ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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あたたかな時間
タクヤと先生とのやり取りが常に微笑ましく、それを見守るようなサクラが凛々しく、全ての場面の情景があたたかく美しく、登場人物に羨ましさを感じながら鑑賞しました。
そして、人を成長させるのは、「誰かのために」という動機なんだなと3人の姿が実感させてくれました。3人がお日さまのもとで過ごす景色では、気付くと涙ぐんでいる自分がいました。
そんな終盤までのあたたかさは、ある一瞬の、ごく一部の景色が引き起こした、思い過ごしとも取れるサクラの感情をきっかけに一変します。そこには誰の心にも悪意のようなものは存在しなかったはずですが。
人と人とのつながりは、池にはられた氷のように実に脆いものなのだと、季節のように淡々と移ろっていくものなのだと、だから一瞬一瞬を大切にしないといけないのだと優しく教えられた気がしました。あの雪が溶けるまでの数か月を3人も大切に思い返すんでしょう。
切ない展開ではありましたが、終始あったかい気持で鑑賞しました。締めくくりでは、いつかきっとサクラも、先生の指導やあの数か月が自分にとって糧になっているのだと、先生は自分にとっても「お日さま」のような存在だったのだと気付いてくれると期待させてもらいました。
美しくはあるが...
切り詰めた表現ぶりと昭和のような風景に癒やされました。劇中の音楽が少ないことと自然さを大切にした演技には子役の男の子と女の子の魅力がいっぱい詰まっていました。北海道の一都市の何気ない日常風景にもほっこりさせられました。
ただ、話の展開的にネタバレになるのであまり書きませんがみんなそれぞれ傷ついて終わっていくという展開に優しくないなと感じ、釈然としないものを感じました。
吃音であること、同性愛者であること、先生と生徒の恋愛感情などいろいろな問題を提起しながらもそれぞれが解決しないまま、ただ存在することの美しさとともに過ごした時間のきらめきだけが残りました。
それぞれの登場人物のかかえる問題を少しすっきりさせて終わらせてやって、きれい事かも知れませんが胸がキュンとする感じを味わいたかったかな。そんなわけで美しい映画だっただけに少し残念な気持ちが残りました。
今年のベストかもしれない傑作!
役者の方、みなさんが自然で本当に引き込まれる。
映像がまた最高に美しい
アイスダンスというのでしょうか、
初々しく、かつ美しく物語を描いてくれる素晴らしいシーンの連続でした。
男の子も女の子も最高!
お日さまってなんだろうと最初は思いながらみていましたが
スケートリンクや学校など太陽の日差しがとても美しい
言葉にすればするほど野暮になる。
ずっと余韻に浸っていたい。
また見たい。
エンディングがまた余韻を引き取って最高なんですよ!
ぜひ劇場で観てほしい。
そんな作品です。
言葉では伝わらない気持ちが観てる側にジーンと伝わってくる
タクヤ(きつ音の)、サクラ、荒川の3者3様のドラマが、言葉では無く、伝えきれない想いがヒシヒシと観てる側にジーンと伝わる映画です。ストーリーも味わい深く、3者3人がそれぞれの役を見事に演技してます✨背景、情景もキラキラしてて、シチュエーションも素晴らしい❗️監督さん、見事です❗️❗️
きつ音を持っていなかったとしても、人間は言葉で上手く表す事が出来ない部分があると思います。言葉では表すことが出来ない気持ち、人間の心の声をこの映画は、見事にわたし達に伝えてくれます。
是非、みなさん映画館で観てみてください。良かったですよ。
切なくも美しい
切なくも美しいとても素敵な映画でした。
少年少女の真っ直ぐさがキラキラ眩しい。タクヤとさくらの自然な演技が素晴らしかったです。
映像や音楽や演出のセンスがすごい好み。
無駄なシーンやセリフがない脚本がすごい好み。
ラストシーンとエンドロールのセンスもすごい好み。
奥山大史監督、大注目です!
癒やされる。
やわらかで癒やされる作品。
シンプルでセリフは少ないけど、実は構成がかなりしっかりしている。
登場人物の誰も悪意がないけど、悲しい結末が訪れるという高度なテーマがあると思う。
何気ないようですべてが緻密に計算してあるから描けるんだな。
主題歌は良かった
スクリーンが4:3の時点で独特なこだわりがあると思った。
実際には同性愛の要素はいらないと思った。
別の要素で紆余曲折あるようにしてほしかった。
何が面白いのか私には全く理解出来なかった。
簡単な映画だと思った。
エンディングの主題歌はめちゃくちゃ良かった。
この瞬間が永遠に続けばよいのに。 圧倒的な多幸感とほろ苦さ、表情を...
