「犬好きの社会と猫好きの個人」ヒットマン うぐいすさんの映画レビュー(感想・評価)
犬好きの社会と猫好きの個人
大学講師の傍ら電子工作の副業で警察の捜査に協力していたゲイリーが、殺し屋役として囮捜査に担ぎ出されたばかりに足を踏み入れる道ならぬロマンスと、その結末を描いた作品。
変装モノの作品は変装の出来やキャラの使い分けのぎこちなさによって白けてしまったり、どの顔がハマっているかでストーリーの先がわかってしまう部分があるので、個人的には難しいジャンルだと思っている。本作はゲイリーを変装の名手とせず、織り交ざるチープな変装が依頼者達の短絡さを強調したりコメディ味として効いていた。
人付き合いの薄いゲイリーの人格を掘り下げる際にモノローグだけに頼らず絶妙な距離感の人物を登場させたり、合間に挟むゲイリーの授業風景をそれまでの話の総括と次の展開の匂わせに使ったり、伏線の徹底回収ぶり、囮捜査で公判を維持できるのかという疑問にも答えて…と、ストーリー構成が非常に丁寧だった。そうして感心した分、ラストには驚いた。
ロンとして語っていた言葉が半ば本心だったのか、奔放かつ理解ある彼女ちゃんの存在には勝てなかったのか、興味本位で覗いていたものに影響されたのか、授業で言っていたことが持論だったのか、…等々、納得材料が無いわけではないのだが、これまでの変遷の描写が丁寧だった分セリフだけの説明には唐突感があった。
エピローグでは画面に幸せの記号を敷き詰め、モノローグでもポジティブなことを語り、従来のゲイリーの暮らしとの対比も強調し、「めでたしめでたし」感をこれでもかと並べていた。それでも、大団円と言えるのかに疑問が残るラストだった。テンプレ的な幸せや『犬』達の実態、もっともらしいペルソナを皮肉ったブラックコメディと受け取ればよかったのだろうか。単に『顔』をもう一つ追加するためのエンディングなのかも知れないが。
ゲイリー・ジョンソンという人物が殺し屋に扮して囮捜査に協力していたというのは事実だそうで、このエピソードを多くのプロデューサーや俳優が映画にしようとしては断念していたらしい。ロマコメ的な切り口を入れることで今回の企画が進んだのだとか。遠慮のない脚色をした上で「実話に基づく…」という煽り文句を便利に使う作品が少なくない昨今、またラストがラストだけに、エンドロールで『ここまでは本当』という意味の説明を入れてくれた点は良かった。