ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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素晴らしさある映画でした!
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと素晴らしさある映画でした!
今作の映画『ぼくのお日さま』は、きつ音の主人公・タクヤ(越山敬達さん)が、フィギュアスケートの練習をしているさくら(中西希亜良さん)にどこか憧れの眼差しを向けて、自分もフィギアスケートを見よう見まねで始め、それを見ていたさくらのコーチの荒川(池松壮亮さん)がタクヤをフィギュアスケートの世界に導くという物語です。
さくらはコーチの荒川に好意を持っているのですが、なぜコーチの荒川がその後にタクヤを熱心に教えているのか、さくらは初め疑問を持っています。
しかし、主人公・タクヤの次第に上達するスケートによって、さくらとスケートがシンクロして行き、さくらが初め荒川に抱いていたタクヤに対する疑問も乗り越えられ解消されて行きます。
そして主人公・タクヤとさくらとコーチの荒川の3人の関係性は、美しいスケートによってシンクロ的に良好になって行きます。
ところが、タクヤとさくらとのアイスダンスのバッジテストの直前に、さくらはコーチの荒川が五十嵐(若葉竜也さん)と荒川の車の中で親密にしている場面を見てしまいます。
そしてさくらは、荒川が同性愛者であることを認識し、荒川が同性を好んでいるからこそタクヤにフィギュアスケートを教え始めたのではないか、との当初の疑問の答えらしきものに行きつきます。
その結果、さくらは荒川に「気持ち悪い」と言って荒川から立ち去り、タクヤとのバッジテストにも行かないで、荒川とのコーチの関係も解消します。
なぜなら、さくらはこの時、コーチの荒川に抱いていた淡い恋心と、タクヤとの美しいスケートを通しての私心ない関係性を、同時に壊されたと感じてしまったと思われるからです。
荒川は、タクヤに真っすぐなさくらへのあこがれを感じ、そのタクヤの想いを守りたいと、タクヤをフィギュアスケートの練習に導いたことを、後に五十嵐に告白しています。
つまり、さくらの荒川へのタクヤに対する疑念は、実際は誤解でした。
しかしさくらはそれを知らないまま、荒川もコーチの職を失い、この地を立ち去ることになります。
主人公・タクヤも、さくらが(きつ音でもある)自分とスケートを一緒にするのが嫌だったのかな、との思いを、さくらが来なかったバッジテストの会場で口にします。
今作は、荒川が現役のフィギュアスケーターだった時の1994年のカレンダーが劇中で出て来ますが、おそらく映画の時代設定はそこから考えると2000年前後で、舞台は北海道だと推察されます。
この映画の作中では、2000年前後の設定でありながら、きつ音の主人公・タクヤは周りから受け入れられているように描かれています。
しかしながらこの時代は、荒川のような同性愛者に対しては、さくら含めて無理解が横行していたと映画の後半でも描かれていたと思われます。
その後、春になって主人公・タクヤは中学生になり、荒川はタクヤとのキャッチボールの後にこの街を去ります。
そしてタクヤは、久々にバッジテストに来なかったさくらと映画のラストシーンの路上で再会します。
もちろん直接のこの映画後半の顛末のトリガーは、荒川と五十嵐との関係を目撃したさくらが、誤解の上に荒川とタクヤに引いてしまっています。
しかしながら私には、2000年前後の時代の同性愛者に対する偏見の雰囲気の責任を、全て今作のさくらに負わせられないとも感じながら、映画を最後まで観ていました。
おそらく今作の奥山大史 監督もそう考えて、映画ラストシーンのタクヤとさくらとの互いの正面のカットバックは、最後にタクヤの表情からさくらには切り替わらず、タクヤの視線が2024年の現在に生きる観客である私達に向けられたカットのままで映画の本編は終わりを告げます。
この映画『ぼくのお日さま』は、前半は3人が作り出す美しいスケートによってちょっとした疑問は解消され芳醇で良好な3人の関係性を作り出していたのですが、後半の荒川の同性愛に関する疑念を解消させる美しい解決策に関しては、映画の中で示されないまま映画は終了してしまいます。
しかしながら、2000年代のこの映画の舞台では不可能だった後半の美しい解決策は、現在を生きる観客の私達であれば、映画の中のさくらに代わって(あるいは、さくらと共に)生み出すことが出来てタクヤたちに伝えられるのではないか、そのような可能性が現在の私達に期待されて映画は終わったと考えられます。
前半のやさしさと、後半の残酷さと、未来(現在)への希望が、この映画を優れた作品にしていると思われました。
劇的な展開がもう少しあればとも思われ今回の点数にはなりましたが、作風的にはこれで正解とも言え、やはり素晴らしい映画だったと、鑑賞後にも僭越思われました。
北海道の小さな街。 吃音をもつ少年タクヤ(越山敬達)は、あまりスポ...
