ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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「壁」にひるまずにやるしかないこと
2024年。奥山大史監督。北海道の雪深い町で、野球もアイスホッケーも上手ではない男の子は、フィギュアスケートの練習をする少女に目を奪われる。それを見た少女のコーチ(元フィギュア男子選手)は少年をフィギュアに誘い、しかも少女とのペアでアイススケート大会に参加しようとするが、、、という話。3人の視線のすれ違いから生まれる物語。
冬のアイスリンクのもやっとした薄暗い画質とにぶい光に対して、春の澄み切った青空の下で明確で引き締まった画質と強い光の対比が特徴的。あざといくらい。ドラマとしては、少年の吃音、コーチのゲイ、とキャラ盛りすぎの印象もあるが、少年は少女への憧れを簡単には表面できない「壁」(性格とは別の何か)を感じていなければならないし、コーチは少女の思いを受け入れるわけにはいかない「壁」(気持ちの問題とは別の何か)を持っていなければならないので、仕方がないと言えば仕方がないのかも。
少女が放つ「気持ち悪い」の言葉は、表面的にはコーチが同性を愛する男であることを指しているが、物語の過程から感じられるのは自分の思いが報われないことへの八つ当たりである。だから、確かに少女は自らの八つ当たりに気づけない(子供らしい)冷酷な一面をもっているのだが、同性愛差別をしているのではない。このあたりの描き方は単純なようで上手。
「壁」にひるまなかったコーチは少年と少女を近づけるという余計なことをして、結果として自ら職を失い、パートナーを失う羽目になるのだが、少年の「目」に人を思う純粋さを見てしまったコーチとしてはやるしかなかったのだろう。少年少女が二人で練習する場面に流れている至福の時間(滑り出しとともに動き出すカメラはもはやアステア・ロジャース的な幸福感があふれている)には得難い価値がある。
内気な少年タクヤと彼が一目惚れしたサクラ、そしてサクラを指導する荒...
内気な少年タクヤと彼が一目惚れしたサクラ、そしてサクラを指導する荒川。
子役の純粋さ残酷さどっちも良いが、何より池松壮亮の静かだけど説得力のある演技が良い。最近映画でよく見るし出てるのは基本面白いから安心できる!
タクヤが好きな人のためにスケートを練習してどんどん上達する姿、すこし邪な気もするがそれが子供らしくてとっても微笑ましい!
良い友達にも恵まれているし、凄い優しい世界のように見えるが、少し違和感。
タクヤのことが気になって応援したい気持ちからか荒川が少し暴走しているように見える。サクラはたまったもんじゃないよね笑。純粋さ故に何もかも都合よく行くわけではなく、苦い結果に…だけどそれも含めて青春。
そうやって成長して進んでいくんだよねぇと喜びを感じた。
光の魔術師
北海道の田舎で、フィギュアに取り組む女の子とアイスホッケーからフィギュアに転向した運動神経がよくない年下の男の子が世界的フィギュア選手だった荒川から教えてもらい、少しずつ上達していく。
だが、そこには田舎のゲイカップルの閉塞感、小学生の女の子のゲイに対する偏見、吃音、などの要素が入ってくる。
大切な場面では余計な音も少なく光あふれる。それは心情も表しているし、瑞々しさも加わっていく。
どんでん返しだったり、爆発だったりのような大きなことは起きないが、全体的に抑え気味の声で淡々と話が進んでいくものの、引き込まれていく。さりげない会話の中で感情がさらっと読み寄れたりしてなんだか心地よい時間だった。
実は他の作品を見たいがためのつなぎの空き時間で鑑賞したものの、これも印象に残る作品になった。
出演者、皆、天才かよ!
大人になってわかったが練習が全てだな。 子どもはその真逆だけど。 ...
