ルックバックのレビュー・感想・評価
全791件中、101~120件目を表示
ちょうど1時間くらいは動けなくなる
適当にアマプラで見つけたアニメ映画でしたが、とんでもなく感情揺さぶられました。
褒められたらすぐに調子乗ったことを口走る藤野、分かりやすくてかわいい。
同級生のことを先生とかつけてガチ尊敬してる京本、かわいい。
2人の出身は山形だけど京本は極度の人見知り+訛りが他に比べると強いから引きこもってたのかなーとか思いました。
一緒に漫画を描き始めてから藤野に引っ張られつつ、世界が広がっていた京本。結構序盤からこの2人がいずれ別の道を行くんだろうということは分かってた。けど、最終的にパワーアップして最強の2人になる!みたいなエンディング期待したかった、。
終盤に出てきた4コマの想像の世界で、藤野が飛び蹴りした時「え〜よかった〜」とか声出たのに。
やっぱり現実じゃないんだって引き戻された時の悲しさと、京本を思って泣く藤野の気持ちが刺さります。
本当は知らない男に襲われて怖かったよね、自分の知らないことで責められながら何度も刺されて声も出なかったのかもしれない。4コマ漫画をみて自分がこんなふうに助けに行ってあげられたらいいのにとか。画面上で見てるだけなのに勝手に共感してました。
京本の部屋に入ってみると、漫画の出費が今まで藤野の部屋だったから気づかなかったのか。これまでの2人の関係を大切にし、藤野を応援しながら糧にしている京本の生前の姿が浮かぶ。ここで「悲しんでる場合じゃない、漫画描かないと。」って。
なんとなく今まで自分のために漫画を描いてそうな感じった藤野が京本のためにも、、な流れになるところも青春ものとしての主人の成長が伺える作品でした。
想像の世界と現実に引っ張られながら、最終的に地に足ついた感じです。
晴れやかなハッピーエンドではありませんが1時間ほどで見れるので中弛みもなく楽しめます。映像や登場人物の表情にも引き込まれる作品でした。
面白いので見始めると約1時間くらいはその場を動けなくなりますが、家で見るにはちょうどいい長さです。
真っ直ぐな情熱
前を向いて歩んでいこう
原作読破済みでこの作品は上手くまとまるのかな?声優さん大丈夫なのかな?と公開前は不安ばかりであった。
私は藤本タツキ先生のファンであり、チェンソーマンのアニメの出来にがっかりしていたからである。
だが、そのような心配は杞憂に終わった。
一つ一つのシーン細部にこだわりがありメッセージ性があり、印象深く脳裏に焼きつき、思い返しても涙が溢れてくる。
余談だがワンシーンにエマニエル坊やのコラの藤野がいて笑った。
また、声優さんもバッチリこれだ!という感じだった。小学生の頃の自分が秀でているんだ!とちょっと生意気盛りな少女の藤野と、引きこもりで誰とも話してなさそうな滑舌の悪さの東北弁の京本。
物語の行く末を知っているせいで最初の藤野が漫画を描くところから目頭が熱くて堪らなかった。
藤野と京本が絵を通じて出会い、お互いを尊敬し合い高めあい、協力して一つのことに魂を打ち込む。なんて尊いんだろう。
引きこもりだった京本に藤野が明るくて楽しい世界に引っ張っていき、京本が目を輝かせて喜ぶ様子がなんとも可愛らしい。ちょっとずつ喋るのも滑らかになってきた。
別々の道に歩んだとしても京本は藤野の1番のファンであった。それが、京本のなくなった後に初めて分かるのが辛すぎる。藤野の同じ作品を幾つも買い、読者アンケートを熱心に出していた痕跡が見られる。小学校の頃の学年通信も丁寧にスクラップしていたり、窓に貼っていたりと一番近くで見守り応援してくれていたのだと。
終盤では、バッドエンドとハッピーエンド、どちらも見せてくれる。創作って素晴らしいんだなと強く感じるシーン。
たとえどんな辛いことが起きたとしても、強く前を向いて歩んでいかなければ。
最後に映る藤野が独りで机に向かう背中がすごく切ない。
一時間もない中ですごく感情が揺さぶられた作品だった。
映像、演出、声優は5
原作読んだ時とは少し違う気持ち
原作読んだ時は事件から近かったせいか理不尽に亡くなってしまった事実が辛くて悲しい気持ちばかりで映画なんてとても見る気持ちにならなかったけど、やっと見て、2人がお互いを理解して尊敬して支え合ってた姿がきれいで、そっちに感動して涙が出た
京本は裸足で飛び出してくる
藤本タツキ氏の同名原作漫画がよくできているため
アニメ映画版「ルックバック」はその原作を
絵コンテとしてそのまま使用して描いたように見える
しかし原作漫画にはない演出が映画版には随所にあり
私が一番感動したシーンは、初めて京本が藤野に会う