北海道の小さな街。
吃音をもつ少年タクヤ(越山敬達)は、あまりスポーツが得意でない。
夏場の野球ではライトを守るが、ちょっとしたことに気を取られ、簡単なフライも捕球できない。
冬場はアイスホッケー。
ポジションは、チーム競技でのできない選手の定位置ゴールキーパー。
相手チームにどんどん得点を決められてしまう。
ホッケー試合後のある日、同じリンクでフィギュアスケートを練習する少女さくら(中西希亜良)の姿に魅了された。
のち、タクヤはホッケー用シューズでスピンの練習をするようになった。
さくらのコーチ・荒川(池松壮亮)はタクヤの健気な様子に思うところがあり、かつて使っていた自分のシューズをタクヤに貸与し、コーチをするようになり、結果、タクヤのスケーティングは格好がつくようになった。
さくらのシングルスケーターとしての壁を感じていた荒川は、タクヤとさくらを組ませてのアイスダンスに挑戦させることにした・・・
といった物語で、全編にドビュッシーの名曲『月の光』が流れ、タクヤやさくらのスケートを丁寧に撮った好感の持てる映画。
主題からみると、タクヤの吃音はうまく心を伝えられないことのモチーフであり、アイスダンスは、何事も一人ではできないことを表していると思われる。
淡いトーンの映像も好感の持てる作品なのだが、一言に「良い」といえないもどかしさを感じる映画でもあり、原因を探ると、少年少女に加えて、コーチの荒川の描写が多すぎるのかもしれない。
コーチの同性愛設定は、ほぼ不要。
(ただし、そうすると、思春期前半のさくらの異性に対する感情を表すのに、もうひとつ工夫が必要になってくるのだが)
思春期前期の少年少女の成長物語としては、ラスト、しばらく不通だったタクヤとさくらの再会、タクヤにはさくらに吃音なく挨拶する描写がほしいところだが、そうするとちょっと嘘くさくもなるかもしれず、さらに「吃音なく」に至る設定や工夫が必要となってくるので、それも映画としては雑味になるかもしれない。
ということでかなりの夾雑物を取り払って物語を組み立てる上での荒川コーチの設定か・・・
と納得する。
鑑賞後、思い出したことがふたつ。
ひとつは個人的なことで、冒頭の飛球を捕れない少年は自分だぁと思い、アイスホッケーでゴールキーパーをやらされるのは、サッカーでキーパーやらされてた自分を思い出すわけで。
当時、器械体操はできて、走力などはあったので、体育の評価は悪くなかったが、アイスダンスみたいなペア競技はなかったなぁ、あれば、どうだったんだろうか、と。
もうひとつは、映画的記憶。
少女のアイススケート映画といえば『時計 Adieu l'Hiver』。
主役少女の、まさにドキュメント、成長記録の一部=アイススケートが用いられていた。
ゆえにあまり上手くならなかったのだが、本作では「タクヤもさくらもスケート上手いなぁ」と思った。
『時計~』も、大人の夾雑物的エピソードが多かったなぁ、とも。
と、いくつか思うところはあるけれど、好感の持てる映画でした。
映画館にいるのに空気が美味しいなって
映画館にいるのに空気が美味しいなって感じました.こんな愉快な経験初めてです.
