「「アクションノワールの新たな傑作」で済むのか?」貴公子 yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
「アクションノワールの新たな傑作」で済むのか?
今年143本目(合計1,235本目/今月(2024年4月度)17本目)。
(前の作品 「名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)」→この作品「貴公子」→次の作品「リンダはチキンが食べたい(字幕版)」)
タイトルに書いているものが全てかな、というところが多々あります。
普段から外国人取次にアンテナを張っている行政書士の資格持ちの私も、この映画で扱っている内容(後述)について、それを軽々しく「アクションノワールの新たな傑作」だけで済ますことの道義的な違和感をかなり感じたところです。ただ、日韓ともに表現の自由や言論の自由は一定程度保証されるので、そこは考慮するべき点があります。
フィリピンと韓国の間で生まれた混血児を「コピノ」といいますが(コリアとフィリピンの合成語)、この映画はまさにそれを扱ったもので、フィリピン国内でも韓国国内でも差別の対象となる事項です。一方、「韓国がしたことは全て許されないのか」となると、国レベルでも感情が違う(これも後述)部分もあるものの、フィリピンにおいてはこの件は政府も国民も激怒させ、不買運動につながるなど、フィリピンから見た韓国への感情は最悪に近いものもあります(この点、日本に関することも後述)。
本映画はこのように、実際に日韓併合などで生じた差別とは別に、韓国が主体となって起こした色々な出来事で苦しんでいる当事者(コピノなど。他にもありますが、後述)にスポットがあたったものの、それを問題提起として描かず、単にキャッチコピーで「新たな傑作」などと言われても、「ちょっとそりゃ違うんじゃないのか」というところです。少なくともいかに言論の自由があるとはいえ、フィリピンではとても放映できないのではなかろうか…といったところです。
採点に関しては以下まで考慮しました。
感想に対して補足などが多めなのは、この映画の特殊性によるものです。
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(減点0.5/いわゆる混血児(コピノほか)に対する配慮が足りない)
韓国でもフィリピンでも、混血児は差別の対象になることが多く、それはリアルでもこの映画でも同じです。しかし、混血児が「勝手に」生まれることはありえず、当然「先行する行為」があります、そのことに触れずに「この混血児めが」などと言われても本人に帰責性があるものではありません。
もちろん、韓国では真の意味での民主化運動が実を結び日本と同レベルの言論の自由が認められるようになったのは1990年以降で、それ以降に済州4.3や麗水順天事件(10.19)が知られるようになったのは紛れもない事実ですが、今年はもう「2024年」です。
さすがに、これら実際に差別に苦しんでいる方に配慮が何もなく「新たな傑作」だの何だのというのは、ちょっとモラル的にどうなのかというところです。
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(減点なし/韓国とコピノ(フィリピンとのハーフ)との関係)
韓国ではフィリピンへの旅行が一時期盛んでした。日本でも韓国でもアメリカでも、程度の差はあっても、「男性の一時的な衝動」が起きることはあります。ただ、韓国がこうした事情で発生した混血児問題に一切目をつぶったほか、一方、フィリピンはカトリックがさかんな国で、国レベルでいわゆる中絶を許しておらず(現在は多少緩和されている)、複合的に起きた事情でもあります。
当然、フィリピンでも韓国でも、言語の面でかなり苦労することから仕事もあまりよいものが望めず、差別の対象となっているのは映画内で描かれている事情ですが、この点は実際に当事者が一定数いるのであり、それを「韓国ノワールの新たな傑作」とだけで片付けるのは、ちょっと何というか、批判を免れない気がします。
(減点なし/韓国とベトナムとの関係)
この問題に気が付く方は、ベトナムとの関係も気になるところと思います。
ただ、ベトナムは国としても民間としてもこの点(ご存じの通り。あえて書かない)については目をつぶる立場です。
これは、ベトナムがベトナム戦争を実際に経た事情から、現在では統一されている北ベトナム、南ベトナムでやはり思想が異なるところにこの問題を掘り起こすと国がまとまりきれなくなること、(フィリピンと違い)国としてやはり発展途上国であるベトナムではやはり韓国への依存度は一定程度あること、そしてこれが大切ですが、ベトナム戦争を経たこの国では、何も「この問題」は韓国だけで起きた問題ではなく(アメリカ人との問題もあります)、ベトナムの今置かれている立場からすると「目をつぶっている」状態です(少なくともフィリピンで政府をあげて問題視されて敵視されている状況と異なる)。
(減点なし/日本とフィリピンとの関係(ジャピノ、ジャピーノ)について)
上述の通り、「男性の一時的な衝動」については程度の差はあれ日本もそうであり、そこからこの語も存在します。ただ、日本はこの問題について比較的寛容な立場で、当事者を探すために来日するといったことについてはかなり考慮された運用がなされています。このため、程度の差はあってもフィリピン国内においても「起きた問題」は同じではありますが、温度差がかなり違います。