「題材のチョイスは良いが、キャラクターの描き方に相当の難アリ」スパイダー 増殖 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
題材のチョイスは良いが、キャラクターの描き方に相当の難アリ
【イントロダクション】
本国フランスで過去20年間フランスホラー映画No.1ヒットを記録。毒グモが異常繁殖したアパート内で、住人達が脱出を試みるモンスター・パニック・ホラー。
監督・脚本は新鋭セバスチャン・ヴァニセック。
【ストーリー】
北アフリカの砂漠で、密猟者達が強力な毒を持つ糸グモの巣を発見し乱獲する。しかし、密猟者の1人は蜘蛛に噛まれてしまい、その強力な毒性による苦痛に悶える。やがて苦痛に見かねた仲間が、ナタを振り落とし男を楽にした。
フランス。とある店で買い出しをするカレブ(テオ・クリスティーヌ)は、自分の住むアパートを引っ越す事になった女性へのプレゼントを探していた。店主に懇願して上質なイヤリングを提供してもらおうと店の裏に連れて行かれると、そこには店主が密輸入した生物が並んでいた。カレブはその中にあった1匹のクモを気にいる。クモは腹が膨れていたが、店主は「良く食うから」だと言う。カレブはイヤリングとクモを購入すると、パリ郊外のアパートへ帰っていった。
パリ郊外。特徴的な円形の建物が目を引くアパートに帰宅したカレブは、爆竹で遊ぶ若者達を叱りつけ、管理人の中国人ザオの片付けを手伝うもゴミ袋から漏れ出た液体が服に付着し散々な目に遭う。カレブは自身が生業としているスニーカーの転売商品の在庫管理に地下を訪れ、商売仲間のマティス(ジェローム・ニール)と話す。カレブはマティスから、トゥマニという若者達のリーダー格がエアマックスの注文がいつまでも届かない事に痺れを切らしている事を知る。靴の在庫はあったが、箱にダメージがあった事から、仕事に拘るカレブは靴を自宅に持ち帰り、箱を交換する。
カレブは帰宅すると、自宅の改装工事中の妹マノン(リサ・ニャルコ)と口論する。自室に戻ったカレブは、持ち帰ったクモの一時的な保管場所として靴の空き箱を割り当てる。しかし、クモは箱の底を破り、密かに逃げ出してしまう。
翌朝、カレブは自宅の改装工事を手伝いに来たかつての親友ジョルディ(フィネガン・オールドフィールド)と、その彼女リラ(ソフィア・ルサーフル)と鉢合わせる。カレブの過去の過ちによってジョルディは足に後遺症を抱えており、2人の夢であった爬虫類園を開業する事も叶わずにいた。
一方、カレブにスニーカーを渡されたトゥマニは、自宅に持ち帰った靴を早速履こうとすると、中に居たクモに噛まれてしまう。靴の中を確認すると、無数の子グモが飛び出し、彼の身体に這い上がってきた。トゥマニが自宅から出てこない事を不審に思ったカレブ達は部屋を確認する。するとそこには、変わり果てた姿のトゥマニが居た。警察がやって来ると、遺体の状態から伝染病の線を疑い、住人達に自宅待機を命じた。
カレブはトゥマニの死因と靴の箱からクモが逃げ出していた事から、自らが持ち込んだクモのせいではないかと疑い、ジョルディ達に問い詰められ真相を話す。
やがて、クモ達は異常な繁殖力でアパート中に蔓延るようになり、カレブ達は脱出を迫られる。
【感想】
予告編が公開された時から、「観たい!」と思っていた本作。しかし、公開館数の少なさから劇場鑑賞を見送り、ようやくレンタルDVDで視聴。
個人的に、蜘蛛を扱ったモンスター・パニックはゲイリー・ジョーンズ監督『スパイダーズ』(2000)、ローランド・エメリッヒ製作総指揮、エロリー・エルカイェム監督『スパイダー・パニック』(2002)と、意外と侮れない隠れた逸品があるイメージで、特に本作においては巨匠スティーヴン・キングが「怖くて気持ち悪い。非常に良く出来ている」と絶賛した事もあり、期待していた。