タクヤ,さくら,荒川の3人が凍った池で踊っている場面,純粋に楽しむことを思い出させてくれました.
タクヤの友達のコウセイは良い子です.そしてタクヤとさくらのアイスダンスを通しで見ることができたラッキーボーイです.荒川がタクヤとさくらのアイスダンスを通しで見た場面がなかったのが気がかりです.見れたのでしょうか.
おそらくタクヤは面白い子なんだろうなっていうのが荒川とのレッスンでのやりとりで回見えました.だからコウセイはそんなタクヤの本質を見抜いて友達になっているのかもしれないな.
私はさくらが報われてほしいって思いました.荒川があの地に居られなくなった原因を作った張本人ですが,さくらは色々と我慢してきていたと思います.荒川の前でダブルアクセルの練習をしているのに,荒川の目線の先はタクヤだったし,なんならタクヤにシューズを貸して,無料でレッスンしてあげて,挙句の果てにはタクヤとアイスダンスのペアを組まされて.私がさくらだったらかなり堪えるな.そしてとどめの荒川と五十嵐のツーショットを見てしまったらそう考えるし,そういう行動を取ってしまうのも頷けます.これは,別に荒川が同性愛者だったから,その嫌悪感でさくらは行動したのではないと思います.タクヤが女子で,荒川が同性愛者だったとしても,はたまた,タクヤが男子で荒川が異性愛者だったとしても,さくらが感じた荒川が他の子に興味を持つことに対する嫉妬は同じだったと思います.
荒川はタクヤを恋愛対象で見ていないと思います.ただ,真っ直ぐに恋愛していて羨ましいなと思っただけなのではないでしょうか.もちろん,綺麗な顔した男の子だから目に留まったのかもしれませんが,それはきっかけに過ぎないのではないでしょうか.タクヤはさくらしか見ていなかったし,さくらのためにフィギュアスケートをしていたのですから.それを助けてあげたいと思ったのではないでしょうか.さくらからしてみればタクヤからの一方的な恋愛感情なんてほんと迷惑だっただろうなと思います.アイスダンスの練習で周りからの冷やかしとか,やめてほしかっただろうな,とか考えてしまいます.
この話は淡い三角関係が描かれていますが,他者からの一方的な好意は一種の暴力になり得ること,これは大人も子供も関係ないことなんだと思います.
最後,タクヤの口からは「久しぶり」みたいな言葉が出れば良いなと思います.タクヤはさくらに裏切られたけれど,さくらはタクヤ以上に犠牲にしてきたものが多いと思う.だからあれはお互い様だったんだよって.
お日さまの陽
氷上を舞うさくらの姿を食い入るように見つめるたくや。彼は恋をしていた。さくらに、そしてスケートに。そのまっすぐな彼の思いに触発されたコーチの荒川は無償でたくやにスケートを教える。
自分がスケートを習い始めた時のこと、滑るのが楽しくて夢中で練習したこと、練習すればするほど上達していくことに喜びを感じたこと、淡い初恋をした時のこと。荒川にとってはたくやとの出会いは過去の自分との邂逅であった。自分がかつて味わった人生での楽しい思い出を今まさにそれを感じているたくやとともに味わうことができた。普段はクールな彼がたくやとともに無邪気な笑顔を見せる。
たくやにとって荒川がお日さまであるように、荒川にとってもたくやはお日さまだった。
事務的にしていたさくらへのコーチングもたくやとのペアダンス習得に向けたことで充実したものとなり、戸惑いを隠せなかったさくらも次第にも打ち解けてやがて三人の心は一つになった。しかしペアダンス試験直前にさくらは恋人と過ごす荒川の姿を見てしまう。荒川に淡い恋心を抱いていたのか、まだ幼いさくらにとってはその恋人の存在は受け入れられないものだった。彼女はペアダンスをやめてしまう。
コーチの仕事を失い恋人とも別れて街を去る荒川。中学生になったたくやと別れのキャッチボールをする。
