愛に乱暴のレビュー・感想・評価
全196件中、1~20件目を表示
巡る因果に走りだす狂気
話の大筋をごく端的に言えば、不倫の因果応報物語、である。
原作を読んだ時は、小説の構造は面白くて文章は読みやすかったものの、桃子の性格は何だか受け付けないし不倫の話がもやもやと続くしで、正直しんどかった。
ところが映画では、2時間に収めるための選択と集中で随分テンポがよくなっており、そのスピード感が(あくまで原作と比較しての相対的なものだが)不倫話のしんどさを(ある程度)吹き飛ばした。
何と言っても江口のりこが桃子にぴったり。ああ確かに桃子はこうだなと納得。幸せを目指してどこか空回りしてて、ちょっと空気が読めなくて、密かに直情的な面があって。基本的には、突然叫びだすような邦画の感情表現は苦手なのだが、本作に関しては原作の桃子のイメージがそういう方向だったので気にならなかった。
小泉孝太郎もなかなかの適役。以前「まともじゃないのは君も一緒」でのキャスティングでも思ったが、表面だけ好人物で中身は胡散臭い、疑わしい奴という役柄が映える。
やむなく削られて残念な部分もなくはないが、見応えは江口のりこでカバーされてお釣りがくる。この物語の芯は桃子の感情の疾走であり、そこはきちんと描かれているので、トータルで見れば原作と比べても遜色はないように思えた。
母屋の義母と、同じ敷地内の別宅に住む桃子、彼女の夫の真守。彼らの関係には当初からどこか噛み合わなさがある。桃子が真守に話しかける様子は一方的、一方で真守は話しかけられても上の空。義母と桃子の距離感には、嫁姑にありがちなぎこちなさがある。
実は真守には前妻がおり、桃子と不倫した末彼女の妊娠をきっかけに離婚し、桃子と入籍した。彼女は入籍前に流産してしまっていたが、そのことを入籍まで真守に打ち明けられなかった。そのことが義母の胸の奥にはしこりとなって、桃子には心の傷となって残った。
そして真守は、かつての桃子との関係と全く同じことを、別の女性と繰り返すことになる。
上記のような夫婦のなれそめは、物語では終盤まで秘められており、桃子が床下から聞いた真守たち親子の会話と、折々にスマホで見ていたSNSの妊婦アカウントの内容から明らかになる。そのSNSのポストは、過去の桃子自身がアップしたものだった(アップされた自撮り写真に写ったワンピースが桃子の実家のクローゼットにあった)。
真守から「彼女と話をしてほしい」と言われても、真守が自分と別れたいと思っているなどとは想像もしていなかった桃子は、真守の本心を理解してからだんだんとおかしくなっていく。
彼女の行動に、真守親子と同じようにドン引きする気持ちと、そこから伝わってくる気持ちだけはやたら生々しく、好悪の外で何となく理解できてしまう気持ちと、その両方を感じた。確かに、チェーンソーで切ってはいけないものを切るのは気持ちよさそうと思ってしまった(やらないけど!)。
追い詰められる桃子のつらさはわかる、なんなら逆上してつい突飛な行動に走る気持ちもわかる、あの辺の感情は全てリアルだ。でも桃子も過去に不倫をしたことを思うと同情にブレーキがかかる。どっちつかずの気持ちを抱えつつも、狂気を加速させる桃子からただ目を離せずにいた。
彼女は「わざとおかしいふりをしてあげている」と言っていたが、「徒然草」にあるように、狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり、だ。
ラスト近くで、彼女が床下に掘った穴から缶に入ったベビー服が出てきたのは原作とは違う展開だ。どういう経緯で埋められたものか作中で説明はないが、個人的には前妻が埋めたと考えても面白い気がした(原作では別の人間が埋めた違うものが見つかるので、その展開に引っ張られた連想かも知れない)。
この発見によって桃子はようやく、自身に因果が巡ってきたことを自覚したと思いたい。
(以下で原作の詳細について触れます)
原作からの改変で物語の印象に一番大きな影響を与えたものは、桃子の見ていたSNSだ。原作小説では、誰かの書いた日記として描写される。
上下巻から成る原作は章立てがされており、各章は ①誰かの日記 ②三人称視点での桃子の描写 ③桃子の日記 という構成で統一されている。
