ドリーム・シナリオのレビュー・感想・評価
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ストーリー展開が…
主演ニコラス・ケイジ。教授を務めているある一般男性が、いろんな人の、夢に現れた後の、人生の絶頂と転落を描いていく物語。
ストーリー展開がわからなさすぎて、演技や空気感。そのほかは好きでしたが、そこがとても気に入らなかったです。
ニコラス・ケイジは昔から好きで、時が経つのは早いなぁと思いました。
最後の終わり方や、機会制作に寄与したこと?など不明点が多かったです。
自分の理解不足だってらすみません。
ただ、ストーリーが好きにはなれませんでした。
色んな顔した人がいるんですね
キートン先輩、コネリー先輩と並んで「三大年取って髪薄くなってよくなった俳優」の一人です。
夢をテーマに摩訶不思議な出来事が起きますが、設定が大学教授と周辺人物に限定されているので、妄想的ではあるものの何やら落ち着いた印象を感じる演出です。
主役から脇役に至るまでこれほど美男美女が一人もいない、むしろ「妙な顔の俳優」をゾロリと並べた作品は稀少です。
夢ってこんなもの
いやー、ビックリしました。SNS会社のシーンに、この作品観る前に見たワイドショーの、あのPR会社女長が曝け出した映像が、そのまま使われてましたから。我々兵庫県民の多数、ノリオに依って、夢の中に良いあの御方が現れていたんですね。
正直言って、分かりにくい映画でした。ニコラス・ケイジのあの頭、地毛ですよね。カツラ、CGじゃ無いですよね。
クランベリーズはどこへ?
ある意味予想通りと言うか想定内と言うか…。
それなりには面白かった。どちらかと言えば好きな世界観だったし。
ニコラスケイジは(良い意味で)素晴らしくキモかったし。
SNS時代全盛ににおけるミーム化の速さと怖さ。
それらに対するアンチテーゼとも言えるかも知れない。
とは言えだ。
この作品で一番良かったのは「予告編」だった。
そういう意味では非常に期待外れだったとも言える。
何より僕がこの作品で一番気になったのは、予告編で流れていたクランベリーズの「ドリーム」という曲が本編で使われていなかったのでは?という点だ。これは僕の勘違いかも知れない。でも劇中にあの曲が流れた気がしないのだ。ラストかなと思ったらそれも違ったし、僕が聞き逃していない限り本編で「ドリーム」は流れていない。
この問題も含めて常々強く思っているのだが、この類は「予告編詐欺」ではないのか?
時々あるのだ。本編と味の全く異なる予告編が作られる事が。今回この曲がもし予告編でしか使われていないとしたら、これはもう詐欺だ。たかが一曲ではあるが大ヒットした有名な曲だしポップさがとても印象に残る名曲だ。その上で、この作品の予告編はこの曲を中心に組み立てられており、その「イメージ」が少なくとも僕には強烈に付いていたのだ。もし本編で使ってないのに予告編で使ったのだとしたら極めて悪質だと思う。
サスペンスやスリラーなどでは予告編で大事な所を隠すのは当たり前だし、そうでなければいけないと思う。また凝った作品だと予告編から伏線を「仕込んでくる」ケースもあるし、ミスリードをさせるパターンもあるがそれらは別に構わない。ただ作品の意味合いや色合いなど作品の「味」を変えてしまうような予告編を作るのは「絶対に違う」と思うのだ。そこがどうしても腹が立ってしまう。
例えば、今年の作品だと「落下の解剖学」がそれに当たると思う。予告編では謎解きサスペンス臭を全開で匂わせておきながらいざ蓋を開けたらまるで違っており、これには大きく失望した。映画がつまらなかったとかではなく、予告編と味が違い過ぎて腹が立ったのだ。商業的な意味合いとか事情は色々あるだろう。大人だから分かるし受け入れますよ、ある程度はね。ただやり過ぎるともはや作品をリスペクトしてないよね?と思ってしまう。まあそれも含めて作品なんですよ、それも戦略なんですよと言われたら返す言葉も無いのだが。
以前からずっと思っている事なので今回書いてしまいましたが、ちょっと作品本編のレビューとは話がズレてしまってます。申し訳ありません。
※もし僕が聞き逃して劇中に曲が流れていた場合は、不適切な内容になるのでこのレビューは削除しますね。
これあたしのことだ…
色んな人の夢に出る様になったおっさんの話
承認欲求はあるけど主体性は無く無知なフリをする癖に下心はあるおっさんの描写に笑える所もあり自分と似たところを感じて恥ずかしくもなった
いざ追い詰められたら自分勝手に行動して余計反感を買うのも俺じゃん…ってなった
でも最後の最後でその「承認欲求」は何故あるのか?という感情に向き合えたのは救いだった
物語的には駄目な方にどんどん進んで行くんだけど内面的には成長出来たのである意味で爽やかな終わりでした
セックスシーン流石に哀れ過ぎて劇場でも笑いが起きてました
ニコケイ>A24
A24作品だけどニコケイなんだよなぁ……んー、やっぱり観よぉっと!