性的マイノリティや吃音症にとってはまだまだこの世は冬の時代。でもいずれは雪解けの時が必ず訪れる。お日さまは差別しないからお日さまの陽はたくやにも荒川にも分け隔てなく降り注ぐ。そして彼らにもやがて本当の春が訪れる。闇の中で月の光を浴びていた彼らにも陽の光を浴びる時がきっと訪れるだろう。
お日さまのタイトル通り練習場にさすやわらかで暖かみのある陽の光がとても印象的であり、まさにその陽の光に包まれたかのような暖かい気持ちにさせられる。
性的マイノリティや障害者の問題をあまり前面には出さず、さりげなく観客に訴えかける演出もお見事。
主演を演じた三人の役者さんたちもとても素晴らしかった。話題通りの素晴らしい作品。
「本人かな」
今年227本目。
スケート1人も2人も滑っているのがおそらく主人公の2人。特に女性1人が凄いレベルの高い演技。映画でフィギュアの試合を見たような満足感。池松壮亮も相当練習、ちょっと滑るだけでたっぷり訓練したなあと分かるのが嬉しい。小学生から中学生ここの成長が一番見せたかった所かなあと。
追記 アプリでアイスダンス経験とありました。良かった。
僕はこの映画がちょっと嫌い
小学生同士だと純愛なのに、おとなと子供だと小児性愛者的な危うさがあるなぁと思った冒頭。
池松壮亮だからかなぁ?
女の子は敏感に感じとったけど、男の子にはお日さま。
両方の家庭の映像がとっても暗かった。
電気代節約?
僕はイエス様が嫌いの若手監督作品。きらいじゃない。むしろ好き。
あの湖のシーンは名シーンだと思う。
映像作家だねぇ。
アイスホッケーや野球を楽しめない少年がフィギュアスケートの女子に憧れて、クルクル。
リトルダンサーを思い出したんだけど、最後は残念だった。
いろいろ嫌なことが多い世の中。。
この監督だけじゃないよね。
ハンバートハンバートが主題歌ということもあって、見なきゃリストに入れました。
ハンバートハンバートの歌のそこはかとない気持ち悪さとこの映画のコラボ。唯一無二でした🤩
女の子の母親役。
やっぱり山田真歩だった
こちらもなかなかのキャスティングでしたね😎
雪どけ
評判の高さと公開前に流れていた鑑賞中のマナー映像が癒しすぎて超楽しみにしていました。
先日は血みどろの池松壮亮でしたが今作ではのほほんとした池松壮亮を楽しめるだなんてなんてお得なんだと勝手に1人で興奮していました。
ところが蓋を開けてみれば良い映画ではあるけど…思っていたものと違うと何度も引っかかてしまうところがあり、好みの合う合わないがはっきり分かれた作品だなぁと思いました。
序盤は雪国で過ごす子供達の淡い恋模様が描かれ、とてもウブな感じが良かったですし、色々なところにある優しさが映像も相まって沁みる仕上がりになっていました。
ただ途中から平成初期というLGBTなんて言葉がなかったような時代に生きる人々の無意識的な差別が生まれて関係性が崩れていくという思っていたものとは全然違う方向へ進んでいくのはどーにもモヤモヤしました。
年齢や年代は違えど今作と近しいテイストの作品があって、「先輩はおとこのこ」という作品でも同性愛を拒絶する人物の描写があって、今作ではさくらの年齢が年齢なので先生を突き放すだけだったり、親がやんわりと断りを入れたりと時代背景的にまだ同性愛が変わりものに見られていたとはいえやんわりすぎるなと思ったところが「先輩はおとこのこ」では拒絶する理由が本当に明確に描かれていて、それに対しての決着も描けるところまで描いていたので同時期に近いジャンルで秀でた描き方をしていたのがどうにも比較対象になってしまいました。
意地悪な見方になってしまうのですが、ゲイという事が責められるのであれば、少し前なら吃音も笑われてしまうのでは?と思ってしまいましたし、変に引きのショットになったのに何も起こらなかったのは違和感がありました。
ラストシーンで再会した2人が見つめ合って何かを言いそうでスパッと終わる感じはとても好きでした。
