クワイエット・プレイス DAY 1のレビュー・感想・評価
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終わりの始まり
限りある人生の中、人はいかに生きるか
サルノスキ監督の長編デビュー作『The Pig』を観た時、この人には他とは違う感性と具現力、そして何か得体の知れない事象や状況から主人公の生き様を克明に発露させる力があると感じた。案の定、今作のスケールはデビュー作と比べようがないほど巨大なものになったが、しかし「音を立ててはいけない」という説明要らずの状況設定の下、主人公が選び取る動線は至ってシンプルだ。阿鼻叫喚の地獄絵図と化したNYで、静々と行進するおびただしい人々の波を、一隻の船のごとく逆行していく姿が象徴するように、彼女の望むものは他者とは違う。見つめるものや目線、価値観すら恐らく違う。ただ生き延びたいとすがるのではなく、そこには明確な意思と目的がある。その根拠の部分に胸が震わされ、ああ、これは100分という上映時間の中で人生を凝縮させた物語なのだなと納得させられた。人はいかに生きるか。これは絶望の中における希望の物語なのだと思う。
音立て即死の最新作はハーレムへのアンセムに
突如宇宙から飛来した何者かが、研ぎ澄まされた聴覚で音を立てた人間を即行で処刑していく。この斬新なアイディアはリブートともプリクエルとも言われている第3作でも効果的に使われている。違うのは舞台。ルピタ・ニョンゴ演じるヒロインは、何者かが待ち構えるニューヨークのマンハッタンをロウアーサイドから思い出の地、ハーレムまでロードしていく。同行者は1匹の猫だ(この猫のキャラ設定が面白い)。
存命者たちが全員マンハッタンを南下してボートで脱出を試みる中、1人、北へと逆行するルピタには、どんな結末が待っているのか?ハーレムはどうなっているのか?そもそも、なぜハーレムなのか?という観客のクエスチョンは、ラストシーンで見事に回収される。危険なロードのスリルはもちろんだが、最新作がハーレムへのアンセムになっているところが筆者の好みだった。このシリーズまだまだ続きそうだ。
怪物が現れた最初の日ということだが、特に変わった情報もなく、前2作...
フロド推し!
一番良かった演技は猫のフロドでした。最も優れた映像は橋の爆破シーンでした。製作陣の中に名を連ねているマイケル・ベイ。さすが破壊王です。隕石群の落下から聴覚の優れた捕食異星人の襲来の1日目に凄い決断したものです。奴らが水に入れないとか、わかっていたんでしょうかね。
1作目である『クワイエットプレイス』(2018)では何者かがわからず、絶えず恐怖心を煽られましたが、その前日譚でもある今作は田舎から都会へと舞台を変えただけで、ストーリーもありきたりなもの。それでもルピタ・ニョンゴ演ずるサミラのキャラ設定などは感銘を受けた。癌でいつ死んでもおかしくないサミラ。父親がジャズピアニストだったというのも好みです。推し!
ニューヨーク中華街でサミラが入った雑貨店。どうしても「推」の文字が目に入ってしまいましたが、中国語で押すことを推と書くのですね。映画は色々勉強になります。車の窓を割ると警告音が鳴るとか・・・非常時で放置してあっても鳴るのかな?
パートⅢだけど、しっかり楽しめる作品だった!
