愛に乱暴のレビュー・感想・評価
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巡る因果に走りだす狂気
話の大筋をごく端的に言えば、不倫の因果応報物語、である。
原作を読んだ時は、小説の構造は面白くて文章は読みやすかったものの、桃子の性格は何だか受け付けないし不倫の話がもやもやと続くしで、正直しんどかった。
ところが映画では、2時間に収めるための選択と集中で随分テンポがよくなっており、そのスピード感が(あくまで原作と比較しての相対的なものだが)不倫話のしんどさを(ある程度)吹き飛ばした。
何と言っても江口のりこが桃子にぴったり。ああ確かに桃子はこうだなと納得。幸せを目指してどこか空回りしてて、ちょっと空気が読めなくて、密かに直情的な面があって。基本的には、突然叫びだすような邦画の感情表現は苦手なのだが、本作に関しては原作の桃子のイメージがそういう方向だったので気にならなかった。
小泉孝太郎もなかなかの適役。以前「まともじゃないのは君も一緒」でのキャスティングでも思ったが、表面だけ好人物で中身は胡散臭い、疑わしい奴という役柄が映える。
やむなく削られて残念な部分もなくはないが、見応えは江口のりこでカバーされてお釣りがくる。この物語の芯は桃子の感情の疾走であり、そこはきちんと描かれているので、トータルで見れば原作と比べても遜色はないように思えた。
母屋の義母と、同じ敷地内の別宅に住む桃子、彼女の夫の真守。彼らの関係には当初からどこか噛み合わなさがある。桃子が真守に話しかける様子は一方的、一方で真守は話しかけられても上の空。義母と桃子の距離感には、嫁姑にありがちなぎこちなさがある。
実は真守には前妻がおり、桃子と不倫した末彼女の妊娠をきっかけに離婚し、桃子と入籍した。彼女は入籍前に流産してしまっていたが、そのことを入籍まで真守に打ち明けられなかった。そのことが義母の胸の奥にはしこりとなって、桃子には心の傷となって残った。
そして真守は、かつての桃子との関係と全く同じことを、別の女性と繰り返すことになる。
上記のような夫婦のなれそめは、物語では終盤まで秘められており、桃子が床下から聞いた真守たち親子の会話と、折々にスマホで見ていたSNSの妊婦アカウントの内容から明らかになる。そのSNSのポストは、過去の桃子自身がアップしたものだった(アップされた自撮り写真に写ったワンピースが桃子の実家のクローゼットにあった)。
真守から「彼女と話をしてほしい」と言われても、真守が自分と別れたいと思っているなどとは想像もしていなかった桃子は、真守の本心を理解してからだんだんとおかしくなっていく。
彼女の行動に、真守親子と同じようにドン引きする気持ちと、そこから伝わってくる気持ちだけはやたら生々しく、好悪の外で何となく理解できてしまう気持ちと、その両方を感じた。確かに、チェーンソーで切ってはいけないものを切るのは気持ちよさそうと思ってしまった(やらないけど!)。
追い詰められる桃子のつらさはわかる、なんなら逆上してつい突飛な行動に走る気持ちもわかる、あの辺の感情は全てリアルだ。でも桃子も過去に不倫をしたことを思うと同情にブレーキがかかる。どっちつかずの気持ちを抱えつつも、狂気を加速させる桃子からただ目を離せずにいた。
彼女は「わざとおかしいふりをしてあげている」と言っていたが、「徒然草」にあるように、狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり、だ。
ラスト近くで、彼女が床下に掘った穴から缶に入ったベビー服が出てきたのは原作とは違う展開だ。どういう経緯で埋められたものか作中で説明はないが、個人的には前妻が埋めたと考えても面白い気がした(原作では別の人間が埋めた違うものが見つかるので、その展開に引っ張られた連想かも知れない)。
この発見によって桃子はようやく、自身に因果が巡ってきたことを自覚したと思いたい。
(以下で原作の詳細について触れます)
原作からの改変で物語の印象に一番大きな影響を与えたものは、桃子の見ていたSNSだ。原作小説では、誰かの書いた日記として描写される。
上下巻から成る原作は章立てがされており、各章は ①誰かの日記 ②三人称視点での桃子の描写 ③桃子の日記 という構成で統一されている。
上巻では、①の書き手の名前は明らかにはされないながらも、②③との繋がりから見て真守の不倫相手が書いているのだろうと思わせる描写になっている。だがこれは叙述トリックで、①は8年前の真守との入籍前後の桃子自身の日記であることが、下巻の冒頭で判明する。
