劇場公開日 2024年8月23日

  • 予告編を見る

「権力と忠誠の構造に沈む国 ― 韓国映画にみる「集団の宿命」」ソウルの春 らんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 権力と忠誠の構造に沈む国 ― 韓国映画にみる「集団の宿命」

2025年10月30日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

興奮

驚く

韓国映画を観ていて、しばしば感じるのは「個」と「集団」の在り方に対する思想の違いである。日本映画では、しばしば主人公が自らの職務や地位を投げ打ち、大きな正義や理想のために行動する姿が描かれる。一方、韓国映画にはそうした「個の跳躍」が少ない。そこでは、むしろ組織の中に身を置く者たちが、集団の論理に絡め取られていく姿が印象的に描かれる。

この違いは、国家の成り立ちや政治の不安定さとも無関係ではない。全斗煥政権下の韓国では、軍という強固なピラミッド構造が社会全体を覆い、その中で「忠誠」と「服従」が美徳とされた。銃口を向けるべき相手がたとえ暴君であっても、命令系統の上に立つ者には逆らえない――その構造こそが国家を縛りつけ、結果として悲劇を生んだ。
全斗煥という人物は、そうした制度と時代の隙間を正確に読み取り、己の権力を確立した。つまり、彼の恐ろしさは残虐性よりも「時代の空気を読む力」にあったと言える。

このような社会では、リーダーへの忠誠心、組織の秩序を守る責任感、周囲との調和といった「集団で生きる力」が称賛される。その意味で、彼らは決して単純な悪人ではない。むしろ、集団の中で生きることに長けた優秀な人々だった。
しかし同時に、彼らには「疑う目」が欠けていた。自らの属する集団がどこへ向かうのか、権力の正当性をどのように見極めるのか――その視点の欠如こそが、悲劇の根源にあったのではないだろうか。

韓国映画『1987、ある闘いの真実』は、まさにこの構造を鋭く描き出す。体制に忠実であることが、いつしか人間性を奪い、国そのものを沈めていく。その中で、一握りの「疑う者たち」が声を上げたとき、歴史がようやく動き出したのだ。
結局のところ、正義や悪は絶対的なものではなく、集団の論理ひとつで容易に反転してしまう――人間という存在の危うさを、この映画は痛烈に突きつけている。

らん
PR U-NEXTで本編を観る