『クワイエット・プレイス』パートⅠ・Ⅱはとても好きな映画。後から知ったことがあって、お父さん役の俳優さんが監督で、お母さん役は彼の実際の奥さんだということ。二人のリアルな親密さと、家族の絆を描ききったところが、映画での極限の状況という展開に、いい意味でのギャップを生んでいたのではと。今回は監督も変更ということで、正直なところ、そこは気になっていた。
主人公サムは癌で余命いくばくもない。その彼女のサバイバルという斬新な設定。じきに訪れるであろう死という未来が、クリーチャーに殺される恐怖に勝ってしまうのでは?という変な感じが、観る側には生まれると思う。彼女は普通に動けるものの、無駄な肉がいっさいない頭蓋骨型頭部が病を感じさせ(ウール・キャップが似合っていたよね!)、それにクリーチャーに対して半端なく怯えるという迫真の演技も加わって、自然とその複雑な状況を受け入れちゃうんだよね。
誰にも心を許さない少しひねくれた性格で、こんな場合に「ハーレムのピザ屋さんのピザを食べたい!」とか、変な人だなという最初の印象だったけど、物語が進むにつれ終盤のロマンチックな場面も加わり、友達になりたいくらい優しくてイイやつじゃないの?に変わってしまう魔法的な展開があったよね。
完全な静寂の中で、ピリピリハラハラする恐怖の展開が待っているのは前二作と同じ。舞台がマンハッタンだけあって、今回はスペクタクル感もあって、ちょっとした音が戦慄の始まりというか大量虐殺につながっていく。戦闘シーン的なものも大音響の迫力だった。
そうそう、サラが飼っている猫が目立っていた。なにが起こっても主人公のところに戻ってくる忠実な猫だけど。この状況で猫だもね。どこかとんでもない局面でニャーと鳴いちゃう伏線なのかなあと思ってハラハラして観てたたけど、、、
いま一瞬頭に浮かんだことで深い意味はないのだけど、この猫が結構重要な役割を果たしているような気がした。たくさんの人が残虐に理不尽にどんどん殺されていくシーンはだれも文句を言わないけど、もしこの猫が殺されるソーンがあったとしたら、ちゃんとした必然的な理由があったとしても、非難の嵐になる可能性を感じた。なんで、そうなるんだろうね。
さらに話はそれるけど、この猫がネズミを追いかけるシーンがあって、そこで猫が一撃でネズミを殺していたら、この映画の意味は、まったく変わってしまっただろうと思った。
あっ!猫ちゃん好きの人、ごめんなさい!!!
何を言いたいのかわからない文章になってしまいましたが、いろいろ考えさせてくれるとこもあっていい映画でした!
吾輩は猫である
黙詩録
“クワイエット・プレイス・シリーズ”のスピンオフ作品。エミリー・ブランド演じるお母さんと子供たちが登場するシリーズ前日譚として紹介されている。最近は、アメリカ大統領選挙関係のYouTube動画ばかり見ていたせいか、どうも脳ミソがトランプ推しの人々に大分洗脳されてしまった気がする。ニュートラルなポジションに一度頭を戻したいと思っているあなたに、是非お勧めの一本だ。
音に反応するエイリアンが今回も人間を襲いまくるのだが、そのエイリアンたちを人間がやっつけるようなリベンジ・ストーリーにはなっていない。ある意味“世の中が終わる”ことを受け入れた、不治の病におかされたアフリカ系女子サミラ(ルピタ・ニョンゴ)とロースクールに通っていた英国人青年エリック(ジョセフ・クイン)のショートロードムービーになっている。何ともおとなしい介護猫(名前はフロド)を連れて、2人はハーレムにある老舗ピザ屋を目指す。
音を立てれば即座に襲われるため、ひそひそ声でしゃべる必要最低限の会話だけ。効果音を除けばほぼサイレントに近い映画なのである。(現実にはあり得ない)静けさが辺りを支配するNYマンハッタンで、避難船へ向かう人の流れに逆らうようにピザ屋を目指す男と女。外は嵐、激しい落雷と雨音で、部屋の中の会話もエイリアンには届かない。詩人でもある余命幾ばくもないサミラが以前出版した詩を、エイリアンの来襲で人生計画が大幅に狂い困惑するエリックが読み上げる。
悪い計算
(医者に)1年から2年といわれ 2年が過ぎた
4ヶ月から半年といわれ 半年が過ぎた .....
簡単な算数だけで長いこと生きてきた
それ以上必要なかった それ以下も
4そして3へ さらにもっと小さい数字へ
数ヵ月 数日 数時間 数秒
でもまだだ
もう長くは生きられないとわかった時、人間は今ある生にしがみつき、やはり延命を計ろうとするのだろうか。それとも、エイリアンによる突然の来襲と不治の病というダブルショックに見舞われてもなお人間は、サミラのように希望の灯りをともし続けることが出来るのだろうか。フロドの導きで“九生”を得た(命の危険を何度も切り抜けた)2人は、たとえもうすぐ死ぬとわかっている人生でも意味があることを悟ったに違いない。“この世で最後の一枚”を食べることができなかったとしても。
悪くない出来だが…
TVスペシャル番組程度の内容に感じる
改めて映画として作ってきても、目新しさがない。
この作品を観る人は、過去の作品のファンが大半とは思う。
新しい事実とか色々期待して観るんじゃないだろうか?