8年前の桃子は日記で姑を「お母様」と呼び、自分を受け入れてくれたことに感謝し、自分の置かれた状況を精一杯肯定的に捉えようとしていた。
だが、③の日記で現在の桃子は姑を「照子」と呼び捨てにし、家族への猜疑心もあけすけに書く。そのコントラストは原作ならではで、同時に桃子が前妻と同じ仕打ちを今まさに受けているということも浮き彫りになる。
他にもいくつかエピソードの省略や簡略化があるが、どれも人間不信になりそうな話ばかりなので、かえってこの映画くらいのボリュームの方が不快指数が過剰にならずよいのではと思ってしまった(吉田修一先生ごめんなさい)。
ゴミ捨て場のカラスがなかなかいい演技をしているなと思ったら、エンドロールにカラス担当がクレジットされていて感心した。
小説と映画、それぞれに異なる魅力
原作は、2011年から12年にかけて新聞連載され13年に単行本化された吉田修一の同名長編小説。「おじいちゃん、死んじゃったって。」の森ガキ侑大監督と脚本・山﨑佐保子が再タッグで映画化した。この「愛に乱暴」をまず試写で鑑賞し、それから小説を読んだのだが、ストーリーと表現手法の両面で、小説と映画それぞれに異なる魅力を備えていることに感心させられる。
ストーリーに関して、340ページにも及ぶ原作を2時間弱にまとめるため登場人物と出来事の整理は当然ながら、映画版では主人公・桃子(江口のりこ)をより追い込んでいくエピソードがたたみかけるように続く(小説では実母などのわかりやすい支えがある)。大きな西瓜(桃子が腹に抱えた姿は妊婦のようにも見える)、義母から渡される大量の生魚などはヴィヴィッドなイメージを伴う映画オリジナルの小道具だ。桃子が購入するチェーンソーが、原作の電動式からエンジン駆動式に変更されたのも、爆音のインパクトを活かすための改変だろう。
小説から割愛された部分にももちろん面白い要素はたくさんあって、特筆したいのは離れの家にまつわる歴史。小説と映画のどちらでも非嫡出子(婚外子)が重要なポイントになっているが、小説では初瀬家の男に受け継がれた因縁として描かれ、それが離れの存在や、床下をめぐるエピソード、さらに不審火騒動にもつながってくる。未読の方のためここまでにとどめておくが、この物語のキャラクターたちをもっと知りたいと感じたなら、ぜひ小説も手に取っていただきたい。それぞれに異なる魅力があるという点に、きっと共感してもらえると思う。
人間、そして夫婦というミステリーが際立つ
この映画は初めから観客に包み隠さず全てを見せている様で、そうとは言えないところがあるので油断がならない。夫婦間に漂う不穏な空気。双方ともそれを幾らか感じているのだろうが、夫は話し合うどころか、妻と面と向かって言葉を交わすことも億劫と言わんばかり。その原因は何なのか。我々は二人を覆うモヤモヤの実態を突き止めることができないまま、幾重にも柱と梁が入り組んだ家庭生活という幻想を見つめ続ける。主演の江口のりこはこの曖昧で不可解な空気の中を、張り詰めた糸を途切れさせることなく泳ぐのが抜群にうまい。そして徐々に感情を露わにする領域でもなお、切実さと共になんとも言えないおかしみを醸し出す。対する夫役の小泉孝太郎の、外見からして従来のイメージとは全く違う、誰も見たことのない異様な存在感は何なのだろう。決して派手さはない作品ではあるが、そうであるがゆえに物語を貫く観察眼、ひいては人間という謎が力強く際立つ。
モモコの心の表現
何とも不思議な作品
物語そのものはわかりにくくないものの、その意味していることに対する解釈は非常に難しく感じる。
基本的に描かれているのがモモコという人物で、その心理描写を映像だけで表現している。
彼女は普通の主婦であり、リフォームの話もあるように、改善箇所は古い住宅だけのように思える。
そのリフォームの話も進んでいたようだが、何故か夫のマモルは関心を示さないことで、この物語の不穏な部分が醸し出される。
発端は猫がいなくなったこと。
そもそも捨て猫に餌付けしていたモモコだったが、子供のいない寂しさがそこに垣間見れ、同時に様々な些細な影も見えてくる。
このスタートの空気感は「ねじ巻き鳥クロニクル」と似ている。
この染みのように舞い落ちてきたことが、やがて大きな問題がやってくることを告げている。
だが、ねじ巻き鳥とは違い、猫は帰ってこない。
猫はモモコ自身であり、最後にそれが靴音となって示される。
「明日からゴミは別々に出しませんか?」「もう今日からよ」
他人となったかつての義母
青いアイスキャンデーをかじるモモコの着ている真っ赤な服は、腹が煮えくり返っている象徴だろうか?