A24への警戒感よりニコケイ愛が勝ったワタシ(そりゃなんてったって「ニコラス」の冠を戴いてますからね)。
のっけから強烈な夢のシーンで幕を開け、その後の展開も現実だか夢の中だかよくわからない世界が繰り広げられます。
それでも頭の中に湧いて出る「なんじゃこりゃ?」の感覚を打ち消してくれるのがニコケイの不安げでセンシティブ、それでいて胸の奥に渦巻くダークなプライドの塊、そんな全てを理解させてくれる顔のアップ!
結局、話の筋を深く考えるでもなく最後まで薄笑いを浮かべながら鑑賞しているワタシがいました。
ワタシの中のニコケイはずぅっと低迷中だったものが「プリズナーズオブゴーストランド」で底の底に落ち、そこからはV字回復!作品の中身や規模の大小に関わらず何でもやる姿には以前から感服していましたが、最近はキャラがマッチして来て今が人生最大の充実期じゃないのかとさえ思わさせてくれます。なんか凄い。
さて、本作に戻ると現実世界で自分自身を押さえつけている黒い意識の部分の反動が夢として具現化され、それが何らかの原因で様々な人の夢の中に登場したのかな?とも思えるのですが、そもそもは全てがポール・マシューズ教授の頭の中(いや、夢の中か)で展開されてる物語なのでは?などと思った次第です。
そんな風に考え始めると人びとがそれぞれ体験していると思っている「現実世界」というもの自体が実は各人の頭の中で繰り広げられている世界だったりして、なんて終わりのないモヤモヤに引き込まれてしまいました。
ワタシにとって苦手感のあるA24、それを乗り越えさせてくれるのはニコラス・ケイジしかいない、そんな風に思わせてくれた作品でした。
いろんな意味で不思議な感覚
ストーリー性、無くはないが弱め
SFでもなく、ミステリーでもなく・・
音楽もほとんどなく、ドキュメンタリーのように話は淡々と、山も谷もない・・
A24お得意の、
妙にリアルだけどメルヘンチックでもあり
いつしかケムに巻かれてる、、感覚
この作品は『夢』そのものよりも、右へ左へなびく群集心理や、一夜にしてバズり祭り上げられ、振り回される主人公の苦難の方がメインストーリーに感じました。
でも夢に出てきた人の印象で見方が変わったりするのは『そうなんだなね〜』と共感してしまいましたが。
本当に音楽がほとんどなくて静かな映画なので、ポップコーン食べたい方はご注意を!
夢でもし会えたら素敵なことね
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
この映画って出落ちに近いですね。テーマは夢。そうですか。寝てる時のやつね。私ね夢の話しは嫌いなんですよ。大体オチがない。意味もない。渋々ながら夢の話しをします。意味なし芳一ですが。
最近見た夢
近所のスナックに行ったんですよ。スナックの名前は「来夢来人」 何故か中で大谷翔平が居るんですね。それで何故か踊っています。夢だけど大興奮。けど周りの客は冷めています。おいおい大谷さんだぞ!
おしまい。
話は飛ぶんですが夢がテーマの映画って結構ありますよね。有名どころだと「エルム街の悪夢」本作でも擦られています。一番好きなのは4作目のドリームマスターかな。ジョニーデップがウォーターベッドに入ってるやつね。今から考えると酷い扱い。まあ駆け出しの頃だからしゃーない。
少し前にみた夢
ある日の事、ツルツルの床にシャーペンの芯をぶちまけてしまった。メッチャとるのが大変。しかし夢だと気づいた。ダブルで、めんどくせー
おしまい。
私は猫を抱っこして都内を彷徨ってる。あっ!夢だと気づいた。目覚めれば脱出できる。しかし猫はどうするんだ!夢といえども、猫ファーストだ!
