ソウルの春のレビュー・感想・評価
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韓国でこんな事が起こってたんですね。
ファン・ジョンミンの卑劣さと酷薄さ愛敬と情けなさ
1979年の粛軍クーデターに基づいた、刻一刻と状況が変わる手に汗握る政治スリラー。
地位と面子の保全にのみ汲々とする軍人たち(結局は彼らの怯懦が国を滅ぼす)を背景に、「権力を奪取する」VS「国を守る」という明確な意思を持った人間たちが対峙する。
この対比を際立たせるおじさんたちの熱演、とりわけファン・ジョンミンの卑劣さと愛敬と情けなさが入り混じった怪演が素晴らしい。
ただし、このタイトルで民衆が不在なのは気になった。
色々な点で共通の要素を持つ『日本のいちばん長い日』が『肉弾』とセットで観られるべき映画だとしたら、『ソウルの〜』は『タクシー運転手』とセットで観られるべき映画なんだろう。
『南山の部長たち』→『ソウルの春』→『タクシー運転手』→『1987』という第六共和国建国史を、濃いキャラクターが活躍し最後は民衆が圧政を覆すぶち上がるエンターテイメントに仕立て上げる、韓国映画界の自省力とクリエイティブ能力に圧倒される。
生きて守れ、死して忠誠。
息つく暇もない緊迫の2時間半。
実話を元に、硬派な、大人の作品を、トップスターたちの競演で、エンタメとして作り、それが大ヒットする。
韓国映画ってさすがだなと思う。
作り手もすごいし、面白い作品、良い作品はヒットするって観客を信じているんだと思うし、観客もしっかり応えている。
ファン・ジョンミンはいつもながら野卑な感じの人たらしで怖いし、チョン・ウソンは生真面目な悲劇の主人公。
ほかの作品では気弱な脇役などでよく見る俳優さんたちも軍人を演じると見違えるほどに格好いい。
みんな軍隊経験があるから様になるんだろうな。
ファン・ジョンミン演じた男が、実際に大統領になるんだからなぁ。日本人の我々はよく出来たエンタメとして観ているけど、韓国の人たちの思いって複雑だろうなぁ。
「光州518」「1987」「工作」「KCIA」等の韓国現代史を描いた作品にまたひとつ傑作が加わった。
韓国一般国民の視点から描かれた現代史「国際市場で逢いましょう」を観てから韓国映画を観る目が変わりました。
ええええ!?
最後は
”悪役”全斗煥が最高
1979年に起きた朴正煕大統領暗殺直後の動乱のソウルを描いた作品でした。朴正煕が暗殺されたことは知っていましたが、その後の韓国政治がどうなったのかは殆ど知らず、特に後に大統領になる全斗煥(一般的に日本語ではチョン・ドゥファンと表記されていますが、本作ではチョン・ドゥグァンとなってましたね)がクーデターを起こしたことは初めて知りました。そんな”悪者”全斗煥の野望を潰そうと立ち上がったのがイ・テシン。彼は大統領暗殺により揺れ動く首都・ソウルの治安を維持する役目を負うことになり、獅子奮迅の活躍をしますが、結果は歴史が示す通り全斗煥に敗北することになります。そう、本作のポイントは、史実を基にしているが故に、結果が分かっていることなのですが、それでもスリル満点であり、非常に楽しめました。大河ドラマに例えるなら、関ヶ原で徳川方が勝つことが分かっていても、面白いドラマは面白いというのと同じことなのでしょう。
そしてその面白さの源泉になっていたのは、何と言っても全斗煥とイ・テシンを演じたファン・ジョンミンとチョン・ウソンの熱演。特にヒールを演じたファン・ジョンミンは、プロフィールの写真を見る限りオデコは普通なのに、禿げ上がった全斗煥ソックリの容貌で登場しており、またふてぶてしく狡猾な態度は、本当に腹立たしく思えました。彼の風貌や演技があったればこそ、悲劇のヒーローであるイ・テシンに感情移入できて泣ける作品になっていた訳で、MVPは文句なくファン・ジョンミンだと感じたところです。
「キングメーカー 大統領を作った男」、「KCIA 南山の部長たち」、「タクシー運転手 約束は海を越えて」など、韓国建国以降のともすれば黒歴史とも言うべき題材を次々にエンタメ的にも面白い映画にする韓国映画界を、日本映画界も少しは見習って欲しいものと思わずにいられませんでした。
そんな訳で、本作の評価は★4.5とします。
国家の命運をかけた攻防劇
見応え、あり。
おいおいおいおい……激し過ぎんぞ、韓国😅
以前観た『タクシー運転手 約束は海を越えて』で取り上げてた1980年の光州事件のときの独裁政治を行っていた全斗煥大統領が如何にして上り詰めたのか、という史実をベースとしたCoup映画。
見応え抜群。なかなかの長編。