シーンである
漫画では京本はサンダルを履いて藤野を追いかけるのだが
映画では京本は裸足のまま飛び出してくるのだ
この演出の違いが、映画版の素晴らしいところである
また藤野に手を引かれていく京本の手が
だんだんと藤野の手から離れていく様は
その後の藤野と京本の関係性を見事に映像として
表現している
最近の日本のアニメは心の動きや感情、動作までも
漫画のセリフのように「言葉」で表現するものが多く
幼稚園児や小学生を対象にしているのか?と
その表現の幼稚さに呆れ果てていた
漫画やアニメなら「言葉」や「セリフ」ではなく
「画」で表現すべきだと思っていたところ
今回の映画版「ルックバック」の演出方法をみて
「画」や「映像」で、登場人物の「心」の動きを
見事に表現していて、当たり前ながら驚いた
私は原作漫画を読まずに映画版を先に観たので
その感動や驚きは言葉に言い表せないくらいだった
おそらく、原作を先に観てしまっていたら
こんなに感動することはなかったのだろうと思う
それは映画版は
ほとんど原作漫画そのまんまであるからだ
本当は5点満点をつけたいところだが
個人的にどうしても納得いかないシーンが
一つだけある
それはラスト近くのシーンで
藤野が京本の部屋で、自作の「シャークキック」
第11巻のラストを見ながら泣いているシーンである
このシーンは、原作漫画、劇場で限定配布された
オリジナルストーリーボードでも確認したが
漫画のタイトルは異なっていたものの
(ネームの段階では「ラックラット」とある)
藤野が泣いているのは自分で描いた漫画を
読みながら京本との思い出を振り返る
(ルックバック)しているのである
このシーンは藤野が再び、京本のためにも
漫画を描き続けようと思わせる意図を
表現するため「シャークキック」11巻の
ラストで涙するような仕掛けなのだろうが
藤野が京本との思い出を振り返りながら
涙するのであれば、藤野と京本がまだ
合作をした作品を読みながら涙する方が
自然ではないだろうか?
このシーンは
個人的にとっても残念に思えて仕方がない
漫画、アニメ映画版ともに
その後、藤野が立ち上がり京本のはんてんに
書いた自分のサインを見つめるシーンがあるので
(映画版の方が、藤野は長くそれを見ている)
藤野の心に漫画を書き続けるという意思を
見出すことができるのだが
藤野が漫画を書き続ける理由それは
ライバルでもあり、尊敬もしている
京本に読ませたいためである
藤野と京本の二人の「漫画」を通じての
友情と切磋琢磨した日々を静止画ではなく
動くアニメでもっと見たかったというのが
本音ではあるが
近年稀に見る
「画」と「映像表現」で感動させてくれる
映画版「ルックバック」は地味な内容ながら
実写映画では表せないアニメーション映画だと思う
素晴らしい作品でした
原作盛り盛り
背中
何かに打ち込む背中は美しい
藤野の虚栄心が結果的に自分の原動力になる感じは昔の自分を投影してしまった。
恥ずべきことなのかもしれないけど、社会ってそんなものの積み重ねなのかもしれない。
京本が報われて欲しいと思うけど、理不尽なことがあるのも人生だし、残った人間は残った人なりに生きていくしかない。できれば去った人の何かを引き継いで生きていく、去った人はきっと頑張っている人の背中を見ている
作品を作ることへの熱意や愛情、漫画家の苦悩に溢れた作品
なにかしらの作品すら創作したことのない私が述べられる感想などないと思うのですが、本当に胸に刺さる良い映画でした。
なにかを作る、漫画を描くということへの熱意、愛情、苦悩がダイレクトに刺さりました。
不幸な事件で友人が亡くなった場面で主人公がとった行動は消えかけていたい漫画への熱意を再び燃やし、描き続けることでした。
本作品では、小学生の主人公が描いた漫画が不登校引きこもりの京本を外の世界に引きずり出し、一緒に漫画を描き、最後、京本は芸大で無差別殺人の犠牲になる。
自分の作品が誰かに影響を与えるということを知った藤野は、もし漫画を描かない人生だったら、というifの世界を思う。
でも後ろを振り返っても何も変わらないから、前を向いて、ひたすら漫画を描くんだ、というエンドロールの藤野の背中に魅せられました。
日本って不思議の国だわー。
追いかけるのか追いかけられるのか
運命的に、田舎で出会って戦友となった二人。
他愛もない言い争いで分かれたものの、道は別々になっても、どこかで元気にやってる、続けている、と信じていた存在、いわば魂の片割れのような人。
突然理不尽に奪われてしまって己の支えはどうなるのかと心配になってしまう。しかし、これまで歩んできた道が続けて先を照らすのには参った。