上巻では、①の書き手の名前は明らかにはされないながらも、②③との繋がりから見て真守の不倫相手が書いているのだろうと思わせる描写になっている。だがこれは叙述トリックで、①は8年前の真守との入籍前後の桃子自身の日記であることが、下巻の冒頭で判明する。
8年前の桃子は日記で姑を「お母様」と呼び、自分を受け入れてくれたことに感謝し、自分の置かれた状況を精一杯肯定的に捉えようとしていた。
だが、③の日記で現在の桃子は姑を「照子」と呼び捨てにし、家族への猜疑心もあけすけに書く。そのコントラストは原作ならではで、同時に桃子が前妻と同じ仕打ちを今まさに受けているということも浮き彫りになる。
他にもいくつかエピソードの省略や簡略化があるが、どれも人間不信になりそうな話ばかりなので、かえってこの映画くらいのボリュームの方が不快指数が過剰にならずよいのではと思ってしまった(吉田修一先生ごめんなさい)。
ゴミ捨て場のカラスがなかなかいい演技をしているなと思ったら、エンドロールにカラス担当がクレジットされていて感心した。
小説と映画、それぞれに異なる魅力
原作は、2011年から12年にかけて新聞連載され13年に単行本化された吉田修一の同名長編小説。「おじいちゃん、死んじゃったって。」の森ガキ侑大監督と脚本・山﨑佐保子が再タッグで映画化した。この「愛に乱暴」をまず試写で鑑賞し、それから小説を読んだのだが、ストーリーと表現手法の両面で、小説と映画それぞれに異なる魅力を備えていることに感心させられる。
ストーリーに関して、340ページにも及ぶ原作を2時間弱にまとめるため登場人物と出来事の整理は当然ながら、映画版では主人公・桃子(江口のりこ)をより追い込んでいくエピソードがたたみかけるように続く(小説では実母などのわかりやすい支えがある)。大きな西瓜(桃子が腹に抱えた姿は妊婦のようにも見える)、義母から渡される大量の生魚などはヴィヴィッドなイメージを伴う映画オリジナルの小道具だ。桃子が購入するチェーンソーが、原作の電動式からエンジン駆動式に変更されたのも、爆音のインパクトを活かすための改変だろう。
小説から割愛された部分にももちろん面白い要素はたくさんあって、特筆したいのは離れの家にまつわる歴史。小説と映画のどちらでも非嫡出子(婚外子)が重要なポイントになっているが、小説では初瀬家の男に受け継がれた因縁として描かれ、それが離れの存在や、床下をめぐるエピソード、さらに不審火騒動にもつながってくる。未読の方のためここまでにとどめておくが、この物語のキャラクターたちをもっと知りたいと感じたなら、ぜひ小説も手に取っていただきたい。それぞれに異なる魅力があるという点に、きっと共感してもらえると思う。
人間、そして夫婦というミステリーが際立つ
この映画は初めから観客に包み隠さず全てを見せている様で、そうとは言えないところがあるので油断がならない。夫婦間に漂う不穏な空気。双方ともそれを幾らか感じているのだろうが、夫は話し合うどころか、妻と面と向かって言葉を交わすことも億劫と言わんばかり。その原因は何なのか。我々は二人を覆うモヤモヤの実態を突き止めることができないまま、幾重にも柱と梁が入り組んだ家庭生活という幻想を見つめ続ける。主演の江口のりこはこの曖昧で不可解な空気の中を、張り詰めた糸を途切れさせることなく泳ぐのが抜群にうまい。そして徐々に感情を露わにする領域でもなお、切実さと共になんとも言えないおかしみを醸し出す。対する夫役の小泉孝太郎の、外見からして従来のイメージとは全く違う、誰も見たことのない異様な存在感は何なのだろう。決して派手さはない作品ではあるが、そうであるがゆえに物語を貫く観察眼、ひいては人間という謎が力強く際立つ。
首輪をしたまま捨てられる…
不倫された可哀想な妻と思っていたら、過去自分もそうして今の夫と一緒になったとは。因果応報、自業自得と思ってしまった。2度も繰り返す夫が最悪だが。どこか飄々とあくまでも息子の味方な姑を風吹ジュンが好演。原作は分からないが江口のりこの狂気をもっと見たかった。
理不尽な人生に立ち向かう
AIからミステリー作品として勧められた
不完全燃焼なおもしろさ
SNSが謎でしたがクローゼットからでてきて!!!