瑞々しさ
エンドロールの主題歌がとても心地よく心に響きました。作品の世界観にあまりにぴったりなので驚きましたが、ハンバート ハンバートの「ぼくのお日さま」が先にあったことを後で知って納得しました。とても素朴でいい歌ですね。ラストシーンからの絶妙なつながり具合により、心温まる余韻が残りました。児童文学のようなピュアな物語は、どこか懐かしい気持ちを呼び起こすものでした。主人公のタクヤ(越山敬達)とさくら(中西希亜良)は、例えていえば「小さな恋のメロディ」(71)のダニエルとメロディで、きっと誰の心の中にも自分だけのタクヤやさくらがいて、あの頃の甘酸っぱい想いが蘇るのかなと思いました。小学生から中学生の頃に訪れる汚れなき世界と汚れた世界のぶつかり合いは、ある種の通過儀礼なのでしょう。少年時代の想い出に耽りつつ、ふと大人の立場でみると、荒川役を演じた池松壮亮が作品の雰囲気を決定づけているような気もしました。
まっすぐで、ちゃんと恋してる。追記︰光の魔術
ロケ地の白糠って何処だ?と思って北海道の地図を開いたら鵡川から襟裳までの日高本線がもう無いのに気付く。昔は日高本線に乗って静内や浦河の牧場を訪ねたのだが…。
あ、白糠は釧路のそばでした。
10月9日(水)
TOHOシネマズシャンテで「ぼくのお日さま」を。
(カレンダーが作られるほど)人気フィギュアスケーターだった荒川(池松壮亮)は、リンクの管理とフィギュアのコーチでさくら(中西希亜良)にスケートを教えている。
タクヤ(越山敬達)はあまり運動は得意ではないが、夏は野球、冬はホッケーをやっている。ホッケーの帰りにリンクを滑るさくらの姿に見惚れる。ホッケーのシューズでさくらのスピンを真似てみるが転倒ばかり。さくらを見つめるタクヤの視線に気が付いた荒川は転倒ばかりしているタクヤに家の荷物の中から自分が履いていたフィギュアのシューズを引っ張り出してタクヤに貸し、フィギュアの滑り方を教える。
滑れるようになってきたタクヤと、ちょっと頭打ちのさくらに二人で組んでアイスダンスをやる事を提案する。練習が進み二人の息が合って様になって来る。それを見ていたタクヤの友達から拍手が来る。
荒川は競技参加のための資格審査を受ける事を提案し、二人は練習を重ねる。
しかし、さくらは、荒川の別の姿をみてしまい失望し嫌悪し、資格審査の会場に来ない。タクヤのせいではないのだが。
三人はどうなるのか…。
1996年と言う舞台設定をもっとはっきりと出しても良かったのではないか。リンクの部屋のカレンダーとか荒川の使っているガラケーとかでは観客は認識出来ない。
この物語が1996年を舞台にしている事で今よりも男性がフィギュアスケートをやる事のハードルの高さ(ましてやアイスダンス)、同性愛に対する嫌悪感が高い事が強調されるのだ。
ちなみに高橋大輔がバンクーバーで銅メダルを取ったのが2010年、アイスダンスを始めるのが2019年、羽生結弦がソチで金メダルを取ったのが2014年である。
1972年札幌オリンピックのジャネット・リンが日本で大人気だった事などジジイじやないと知らないよね。フィギュアスケートといえば女子だったのだ。
この映画は暗い。タクヤの家の食事のシーンは節電中?と思う程である。家族が一緒にあんなに暗い中で食事はしないだろうと
思う。その他でも室内では暗いシーンが多い。これは明るいシーンとの対比のためでもあるのだが、暗すぎる。確かにリンクに差し込む陽光の中で滑るさくらは美しく撮れていたし、明るい抜けたシーンがラストには用意されていたけれど。
私は、「ぼく」はタクヤで「お日さま」はさくらだと思う。タクヤがさくらと一緒にいる時は陽がさしている。リンクで練習している時、荒川と3人で湖にスケートに行く時、そして、ラストでさくらと再会した時に最も明るい陽射しに包まれているのだから。
タクヤは、さくらに何と声をかけたのだろう。
タクヤの家の前の犬小屋にいる柴犬がかわいい。もっと見たかった。中西希亜良は今後注目だな。え、父親はフランス人!