解体工が壊していたのはモモコたちが住んでいた離れだ。
「私はここを売ろうと思っているの。あなたは離れを自由にしていいわ」
タイトル 「愛に乱暴」
些細な他人への気遣いや気配りという日本人らしい気質を持つモモコ
会社を辞めて8年
この間にあったコロナ渦によって、日本人の日本人らしい気質や常識が大きく変化してしまったことを監督は忍ばせているようにも感じた。
彼女が持っていた常識的感覚は、夫が「ありがとう」と言わないことや、義母のいつもの含みのあるような態度と「また何かかくしているんじゃない?」という言葉、すべてがモモコの気遣いに対するありがた迷惑のような態度として示めされることで次第にモモコ自身が狂っていくようだ。
特にミヤケのアパートで、相手に対し思いをぶちまけた後、彼女が倒れたような音を聞いたことでドアを開けたことがモモコの持つ常識と周囲の感覚の乖離を表しているように思えた。
あのスイカもまた赤い服と同じで、中を割ることでモモコの腹の煮えくり具合という赤い色を表現していたのだろう。
憎い相手に対してさえも、その体への気遣いという常識がつい走ってしまう。
この気遣いという名の愛に対する人々の返事が、あまりにも乱暴ではないのかと監督は言いたかったのかもしれない。
モモコが時折見ていたSNS 流産のことや妊活の呟き
これはおそらく彼女自身がかつてマモルと不倫をしていた時に呟いていたもの。
それを見始めた理由
夫の浮気を直感
同じことをしていたからこそ気づいたのだろうか?
その当時の自分自身と被るミヤケの立場
モモコはきっと因果応報的な心情になったのかもしれない。
夫のシャツから感じた不倫のニオイ
会社の不誠実な対応もまた、タイトルの一部であり、いまの社会を表現している。
「いまだけ、金だけ、自分だけ」
このような言葉が今の日本社会の実態なのかもしれない。
さて、
連続するゴミステーションの不審火
これはいったい何を意味したのだろう?
おそらくそれはモモコの日常が少しずつ壊れていく象徴かもしれない。
彼女は最後に自分たちが住んでいた離れを壊すが、それは以前、マモルと前妻が住んでいた場所でもある。
不審火は形を変えて離れを壊した。
そしてそれはモモコ自身の心へも飛び火した。
でも彼女はその歪んだ部分だけを燃やし、日本人的な常識は残したいと考えたのではないだろうか?
だから青いアイスキャンデーで守りたい部分を消火をしていたのではないか?
モモコはニオイを嗅ぐくせがある。
それはこの現実に対する認識や記憶に残すことや自分自身を確認していたなどいろいろと考えられるが、モモコ自身の現在の位置を確認していたのかもしれない。
首輪をつけられたまま捨てられる猫
それは、モモコ自身のことだったのかもしれないが、彼女は気丈だ。
戻ってこなかった猫は、もっと別のいい場所を探しに出ていったのだろう。
エンドロールで流れるリズム感のある毅然とした靴音
その目的意識のある靴音は、もっといい場所に向かっていると解釈した。
モモコが、
実家で見た姉弟夫婦と子供たちは、かつてモモコが夢見た光景だったに違いない。
電車の音に合わせて大声で歌うのは、気丈を貫く昭和女性を思わせる。
他人に気遣いしても浮かばれることのない、変わってしまった社会
しかしそれを、外国人が見ていた。
やる気のないように聞こえる挨拶 客のクレーム 日本で委縮しながら生きている。
「商品の説明がわかりにくい」
サービスに対する苦情という返事もまた、タイトルとつながる。
少し前にあった茶店で出されるサービスの水 その中に垂らされたレモン水
それが気に入らないから普通の水と取り換えろと文句を言う客
サービスが気に入らなければ受ける必要はない。
彼が普段感じる歪さ だから同じように苦悩するモモコのことがわかったのだろう。
「いつもゴミ捨て場をきれいにしてくれてありがとう」
「ありがとうって言ってくれてありがとう」
