「本当の白い私」先生の白い嘘 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
本当の白い私
本作を見るに当たって、公開直前の“問題”について自分なりの見解を。
主演の奈緒から要望あったにも関わらず、インティマシー・コーディネーターを監督が拒否。
配慮に欠けた判断だったと思う。
役者なら役の上と割り切って…と言うは易しだが、やる方はかなりの精神的心労負うと思う。実際見て、結構際どく、驚いた。
奈緒のようにこれからも飛躍期待出来る女優、若い一人の女性にとって、今後のキャリアやイメージにも繋がる。
監督は自分の口で直接なコミュニケーションと言うが、専門家でもないし、それがヘンに伝わったら…?
例えば、急遽予定に無かった性的描写を撮りたいとしよう。間に居ればクッション役となり、監督の意図や演者の理解の疎通が出来た筈。間に居なかったら、監督の突然の要請に演者は従うしかない。それがどんなに一瞬躊躇するものであっても。
そんな“ズレ”や“誤解”が後々問題を招く。最近も中島哲也監督の過去の問題が掘り返されたばかりだし。
濡れ場や女の情炎を描く往年の名匠たちから見れば怒号ものかもしれない。そんな臆病で演技出来るか、いい映画撮れるか!
双方の言い分は分かる。が、もうそういう時代ではないのだ。
変わらなくてはいけないのだ。
作り手と演者、相互の理解あって、良き作品作りを。
さて、作品の感想を。作品の方もスキャンダラス。
不条理な男女間の性の関係、不平等な男尊女卑、性や女である事を蔑む自らの複雑な心情…。
性描写も際どい。裸体をさらけ出すとか大胆な濡れ場があるとかじゃないが、嫌々ながらも暴力的な性交渉に喘ぎ悶え…。
おそらく演者にとっては身体と身体の絡みより難しさや抵抗や恥ずかしさだってあるだろう。
これでインティマシー・コーディネーター要望を排除したのは横暴。
つまり、それナシで奈緒はそれらのシーンを演じ切った訳だ。複雑な内面演技も含め称賛せずにはいられない。決してキャリアが傷付く事はないだろう。可愛いだけの若手女優じゃなく、難役もこなせる確かな実力派。
周りも迫真の演技見せる。
圧巻だったのは、風間俊介。朝の爽やかな顔とはまるで違うゲス男。彼が嫌いになるほど。
最近美貌際立つ三吉彩花も女優としての本領見せ、初めましての猪狩蒼弥もナイーブな存在で印象残す。
キャストの熱演は素晴らしいのだが、三木康一郎監督の演出にぎこちなさや台詞にも文章っぽさがあり、話の方もなかなかに取っ付き難い。
高校の国語教師の美鈴。
友人・美奈子の婚約者・早藤に犯される。早藤は女性を性欲の捌け口にしか思わず、侮蔑さえしている。
悪いのは弱い女である自分。早藤の呼び出しに応じ、性の隷属化に甘んじてしまう…。
美鈴の担当クラスで、一人の男子生徒・新妻にいかがわしい噂。人妻と密会。
事情を聞くと、人妻とラブホテルに行ったのは事実だが、行為の直前に萎縮し、何事も無かったという。
性の悩みを打ち明けた新妻に、美鈴も思わず性への本音を打ち明ける。
そんな美鈴に新妻は惹かれていく。
美鈴もまた新妻に立場を超えて想いを募らせていくが、その間も早藤から性の強要。
やがて二人の関係が早藤の知る事となり、美鈴はある決意を…。
男女の性関係、男尊女卑の上に、教師と生徒の禁断の関係。映画化や原作漫画もよく企画が通ったもんだなぁ、と。
しかし本作、心境など理解に難しい点が多々。
何故美鈴は女である自分を蔑む…?
世の中は結局、男が上に立つ。地位も性的関係も。どう抗ったって。端から諦めているのか…?
美鈴と新妻は何がきっかけで惹かれ合うようになった…?
新妻は性に対して抵抗を感じている。美鈴は快楽を感じてしまう中にも、嫌悪感も。
性に何かしらの不快を抱く二人。自分一人だけじゃないというシンパシーか…?
理解や共感でなくとも、多少なりとも分かろうとしようとしても、やはり考え込んでしまう。
それに比べ、早藤はサディスティックなまでにストレートだ。己の貪欲の赴くままに。が、彼の性格や彼自身も一切の共感も無い。
これが男の本性とは思って欲しくない。しかし、世の一部の男たちやその心底には、女性を見下したり、支配しようとする輩がいるのも事実。それを増長した姿が早藤なのだ。本当に風間俊介はこの役をよく引き受けたと思う。
美鈴、早藤、新妻、美奈子の複雑な心情と関係が絡む。原作漫画ではさらに重層的に。Wikipediaによると、
美奈子は美鈴の友人ではあるが、心の中では見下している。
美鈴はそれを知りつつも友人関係を続け、一方、友人の婚約者と関係を持ち哀れに思っている。
映画ではこれらの関係はちと読み取り難いが、そもそも人は表面のその下で何を思っているかなんて分からないものだ。
早藤から新妻との関係をバラすと脅され、美鈴は早藤との決別を決意。
また性の強要と支配で言いなりに出来ると思った早藤だが、美鈴は屈せず。
男・暴力・支配への抗い。歪んだ性からの解放。
卑しい者は支配してきた相手の反抗にたじろく。早藤もまた。そしてまた暴力で抑え込もうとする。もはや憐れでもある。
二人の関係を遂に知った美奈子。修羅場の直後の場へ。散々いたぶられた美鈴が…。
そんな美鈴を心配しながらも、早藤とは別れられない美奈子。お腹には早藤との子。世間体には“人当たりのいいエリート”の早藤と共にしなければいけない。早藤の本性に気付いても。罪を背負うかのように。
出産。その誕生は、早藤の悔い改めや美奈子の重荷が軽減する希望の兆しか…?
美鈴への救いは…?
命には別状なく。
が、学校から新妻との関係を詰問。
弁解せず、自分の気持ちを。
生徒の前へ。顔に包帯を巻き、生々しい傷のまま。
その表情には解放感が見られた。
どんなに蔑まれ、いたぶられても、やっと見出だした私。
女である事、自分を受け入れ、愛や性への自由。
これが本当の、白い私。
インティマシー・コーディネーターを入れるか入れないかで作品を評価するものではありませんが、監督がそれを固辞したことが、彼が何を作品に描き出そうとしていたがが見えてきます。
人にとやかく言われずにエロを描きたかったのなら、ポルノを撮れば良いのであって、そんな志向で材料にされた原作は気の毒です…
ちと、言い過ぎましたか(笑)