追記︰光の魔術
あのリンクに差し込む陽光は自然の光だと思っていたらリンクの窓の数だけライトを用意して調光したものだった。おお、日本のサム・メンデスか。やられたな。
撮影は2年程前だったようで、舞台挨拶の写真だとタクヤの身長はさくらよりもかなり大きくなっている。二人のバランス的に映画の撮影が最高のタイミングで行なわれたと思った。
私も中学1年の時、1年で身長が10cm伸びたのを思い出した。
評価を4から4.5に変更します。
観て良かった
すごい良い映画。
優しい時間が流れてて、セリフは少ないけど気持ちが溢れてて伝わってくる。
スケートのシーンもすごく綺麗。
ただ、あんなに練習したのに披露できなかったのほほんとにもったいない。
素晴らしさある映画でした!
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと素晴らしさある映画でした!
今作の映画『ぼくのお日さま』は、きつ音の主人公・タクヤ(越山敬達さん)が、フィギュアスケートの練習をしているさくら(中西希亜良さん)にどこか憧れの眼差しを向けて、自分もフィギアスケートを見よう見まねで始め、それを見ていたさくらのコーチの荒川(池松壮亮さん)がタクヤをフィギュアスケートの世界に導くという物語です。
さくらはコーチの荒川に好意を持っているのですが、なぜコーチの荒川がその後にタクヤを熱心に教えているのか、さくらは初め疑問を持っています。
しかし、主人公・タクヤの次第に上達するスケートによって、さくらとスケートがシンクロして行き、さくらが初め荒川に抱いていたタクヤに対する疑問も乗り越えられ解消されて行きます。
そして主人公・タクヤとさくらとコーチの荒川の3人の関係性は、美しいスケートによってシンクロ的に良好になって行きます。
ところが、タクヤとさくらとのアイスダンスのバッジテストの直前に、さくらはコーチの荒川が五十嵐(若葉竜也さん)と荒川の車の中で親密にしている場面を見てしまいます。
そしてさくらは、荒川が同性愛者であることを認識し、荒川が同性を好んでいるからこそタクヤにフィギュアスケートを教え始めたのではないか、との当初の疑問の答えらしきものに行きつきます。
その結果、さくらは荒川に「気持ち悪い」と言って荒川から立ち去り、タクヤとのバッジテストにも行かないで、荒川とのコーチの関係も解消します。
なぜなら、さくらはこの時、コーチの荒川に抱いていた淡い恋心と、タクヤとの美しいスケートを通しての私心ない関係性を、同時に壊されたと感じてしまったと思われるからです。
荒川は、タクヤに真っすぐなさくらへのあこがれを感じ、そのタクヤの想いを守りたいと、タクヤをフィギュアスケートの練習に導いたことを、後に五十嵐に告白しています。
つまり、さくらの荒川へのタクヤに対する疑念は、実際は誤解でした。
しかしさくらはそれを知らないまま、荒川もコーチの職を失い、この地を立ち去ることになります。
主人公・タクヤも、さくらが(きつ音でもある)自分とスケートを一緒にするのが嫌だったのかな、との思いを、さくらが来なかったバッジテストの会場で口にします。
今作は、荒川が現役のフィギュアスケーターだった時の1994年のカレンダーが劇中で出て来ますが、おそらく映画の時代設定はそこから考えると2000年前後で、舞台は北海道だと推察されます。
この映画の作中では、2000年前後の設定でありながら、きつ音の主人公・タクヤは周りから受け入れられているように描かれています。
しかしながらこの時代は、荒川のような同性愛者に対しては、さくら含めて無理解が横行していたと映画の後半でも描かれていたと思われます。
その後、春になって主人公・タクヤは中学生になり、荒川はタクヤとのキャッチボールの後にこの街を去ります。