観ている側の想像に投げるのではなく委ねる感じの終わり方は受け取り手によってますます物語が広がっていくのでアニメでは多い手法ですが実写ではあまりない手法なので新鮮でした。
シンプルな恋の始まりの物語だけでも成立しそうなお話だっただけにちょっと要素盛り込みすぎたかなぁと思いました。
絵作りはとても綺麗ですし、役者陣の魅力を引き出すという事はできていたので次回作に期待したいです。
LGBTを絡めずに映画はできないものか…。
鑑賞日 9/30
鑑賞時間 18:35〜20:10
座席 C-12
映像と音楽が本当に美しいっ❣️
ドビュッシー 月の光が流れる中で滑るスケートシーン、凍てついた湖のリンクに柔らかな陽の光が輝き純粋な少年と少女がZombies Goin' Out Of My Headで戯れるシーン、感動したなぁ〜🥰
でも物語は残酷な結末へ…こう来たか〜😭
奥山大史監督の次作、大注目です。
キャスティングの時点で勝ち確
すごい美少女と美少年でスケートも滑れるという逸材
サクラに憧れるタクヤだが、映画を観てる客もタクヤに同意するぐらいサクラ役の美しさ。
サクラはスーパーアスリートの荒川コーチに憧れ、荒川コーチはタクヤの純粋なところが羨ましいという奇妙な三角関係
他二人の一貫性との対比上、サクラの複雑な感情変化が上手く演じられて、叙情的なドラマ展開はよかった。そのときどきの感情の伝わる演技は素晴らしいものがあった。
ゲイカップルがいちゃついているというところが直ちに同性愛認定できるような内容ではなく単純に悪ガキのじゃれ合いととれなくもないもので表現がマイルドにしてるのか伝わりづらいところが気になった。
けれんみのない美しさ
田舎町のスケートリンクを舞台に、
吃音を持つ少年の淡い恋を描いた
可愛くて美しい作品。
ストーリーはなんてことないんだけど、
映像、空気感がとても素敵で
心があったくなる映画です。
’
監督・脚本はもちろんのこと
撮影・編集までをこなす
奥山大史さんの商業映画
デビュー作。
今年のカンヌ国際映画祭「ある視点」
部門にも、正式出品されています。
’
少年を主人公に映画を作ってきた僕としては、
「あー、もう1本映画作ろう」と
勇気をもらった作品でもあります。
’
早速シナリオ書き始めました。
湖畔の氷上に差し込む光
映画を観る前はなるべく事前情報は入れないことにしている。聞いたことのある映画タイトルだと思っていたが、エンドロールでハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」が流れた瞬間に、あ!これだよ!好きな曲だったじゃないか〜と嬉しくなった。ちょっと調べてみたら監督がこの曲にインスパイアされ作った映画とのこと。
主人公も父親も吃音であったが、この映画はそれを決して大変なこととは描かず、彼らのパーソナリティのひとつとしている。
奥山大史監督はタクヤとさくらには台本を渡さず撮影したとのことだが、その代わり「自己紹介文」なるものを渡し読み込んでもらい、見事に北海道の田舎町で暮らしながらスケートを好きになる小6と中1の少年、少女を見事に演じきっていた。
荒川と五十嵐の「自己紹介文」もパンフで読んでみたが、映画では描かれなかった彼らの内側の心と歩んできた道のりを知れた。荒川はこの映画の頃31歳で時代はちょうど2000年。あのVOLVOは流石に今はなかなか見れないが当時は人気があった(私もちょうどその頃、同じ車に乗っていた。色は赤だったけど)。今となっては男性同士の恋愛を気持ち悪いなんて言われることはないが、20年以上前では憧れのお兄さんがそうだとしたら少女の心は傷つくことでしょう。
明るい日差しが注ぎ込む湖畔の氷上で戯れる3人の美しさは観てるものにここでドラマは終わって欲しいと思うほどの名シーン。
