている三人や恋する少女に追い付こうとスケートリンクで必死にでも楽しそうに練習する主人公の男の子を観ていると映画を鑑賞している私自身も幸福感で一杯になりました。
凍結した自然の湖でthe zombies の「going out of my head」をBGMに戯れる三人の描写には幸せ死にするかと思いましたよ。
しかし、物語後半は一転しある出来事のせいで悲しく寂しく残酷なお話しになって行きました。やっぱり女の子の方が成熟が速いのでしょうか?あれは大人の恋心だと感じました。全く成長するって事は…。
ラストシーンの切れ味も最高です、エンドロールのハンバート・ハンバートの主題歌も素晴らしい!吃音を伝えたい事が多過ぎて大き過ぎて言葉が出ない事だと映像と歌詞で表現するなんて美し過ぎますよ。
男の子はフィギュアスケートの靴を両手に抱えて少女と再会しました、コーチの予言した通りこの二人は将来日本一のペアとなる事でしょう、これが私がこの素晴らしい映画から受け取った楽観的過ぎる私のラストシーンです。
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