そしてタクヤは、久々にバッジテストに来なかったさくらと映画のラストシーンの路上で再会します。
もちろん直接のこの映画後半の顛末のトリガーは、荒川と五十嵐との関係を目撃したさくらが、誤解の上に荒川とタクヤに引いてしまっています。
しかしながら私には、2000年前後の時代の同性愛者に対する偏見の雰囲気の責任を、全て今作のさくらに負わせられないとも感じながら、映画を最後まで観ていました。
おそらく今作の奥山大史 監督もそう考えて、映画ラストシーンのタクヤとさくらとの互いの正面のカットバックは、最後にタクヤの表情からさくらには切り替わらず、タクヤの視線が2024年の現在に生きる観客である私達に向けられたカットのままで映画の本編は終わりを告げます。
この映画『ぼくのお日さま』は、前半は3人が作り出す美しいスケートによってちょっとした疑問は解消され芳醇で良好な3人の関係性を作り出していたのですが、後半の荒川の同性愛に関する疑念を解消させる美しい解決策に関しては、映画の中で示されないまま映画は終了してしまいます。
しかしながら、2000年代のこの映画の舞台では不可能だった後半の美しい解決策は、現在を生きる観客の私達であれば、映画の中のさくらに代わって(あるいは、さくらと共に)生み出すことが出来てタクヤたちに伝えられるのではないか、そのような可能性が現在の私達に期待されて映画は終わったと考えられます。
前半のやさしさと、後半の残酷さと、未来(現在)への希望が、この映画を優れた作品にしていると思われました。
劇的な展開がもう少しあればとも思われ今回の点数にはなりましたが、作風的にはこれで正解とも言え、やはり素晴らしい映画だったと、鑑賞後にも僭越思われました。
タイトルなし(ネタバレ)
北海道の小さな街。
吃音をもつ少年タクヤ(越山敬達)は、あまりスポーツが得意でない。
夏場の野球ではライトを守るが、ちょっとしたことに気を取られ、簡単なフライも捕球できない。
冬場はアイスホッケー。
ポジションは、チーム競技でのできない選手の定位置ゴールキーパー。
相手チームにどんどん得点を決められてしまう。
ホッケー試合後のある日、同じリンクでフィギュアスケートを練習する少女さくら(中西希亜良)の姿に魅了された。
のち、タクヤはホッケー用シューズでスピンの練習をするようになった。
さくらのコーチ・荒川(池松壮亮)はタクヤの健気な様子に思うところがあり、かつて使っていた自分のシューズをタクヤに貸与し、コーチをするようになり、結果、タクヤのスケーティングは格好がつくようになった。
さくらのシングルスケーターとしての壁を感じていた荒川は、タクヤとさくらを組ませてのアイスダンスに挑戦させることにした・・・
といった物語で、全編にドビュッシーの名曲『月の光』が流れ、タクヤやさくらのスケートを丁寧に撮った好感の持てる映画。
主題からみると、タクヤの吃音はうまく心を伝えられないことのモチーフであり、アイスダンスは、何事も一人ではできないことを表していると思われる。
淡いトーンの映像も好感の持てる作品なのだが、一言に「良い」といえないもどかしさを感じる映画でもあり、原因を探ると、少年少女に加えて、コーチの荒川の描写が多すぎるのかもしれない。
コーチの同性愛設定は、ほぼ不要。
(ただし、そうすると、思春期前半のさくらの異性に対する感情を表すのに、もうひとつ工夫が必要になってくるのだが)
思春期前期の少年少女の成長物語としては、ラスト、しばらく不通だったタクヤとさくらの再会、タクヤにはさくらに吃音なく挨拶する描写がほしいところだが、そうするとちょっと嘘くさくもなるかもしれず、さらに「吃音なく」に至る設定や工夫が必要となってくるので、それも映画としては雑味になるかもしれない。