春になり、それぞれの新しい道が開かれる。
タクヤが声を発するまで、さくらはゆっくり待っていてくれる筈です。
今年の邦画最高傑作のひとつとして、私の記憶にいつまでも残るであろう素晴らしい映画でした。
ピュアで美しい映像作品
初長編映画がサンセバスチャン国際映画祭で史上最年少で最優秀新人監督賞、第2作の今作でカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門にノミネートと今注目の新進気鋭監督、奥山大史の脚本、撮影、監督作。
マスコミや今レビューでも評価が高く、期待して鑑賞。
率直な感想なのだが、そこまで評価が高い意味がよくわからないのだ。
一言で言うと、ボーイミーツガールの映画。
誰もが評価している部分だがとりわけ映像が美しい。舞台であるスケートリンクに自然光が差し込み冬の寒さの中に暖かみを感じさせる。
スケートリンクでアイスホッケーの練習をしていた少年がフィギュアスケートの練習をしていた少女に心を奪われ、それに気がついた少女のコーチが2人でアイスダンスを練習することを提案し3人による、バッジテストに向けた練習が始まる。というのが大まかなストーリー。
ただ、このアウトラインだけではどこにでもある話で映画にならない。
いくつかの引っ掛かる要素が加えられている。
主人公のタクヤは吃音があり、学校でも居心地の悪さを感じている。
フィギュアのコーチは国際的に活躍していたが今は一線を退いている。また、同性愛者。
スマホがない、カセットテープで音楽を聴いている少し昔の時代設定。
などだ。
こうした要素が連動し、ただのボーイミーツガールではない物語後半に繋がるのだが・・
そうは言っても、キリキリ来るわけでも問題提起があるわけでもなくサラッと美しい。
このあたりのさじ加減が評価されているのだろうか。
奥山監督はMVやCMなども制作し、映像全般を製作する映像作家だ。
私には映画監督というより映像作家だと思えてしまう。
セリフではなく映像を繋いで物を語るのが映画であるという視点では卓越した才能を感じる。サラッとではなくググッとくる映画を撮ってくれることを期待したい。
彼女は思い出すだろうか
本作を観てから2週間以上が経つのですが、未だに感想を上手く言葉にできません。その間にも絶賛コメントを数多く目にし、ますます困惑が深まりました。
北海道のスケートリンクを舞台に、フィギュア・スケーターの少女に思いを寄せる少年、その少年の思いを理解しフィギュアスケートを教えて上げようとするリンクのコーチ、そして、そのコーチに淡い恋心を抱く少女、コーチ自身もまた秘めた思いを持っているというお話です。リンクに差し込む淡い光の描写が本当に美しく、そこを滑る少年少女の姿が愛らしいのです。もうその光景を観ているだけで心が震えて来ます。多くの絶賛コメントが寄せられるのもよく分かります。しかし僕は、本作にどうしても強い引っ掛かりを覚えてしまうのです。
本作で描かれるのと同様の、或る社会的マイノリティに身を置かれている方は、本作に深く傷つくのではないかと思います。本作でその人物は、マイノリティであるが故に偏見に晒され、抑圧され、この場から去って行きます。現実にそんな立場にある人は本作を観て、「ああ、やっぱり自分達は社会からのけ者にされるだけなのか」と暗い気持ちになるのではないでしょうか。
その様な人々を取り上げてはいけないという訳ではないし、悲劇的に扱ってはならないという訳でもありません。希望を描かねばならない訳でもありません。そんな現実があるのは事実なのですから。しかし、映画は人が創作した物語なのです。登場人物にその様な役割を与えた以上、その人たちへの脚本家・監督の眼差しをキッチリ描いておかねばならないと思います。しかし、僕には本作は「撮りっ放し」に映りました。