おしまい。
私はなにか悪事を働いたらしい。大量の警察官が私を追いかける。なんとか逃げたが、なんと所持金が600円!しかも500円札と100円札!絶滅危惧種だ!
おしまい。
ごめんなさいね。オチなし。意味なし。中身なし。
ストーリーは簡単、不特定多数の夢に何故かおっさん、ボール マシューズ(ニコラス ケイジ)が現れる
。
元ネタは2006年に実際にあった。NYの精神科医をある女性が訪ねる。夢に知らない男がいつも出てくる。女性は似顔絵を描き医者はそれを公開するんですね。すると世界中から私も見たの報告が!その数8000人!
あの眉毛が繋がったやつね。忘れられん容貌。
しかし数年後、驚愕の事実が発覚!
全部、フェイクニュース‼️
だよなー。一瞬信じた私が馬鹿でした。イタリアの社会学者の仕業でした。
イタリア人はナポリタンでも食って寝てろ‼️
ごめんなさいね。映画の話しに戻します。マシューズは最初は他人の夢の中ではただの傍観者。しかしそこから悪党に変わっていくのでした。あくまでも夢の中でね。
ひとつ 人の世の 生き血をすすり
ふたつ 不埒な悪行三昧
みっつ 未来の大物だい!
なんで最後は大ちゃん数え歌なんだよ‼️
この映画は一応はオチはあります。安心して下さい。
言いませんけど。
まあまあ面白かったです。時間がある方は是非。
お付き合い頂きありがとうございました。とっちらかっていてごめんなさい。
いい夢みろよ!あばよ!
おしまい
社会現象映画
架空の世界が現実世界に影響を与えてしまうというなんとも気の毒な作品。
でも、リアルにこういう事あるよねぇ〜 ありまくるよね〜
兵庫県知事の件なんて結局、きっかけとなった本当のことは報道されていないしね。。。
人工的に、上っ面のペラペラの世界を作り出してあたかもそれが現実だと思い込ませる手法。
ニコラスケイジさんも実際に経験した事を元に役作りしたらしいです(パンフレットより)
何が本当なのか判断するのは自分。
日本だとどうなっていたんでしょうね
2024年劇場鑑賞305本目。
ニコラス・ケイジ演じる地味な大学教授が知人、赤の他人問わず毎日夢に出てくるようになり、最初はただ見ているだけだった彼に変化が出てくるにつれ周囲の人達の反応も変わってきて・・・という話。
この周囲の人達の反応の変化がこの映画のキモであり、そこの議論がされないまま一方的な感じになっていたのが不満でした。実験映画としてそこはもったいなかったです。個人の責任ではない事故(ネタバレ防止でふわっと言い換えてます)を個人に責任追及するのかどうかですよね。日本は冷静に対処できるといいのですが。
夢に出てくるニコラス・ケイジが面白すぎたので点数はこれくらいにしておきます。
はてな?
ニコラス・ケイジ主演で、A24のスリラーということに釣られて観る。
色々な人の夢に、ニコラス・ケイジが現れてる?!相変わらず、わけのわからない話であった。怖いというか、あまりに理不尽で主人公がかわいそうというのが、一番印象に残りました。不気味さよりも、滑稽な感じがしたな。(色々想像できるが、説明はありません)
すごーく変なスリラー
平凡な大学教授がなぜか世界中の人々の夢に現れて有名人に、それがなぜか悪夢に変わって世間の目みるみる攻撃的にが変わるという、すごーく変なスリラーだった
アリアスター製作っぽい、
ちょっと半ばが間延びしたような気もする(会話がおおい)けど、後半の展開は面白かった
ニコラスケイジの普通のおじさんよかった
可哀想な顔が似合うニコラスケイジ
何故かたくさんの人の夢に登場することで一躍時の人となり、そして炎上する。一連のバズりと、翻弄される哀れなポールをひたすら眺める作品でした。
「夢に出てくる」
自分にはどうしようもなく、自身の手柄でも落ち度でもないこの現象で、人気者になったり嫌われたり。多少調子に乗ったりもしたけれど、基本的に何も悪いことをしていないのにどんどん不幸になっていくポールがただただ可哀想。きっとこのバズりがなくても平凡に見える日々に綻びはあって、順風満帆ではなかったのだろうけれど、それにしても理不尽な理由で攻撃を受けるのは同情。
全体的にヘンテコ映画でしたが、ニコラスケイジがボロボロになっていくのがユーモラスで、ブラックコメディっぷりを盛り上げていました。
あまりにも可哀想すぎ
ただたくさんの人の夢に出てきて悪い事をした、それだけで全てを失う男性