これが彼女が原点復帰できた出来事だった。
「やっぱり私は間違ってない」
変わってゆく中でも変わらない日本人気質を続けていく決意。
そして、
シャツのニオイから感じた不倫の気配よりも、彼女は猫を探した。
それは、
もう失ってしまうものよりも、まだ残っている無償の愛を優先したいから。
床の下、もしかして出られなくなっているのかもしれない。
チェーンソーで床を切ってみたものの、そこに猫はいない。
そして掘り返した後を見つける。
発見した缶と中にあったベビー服。
それはマモルと前妻の、生まれなかった子供の服だろう。
流れてしまった子供。
モモコはその子に思いを馳せる。
あの時、一瞬たりともやまずに聞こえていた心音を思い出す。
当時の前妻の気持ちが、ベビー服を通してモモコに流れ込んできた。
ゴミ
吐出してゴミ出しシーンの多い物語
想い出を捨てられない義母
実家のクローゼットにあった、かつての思い出
捨てる決意
相手を気遣い、相手に合わせ、自分を殺し、相手に文句を言われ、自分の所為にされる。
最後に着ていた赤い服は、そんな風に他人に合わせて生きてきたモモコ自身に対しての怒りを表現していたのかもしれない。
青いアイスキャンデーはやっぱり消火で、そんな自分自身を諫めていたのだろうか。
やがて聞こえてくる靴音
彼女が目標に向かって歩き始めたサイン
帰ってこなかった猫は彼女自身だったのだろう。
非常に解釈が難しい作品だが、語られない彼女の心の中をとても豊かに表現している。
素晴らしい作品だったと思う。
江口のりこ、最高
善人の主人公桃子。
自分に興味がなさそうな夫。
不倫してそうだな、と気づきながらも夫と母屋に住む義理の母を慮りながら生きる桃子。
ゴミ捨て場に散らかしゴミがあれば、頼まれてもいないのに掃除をして、誰からも感謝されないのに、毎回ちゃんと掃除する。
ありがとうって言える環境なのに、感謝しない夫と義理の母。
スリッパでひっぱたきたくなる2人だけど、徐々に明かされていく過去。
夫の不倫相手の寝取り&妊娠ツイートを読んでるのかと思いきや、ちゃんと伏線で桃子の過去のツイートだったんかい。クローゼットにもツイートに写ってた服があったし、しかも確認のためにまたツイートを映してくれる観客への丁寧な優しさよ。
善人の中の狂気は、朝ごはんのパンを食べながら夫にパンを焼くかを聞くシーンの鏡の使い方でとっても面白く表現されてて唸ったよね。鏡の曲がりを利用して能面のような表情を写し出すの、すご。
ぴーちゃんも猫かと思いきや、猫じゃない。
夫の「首輪しながら捨てられたら最悪だね」って言う何気ない一言が、結婚しながら捨てられたら最悪だね、と置き換えできる一言をお前が言うか…!!!!というツッコミを全員がするであろうシーン。
最後の最後に、お前それやったの2回目かよ…!またもや全員が心の中で再ツッコミをしたであろう。
小説ではもっと深い事情がありそう。読んだらまた違う感情が芽生えそうだな。
あのお家、ほんとに取り壊す予定の民家を借りて、その取り壊しを先延ばしにしてもらって解体も本当にやった、っていう話を日曜天国のゲストで出てた江口さんが話してました。
存在意義を探す旅
丁寧な暮らしを心がけていたが
だんだんそれが崩れていく人妻の話。
広島国際映画祭で鑑賞しました。
江口のりこさんの演技力の凄さを
これでもかと感じられる作品です。
序盤はどこにでもいそうな人妻の
ちょっと気まずくて恥ずかしくていらっとする
日常が描かれているだけかと思いきや、
そこからの加速がすごいです。
ちょっとおしゃれな仕事をして
家を綺麗にして、いい料理を作って、
夫の親とも仲良くして、
という生活に自分の存在意義を見出すのですが
それが無理になったときの狂気が
生々しく描かれています。
個人的には食パン食べるシーンが
演出こだわってるなあと思いました!すごい!
