「この女を怒らせてはならない。荒ぶる女神 江口のりこの姿を目に焼き付けろ。」愛に乱暴 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
この女を怒らせてはならない。荒ぶる女神 江口のりこの姿を目に焼き付けろ。
フィルム撮影されている。冒頭から適度に荒れた画像で、主役初瀬桃子の姿が延々と映し出される。ゴミ出しに行く桃子、石鹸作りを教える桃子、買い物に行く桃子、料理をする桃子、猫を探す桃子。江口のりこが淡々と能面のようなポーカーフェイスで演じる。背景はぼかされ、カメラは微かに揺れ続け、不穏な雰囲気が醸し出されている。
そもそも原作者の吉田修一が意図している「愛」とは何か。それは一種の秩序のようなものである。夫も妻も、親も子も、それぞれの立ち位置を守りそこから踏み出さない。裏では背信行為があるかもしれないが相手には明かさない。そうすれば連帯感や信頼感が生まれてくる。愛というものはそういうものだと吉田は前提におく。そして、それぞれの立ち位置からはみ出してしまう行為を「乱暴」と捉える。
原作では、主役の桃子も含め、登場人物たちが多かれ少なかれ他人に対し乱暴であり、その結果として関係性が壊れていく姿が精緻に描かれている。また吉田の作品ではよくあるモチーフの被害者と加害者が入れ替わる局面も描かれる。
映画は、途中までは実に忠実に原作をなぞっている。細かい部分での省略や改変はあるものの。
ただ、決定的に原作と映画が違っているのは途中から初瀬桃子=江口のりこが暴走を始めるところにある。それが端的にあらわれているのは、桃子が不倫相手の部屋を訪ねるところ。映画では、桃子は大きなスイカを畑からもぎ取ってもっていく。この場面は原作にはない。私は、桃子の攻撃性、暴力性をより過激に描きたいという映画製作者の意図的改変だと考える。スイカのシーンをきっかけに桃子はチェーンソーを振り回し家を破壊しはじめる。結末部分も同様で、原作はやや丸く収まっているが、映画は桃子が全てを破壊し尽くした後のようにみえる。詳細な説明はないけれど。
そして、江口のりこという女優について。よく「狂気」の演技とか言うけれど、彼女の演じる役はどこが冷めていて狂っているようにはみえない。むしろ分かっている上での攻撃性や暴力性を表現できる得難い役者なのだと思う。破壊王と呼んであげてください。