ということでかなりの夾雑物を取り払って物語を組み立てる上での荒川コーチの設定か・・・
と納得する。
鑑賞後、思い出したことがふたつ。
ひとつは個人的なことで、冒頭の飛球を捕れない少年は自分だぁと思い、アイスホッケーでゴールキーパーをやらされるのは、サッカーでキーパーやらされてた自分を思い出すわけで。
当時、器械体操はできて、走力などはあったので、体育の評価は悪くなかったが、アイスダンスみたいなペア競技はなかったなぁ、あれば、どうだったんだろうか、と。
もうひとつは、映画的記憶。
少女のアイススケート映画といえば『時計 Adieu l'Hiver』。
主役少女の、まさにドキュメント、成長記録の一部=アイススケートが用いられていた。
ゆえにあまり上手くならなかったのだが、本作では「タクヤもさくらもスケート上手いなぁ」と思った。
『時計~』も、大人の夾雑物的エピソードが多かったなぁ、とも。
と、いくつか思うところはあるけれど、好感の持てる映画でした。
映画館にいるのに空気が美味しいなって
映画館にいるのに空気が美味しいなって感じました.こんな愉快な経験初めてです.
タクヤ,さくら,荒川の3人が凍った池で踊っている場面,純粋に楽しむことを思い出させてくれました.
タクヤの友達のコウセイは良い子です.そしてタクヤとさくらのアイスダンスを通しで見ることができたラッキーボーイです.荒川がタクヤとさくらのアイスダンスを通しで見た場面がなかったのが気がかりです.見れたのでしょうか.
おそらくタクヤは面白い子なんだろうなっていうのが荒川とのレッスンでのやりとりで回見えました.だからコウセイはそんなタクヤの本質を見抜いて友達になっているのかもしれないな.
私はさくらが報われてほしいって思いました.荒川があの地に居られなくなった原因を作った張本人ですが,さくらは色々と我慢してきていたと思います.荒川の前でダブルアクセルの練習をしているのに,荒川の目線の先はタクヤだったし,なんならタクヤにシューズを貸して,無料でレッスンしてあげて,挙句の果てにはタクヤとアイスダンスのペアを組まされて.私がさくらだったらかなり堪えるな.そしてとどめの荒川と五十嵐のツーショットを見てしまったらそう考えるし,そういう行動を取ってしまうのも頷けます.これは,別に荒川が同性愛者だったから,その嫌悪感でさくらは行動したのではないと思います.タクヤが女子で,荒川が同性愛者だったとしても,はたまた,タクヤが男子で荒川が異性愛者だったとしても,さくらが感じた荒川が他の子に興味を持つことに対する嫉妬は同じだったと思います.
荒川はタクヤを恋愛対象で見ていないと思います.ただ,真っ直ぐに恋愛していて羨ましいなと思っただけなのではないでしょうか.もちろん,綺麗な顔した男の子だから目に留まったのかもしれませんが,それはきっかけに過ぎないのではないでしょうか.タクヤはさくらしか見ていなかったし,さくらのためにフィギュアスケートをしていたのですから.それを助けてあげたいと思ったのではないでしょうか.さくらからしてみればタクヤからの一方的な恋愛感情なんてほんと迷惑だっただろうなと思います.アイスダンスの練習で周りからの冷やかしとか,やめてほしかっただろうな,とか考えてしまいます.
この話は淡い三角関係が描かれていますが,他者からの一方的な好意は一種の暴力になり得ること,これは大人も子供も関係ないことなんだと思います.
最後,タクヤの口からは「久しぶり」みたいな言葉が出れば良いなと思います.タクヤはさくらに裏切られたけれど,さくらはタクヤ以上に犠牲にしてきたものが多いと思う.だからあれはお互い様だったんだよって.