あの少女は10年後、20年後、この時代をどの様に思い出すでしょう。それは観る人に委ねられているのでしょうが、それを想像する縁(よすが)となる様なラインを彼女からしっかり一本引いておくべきです。それがどんなラインなのかは僕には分かりませんが。
将来、彼女は「自分はひどい事をしてしまった」と思うかも知れません。しかし、「何がひどかったのか」まで本当に気づいて呉れるでしょうか。僕には想像できません。
僕は、細かい事をグチグチ言い過ぎなのでしょうか。ポリコレ的視点に捕われ過ぎているのでしょうか。事実、一緒に観た我が家の妻は「そんな風には全然感じなかった」と言っていました。やっぱり僕が過敏なのかなぁ。
濃密な90分
どちらかというと後回しにしがちなジャンルだが、池松壮亮と高評価に惹かれ鑑賞。最近では短めの作品で場面もシーンも多いわけではないが、なぜだか体感ではものすごく濃密で豊かな時間と物語を得られた。おそらく配信になってもリストには入れるがなかなか消えないタイプの作品で、今回劇場で見ておいてよかったと思った。小型異形で80ページにもわたる大島依提亜デザインのパンフも読みごたえがありすぎて未完読。池松壮亮と若葉竜也はもちろんのこと、主役の子供たちの無表情気味の表情、スケートをしている動きと、それらを華美になりすぎずも美しくとらえた映像が魅力的だ。宇多丸さんはじめ世間では高評価のナミビアがあかんかったマタゾウだが、本作には堂々と4点を挙げたい。
年齢を重ねるということ
お日様の中で、乱舞するひかりの輪やイノセントな状況が
このあともずっと続けばいいのにと祈るような気持ちになった
池松君が言ってるように、日本映画は娯楽が少ない
だから主題や何もかも含め、せめても生を続けて行くこと(心の
はしゃぎを描いている)ことに意味があると思った。
それだけで充分な価値がある。
次作も期待します
これは凄い作品だ
いやぁこれは凄い作品でした。
北海道の田舎町が舞台の作品。時代背景としては平成初期というところでしょうか。
フィギュアスケートの上手な女子中学生さくらと、それに憧れる吃音の小学生タクヤ、そしてそれを見守る荒川の3人のストーリー。
美しい北海道の景色がとても印象的な映画でしたが、ストーリーは懐かしく、美しく、でもとても残酷でした。
多様性が今ほど無く、男の子らしい/女の子らしい習い事というのが、自然とあった時代でしたね。
年齢も志向も異なる3人の三角関係を美しく描いた作品でした。三角関係といっても決してありきたりな恋愛ではなく、神々しい存在への憧れ、歳上男性への漠然とした憧れ、自分が叶えられない青春時代を送る2人への憧れが描かれていて、北海道の冬の透き通った空気と相待って、本当に美しい作品。
終盤は本当に残酷でした。アイスダンス会場にさくらが来ることは無く、自分が受け入れられないことを悟った荒川は、恋人も仕事も失い、この町を後にしました。
本当はとても悔しくて悲しかっただろうに、それをタクヤには決してぶつけず、2人の幸せを祈っていたようでした。
あれから約30年、性的マイノリティの方にとって当時よりは住みやすい世の中になったでしょうか。一方で、SNS等に縛られ、子供にとってはもしかしたら窮屈な世の中になったかもしれません。
中学生になったタクヤ、道で会ったさくらに、何を話し掛けるでしょうか。観客の想像に任せるラストシーンが本当に印象深い作品でした。
青春というのは残酷で苦しく、でも本当に美しい思い出なのですね。
このような素晴らしい映画は本当に久し振りでした。映画館で観れて本当に幸せでした。
ひどい出来。映画としてなにもない。表現したいことがないなら、いっそ...
ひどい出来。映画としてなにもない。表現したいことがないなら、いっそ撮らないほうがよい。
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