初めて「クワイエットプレイス」シリーズを観る人にはそれなりに刺さるかもしれないが、何しろ静かな映画だ。
大半のホラー映画が音で驚かせる常套手段を用いるのに比べて、音を発てると襲ってこられる為、主要人物は物静かで音を出さない事に腐心している。
その部分に感じる事はあるが、静かすぎて眠りそうになる。
丁寧に作っているのは分かるがもう3作目で慣れてしまったユーザーにはあまり褒められそうにない。
今作もそうだが、取り敢えずどんなもんか観ておこう程度の理由で見ているので今後も評価は上げそうにない…。
ラストシーンももうちょっと何とかならなかったのか?
そんなに悪くなかったんじゃないか
ちょっとした付き合いで本作を観ることになったが、無印のクワイエットプレイスは観ていない。それでも、音を出したら異星人のようなものに襲われるということくらいは知っていたし、その程度の知識で鑑賞に支障は感じなかった。
さて内容についてだ。無印はホラーと認識していたが違うのかな。この作品はギリギリパニックホラーといえなくもないくらいのスリラーだったかと思う。まあホラーは苦手なのでこれで良かったのだが。
前二作を観ていないので異形のものが何で追えるのか謎すぎて集中できなかったという難点はあったけれど、娯楽作としてそれなりに観られたかと思う。
一つ興味深いこととして、主人公の余命が永くないことをあげたい。
この手のパニックホラーの場合、脅威から逃げ延び、または打ち勝って生き残ることを物語とするものだが、本作では逃げ延びたとしてももう永くないのだから変わっている。ちょっと酷い言い方をするならば逃げ延びることに余り意味がないのだ。
では何をするのかというと、もう永くないからこそ、最期に叶えたい望みがあり、無謀だとしても突き進む原動力になる。
生の可能性がないからこそ燃やしつくそうと奮闘する展開は面白いと思った。
主人公は猫さん
と言っても過言ではないぐらいストーリーを引っ張っていく猫さん大活躍
末期がん患者のサミラが主人公。ニューヨークのホスピスで残りわずかな余生を過ごしていた。看護師のルーベンがマンハッタンにマリオネットのショー鑑賞に誘うが、気乗りがしないサミラ。
鑑賞後にピザを食べよう、という提案に渋々乗ったサミラは、介助猫のフロドとともにマンハッタン島にあるシアターに行く。
すると、ショーの途中にシアター外に出たサミラが見上げる空にはいくつもの隕石が落下してきていた。
サミラの近くにも落下し、目の前が埃だらけで視界をほぼ奪われた中、うっすらと見える先では次々に人が何者かに襲われているよう。
視界の悪い中必死に逃げるサミラだったが、爆発に巻き込まれて気を失う。
パート1は視聴済み、パート2は未見だけどパート1の前日譚のはずなのでおそらく2観ててなくてもいけるかな、と思い鑑賞したけど、まあ特に問題はなかった。
一応パート1で相手がどんなものなのかは理解ができているので、そこの設定の説明は私は必要無かったけど、ここから観始めた方には若干唐突に感じるかな。
爆発でドッカンいかれて、目を覚ましたらもう喋ってはいけないルールが周知されている感じ。
要はそこが問題なのではなく、そこから主人公始めどう生き残っていくのか、がテーマ。
特に主人公は余命わずかな末期がん患者、生への執着か、それとも自分の望む最期か、パート1の音出しちゃいかんのに子供こさえたアホ夫婦の話から随分と高尚なテーマに昇華しててビックラこいた。
途中で出会う臆病な男性エリックとサミラのやり取りはとても詩的で、クワイエット・プレイスシリーズでうっかりホロリとこさせられるとは想像もしてなかった。
終盤の展開も含めて、今までのおバカ要素はほぼ無いとても詩的な作品だった。
あの、どーやったら音鳴らさないで暮らせるか大喜利展開を期待しての鑑賞は不向き。この作品はパニックホラーじゃ無い。
他のシリーズ作とは全く違った、生きる目的とか自分の最後の迎え方をふと考えさせられる不思議な作品だった。
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