誰かの背中を追いかけてきたと思ったら、今度は自分が追いかけられる存在になっていた。じんさいではどちらかが歩みをやめてしまったり、なんならどちらも止まってしまうことの方が多い。この作品は理想的な関係の二人だった。だからこそ悲しい。
京アニ事件をどうしても思い出す。前を向いて奮闘していた人たちが理不尽に奪われてしまった。辛いし、悔しい。
過去と共に前へ進め
とても良い映画だった。
原作が発表された時、
見始めたら止まらずあっという間に読めたので
30ページぐらいの短編だったと思ったら
コミックス1巻分あって驚いた。
漫画からのアニメになった意味のある映画だった。
躍動感のある絵、美しい美術、そして声
原作をさらにドラマチックにしていたし、
見始めたらワンカットも見逃せない素晴らしい出来でした。
前半は自分の小学生の時も負けず嫌いに絵を描いてた
事を思い出し、
一緒に漫画を描き始めた時は羨ましく感じたし
二人がとてもイキイキして二人じゃないとダメな感じが
グッと来た。
どこまでが半生でどこからがフィクションなのかは
分からないけど、
藤本タツキさんは今日も前へ前へと進みながら
過去と一緒に原稿に向かってペンを走らせてるのだと
思います。
ひねくれ者の表現がすごい
観てよかった短編アニメ映画
先日(2024年11月9日)観ました。
アマプラ独占配信という事で、前々から少し気になりつつも、出来るだけ予備知識なしで臨もうと、関連記事などから目を逸らしていました。
今回観て知ったのは、チェンソーマンの作者の作品である点や、中学生の女の子2人の漫画に関する物語であり、最先端のデジタル技術ではなくアナログの手書きにこだわった作風などです。
基本的に学生ものの作品は食指が伸びにくい所がありますが、本作は再生から5分とかからず引き込まれました。
クラスで漫画がうまい藤野。ちょっといい気になっている所に登場する京本のずば抜けた景色たち。クラスメイトの関心は京本の画力に移り、居場所を失いそうになった藤野が一念発揮。交友関係すら断ち、絵の稽古に没頭していく…と言った展開です。
60分を切るとっかかりやすい尺と手書きならではの温かみのある絵のタッチ、ジャンル分けするのに難儀してしまう物語の変化に、気がついたら画面にかじりつかんばかりに観入っていました。
同じ場面が繰り返されるシーンがあり、どういう状況か分からなくなってしまった箇所がありましたが、エンドロールの余韻までお腹いっぱい堪能することができました。
5年前の夏に起こった凄惨な放火殺人事件を思い出すシーンがあり、当事者でなくとも胸が締め付けられました。
藤野と京本は出会えてよかったと、個人的には思っています。
この作品は家族で観てもらって、鑑賞後に家族みんなで話をしてほしいです。色んな意見が出てきそうですね☺️
追記
先日(2024/11/24)に妻と一緒に観ました。
やっぱり考えさせられますね😞
前を向いて頑張ろう!って単純な話じゃない気がする
ルックバックというワードから連想できそうな事柄は全て盛り込まれており
全編が 背後や背景、背中、過去、回想や回帰などに関連付けられている見事なショートショート。綺麗なコンセプト作品でした。
本質的には北野たけしの
あの夏1番静かな海 にも、近いテーマ性も感じました
ストーリー全体の枠はおそらく作者のパーソナルな体験や事情を強く含んでいるように感じるが
泣かせる 感動させる というのは短編ストーリーとして成立させるための装飾またはサービスであり
核となる部分はクリエイターが抱える業と呪いと希望の作品だったように思える。
小説や詞や絵、作曲など物を創作する作家を志す人の99%は陽の目を浴びることはない。
そもそも、そういった創作活動は基本的に誰にも求められていない行為だ。
ある日『あなたに漫画を描いてほしい』と知らない人に言われて漫画を描き始めた人なんて1人もいないだろう。
誰にも求められていないのに作家はある日から絵や漫画や歌の創作を始めるのだ。
『では何故、作家は作品を作るのか』
という部分を掘り下げた作品です。
ルックバックの主人公フジノは終盤で
自分が描いていなければ友人は死ななかった
のに、と絶望し過去を思い出す。
『こんな面倒な事やるなんてバカがやること』だと言うが、それならなぜ自分は(自分たちは)描きつづけたのか?という核心に気付く。
もちろん、それはフジノの第一のファンであり決別後にも裏で献身的に支えてくれていたキョウモトのため でもあるのだが
さらに突き詰めれば 自分のためなのだ。