主人公の周りの人たちがとことん悪い人が多いし
自分の周りにもこんな人いるよなあみたいな
共感ポイントも多くてかなり感情移入もできます。
ちょっとした伏線もあるので
しんどいですが引き込まれる作りです。
決して面白い話ではないのですが、
観た後必ず誰かと感想を話し合いたくなる
素敵な作品だったと思います。
ありがとう。
夫にも、義母にも、辞めた会社の元上司にもぞんざいに扱われながら、ごみ集積所の散らかりを許さず自発的に掃除してみたり、家族や子どもに気を配って献身的に動いてたり、普通に、冷静に、淡々と日々を過ごす主人公。
トドメを指すような出来事が起こっても、極力冷静に努めるのでした。過去にあった悲しい出来事と向き合うことで今そこにある出来事を帳消しにしようと努力するようにも見えました。
愛に生真面目に向き合う主人公に、もっと「愛に乱暴」に生きても良いんだよ、と感じるところもありました。
そして行き詰まった先で思わぬ言葉、これまで聞きたかった言葉を聴く。そこに、この先のささやかでも希望を見出したのだと信じます。
その言葉の持つパワーを改めて理解しましたし、実際スクリーンから発せられた声にはドーンと胸を突かれた思いがしました。
カメラワークや江口のりこさんの自然な演技でドキュメンタリーかのように観せられたましたが、実際こんな風に過ごす、こんな状況を経験する人は少なくないのかなとも思います。
なので、魔法の言葉を忘れないようにしようと思います。
狂気を持った人間が持つのはやっぱりチェーンソーって、少しクスッとしましたが。
せつない
やり過ぎな点もあるが
ここまでは病人じゃないんだからやらないだろうと思うシーンがあったが
原作があるなら監督も仕方なかったのかなと。
そこを省くとインパクトなくなり面白みが減るのかな。
江口のりこさんは脇役の方だとずっと思っていたけど 主演でもじゅうぶん素晴らしかったです。
一個一個つぶされていく感じが何とも。
「ありがとう」
*
江口のりこさんの怪演が観たくて鑑賞
「怪演」が目に付いたのは
そこだけ切り取って予告がつくられたから
ということらしい
あそこまで狂ってしまう人は
ごく僅かかもしれないが、居ると思う
あそこまで狂わなくても
桃子のようになってしまう人は、居る
僕は桃子を「おかしい」と思わなかった
そんな僕はおかしいんだろうか…?
*
ただ普通に、子供を産んで、育てたかった
夫と一緒に、育てたかった
それが叶わなかったのならせめて
愛している人からの「ありがとう」と
スキンシップがほしかった
ただそれだけあれば
桃子の心は穏やかになれたと思う
愛に貪欲になって、何が悪い。
*
丁寧な生活系の江口のりこさん
とても可愛らしかったです
かっちりとしたイメージが常にありますが
こんなふうにふわっとした雰囲気を
纏うこともできるんだなあ、と
俳優さんってやっぱりすごいなあ、と
完全にふわふわしないところも
桃子の役柄に合っててよかったです
江口さんにじわじわシンクロしていく自分
多くは語るまい
万人が見て、「面白い」という映画ではない
ご主人役の小泉さん、史上最低の旦那だが、彼がやると
違和感がないのが妙な納得感で笑えた
淡々と描かれる日常の中で、「これが唯一の原因だ」という不安、不快感が
ない、というか全部のシーンに少しずつすこしずつ織り込まれているダメージ原因が
観ている間はそのダメージには直接的には気づかず、ただじわじわと
疲労のように蓄積していくのだ、江口さんの感情にシンクロするように見ている
我々も・・・・
で、最後にそのダメージの「原因」にハッと気が付かされる
江口さんと一緒に、そうだ、物語の始まりから、ぞっと欠落していたある「言葉」
自分もいつでも江口さんになってしまうかもしれないし、小泉さんになっているかもしれない
気をつけて生きていこう
この「ある言葉」は常に大事にしていこう
江口のりこさん演技上手いなー、大好きになった! 数年前に舞台プラサ...
鼻からスイカを…とか言うもんね。
離れで暮らすある夫婦。隣の母屋には夫の母親。何故か微妙に噛み合わないまるで表面上の家族。そして明かされる夫の秘密。“良き妻”として日常生活を送りながらも、不倫アカウントをチェックし、行方不明のピーちゃんを探し続ける妻桃子の暴走が加速してゆく。
欠けたティーカップ、謎の不倫アカウント、床下から聞こえる声の正体、ひとつひとつが後半にかけてよく効いてきて、なるほどなと思った。ただ近隣のゴミ置場で起こる連続不審火の意図が私にはよく分からなくて、これは桃子がやっていた全てが報われないんだよって事なんだとしたら、なんぼなんでも可哀想よと思ってしまった。
江口のりこの淡々とした中にある狂気を帯びた雰囲気がとても合っていたし、小泉孝太郎の演じるクズ男は本当にピッタリ過ぎて申し分ない。それにしてもあのスイカのシーンはめっちゃ怖かったな。床に叩きつけるんちゃうかとドキドキしました。
チェーンソー
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