夫がクズですね
そして、江口のりこさんの役に対してもアラアラとしかいいようがなく
大体、昔の職場なんて行くもんじゃない
送別会が派手だろうと、送別されたら過去の人(用無し)
満たされない生活の繰り返し きっとこれからも
ぴーちゃんも猫じゃなかった…
スッキリしないモヤモヤ作品
外国の映画にもありそうでした
プライムビデオの評価 5.6/10 は妥当
なぜ床下を掘るか?
僭越ながら、
なぜ江口のりこさんが小泉幸太郎さんと夫婦、なぜ?
と思ってたけど、なるほど。
守(小泉)もなかなかな男、また繰り返すだろう。
とってもダメダメな夫を演じる。
桃子(江口)といてもつまらないんだよって、失礼な奴❗️
なぜ結婚したんだ?
妊娠したからって、桃子の前にも妻がいたのに。
最初の方、江口のりこさんお化粧して可愛かったのに。
不倫相手が妊娠したから離婚してくれって、
義母(吹雪ジュン)は桃子のことを好いていないから、
軽く守をなじるだけで知らん顔。
吹雪ジュンさんいつもいい人役なのに。
以前に守が桃子と不倫妊娠、前妻と離婚、桃子と結婚、
そしてまたまた、
守の不倫相手妊娠、桃子を嫌って家出、籍は不明。
また繰り返す、ということ?
義母も居なくなって家取り壊し、
途切れ途切れに2,3回観たのですが、
どう解釈したらいいのかわからない作品でした。
日常の中で燻り続ける焔
原作未読。主人公桃子は妊娠を機に義理の両親から新築の離れをあてがってもらい、夫真守との略奪婚を成し遂げる。しかしその直前には流産しており、それを言い出せずにずるずる来てしまった。
ちなみに離れを新築と解釈したのは後半で桃子が埋めたらしい流産した子供が着るはずだった肌着を床下から掘り出すシーンがあるから。それは離れを建てる前の庭に埋めたものと解釈、でもこれはあくまで個人的解釈。
そんな流産の事実を言い出せなかった負い目があるのか義母にはやたらと気を使う桃子。そんな桃子によそよそしさを隠さない義母。
日々の家事全般を完ぺきにこなしているが夫真守との関係は冷え切っていて会話もままならない。もともとただの浮気から妊娠が発覚しての結婚であり、そこには最初から愛などなかったのかもしれない。桃子は彼の浮気を疑っていた。
いつもいなくなった飼い猫を探す桃子。しかしそれは飼い猫ではなく知らず知らずのうちに流産した子供を追い求めている彼女の姿であったのかもしれない。義母は彼女の肩辺りに見えた猫(霊)に対して思わず手で追い払うしぐさをする。床下から聞こえる猫の鳴き声やら首輪の鈴の音に反応するのは桃子と義母たち女性だけだ。真守には聞こえない。
義母は先立たれた夫の遺品整理がままならないのは夫への思いのためではなく、心機一転人生をやり直すことができないからだという。この年齢になり今更解放されたところでどうすればいいのか。
長年主婦としてしか生きて来られなかったのがある日突然主婦として生きられなくなる。それはまるで飼い猫が突然飼い猫ではなくなり捨て猫になるかのように。首輪をしたまま捨てられる飼い猫のような。
しかしそんな義母も別の女性と駆け落ちして戻ってくることのない息子のためにこの家を守り続ける必要がなくなり、手放す決心をする。彼女はようやく家の呪縛から解放されたんだろう。
桃子も真守と別れて主婦生活から解放されたかに見えた。これで彼女らは家や子供の呪縛から解放されるんだろう。もう猫の姿を追うこともないのかもしれない。