お日さまの陽
氷上を舞うさくらの姿を食い入るように見つめるたくや。彼は恋をしていた。さくらに、そしてスケートに。そのまっすぐな彼の思いに触発されたコーチの荒川は無償でたくやにスケートを教える。
自分がスケートを習い始めた時のこと、滑るのが楽しくて夢中で練習したこと、練習すればするほど上達していくことに喜びを感じたこと、淡い初恋をした時のこと。荒川にとってはたくやとの出会いは過去の自分との邂逅であった。自分がかつて味わった人生での楽しい思い出を今まさにそれを感じているたくやとともに味わうことができた。普段はクールな彼がたくやとともに無邪気な笑顔を見せる。
たくやにとって荒川がお日さまであるように、荒川にとってもたくやはお日さまだった。
事務的にしていたさくらへのコーチングもたくやとのペアダンス習得に向けたことで充実したものとなり、戸惑いを隠せなかったさくらも次第にも打ち解けてやがて三人の心は一つになった。しかしペアダンス試験直前にさくらは恋人と過ごす荒川の姿を見てしまう。荒川に淡い恋心を抱いていたのか、まだ幼いさくらにとってはその恋人の存在は受け入れられないものだった。彼女はペアダンスをやめてしまう。
コーチの仕事を失い恋人とも別れて街を去る荒川。中学生になったたくやと別れのキャッチボールをする。
性的マイノリティや吃音症にとってはまだまだこの世は冬の時代。でもいずれは雪解けの時が必ず訪れる。お日さまは差別しないからお日さまの陽はたくやにも荒川にも分け隔てなく降り注ぐ。そして彼らにもやがて本当の春が訪れる。闇の中で月の光を浴びていた彼らにも陽の光を浴びる時がきっと訪れるだろう。
お日さまのタイトル通り練習場にさすやわらかで暖かみのある陽の光がとても印象的であり、まさにその陽の光に包まれたかのような暖かい気持ちにさせられる。
性的マイノリティや障害者の問題をあまり前面には出さず、さりげなく観客に訴えかける演出もお見事。
主演を演じた三人の役者さんたちもとても素晴らしかった。話題通りの素晴らしい作品。
「本人かな」
僕はこの映画がちょっと嫌い
小学生同士だと純愛なのに、おとなと子供だと小児性愛者的な危うさがあるなぁと思った冒頭。
池松壮亮だからかなぁ?
女の子は敏感に感じとったけど、男の子にはお日さま。
両方の家庭の映像がとっても暗かった。
電気代節約?
僕はイエス様が嫌いの若手監督作品。きらいじゃない。むしろ好き。
あの湖のシーンは名シーンだと思う。
映像作家だねぇ。
アイスホッケーや野球を楽しめない少年がフィギュアスケートの女子に憧れて、クルクル。
リトルダンサーを思い出したんだけど、最後は残念だった。
いろいろ嫌なことが多い世の中。。
この監督だけじゃないよね。
ハンバートハンバートが主題歌ということもあって、見なきゃリストに入れました。
ハンバートハンバートの歌のそこはかとない気持ち悪さとこの映画のコラボ。唯一無二でした🤩
女の子の母親役。
やっぱり山田真歩だった
こちらもなかなかのキャスティングでしたね😎
雪どけ
評判の高さと公開前に流れていた鑑賞中のマナー映像が癒しすぎて超楽しみにしていました。
先日は血みどろの池松壮亮でしたが今作ではのほほんとした池松壮亮を楽しめるだなんてなんてお得なんだと勝手に1人で興奮していました。
ところが蓋を開けてみれば良い映画ではあるけど…思っていたものと違うと何度も引っかかてしまうところがあり、好みの合う合わないがはっきり分かれた作品だなぁと思いました。
序盤は雪国で過ごす子供達の淡い恋模様が描かれ、とてもウブな感じが良かったですし、色々なところにある優しさが映像も相まって沁みる仕上がりになっていました。
ただ途中から平成初期というLGBTなんて言葉がなかったような時代に生きる人々の無意識的な差別が生まれて関係性が崩れていくという思っていたものとは全然違う方向へ進んでいくのはどーにもモヤモヤしました。
