スペースマンのレビュー・感想・評価
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孤独の星海の果てに
Netflixと良好なパートナーシップのアダム・サンドラー。
『マーダー・ミステリー』のような得意のコメディのみならず、『アンカット・ダイヤモンド』や『HUSTLE/ハッスル』のような新たな才や演技力を絶賛された作品も。
本作はサンドラー初の本格SF。アクションやユーモアのエンタメかと思いきや、笑いやオーバー演技を一切封印したヒューマンドラマ仕立ての知的SF。
遥か銀河の彼方、謎の紫色の星雲の調査ミッションを遂行中の宇宙飛行士、ヤクブ。
地球を遠く離れ、すでに半年。たった一人で、“人類史上最も孤独な男”とも。
地球との交信や日々の任務をこなす彼の胸中は…
地球の妻の事。片時も思わない時はない。
が、その妻は…
ヤクブとの離婚を考えていた。
旅立つ前、ある悲しい出来事や口論、すれ違い…。
それでもヤクブは妻を恋しく思っていたが、妻の意思は変わらない。
妻と連絡が取れなくなる事も。地球のサポートチームは任務に支障をきたす事を防ぐ為、伝えずにいた。
滞りなく任務をこなすヤクブだが、その心身はとっくに限界を超えていた。悪夢を見る事も…。
そんな時、この宇宙船内で遭遇したのは…
この“ファースト・コンタクト”は結構ゾクッとさせる。
船内には自分一人とばかり。何気なしに一室に入ろうとしたら…、そこにいた。
エイリアンとしか言いようがない。姿形は蜘蛛に似ている。大きさは人間大。巨大な宇宙蜘蛛エイリアン…!
恐怖するヤクブ。とっさに消毒ガスを噴射。
『エイリアン』のような緊迫した攻防が展開…しない。
害を加えようとしたり、敵意や危険性は無いようだ。
驚くべきは、人間の言葉を話す。姿形以上の知的生命体。その思考や喋り方からもそれが分かる。
何故、この船に…?
人類が宇宙探索するのと同じ。
人間という存在に興味を持った。特に、“お前”という存在を。
妻役にキャリー・マリガン、その他イザベラ・ロッセリーニやレナ・オリンを配し、地球サポートチームとの交信やり取りや回想で妻との関係も挿入されるが、ほとんどサンドラーとエイリアンの“二人芝居”。
おバカコメディにばかり出演していたサンドラーが魅せる、驚くほど深みのある円熟の演技。本当にこれまでのおバカコメディで少々辟易していたオーバー演技は一切ナシ。抑えた演技で一人の男の彷徨を体現。ラジー賞常連だっが、いつの日かオスカーに評価される事も充分あり得る。
最初は警戒。が、遠い宇宙の果てにたった一人。人間、孤独には耐えられない。そんな時目の前に現れたのが蜘蛛型エイリアンであっても。次第に“彼”と対話を重ねるようになる。
“彼”を“ハヌーシュ”と呼ぶように。ハヌーシュはヤクブを“痩せた人間”と。
まるでヤクブの心を見透かしているようなハヌーシュ。
ポール・ダノが声だけでも名演。
ハヌーシュがヤクブに興味を持ったのは、彼が内面に抱えているもの。
孤独。
何故お前はそれほどの孤独を抱える…?
対話を重ねていく内に、ハヌーシュはその原因を突き止め、ヤクブもまた自身の内面を見つめる…。
派手なエンタメ好きには退屈極まりない。
迫力の見せ場もスリリングなシーンもほぼ皆無。
が、ビジュアルは秀逸。あの紫色の星雲の美しさ。
アップ多用。映像から無重力を感じさせる。音楽も印象的。
TVシリーズ『チェルノブイリ』が絶賛されたヨハン・レンクの手腕光る。
『2001年宇宙の旅』を彷彿させたり、『インターステラー』を彷彿させたり。
が、それら知的SFの名作群にまでは到達至らずが本音。
宇宙でも独り。家庭でも独り。
それは自分のせい。
宇宙任務に熱心になる余り、家庭をないがしろに。妻が流産した時も仕事に逃げ、側にいてやれず。
それでいて妻の愛を欲する。
身勝手な男でもあるのだ。
それを悟り、ハヌーシュはヤクブへの興味を失う。
彼は去る。
ヤクブ自身もそれは自覚していたかもしれない。
分かっていつつ、知らぬふりをしていた。
しかしこうもハヌーシュから突き付けられ、自らもはっきりと自覚し、これまで以上の孤独と自責に苦しむ。
彼は永遠に孤独の星海を漂うのか…?