この瞬間が永遠に続けばよいのに。
圧倒的な多幸感とほろ苦さ、表情をガラリと変える光の演出がこれまた素晴らしい。エンドロール&そこで流れるハンバートハンバートの曲もまた•••。
今年観た映画の中で、トップクラスに好きな作品だった。
初々しさが最高!
タクヤとサクラの汚れのない無垢な演技に感動しました。幼少期からスケートの経験があって、これだけの演技が出来るキャストを探すだけでも、この映画の製作者の苦労が伺えます。始まってからすぐに気付きましたが、画面の縦横比がシネマスコープの2.35:1ではなくて4:3か7:6くらいの縦横比になっていたのには、何かしら製作者の意図があったのではないかと考察中。
ラストシーンで、タクヤが笑顔のサクラに自分の気持ちを伝えられたのか? 成長した二人の続編があっても良いんじゃないかと考えさせられる良作でした。
詩的に美しい画面
映画を紹介するあちこちのサイトに「池松壮亮を主演に」とあるが、さくら役の中西希亜良と、タクヤ役の越山敬達の少女・少年の2人が主人公だったと思います。
全体的に物語を見せる意図は少なく、夏に出会って、冬のひとときに輝く子ども二人の姿を詩的に映し出すのが目的だったように思えました。
感情や状況を光で意識させる演出・照明・撮影が生み出した画面の美しさは素晴らしい。
正直、この美しさや、スケートリンクでの楽しさに軸を置き、40分前後の中編になっていたら傑作だったかもしれません。
起伏の少ない状態で長めの尺を作り出したために、中盤に単調なタルみを感じて、起きているのがかなりキツい瞬間もありましたが、絵は本当に完成度が高かったと思いました。
後半、物語の動きは出るのですが、好き嫌いが分かれる展開だと思います。
私は、スッキリせず、悲しい気分になりました。
怒りに任せて投稿
9月、まだ夏の暑さが続く中、画面に映るのは壮大な雪景色。
なんか変な気分。
雰囲気は良い感じなんだけど、かなり終盤になるまで特に大きな葛藤もなく、話が順調に進んでいくだけ。
悪い映画ではないが、退屈さを感じつつ鑑賞。
終盤、ショッキングな事態が発生。
この場面を観て思い出したのは、元総理大臣秘書官・荒井勝喜氏の「同性婚、見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ」という発言。
この映画がその発言を肯定するような内容であることに気付いてからは、観ながら心の中で怒り爆発。
違うというなら劇中、それと同じような発言をした人物は痛い目を見るなり反省するなりの描写があってもよいはずだが、そんな描写は一切無し。
フィギュアスケートを実直に頑張る少年を傷つけて終わり。
LGBTQの人は、周りに迷惑がかかるから表社会に出てくるなってことですか?
最低すぎる…
吃音設定も必要性を感じず、意味不明だった。
怒りついでにもう一つ苦言。
フィギュアスケートで足を広げて股を見せる技は、調べたら「ファンスパイラル」という名前らしいが、この映画の中で女子中学生がフィギュアスケートの練習中、この「ファンスパイラル」をするシーンがやたら多く出てくるのが気になってしまった。
「性的目的による女性アスリート盗撮」が社会問題になってる今の時代に、配慮に欠けたつくりだと思う。
股を見せなくてもストーリーの進行上、何も問題無かったはず。
もしかしたら監督はそういうのを見るのが好きなのかもしれないが、監督の立場を利用してそういう画を撮ることこそ「気持ち悪い」と思う。
少ない要素だが濃密。
カンヌの「ある視点」で選ばれてるからただの子供友情物じゃないな、、、と思っていたが、今現在の問題や生きづらさがきちんと提示された良作です。
実にシンプルで情報量もエイリアンに比べると(比べてはいけない)少ない訳だが、どの絵も濃密で美しく、風景だけのカットはほぼ無いのに北国の美しい自然が突き刺さる。少ない要素に観る者が誘導され人物の深部を堪能する感じだろうか、、、だからって濃い演技は一つもなく全てが実に自然だ。
ネタバレになるからあんまり書けないが、子供の一言で私も傷ついた事がある。子供は経験値高くないけど、生物の原型に近いからこそその言葉は鋭い。
先生はどこに行くんだろう?
何か前向きな方向を少し感じた。映画の終わり方も気が利いている。こんなに余白が多いのに、ある意味スキの無い映画だと思う。
でもタイトルはコレでいいのだろうか?