しかし作品は離れを解体し、母屋に移り住んでいる桃子の姿で幕を閉じる。これは彼女が義理の母を受け継いでこれからも家に縛られ続けることを選択した姿なんだろうか。家の呪縛からはそうたやすくは逃れられないということを暗示するラストなんだろうか。
劇中で桃子が他人のTwitterらしきものを見ていて、その内容が真守の浮気相手の件とリンクしているので、てっきり浮気相手のものかと思いきや実は過去に桃子がアップしたものだというどんでん返しはお見事。原作では日記らしいけど映像作品としてよい改変だと思う。
普段から桃子の日常の中で描かれる人間関係が絶妙な雰囲気で見ていて面白い。義理の母から魚を渡された桃子がそれをすぐさま冷蔵庫に投げ捨てて自分が作った石鹸で手を洗うところなんかは二人の微妙な関係性がよく描けてるし、冷え切った夫婦関係も事務的な会話の中に時折桃子の本音が混ぜ込まれていて、それでも聞こえないふりをしてる真守の気まずい態度が絶妙。
桃子の元の職場の上司もいい加減なことばかり言うお調子者で、石鹼教室に関わる若手の社員も自分の出世しか考えておらず、桃子の周りには誰一人彼女を思いやってくれる人間はいない。
一見、平穏な主婦生活を続ける彼女を取り巻く環境には彼女にとって優しい存在が一人もいないことに気づかされる。
そんな環境に置かれた彼女の心の中に燻る小さな焔が飛び火して周囲のゴミ捨て場で小火を引き起こしていたのだろうか。
桃子は小火の現場から必死に逃げて行きつけのホームセンターにたどり着く。そこにはおそらく彼女と同じく周りには優しい存在がいないであろう外国人店員の姿が。
彼は言う、いつもゴミ捨て場をきれいにしてくれてありがとうと。その言葉に泣きながら返事を返す桃子。
ありがとうと言ってくれて、ありがとうと。思えば真守も義理の母も周囲の人間誰一人、桃子に一度もありがとうとは言わなかった。
そんな当たり前の言葉が人の心には優しく響き渡るもの。今までの桃子にはそれはなかった。
本作はフェミニズム映画として鑑賞した。登場する女性たちはみな当然ながら妊娠や出産、家事育児というものを背負わされ、背負ってきた。
「身重」という言葉があるように女性は生まれながらに重荷を背負わされてる気がする。子孫を生み、育てるという宿命みたいなものを。
今なら少子化の原因は女性が子供を産まなくなったからだとあからさまに言う人間がいる。女性の社会進出は間違いであったみたいな。
確かに女性の生きる選択の幅が広がり、子孫を産んで育てるだけの人生に縛られる必要もなくなった。だから生まれる子供の数が減ったのは事実かもしれない。しかしそれは女性が自由に生きることができるようになった結果であり、それで少子化になったからと女性を責めるのは違うと思う。女性は子孫を生むという重荷から解放されて、やっと「身軽」になれた。少子化はこれは人類が成熟しきった証なのかもしれない。女性のせいにするのではなく他の解決方法を見つけるしかないんだと思う。
本作もそんな常に妊娠や出産とセットで見られてきた女性たちが一人の人間として最後には解放されたのだと信じたい。ラストシーンが解釈の余地はあるけど。
本作は単に不倫による因果応報的な物語だけではない、何気ない主婦の日常を通して現代社会に生きる女性たちの閉塞感、そしてそこからの解放を描いた佳作だった。
小説の映画化でしたか。
ドラマに映画に、と今や超売れっ子の江口のりこ主演の作品。
まったくの予習なしに見たので、吉田修一の小説の映画化であることを
後で知りました。う〜ん、吉田さんの小説といえば、
