劇場公開日 2025年11月1日

「正体不明に見えるイザベル•ユペールのあやしさ(怪しさ+妖しさ) のもとは正体をさらけ出して生きているから? 人間の本性を暴いてくれそうなホン•サンスの沼にハマってゆきそう」旅人の必需品 Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 正体不明に見えるイザベル•ユペールのあやしさ(怪しさ+妖しさ) のもとは正体をさらけ出して生きているから? 人間の本性を暴いてくれそうなホン•サンスの沼にハマってゆきそう

2025年11月10日
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鑑賞方法:映画館

実は私には外国語学習オタクみたいなところがありまして、大学を卒業してから現在に至る50年弱ぐらいの間に、ふと思い立ってNHKの TV•ラジオの語学講座のテキストを買って学習し始めた経験がある言語が英独仏西伊露中韓の8言語あります。このうち、比較的使用する機会に恵まれてまあなんとかなるレベルの英語•中国語以外は、年度始めの4月号のテキストを買って始めてはみたものの6−7月あたりには棒を折ってしまうというのをそれぞれの言語で何年かの間をおいて繰り返すといった感じで続けて(?)おります。

さて、この映画の中心にいるのは、韓国を旅している謎めいた年配のフランス人女性イリス(演: イザベル•ユペール)です。彼女は韓国語を話しませんから、ローカルの人たちとの会話はもっぱら英語です。ということで、これは主演にフランス人女優を迎え、韓国のソウルを舞台にし、劇中の主要言語が英語の韓国映画ということになりまして、語学オタクの私はそれだけで興味津々です。この映画では登場人物それぞれが自分の母語でない言語でコミュニケーションを図る際に、きちんと制御できる母語では言わないような内容がそこかしこに出てきて、妙なおかしみを感じさせます。

また、イリスは異国での生活費を稼ぐためにフランス語の個人レッスンをしているのですが、その教え方が秀逸です。生徒との対話を通じてその感情を引き出し、その内容からフランス語の詩めいたものを作り、それを生徒に暗唱させようとします。これ、外国語学習法としてはけっこういいセン行ってるんではないでしょうか。まあ、これだけではダメであくまでも学習の一部分として、といったところにはなりましょうが。昔、ビートルズの「涙の乗車券」”Ticket to Ride” の歌詞を暗唱したのを思い出しました。そこには ”She don’t care” なんて破格の英語の歌詞が出てくるので、文法はちゃんと基本を学ばなくては、ということになります。そう言えば、私が中学二年の頃にヒットしてたCCRの「雨を見たかい」”Have You Ever Seen the Rain?” は文法的にもちゃんと合っていて、当時習っていた現在完了の経験用法を一発で憶えることができたなと思い出しました。閑話休題。ここでイリスが怖いのは、ひとり目の被験者(レッスンの生徒のことなんですけど敢えてこの言葉を使ってみました)とふたり目の被験者が同じような反応になることから、彼女が外国語のレッスンを通じて洗脳めいたことをしているのではないか、と感じられることです。まあでも、マッコリを呑みながら、天真爛漫に本能のおもむくままに行動しているだけのようにも見えますが。

あと、イリスはかなり年下のボーイフレンドと交際しているのですが、たまたま息子を訪ねてきた彼の母親と鉢合わせしてしまいます。母親は自分より年上の女性の存在にびっくりして、イリスが不在のときに、彼女についていろいろと息子に尋ねます。母親から、どんな人か、過去に何をやってきた人か、とか尋ねられ、あなたは彼女のことを何もわかってないと揺さぶりをかけられても、息子は今の彼女が好きみたいです。ここで私の頭にはまたもや「洗脳」というキーワードが浮かび、イリスが若者を洗脳しているのではないか、とも考えたのですが、彼女にはそんな意図はなく、自然に本能のおもむくままに行動していたら結果的にそうなっただけなのかも、とも思います。彼女は非常にあやしげな存在ではありますが、実は逃げも隠れもせず自分の現時点での正体をさらけ出して生きているのではないか。そして、コミュニケーションの手段として彼女にとっては外国語である英語を使っていることと、彼女が旅人で周囲の人たちと異なる文化的背景を持っていることが、その生き方に大きく寄与しているのではないかと思いました。

で、タイトルの「旅人の必需品」のことです。韓国語の原題は知りませんが、英題は “A Traveler’s Needs” です。邦題の「必需品」は少し訳し過ぎの感じで、旅人に必要なこと、あたりの意味とすればよいのでは、と思いました。そうすると、イリスのように自然体で素直に自分を出してゆくことあたりが旅人に必要なことになってくるのかな。まあでも “Needs” と複数形になっているので、好きに解釈したらいいと思います。現地のうまい酒でもいいし、美味しい料理や友人、恋人なんてのもありかも。いずれにせよ、今回のイリスは必要なことをうまく確保していて「無敵の旅人感」があったように思います。

ホン•サンス監督については、私、これで4本目あたりでまだまだ初心者ですが、だんだんと「洗脳」されてきているのかもしれません。けっこう「食えない人」というか「人が悪い」タイプだと思っています。人間の本性みたいなものを見せるにあたって、他の監督なら劇的な展開にするところをあくまで自然に淡々と撮ってしまう、みたいなところがあって油断出来ません。「別冊ホン•サンス」で紹介される作品も私にとっては未見のものばかりですし、「月刊ホン•サンス」のほうでも毎月新作が公開されるということなので、これから数ヶ月、「ホン•サンス沼」にハマってゆきそうです。

Freddie3v