越山、中西主役の2人を池松の静かで確かな演技が支えている。スケートシーンは本当に美しいよ。
余談だが舞台が実家の近くで、色々美しく撮れていて嬉しかったなぁ。
なんか羨ましかったんだよ、真っすぐでさ。
まず、エンドロールについて触れなければ始まらない。エンディングでハンバートハンバートのメロディが流れてきて、あ、これ「ぼくのお日さま」だとすぐに気付いた。映画のタイトルと同じじゃないかと。そして歌詞が画面に。〽ぼくは言葉がうまく言えない。はじめの音でつっかえてしまう~。そうだ、この歌の主人公も吃音だ、そう思ったとき、ぼろっと涙がこぼれた。もしかしたら歌にあわせてシナリオを書いたのだろうか。だとしたら見事だ。しかも、吃音を苦にしながらも青春を謳歌している。その姿に、ついぽろっと涙が誘われた。
この映画は、スクリーンのサイズがほぼ四角(あのサイズをなんと呼ぶのか詳しくないが)。だから人物の上部が広く空いていて、空が高く見えた。それがなんとも解放感があった。おまけに淡い映像。それはこの映画の設定がおそらく20年か30年くらい前だからなのだろう。まるで、ポラロイド写真のようだ。だから、なおさらノスタルジックな気分にさせられるんだろう。
おまけにカメラがいい。やさしいまなざしのようだ。光を取り込む映像も、スケーティングする二人に寄り添うようなカメラワークも、とても愛情がこもって見えた。そのスケーティングといえば、子役(という歳でもないないか?)の二人はオーディションでその経験済みの役者を選べばいいだろうけど、池松も以前スケートの経験者なのだろうか?と思わせるほど、滑りもスムーズだしポーズもきれいだった。不自然さを感じさせないほどに、様になっていた。
なにより、湖で屋外練習をする三人の幸せな姿が、微笑ましく、羨ましく、美しかった。春になって雪が解けたらあんな大きい湖だったとは思わなかったが、そこがまた雪に閉ざされた冬の慎ましやかな出来事と思わせる効果があった。
そして少年の恋物語かと思わせておいて、同性愛をぶっこんでいる。池松(荒川)と若葉竜也(役名知らず)の距離感が親密で、ダブルベッドに枕が並んで見えた時には確信となった。だけど、サクラの洞察力はすごいな。アイスを食い戯れる二人で、それに気づくのだものな。それは、荒川に恋心を抱いていたからなのかな。「気持ち悪っ」の捨てセリフには、裏切られた感情がこもっているように思えた。でも、母親はおそらく辞めたい理由を、荒川からのセクハラとかと思っているのだろうけど。荒川は、そうした世間で生きてきたし、これからも生きていく。たぶん、この時代は今ほど同性愛に理解がない時代だ。土地から離れられない恋人の地元で生きていく覚悟をもってやってきたのに、なにかしらの理由で、その土地を離れていく。また、新しい理解者を見つけるのか、孤独に生きていくのか。それに慣れていると言わんばかりの、船上から港を眺める荒川の寂しげな姿に、胸が苦しくなった。
そうだ、この監督は「僕はイエス様が嫌い」の監督か。たしかに、通じるものがあった。
寡黙な少女の胸の内
吃音の少年が少女に一目惚れし恋心を抱く。
ただ、いきなりフィギュアスケートの真似事をすることの心のあやがうまくイメージできない。ひとりの少女をあんなにも美しく輝かせるフィギュアスケートってなんなのだろう?と感じて思わず動作を真似したということなのだろうか?