実際は夢なのにそこまで嫌う事ができるかなという疑問が私には大きく残りました
普段は友達もいるしちゃんとした仕事もある普通の人なのに、そんな人が夢で襲ってきたからってあそこまでやるのか
ごく普通の人の事が一気に広まるって今の世の中にも実際にありそうな事ではあるけど
それを利用しようとする人達もリアルです
ホントまさにいろいろホラーです
何も悪い事をしてないのにあそこまで追い込まれて本当に可哀想でしかなかったです
夢を叶えたようでも望んでいた形ではなく、全てを失くしたポールは「あれ」に救いがあるのか、そんなラストに爽快感はありませんでした
A24ですもん
とっても久しぶりに観たニコラス・ケイジはやはり良かったです
ナイトメア・シナリオ
ポール(ニコラス・ケイジ)が他人の夢に出てくる。最初の方は誰かの夢の世界だと分かりやすいが、終盤は本人の夢であったり、娘の学芸会以降はまるで分からない。
……………
現実世界のポールは、悪事はもちろんモラルやマナー違反もしていない。しかし何故か多くの人から嫌悪を抱かれる。そして休職や家族にも追い込まれる。
でもこれっていわゆる集団リンチだよね。実社会でのSNSによる無責任投稿と同じだと思う。SNSでは実際グレーの人も多いかもしれないが、グレーの濃さを決めるのは関係の無い一個人ではない。
だから無実だと主張して闘うのか、自ら本当の殺人鬼になるのか、実は集団催眠をする悪の教祖だったとか、色々考えたけど。
悪夢が急になくなり、夢の世界に入り込む事ができるアプリが開発された。って何なの?
その前の黒枠の写真。アメリカでの意味は分からないけど、ポール、もう亡くなっているんじゃないの?そしてその後は天国でのポールの夢の世界。
もう分かりましぇん。ぴえん(死語)。
意外にリアリティがあってゾッとするお話
今年観たアメリカ映画(合作も含む)は本作で31本目。その中でA24制作作品は、本作をはじめ、「ボーはおそれている」や「関心領域」など7本。同社の作品が如何に日本で上映されており、かつまた話題を集めているかが分かるところです。制作会社基準で比較するのも安直ですが、その7本の中ではアリ・アスターが監督を務めた「ボーはおそれている」と路線が重なる作品でした。まあアリ・アスターが制作陣に加わっており、ある意味当然と言えば当然なのでしょうが。
「ボーはおそれている」は、ホアキン・フェニックス演ずる主人公・ボーの幻覚(と思われる出来事)が、ボーを襲ってきて苦しめるというお話でしたが、本作はニコラス・ケイジ演ずる平凡な大学教授である主人公・ポール・マシューズが、いろんな人の夢に登場するという珍現象が発生し、次第に現実世界のポールを苦しめて行くというお話でした。いずれも何が現実と夢(幻覚)の二転三転に面白さがありました。
また、現実世界でポールを知っている妻や学生だけでなく、彼と会ったこともない人までポールの夢を見るという設定はあくまで”作り話”ではありますが、ひとつの話題がマスコミやネット上で共有されて指数関数的に話が広がる現象は、現実にもしばしば発生すること。本作では、初めこの驚くべき珍現象を物珍しさも手伝って好意的に受け止めていた大衆が、夢の中のポールが乱暴狼藉を働くようになった結果、現実世界でも彼を怖れ始め、忌避し、最終的には排斥していくという流れが、中々示唆に富んでいて興味深かったです。
世論というものが、誰かを散々持ち上げておいて、何かをきっかけに一転してバッシングしまくるというのは、しばしば目にする光景です。ポールが体験した悲劇はまさにこれでした。しかも彼は、学術的に目立った研究成果がある訳ではないようで、見た目にも特段の色男である訳でもなく、また結婚して家持ちの妻の姓を名乗るなど必ずしも金持ちではないというキャラクターとして設定されており、まさにどこにでもいるような普通の人として描かれているのがポイントでした。つまり、我々誰しもが、何かをきっかけに有名になり、チヤホヤされるのも一瞬で、次の瞬間にバッシングの憂き目に遭う可能性があるということを言っているようにも思えたところです。この辺を考えると、かなりゾッとするお話ではありました。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
SNSと夢の世界の不思議な共通点