フジノもキョウモトも自分のために描いていた。
その証拠にフジノが漫画を描かなかった世界線のキョウモトは自らの意思で美大に通っている。
キョウモトはキョウモトで自分の絵を突き詰めたい人間なのだ。
つまりフジノがいなかったとしたもキョウモトは絵を描き続けるし
逆にキョウモトが死んだとしてもフジノは漫画を描くことはやめたりしない。
これは少し無常で冷淡な人間関係にも見えるが、実際はその逆で
君がいなくなっても描く
僕が消えても描いてくれ
という真剣な作家同士の強靭な連帯感や信頼関係がそこにある。
ルックバックの解釈として
辛い過去があっても前向きに生きていこうね!という映画だ。という解釈もあるが
それはそれで間違っていないと思うのだが
私の解釈としては
作家性のある人間が作った作品には
その作家の積み上げてきた努力や研鑽、趣味嗜好などが、その作品の背景として見えてくる。
ルックバックは
そういった作家達の本音。声を出しては言えない部分
『自分の存在を見てほしい』という創作の業と願望をテーマにした物に思えた。
万人向けの作品というよりかは
作者が志す作家感を全肯定するための剥き出しのポエムのような作品。
多分作者は20代とか若い人なのだろうと思うが、作家として貫きたい物を両手いっぱいに抱えてるのだな、という事は分かりました。
Look back
藤本タツキ作品は、チェーンソーマンをはじめとして、その他短編集も読んでいる。私はファンのひとりである。本作品は、2年ほど前、寝つきの悪い日曜日の夜に一気読みし、感動と切なさで余計に眠れなくなってしまったことを覚えている。
これは、鑑賞後にタイトルの真の意味がわかるタイプの映画である。なぜ漫画の表紙に描かれた主人公が窓際でひとりで絵を描いているところなのか。
主人公(藤野)は絵を描くのが得意で、学級新聞の四コマ漫画を担当し、絵を周りから褒めれることが大好き。あるとき、不登校の生徒(京本)が描いた四コマ漫画を見て、あまりのレベルの高さにショックを受ける。それでも藤野は、絵を勉強し、よりうまく描けるように努力を続ける。それでも差は埋まらず、一度は諦めてしまうが、たまたま会った京本に「先生」と言われ、気持ちよくなり、猛勉強を再開する。そこからは2人の漫画共作が始まっていく。
物語は高校生までは順調に進むが、2人の進路は漫画家と美大進学で完全に分かれてしまう。大学内で起こった事件により、京本は亡くなってしまう。そのとき藤野は回想し、京本の人生の分岐点に、自分が大きく関与したことに気付いてしまう。そこからは藤野らしい明るく爽快な妄想と思われるシーンが繰り広げられる。そして新たな四コマ漫画を窓に貼って再び仕事に戻る。
ストーリーはほぼ原作通りで、色が入ることで、漫画を描いているときの窓の外の景色や背景の美しさが際立っていた。58分という短い上映時間であるが、これ以上ない濃密さでストーリーは進んでいく。
辞書では、「look back=回想する」であるが、最後のシーンや京本と漫画を描いているシーン、藤野の性格からして、タイトルがその意味を表してしていないことは明らかだろう。
よくみるお涙頂戴アニメ映画とは完全に一線を画する。やはり藤本先生おそるべしである。
凄かった
またね
初対面の二人の去り際の言葉が圧倒的期待感を持たせてくれて最高。
58分だけで映画として超傑作を作れるんだということを提示してくれる意欲作。映画内におけるダイジェストシーンって「君の名は」とかで象徴されるように演出的にも凝っていて面白いことが多いんで、「それだけで完成させればいいんじゃね」という狙いかどうかはわからないけど、メインに据えることで上手くハマって成功している。
初対面で尊敬しすぎて同級生を先生と呼んじゃう場面が序盤の名場面。後半の名場面はブラックコメディな4コマを実は相方も制作しており、それがけっこうクオリティ高いところ。オチの背中を見ろ=タイトルにもリンクするという構成が綺麗。個人的な心情だけど、あの4コマ切り取りが時空を越え、空手少女の主人公が正史になる終わりかたでも良かった気がするんだけどなー。
タツキはおそれている。
自身の出世作第二章を前に、今一度過去を振り返る様な自伝的漫画(だと勝手に思っている)。
とにかく病的に描く描く描く、その喜びと苦しみのループは、そっくりそのまま作者の頭の中なのだろう。突然挿入されるあの事件の描写は、漫画的に都合良く成敗する結末を選ばず、現実を突き付けて終わる。死んだ人は帰って来ない。
漫画から感じたそんな想いが全く表現されていない映画。
全791件中、101~120件目を表示