実際、砂漠から違法に密輸入されてきた凶悪な毒糸グモが繁殖し、アパート中を巣窟化させる件や、時に人体や犬の身体を突き破って出て来る件は、蜘蛛版『エイリアン』(1979)を彷彿とさせ、CGの出来も相まって非常に恐ろしく、こちらの嫌悪感を刺激してくる。
しかし、事態の原因が主人公にある以上、どんなに仲間を失って悲しもうと、どんなに負傷して妹や仲間を守ろうと、どんなに必死に訴えようと全て「どの面下げて言ってんだ?」感しか生まれず、キャラクター達に感情移入出来ないまま話が進んでいくのは大幅なマイナスポイント。
確かに、カレブが店から蜘蛛を買っていなければ、あのまま店の中で大繁殖し、街中に毒蜘蛛が逃げ出すという更なる大惨事が予想された。カレブの軽率な行動は、ある意味では大勢の人を救っていたとも取れなくもない。
しかし、そもそもとして、蜘蛛が繁殖する原因をカレブに背負わせるのは間違いだったのではないだろうか。撮影では実際に200匹の蜘蛛が使用されており、舞台となる特徴的な外観のアパートは、パリ郊外に実在する“ピカソ・アリーナ”という公共住宅だという。監督もこの地で生まれ育った経験から、その見た目によって人々から忌み嫌われる蜘蛛と、自分達のような郊外に住む移民や低所得者といった都市部の人間から差別を受ける事に重ねて描く意図があったそう。そんな思いがあるにも拘らず、これでは逆に低所得者への差別意識を助長する結果になってはしまわないだろうか?
例えば、カレブは店でクモを購入するつもりはなかった(高過ぎて予算が足りない等)が、店主が腹の膨張から繁殖の危険を察知しており、持て余して押し付ける形でサービスしたり、他の生活用品も購入して段ボールか何かに入れて持ち帰ろうとした際、誤ってクモを収納していたケースが荷物に紛れてしまう等、カレブを悪者にせずともクモを持ち帰らせる方法はいくらでもあったはずだ。そして、カレブはクモを哀れに思い、ならば自室の飼育環境に新しく加えようと、一時的に靴の箱に保管していたが逃げられてしまう等だ。
カレブに原因を背負わせない配慮があれば、本作はもっと評価出来るだけのポテンシャルのある作品だっただけに、残念でならない。
「誓うか?」という問いに頑なに「誓わない」と返すカレブのキャラクターと、その価値観が経験された親友との過去や母を失った経験という背景は良かったが、それがラストで妹を救う際に掛かって来る事は容易に想像出来てしまい、実際にそうなる為、作中度々そのやり取りを繰り返す演出は少々鬱陶しく感じた。
また、本作の特徴として、ジョルディやマティスといった「良い奴から先に死ぬ」という手法を取っているのも興味深い。実際、殆ど役に立たず、事態を悪化させる行動ばかり取っていた(クモへの火炎瓶投擲など)カレブや、空気同然の存在であった妹のマノン、けたたましく泣き叫ぶリラといった「本来、真っ先に死ぬべき奴」が生き残るというのは意図した演出だったのだろうか?
メインとなる毒糸グモの脅威的な繁殖力と成長速度には、先述したエイリアンも真っ青である。ジョルディが調べた「敵が居る環境では巨大化する」という設定も、後半に行くに連れサイズがバカバカしいレベルにまで巨大化していき、ツッコミ所満載である。
ラストでアパートは爆破解体されるが、果たしてクモは完全駆除出来たのだろうか?
【総評】
前評判の高さや題材のチョイスから、興味を惹く力は十分に秘めている作品ではあった。しかし、事態の原因が主人公にある、クモの繁殖力や成長速度が異常と、ツッコミ所も満載であり、かと言って「バカ映画」と言うほど荒唐無稽さが振り切れているわけでもないので、全体的に中途半端で勿体ない一作となってしまったように思う。
それにしても、改めて考えると《過去20年間フランスホラー映画No.1ヒット》という謳い文句は、随分と限定的な範囲内でのNo.1だなと笑ってしまう。