過激なストーリーという印象があるんですが、これはおとなしめですね。
冒頭から、なにやら不穏なムードが漂っていて、
動物がらみの悲惨な場面を思い浮かべていたのですが、結局、想像していたシーンは
表れず、そのまま終わってしまいましたね。ストーリーとしては、
よくある夫婦の話がベース。でも、退屈しなかったな。
❇️『今日からありがとうと言える人間になりたい❗️』
愛に乱暴
🇯🇵神奈川県綾瀬市
❇️『今日からありがとうと言える人間になりたい❗️』★彡誰にでも起こりうるストレスの蓄積
🔵かーるくあらすじ。
倦怠期の夫婦と隣に同居する夫の母の中でも乱さない生活をささやかにやっていた妻のストレス蓄積サスペンスドラマ。
◉63E点。
★彡今までやってきた日常の生活が少しづつ崩れていく感じか凄くリアルでした。
やや長く感じた映画でしたが良かった。
🟢感想。
1️⃣『タイトルアップ好き。』
★彡どんな映画なのかこの時点では全くわからんけどね。
2️⃣『冷たい空気感が凄い。』
★彡不穏感、無機質、無感情、などを連想でしました。
3️⃣『女優の江口のりこさんありきの良い映画』
★彡主婦らしい振る舞いや葛藤の表現が自然で良かった。
4️⃣『ゴミ置き場、不審火、異国青年、猫、リフォーム、ありがとうなど心理状況を表現する比喩が良かった。』
🐈☕️🍉📲🚪💢🤰🏻🪚🤯👵🏻🏘️🕳️🚿
表現は分かりやすくはあるけれど物語全体では見えない謎が多い
濃すぎない普通の人を演じる江口のりこさんを観られるな。。。と前半に思っていると、江口さんが演じる専業主婦の丁寧な日常生活が表面上のものであることを徐々に突きつけられていく。
風吹ジュンさんの演技が良い。嫁にあまり悪気なく焦燥感を刻み付けていく。
小泉孝太郎さんは、エンドロールまで小泉孝太郎さんだと私は認識できなかった。特に上手い演技ではないのだけれども、このキャラへ変容はスゴいと思った。
映画としての表現は比較的分かりやすくはあるけれど、物語全体としては見えない謎が多く難解な映画。
物語としては胸くその悪さは残るけれど、映画としてはさっぱりとした余韻が残る。
なかなかの名作。
紅茶飲みたくなる
浮気相手の女性の部屋から出て、物音に気付くが一瞬のたらい→「あたしには関係ないし、知るもんか」的な感情→だがしかし、妊婦である彼女を心配して急いで戻るその様が、主人公の全てを表現していて泣けた。
夫からの「一緒にいたくない、楽しくない」が辛すぎて泣いた。
産婦人科の診察のシーンに嫌悪感。
カーテンを開いたままが気持ち悪い。
徐々に壊れていく江口のりこさん
河合優実さんが主演の「ナミピアの砂漠」の次に鑑賞。この2つの作品、いろいろ共通していることに気がつきました。(笑)
江口のりこさんと河合優実さん年齢の差こそあれ、演技力に定評のある方がそれぞれの年代の女性の壊れていく様をこれでもかというほど見せつけてくれます。ほとんど一人芝居のようです。それにしても出ている男の不甲斐ないこと。(小泉孝太郎さん名演技だと思う。)
もう一つの共通点は途中で仕事をやめさせられていること。仕事をしないと壊れ方に加速がつくのかな。さらに性的な場面と全然関係のないところでバストトップを見せていること。(笑)
某ミニシアターでは2つしかないスクリーンで同時上映しています。凄いな。
孤立
なんか散々な話だった。
タイトルの意味も掴めなくて…文法として成立してないような並びであり、その事自体を「道理に合わない」と捉えるならば、このタイトルでも成立するのかと頭を捻る。