でもコレほどあっという間に感じられる作品はそうそうないかも。それほど入り込んでいたんだなー、と振り返る。
それにしても全斗煥をモデルとしたチョン・ドゥグァン役は映画としてみても非常に魅力的なヒールキャラ。あの日の一連の流れで一度たりとも自分の信念を疑うことなく貫き通した悪役の鑑。
あそこまで貫けば観ているこちらもある種の心地良さすら感じる✨
正義の人、イ・テシン少将を演じたチョン・ウソンの渋さにメロった💜
驕れるものは
チンピラヤクザのような反乱軍も勝てば「官軍」
パク・チョンヒ大統領の暗殺で始まるドラマは、主役2人の迫真の演技を軸にグイグイと観客を引っ張って、結末まで飽きさせない見事な展開でした。韓国映画の底力を感じましたし、戦時下(朝鮮戦争は休戦中)で徴兵制国家ということで、その真実味も日本映画では出せない味があります。
とくにクーデター側の人間模様が凄まじい。チンピラでヤクザのような輩もいる集団ですが、皆、チョン・ドファンこそがパクの時代「維新体制」を引き継ぐと信じている。ヤクザの論理のようなものが独裁時代の軍部で培われていて、ハナ会はその徒花であることがわかります。
ここが粛軍側の強みとして生きてくるのが恐ろしいし、組織というもの怖さをよく表現しています。対スパイ・軍監査を担当する保安司令部を握っていたのも大きいし、首都警備司令部のトップが士官学校出身でなかったことも伏線になっています。
我が国ではあり得ないという感想を散見します。しかし、日本は当時戦後とはいえ、軍が国を引っ張っていた韓国は「戦中」、なおかつ元々の独裁者パク・チョンヒは日本陸軍の満州士官学校出身、日本軍部に育てられた筋金入りの軍人が、太平洋戦争後に韓国に君臨、彼が薫陶した士官学校の弟子たちが、かつての関東軍のような恐ろしい振る舞いをしています。戦前の日本と「血がつながっている」のだなという強い実感。この軍部の生業は日本人にもよく分かる感覚でしょう。
まさに、「ハナ会」メンバーが悪事を話し合うチョン・ドゥグァン宅の座敷シーンは、かつての日本でよく見られた風景を想起させます(仁義なき戦いのよう!)。アメリカ映画や欧州映画では(中国映画でも)、とても出せない東アジア独特の雰囲気。
戦前の日本帝国陸軍「桜会」の謀議や、近くでは「安◯派」の蓄財会合もこんな雰囲気だったのではないでしょうか?
ところで、原題は「12.12.決行の日」。正に12日の10時間勝負。その後の民主化運動「春」の盛り上がりと挫折は描かれないけれど、どうなるかは示唆されます。
歴史は繰り返すと言いますが、同じパターンで繰り返すのではなく、また違う顔で現れてくる。そんな組織悪が日本でも今後ないとは言えません。映画ではにおわす程度でしたが、チョンらの不正蓄財はすでに、パク時代から始まっていたようで、権力奪取とともに本格化します。ミャンマーの軍政にも通じる金まみれの軍部ですが、関東軍もやはり金の亡者でした。
政治組織の腐敗は主に金権だけですが、軍が肥大化して腐敗したとき人がたくさん死にます。
何かが引き金になって、その恐ろしい血脈が顕わになるのだと思います。
司法、立法、行政を抑える
司法、立法、行政を抑え、金と武力で紳士的に駒を動かす、
それが税金の使い道というセリフは、山守のおっさんか、
他の作品だったか忘れた。
大規模なアクションシーンや派手な演出を控えめにし、
感情的なシークエンスは、最低限の表現にしておいて、
テンポ優先という手法をとることで、
かえって登場人物たちの内面の葛藤を際立たせている。
前半はギリギリまで、シナリオ的、演出的に火力は使用しない、
という点において、監督の巧みな演出力を感じさせる。
そんな演出を可能にさせるのは、
説明するまでもないキャストの芝居の力だ。
切実な眼差しや、わずかな表情の変化は、
言葉を超えて、観客に多くのことを語りかけてくる。
チョン・ウソンの妻が、着替えを持ってくる。
家に帰らない帰っていない覚悟を静かに描写、
一方、
ファン・ジョンミンは
先輩に上司に大声で恫喝する。
緊迫感あふれる状況下で、
登場人物たちの心理は複雑に絡み合い、
国を、世界観をしっかりと背負って、
観る者を物語に引き込んでいく。
大きな声や動きがある時、
そこには裏資金が注入されている可能性が高い、
(これはオリバー・ストーンだったか・・・)
グライスティーン大使の動き含め米国の関与は無かったような描き方だった。
評判の悪い政権時代は野球やサッカーが強く見せかけの景気はいい、
その後の評判の良かったノ・ムヒョン政権の頃はどうだったのだろうか。
最後に、フィクションにおける公平性に関して。
ノンフィクション、報道に関しては蛇足以下にまとめました。
チョン・ドゥファンを断罪したい気持ちには大賛成。
