「この映画に私的感じた問題点とは」朽ちないサクラ komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画に私的感じた問題点とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『朽ちないサクラ』は、愛知県警の広報広聴課の職員の主人公・森口泉(杉咲花さん)が、殺された彼女の親友である新聞記者・津村千佳(森田想さん)の殺人事件の真相を探るストーリーです。
しかしながら、この殺人事件の犯人が明らかになるまで、映画自体は停滞していた印象を持ちました。
その大きな理由は、登場人物のほとんどが何かに捉われ後ろ向き内向的に感じられた所にあると思われました。
主人公・森口泉は、親友の新聞記者・津村千佳に、ストーカー殺人に関連する慰安旅行の情報を流してしまったこと、その事が遠因になり津村千佳が殺されてしまったこと、を悔いています。
新聞記者・津村千佳は、親友の森口泉を裏切って慰安旅行の記事を書いたと疑われた疑念を晴らすために、その私的な理由で慰安旅行の記事が書かれた深層を明らかにしようとし、結果、殺害されてしまいます。
森口泉の上司である、県警広報広聴課長・富樫俊幸(安田顕さん)は、過去の宗教団体ソノフのテロを防げなかった過去を悔いています。
辺見学(坂東巳之助さん)は、慰安旅行によって被害届の受理を先延ばししストーカー殺人が起こったことを悔いています。
森口泉のバディとなる警察官・磯川俊一(萩原利久さん)も、キャラクターとして積極的に事件解明に進む駆動力は余り感じませんでした。
殺人事件の捜査を指揮している県警捜査一課長・梶山浩介(豊原功補さん)も、捜査本部の全体での捜査の動きは犯人の車の特定場面以外は出てこず、それ以外は単独的で、本来の警察捜査の駆動力は感じられませんでした。
この、映画の終盤まで感じさせる停滞感は、それぞれの登場人物の後ろ向き内向性、あるいは本来の駆動力の無さが理由だったと思われます。
そして、この終盤までの重苦しい停滞感の理由は、映画の最終盤で明かされる本当の事件の真相で理解することが出来ます。
つまり、最終盤で明かされる事件の真相が、なんら現実的には解決解消されないからこそ、映画全体を覆う停滞感だったのだと思われるのです。
人は、問題が解決されない厳しい現実に出会えば、ひたすらに内向し停滞し続けるでしょう。
しかしながら映画作品としては、映画の大半を占めるこの停滞感に観客としては(真相が分からぬまま)つき合うのは困難であり、その真相も作品の最後になっても解決解消されないのであれば、映画全体を通してもちょっと厳しい評価にならざるを得ないと思われます。
せめて映画としては、最終盤の本当の真相が明らかになる前までは、ミスリードでもあくまで殺人事件の解決のために駆動力を持った事件解決を目指す、警察捜査に重きを置いた描き方をする必要があったのではないでしょうか?
そのためには例えば、森口泉やバディの磯川俊一を、初めから捜査一課の捜査員として設定し直し、捜査一課の情報も観客に見せ、警察組織として捜査に当たっている場面を見せ続ける必要があったと思われます。
また、オウム真理教をモデルにした宗教団体ソノフの描写も表層的で、さすがにこんな手垢のついた描き方では題材としては古すぎる印象を持ちました。
(出てくるマスコミの描き方も表層的過ぎたとも‥)
演出としても全体として内向的で視野が狭い感じがして、もう少し多角的な視点で描く必要があったとは思われました。
前半からミスリードでも駆動力を持った殺人事件解決ドラマとして、そこに親友のエピソードが絡み、最後に全く予想外の事件真相のどんでん返しがあれば、私達が当初予想した映画の満足感を観客にも示せたのではと思われました。
(本当にこんなことが実際ありますかね?という疑念はさておき)
題材としては傑作になる要素は多分にあり、今や重要な名優の一人である杉咲花さん、映画『辰巳』で印象的な演技を見せていた森田想さん、そして安田顕さん萩原利久さんなど優れた役者の皆さんが集結しながら、本当に惜しい作品になっていたと、僭越ながら思われました。