一人の男の孤独な内面に迫ったのはいいが、その原因が至って平凡。よくある設定。
ヤクブはチェコスロバキア人。彼の背景にチェコスロバキアの革命と父親の悲劇が重なるが、その歴史を知らないとちと分かりづらい。
ハヌーシュが再び現れるが、彼の身体は病に侵されていた。
宇宙船外に放り出される。危険を省みず救おうとするヤクブ。
紫の星雲の中へ。
そこは宇宙の始まりであり終わり。終わりであり始まり。
そこで見つけ直したもの。
在りし日の愛。出会った頃。
終わったかと思った愛の始まり。
未知の宇宙を舞台にして、非常にパーソナルな内容。
サンドラーの演技、ハヌーシュのキャラ、宇宙のビジュアルなど魅せるものはあるが、深みのある内容に見えて主軸は実に平淡。
藤子・F・不二雄ならSF短編集で、もっとタイトにメリハリ起承転結付けて、衝撃と斬新と余韻残るものを作っていただろう。(実際に大宇宙を舞台にした知的SF漫画あり)
宇宙で蜘蛛型エイリアンのカウンセリングを受けた自己啓発ムービーだったのかな…?
SFというより、ヒューマンドラマ
モンスターパニックを期待するとガッカリする。エイリアンはヤクブの投影に過ぎず、SFというよりも、ヒューマンドラマ。
SF映画“メッセージ”を彷彿する。
静かな映画だが、こういうのもわりと好き。
⚠️以下、ネタバレ⚠️
エイリアンのハヌーシュが心の中に潜り込み、ヤクブが目を逸らした過去、そして大切なことを思い出させる。
彼の妻は、彼に全てを捧げた。
彼はその愛情も自己犠牲も理解せずに、自分勝手に夢だけを追い、
やがて賢者のようなハヌーシュにも見放されるー。
ヤクブは作中、愚かな男として描かれるが、私は世界で唯一の夢を追うなら、がむしゃらにそれを求めてもいいんじゃないかとも思った。
それくらいの犠牲を払わずに、あの宇宙へいけるのだろうか。
見ているとハヌーシュがだんだん可愛く思えてくる。トイレの音が落ち着くって🤭
きっと世界にはエイリアンはいて、私たち低次元では理解できないような高次元の世界があるんだろうな。
人類は400年生き延びたら、宇宙へいけると聞くが、
果たして私たちは生き延びて賢くなり、次の高みを目指せるだろうか、そんなことを見ながら思った。
チョブラの雲ってディーパック・チョプラ博士の事?
スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』をリスペクトしている。この映画の原作もどうやら、東欧の様で、こう言った話がスラブ系の人達は好きなのかもしれない。
しかし、ヨーロッパでは先日イギリスがロケットの発射に失敗している。つまり、宇宙船を地球外に打ち上げる技術はまだまだのようである。つまり、現実では、こんな話は出鱈目なのである。まぁ、そんな事はどうでも良いが。
地球が一番。その一番大事な地球を大事にしなけりゃいけないってことじゃない?
月や火星に行かなきゃ地球の素晴らしさが分からないって、主人公はそんな空気が読めないストゥピッドな存在なのだが。それでも宇宙なんかな何しに行くんだ?
宇宙人とコンタクトとれても、物理的に会える事は無い。
木星へ着くためにはボイジャーのスピードで1年半かかる。彼女は飛行士の子供を身ごもっているわけだから、八ヶ月位。つまり、ボイジャーの4倍以上のスピードを要しないとこの地へはいけない。つまり、物理的に不可能。
小道具が時代遅れなのは、社会主義社会へのアイロニーなのか?しかも、英語喋ってる。どうなってるんだ?
残り35分♥
まさか、話の落ちは『子◯はじゃない』って事?
『2001スペース・オデッセイ』だった。
1966年の映画だ外、小道具も当時の映画の方が遥かに凌ぐ。やっぱ、CGには限界がある。後15分。
予想は間違っていたが、アニョハセヨ~。
地球上に残る唯一無二の分断国家に対する西側諸国(?)からのアイロニーなのかなぁ?髭面を『嫌と言う程』見せるのも計算の内なのかもしれない。
原題 Spaceman
製作年 2024年
製作国 アメリカ
配信開始日 2024年3月1日
上映時間 108分
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