しかし、
参謀総長がパク大統領暗殺に関係していた可能性に、
言及なし、
という所に公平性に欠けるとも少なからず感じる。
軍部では少なくとも逮捕、
または事情聴取は最低でも行うべきという、
声があがっていたらしい。
パク大統領がいなくなれば、
次期トップは参謀総長。
前半で少し描かれるが、
それをやるにはチョン・ドゥファンしかいない、
参謀総長の方が先輩だし無理、
しかし、
やるならこういう結果を招く。
尺を使うのでプロット的には入れない、
フィクションなので不要というのも理解はできる。
〈正義の旗の下〉暴徒を抑える大義名分で、感情的なシナリオでは事実をとらえきれず、〈悪人〉を含む全当事者や尻馬に乗った報道は、現実の問題にフォーカスが甘くならざるを得ないのではないだろうか。
どうなんだろう、詳しい人に聞いてみたい。
【蛇足】
中学生の頃、夜のニュース番組は、
冨田勲のトランペットの音色(生のトランペットかシンセサイザーかは当時は気にもしていなかった)とともに始まるNHKの「ニュース解説」という番組を毎回観ていた。
複雑な出来事をわかりやすく説明してくれるその番組は、
中学生の自分にとって、
世界や世間を理解するための重要な窓口だった。
特に、海外の出来事、例えばクーデターのような出来事については、
番組を通してその深刻さを知ることができた、
もちろん本作のような掘り下げはなかったが、
「私、現地に行って一週間取材してきました」
と、体感しながらも客観的に話していた・・・
という記憶がある・・・あくまでも記憶。
当時のニュース番組は、
事実を客観的に伝えることに重きを置いていた。
感情に左右されることなく、淡々と事実を報道するスタイルは、
視聴者に冷静な判断を促すものだった。
(〇〇の事故に日本人はいませんでした・・・報道のスタンスとしては正しい)
しかし、久米宏氏の「ニュースステーション」の登場は、
ニュース番組のあり方に大きな変化をもたらした。
同番組は、ニュースの解説だけでなく、
司会の久米氏による独自の視点や批評が特徴だった。
このスタイルは、視聴者に新たな視点を与え、
ニュースに対する関心を高めることに貢献した点も大きいだろう、
その証拠に、類似番組が各局で膨大な数になった。
現代のニュース番組は、
これらの要素を複合的に含むものが多くなってきている。
しかし、多様な情報が溢れる中で、視聴者は「報道」「解説」「批評」「感想」「悪口」をどのように区別し、何を信じるべきかという判断にストレスを感じている人が少なくないような気がする。
特に、SNSの普及により、情報発信が自由になった現代では、
フェイクニュースや偏った情報が拡散されやすくなっている。
特に中高生、学生には情報の真偽を自分で判断する能力が求められる。
映画の紹介に関しても、
体系的な分析や、文化的な文脈の中での位置づけ、
また演技、シナリオ、撮影や美術、衣裳、メイク、編集やCG、音楽に関しての技術論、
それらを紹介する意義や価値、
映画理論や批評手法に基づいて、
作品構造、映像表現、主題などを深く掘り下げること等、
当時の自分が感じていたような、
子どもにもわかるような情報、それを受け取る手段は、
そこにたどり着く前に気力も体力も別の事に回したくなるようにならないか、
単純に2時間程度の作品に触れることも減少しているというのを、
痛感する機会が増えた。
※念の為に言っておきますが、映画の評論に関して、
上記のように役割を分担して、
映画館に行ったことが無いとか、
黒澤を見たことない人とか、
白黒はNGっていうひとこそ、ウェルカムな場をつくりましょう!
というのが大前提です。
終始緊迫感に満ちた政治(クーデター)劇として見応えたっぷりだが、...
終始緊迫感に満ちた政治(クーデター)劇として見応えたっぷりだが、あまりにも結末が苦い…。勝利した悪党が高笑いし、まっとうな軍人であろうとした主人公は(主に無能な上層部のせいで)敗北し、すべてを奪われる。クソみたいな将軍たちにクソみたいな軍隊、でも一番クソなのは前線から即クーデター軍は招集できる首都ソウルの位置!よく韓国が現在まで存続してるな、と逆に感心する。日本人でもこんな暗澹たる気持ちになるのに、本国の人たちはどんな気分でこの映画観終えたのか…と震える。冴えない風貌でカリスマがあるわけでもない男が、捨て鉢の思い切りのよさとタイミングだけで一国の秩序と統制を蹂躙していくにつれ、その勝利自体によって悪魔的な威風を帯びていくのも、悪の成長譚として凄まじい。
緊迫感が凄い!
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