主人公・桃子の置かれてる状況は散々で…夫は浮気して子供を作って、その彼女共々、桃子に謝りたいと宣う無神経さである。この夫との結婚もどうやら略奪婚らしく、結婚の決め手は桃子に子供が出来たからなのだけど、その子供を流産していた事を告白出来ぬままに結婚をしたらしい。
で、この無神経男はまたも同じ事を繰り返し、桃子を捨てようとする。
桃子は桃子で、そんな経緯で結婚したものだから義理の母親とも打ち解けきれずで、どこかよそよそしい。離婚が念頭にあるものの、実家には兄だか弟が親と同居していて子供が3人もいる。その嫁さんとも敬語で話すような間柄だ。おそらくならば10年近い年月を経ているのにそんな関係性を打破できずにいる。
唯一の収入源である講師の教室も閉鎖され、相談に乗ってくれそうな上司はまるで頼りにならない。
そして彼女は若く見積もっても40過ぎのようにも見える。
八方塞がりなのだ。
どこにも居場所がないし、寄り添える人もいない。
とは言え、彼女が何かしたのかと問われれば特に問題はなさそうに見える。
生活上よくある事だ。「何か上手くいかない」
何か原因があるわけでもなく、思ったように事が進んでいかない。募る苛立ちに苦しめられる期間。
そんな空気感を序盤からずっと引きずってた。
とにかく寄りのカットが多い編集で、妙な圧迫感をずっと与えられるし、否が応でも桃子を観察してしまう。
…つまらなくはないが面白くもない。
ただ、その編集を江口さんは保たせてしまえる。
流石だなぁと感服する。
チェーンソーの件はセンセーショナルではあったけれど、真意を掴める程でもなく、狂気の沙汰とも思えない。そんな状況でそんなストレスを抱え続けているのなら、そんくらいはやってのけるだろうなぁと思える。家を破壊する事に意図はあるのだろうけど、牢獄ではなく、砂上の楼閣のようなもので、元より無かった物をあると信じたかった愚かさの象徴とかにも思えるかなぁ…。
印象的だったのは「ありがとうと言ってくれてありがとう」って台詞だ。
彼女はずっとそれだけを求めていたのだと思う。
自分は誰かに必要とされている。
自分の行為や行動は歪まずに相手に届いている。
私はここにいていい人間だ。
他者からの肯定をずっと求めていたのだろうなぁと思う。
とは言え…この物語が語るものは何なんだろうとずっと考える。どこが落とし所なのか終盤になってもさっぱりわからないのだ。
ぶっちゃけフランス映画を観てるような錯覚を覚える。で、ラストだけが日本映画みたいな。
ラストの彼女は晴れやかだ。
髪も切って明るい色の服を着ている。
ハナレは解体し義母が住んでいた母屋に住んでいるように見える。
…このラストが弱くて混乱する。
いや、様々な解釈が出来るラストであり、どんな経緯であったか議論してくださいってスタンスならば、ずる賢いなぁとも思う。
ちゅうか…主演・江口のりこに見劣りしてしまうようなラストで歯応えがなかった。
つまりは散々引っ張ってたのに、最後でズッコケた感じだ…正直、腹立たしい。
ずっと期待感だけがありはするのだが、その期待感は作品にではなく主演・江口のりこに向けられていたものだし、彼女が発していたものだった。
そんな作品。
小泉孝太郎は上っ面だけの男をやらしたら天下一品だなと思う。悪人なのに善人だと勘違いしてるクソ野郎をやらしたら絶品だわ。
なんか他の作品でもそんな傾向の役がハマってた。
簡単な事なんですよ。
全196件中、1~20件目を表示