走れない人の走り方のレビュー・感想・評価
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実験精神の溢れ
蘇鈺淳監督・団塚唯我出演作品。
日常を移動しているだけでロードムービーは完成できることを軽やかに語ってみせる本作。それも物語世界における虚構/現実の完成度の高さと往復が巧みだからであろう。
グリーンバックやコインランドリー(ぐるぐる回転運動)、撮影現場や映画の制作過程など一見すると虚構/現実を攪乱させる常套手段が駆使されている気がする。だがカメラワークがあまりにも絶妙だから「俗にいうつまらない邦画一般」には成り下がらない。例えば桐子らが打ち合わせをする室内から、別の組が行うオーディション会場への移行をアシスタントの動きにフォローする形で行うのは鮮やかだ。さらにオーディションでは俳優に自分を表現する1から10の数え方をさせるなどアクションとしても見応えがあるし、その数えをアシスタントもやることで虚構と現実の往来をしているのだから素晴らしい。
ただ物語の大筋で特異なことがあるかと言えばよく分からない。「走れない」で語られる不可能は、主演女優のキャスティングが難航しているといった映画制作における困難に収束している。飼い猫の失踪や同居人の出産といった「偶然」も導入されているが、そのディティールも特異だと判断はつかない。また「走り方」も監督が主演をやることであり、それもありきたりでは?と思ってしまった。
しかしやっぱりショットそれ自体の実験精神は面白い。ランティモスみたいな魚眼レンズが採用されていたり、桐子がはじめて自室で過ごすシーンでは、音声イメージと照明で電車が横切ることが表現されている。それが後の洗濯物を干すシーンでみえる電車の横切りと反復し、彼女らが路線沿いの部屋に住んでいることを準備しているのだから凄い。
占いやジョナス・メカスのポスターが貼られているなど興味深い細部もある本作。蘇鈺淳監督のPFF入選作品『豚とふたりのコインランドリー』はみれていないから、私の「ロードムービー」はまだ終わらない。
私の頭の中のフイルム
冒頭のシーンの意味は分かるのだが、あの糞マナー男の意図が分からない。
中盤の10年延滞したDVDやシネマリンのシーンなど、必要性を感じないカットも多かった。
とりあえず、桐子の監督としての立場が不鮮明で、そこが掴めないから出来事の重さも測れない。
途中で賞に入選までしたと語られるが、スタッフ同士が下の名前で呼び合うなど学生映画の延長にも見えてしまう。
会話のリアリティ、特に実家での親子の会話は非常によかった。
予算やキャスティング、スケジュールなどの悩みもリアルなのだろう。
しかし“現実”の垂れ流しでは映画としての深みは出ない。
「ロードムービーを撮りたい」と桐子は言う。
しかし、それ以外の明確な意思が見えず、撮りたい“画”だけが募っているように感じた。
それはこの映画そのもののように見える。
序盤の「制約の中でいいものを撮る」という話でタイトルを連想したが、それ以上には感じなかった。
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