年齢や年代は違えど今作と近しいテイストの作品があって、「先輩はおとこのこ」という作品でも同性愛を拒絶する人物の描写があって、今作ではさくらの年齢が年齢なので先生を突き放すだけだったり、親がやんわりと断りを入れたりと時代背景的にまだ同性愛が変わりものに見られていたとはいえやんわりすぎるなと思ったところが「先輩はおとこのこ」では拒絶する理由が本当に明確に描かれていて、それに対しての決着も描けるところまで描いていたので同時期に近いジャンルで秀でた描き方をしていたのがどうにも比較対象になってしまいました。
意地悪な見方になってしまうのですが、ゲイという事が責められるのであれば、少し前なら吃音も笑われてしまうのでは?と思ってしまいましたし、変に引きのショットになったのに何も起こらなかったのは違和感がありました。
ラストシーンで再会した2人が見つめ合って何かを言いそうでスパッと終わる感じはとても好きでした。
観ている側の想像に投げるのではなく委ねる感じの終わり方は受け取り手によってますます物語が広がっていくのでアニメでは多い手法ですが実写ではあまりない手法なので新鮮でした。
シンプルな恋の始まりの物語だけでも成立しそうなお話だっただけにちょっと要素盛り込みすぎたかなぁと思いました。
絵作りはとても綺麗ですし、役者陣の魅力を引き出すという事はできていたので次回作に期待したいです。
LGBTを絡めずに映画はできないものか…。
鑑賞日 9/30
鑑賞時間 18:35〜20:10
座席 C-12
映像と音楽が本当に美しいっ❣️
ドビュッシー 月の光が流れる中で滑るスケートシーン、凍てついた湖のリンクに柔らかな陽の光が輝き純粋な少年と少女がZombies Goin' Out Of My Headで戯れるシーン、感動したなぁ〜🥰
でも物語は残酷な結末へ…こう来たか〜😭
奥山大史監督の次作、大注目です。
キャスティングの時点で勝ち確
けれんみのない美しさ
湖畔の氷上に差し込む光
映画を観る前はなるべく事前情報は入れないことにしている。聞いたことのある映画タイトルだと思っていたが、エンドロールでハンバートハンバートの「ぼくのお日さま」が流れた瞬間に、あ!これだよ!好きな曲だったじゃないか〜と嬉しくなった。ちょっと調べてみたら監督がこの曲にインスパイアされ作った映画とのこと。
主人公も父親も吃音であったが、この映画はそれを決して大変なこととは描かず、彼らのパーソナリティのひとつとしている。
奥山大史監督はタクヤとさくらには台本を渡さず撮影したとのことだが、その代わり「自己紹介文」なるものを渡し読み込んでもらい、見事に北海道の田舎町で暮らしながらスケートを好きになる小6と中1の少年、少女を見事に演じきっていた。
荒川と五十嵐の「自己紹介文」もパンフで読んでみたが、映画では描かれなかった彼らの内側の心と歩んできた道のりを知れた。荒川はこの映画の頃31歳で時代はちょうど2000年。あのVOLVOは流石に今はなかなか見れないが当時は人気があった(私もちょうどその頃、同じ車に乗っていた。色は赤だったけど)。今となっては男性同士の恋愛を気持ち悪いなんて言われることはないが、20年以上前では憧れのお兄さんがそうだとしたら少女の心は傷つくことでしょう。
明るい日差しが注ぎ込む湖畔の氷上で戯れる3人の美しさは観てるものにここでドラマは終わって欲しいと思うほどの名シーン。
春になり、それぞれの新しい道が開かれる。
タクヤが声を発するまで、さくらはゆっくり待っていてくれる筈です。
今年の邦画最高傑作のひとつとして、私の記憶にいつまでも残るであろう素晴らしい映画でした。
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