常識的で平凡な発想であれば、彼女との距離を縮めるために、ホッケーをやめてフィギュアスケートをしてみたい、と親やコーチ(池松さん)に申し入れるところから始まるはずだが、この映画ではコーチの方からアプローチしてくるし、これがひとつの伏線となっている。
タクヤくんの思いがまっすぐだから、という動機の説明はあるけれども。
少女はコーチへの密かな憧れ(恋と呼ぶにはまだ早い)は窺い知れるものの、その距離感は明確には描かれない。よくあるパターンの脚本であれば、あの教育ママ的な母親とのやり取りを通して、さくらの胸の内がそれなりの具体性をもって呈示される。たとえば、「タクヤくんとペアのアイスダンスなんかで本当にいいの⁈」と母親に責められて、さくらが反発する様子から複雑な心情が描かれたりする。私はコーチの期待に応えたい、とか、タクヤくんの努力に応えたいとかの母親への反発の言葉から、少女は自分の心の複雑な感情を自らに問い始めることになり、次の行動が出てくる。
が、この映画は少女の内面について驚くほど寡黙だし、次の行動も凛としたスケーティングだけだ。
結局、リアルさを伴う心理描写は、池松壮亮さん演じるコーチのものだけなのだ。
少女からタクヤくんへの不純な動機を疑われた時も、UFOや幽霊と同じで、不純さが〝無いことは証明できない〟ために弁解もしなかった。そしてもっと恐ろしいのは、思ってもいなかったはずのことも、言われてみれば、そういう思いがなかったとは言い切れない、という気持ちになることさえあることだ。コーチの方からタクヤをフィギュアに誘ったことが、少女のコーチに対する疑念を証拠不十分のまま、印象づけることになってしまうのだ。
少年の淡い恋心を叶えてあげたい。
キッカケはそんな素朴な思いでしかなかったのに、タクヤくんへの個別指導は、少女からは汚らわしい行為として断罪される。
もし、少女が目撃したのが女性の恋人とのイチャツキだったら、少女は自分に対するコーチの指導を汚らわしいと思っただろうか。嫉妬することはあっても汚らわしいとまでは思わないはずだ。
少女の本当の胸の内は最後まで明確には描かれない。コーチへの生理的な嫌悪感と投げ付けた「気持ち悪い」という罵倒への後悔も描かれないままだ。
さくらはあるひとりの少女の個性ではなく、荒川(池松壮亮さん)のようなマイノリティが感じる息苦しさの象徴なのかもしれない。表立った差別意識など無いし、悪気もなく素直で無邪気だけれども、ふとした時に漏れ出る生理的な反応は、正しくないとか良し悪しとかの理性的な判断とは別に存在する。
雪に閉ざされたファンタジーのような世界での荒川の夢は春の訪れとともに終わりを迎えたけれど、タクヤの夢はこれから始まる。
たくやの物語として観たらこれで十分
「映像がキレイ」と言われる映画は個人的にあまり好きではない。脚本よりもそれが印象に残る映画だったということになるから。でも、本作を観て私が抱いたのはやはり「映像がキレイ」という感想だった。特に光が印象に残る。スケートリンク、凍った池、ベッドの上。とてもキレイで見入ってしまった。
話としては若干微妙なところ。やはり終わり方がややいたたまれないから。運動が苦手なたくやが、さくらのスケートに魅せられ一人でスピンの練習を始め、コーチの荒川が個人的に指導するという流れ。少年少女の淡い恋心とアイスダンスがきれいにマッチした話だった。たくやが吃音というところもポイントだ。彼らが中学生になる前後という設定も絶妙だ。荒川のことを思う気持ちが変化するのもあの年代なら責められない。
エンドロールが始まったとき、あぁここで終わってしまったかと若干残念な気持ちになった。完全なハッピーエンドとは言えない終わり方。でも、流れてくるハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」を聴いているうちに印象が変わっていった。そうか、あくまでこの映画はたくやのものなんだと。だから、あの終わり方でいい。いろんな意味で自分に自信がないたくやが成長していく物語ととらえればこれで十分だ。
apple musicでもう一回聴こうと思ったら、2014年リリースであることがわかった。この映画のために作られた曲ではなかったし、むしろこの曲にインスパイアされて作られた映画なのかもしれない。曲にインスパイアされた映画はあまり好きではなかったのに。自説が2つも覆される映画になってしまった。
北海道の冬の寒さと対照的な、春のパステルトーンの美しい風景を背景に、 少年少女の幸福に満ちたかけがえのない時間が見事に刻まれている
白銀の北海道の冬の寒さと、対照的な春のパステルトーンの美しい風景を背景に、
少年少女の幸福に満ちたかけがえのない時間が見事に刻まれている。
何より二人の自然な演技が素晴らしい。
そしてそれを引き出した奥山大史監督、池松壮亮、4人の信頼関係が結実した結果です。
まさしくその場に存在した二人の、それも永遠ではない時間。
ちょっとしたことから、もろくも崩れ去る繊細な時間。
しかし、大人の感情とは無関係に、
一人ひとりがちゃんと歩き出す、ラストシーンもまた温かい。
パンフレットの主演3人と監督の対談が、とっても微笑ましい。
撮影中の様子やカンヌ出席のエピソードを語る様子にも信頼感が表れてます。
子供に見せれますね
フィギュアを好む男の子とその応援をするコーチ、シングルでの競技を目指すが男の子のペアを務める女の子のストーリー。途中まであまりにも平和に進み、交通事故でも起こすのかと緊張しながら鑑賞。まさかのコーチのプライベートから関係が崩壊。それぞれの結末はいかにだが、ハッキリした結論を出さず考えさせられるストーリー。鑑賞して半日経つが考えさせられてしまう。
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