『ドリーム・シナリオ』を観終わった後、不思議と胸に残るのは、この物語が単なる奇想天外な話ではなく、どこか現代社会そのものを象徴しているように感じられるからかもしれません。平凡な大学教授が、突如として多くの人々の夢に登場し、一夜にして注目を浴びる。最初はその奇妙な状況に引き込まれつつも、次第にその名声が主人公を追い詰め、やがて日常が壊れていく過程に、どこか既視感を覚えました。
夢という無意識の領域が他人と共有され、それが社会的な評価や名声と結びつくという設定。これが、私たちの日常における「SNS」のあり方と重なります。SNSもまた、もともとは個人的な発信や交流の場であったはずが、いつの間にか他者の視線が色濃く入り込み、「見られること」が本質的な性質となっています。この映画を見て、SNSに投稿するたびに感じる漠然とした緊張感や、自分の行動が誰かに評価されるかもしれないというプレッシャーの正体を、改めて考えさせられました。
この映画を観ているとき、頭をよぎったのが『トゥルーマン・ショー』です。知らぬ間に自分の人生が他者に監視されている状況。『ドリーム・シナリオ』は、夢という形でさらに無意識の領域にまで踏み込むことで、トゥルーマンのような「意識的な監視」よりも、もっと不気味で避けられないものとしての「見られる存在」を描いています。そこには、ジャン=ポール・サルトルが語った「他者の視線による自由の喪失」というテーマが鮮明に浮かび上がります。サルトルは「人は他者の視線を通して自己を意識する」と語りましたが、この映画の主人公も、他者の夢の中で「勝手に見られる」ことで、自己のアイデンティティすら揺らいでいきます。
また、フーコーの「パンオプティコン」を想起させる側面もあります。誰かに常に見られているかもしれないという監視の構造が、人々の行動を制御する。『ドリーム・シナリオ』では、夢がまさにその「監視」の舞台として機能しています。他者の無意識の中で主人公が行う行動が、現実世界で評価や批判として跳ね返ってくる。この構造は、現代のSNSやインターネット空間の相互監視の関係とほぼ同じです。
同時に、『サンセット大通り』や『ジョーカー』といった、名声がもたらす狂気と破滅を描いた作品ともつながりを感じました。名声を得ること自体が幸福に結びつくのではなく、それがどれだけ不安定で、時に危険なものであるか。特に本作では、名声のきっかけが夢という制御不能な舞台である点が、現代の「バイラル文化」の儚さや危うさを鮮烈に表現しています。
この映画を観終えたとき、気づいたのは「見られる」という行為が、どれほど人間に影響を与えるかということです。他者の視線を受けることは、ある意味でアイデンティティを強化しますが、同時にそれが過剰になると自分自身を見失う危険も孕んでいます。『ドリーム・シナリオ』は、この「見る・見られる」の関係を、夢というユニークな舞台で鮮やかに描き出しました。映画を観ながら、私自身が普段どれほど「他人にどう見られるか」を気にしているのかを改めて考えさせられました。そして、その意識がどこかで自分を縛り、行動を規定しているのではないかという不安も。
この映画が描くテーマは、現代社会の私たちにとって非常に身近なものです。それだけに、鑑賞後の余韻が心に深く残ります。『ドリーム・シナリオ』は、ただ奇抜なストーリーを楽しむだけの映画ではありません。日常にある「見られる」行為の影響や、そこに潜む危うさをじっくり考える機会を与えてくれる作品でした。自分の無意識や行動がどこまで自由で、どこまで他者の影響を受けているのか。そうした問いを抱きながら、この映画のテーマにもう一度向き合いたくなる作品です。
ただの偶然の夢なのか、悪夢への前兆か
何百万もの人の夢に現れて人気者になった大学教授が夢の中で悪事を働くようになり現実の世界でも非難を浴びる様を描きだす。ただの偶然の夢なのか、悪夢への前兆なのか。ニコラス・ケイジ主演の悪夢系スリラー爆誕。まさに”夢の続き”が気になる感覚と近しくそこにユーモラスを混ぜた不穏感。またアリ・アスターが製作に名を連ねてる文脈なりニコケイの芸達者ぶりが遺憾無く発揮される。端的にA24での「MEN 同じ顔の男たち」(‘22)の不気味感を連想した。シチュエーションが既に暴走してるためニコケイ自体の怪演もそれに相まって相乗効果的に上昇する。ニコケイの個性を最大化させたA24作品らしいヒトヒネリある奇怪な怪作へと昇華させる。
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