水深ゼロメートルからのレビュー・感想・評価
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ココロの身勝手さには呆れた
高校2年生のココロとミクは、水泳の補習として体育教師の山本から、プール掃除を指示された。水の無いプールには、隣の野球部のグラウンドからの砂が積もっていた。2人が嫌々ながらも掃除を始めると、同級生で水泳部のチヅルや、元水泳部キャプテンで3年生のユイも来て掃除を手伝ってくれた。阿波踊り、恋愛、メイク、男女差別、など、彼女たちの悩み、それぞれの思いについて吐き出していく、という話。
まぁ、どうって事ない会話劇だが、そこそこ面白かった。
ミクは阿波踊りの男踊りで、モヤモヤしてる感じ。
ココロはメイク命で女磨きに勤しんでる、だけ?
チヅルは水泳で男に負けた事を引きずってる感じ。
ユイは速くもないのに水泳部のキャプテンをやらされて、やっと終わり来年のチヅル達後輩を応援しようとしてるのに、チヅルは部活を辞めると言って戸惑ってる感じ。
山本先生はしたい事も色々あるが、周りの目を気にし、抑えてる感じ。
各々色んな思いがあり、観てるのが面白かった。
ココロ役の身勝手さに一番呆れた。校則が嫌なのはわかるが、そうなら校則を変えるように行動すべきで、教師にメイクで文句言ったり、生理の手続きをしないで休んだ事を謝らないし、嫌な生徒だった。
ミク役の仲吉玲亜とユイ役の花岡すみれは、普通に良かった。
チヅル役の清田みくりは悩みはもちろん有るが、行動力が有って素敵だった。野球部へ行った時、彼らをプールに連れて帰り、砂取り掃除の手伝いさせたらもっと良かったのに、って思った。
山本先生役のさとうほなみをもっと見たかった。
どうでもいいと思うことに「転機」が潜む高校時代
置かれている背景も、育ってきた環境も異なっているも、自分そのものとの葛藤に直面する高校生の頃 校内のカースト制があったり、一方で打ち込むクラブ活動があったり、家庭の経済状況や家族の人間関係から「先が見えている」者もいるだろう そのような高校生活からまさに作られた舞台用の脚本があり、時代が変わってもかつて似たような思いを自分も通り抜けてきたように感じられた 「なぜ自分だけ」という失意の意識があっても、何らかのやりとりにおおいに感動したり、失望をしたり、立ち直ることもあったかもしれない
「アルプススタンド」と同じく「高校野球」が感じられるも、女子高生それぞれの背景とか教師との距離感とか、男性である自分にも「自分が高校生の頃」「子どもが高校生の頃」の時代に浸った 「アルプススタンド」にも本作にも、将来楽しみな俳優さんが出ているのかもしれない さとうほなみさんも葛藤の中にある「おとな」を演じていましたが、完璧でない「おとな」、よかったです (5月5日 イオンシネマりんくう泉南にて鑑賞)
述べるところは難しいがおすすめ
今年173本目(合計1,265本目/今月(2024年5月度)7本目)。
(前の作品 「バジーノイズ」→この作品「水深ゼロメートルから」→次の作品「悪はいない」)
プールものかな、と思いつつもタイトル通り「水が張っていないプール」で大半のストーリーは進むし、未成年であるところの女子高生が成年になる少し前(高校2年)の、「女性とは何か」「男性とは何か」(もっといえば、性論とは何か)について…といったところです。
ただ、その「中途半端」にある高校2年生を扱ったこれらの「ジェンダー論」を扱う映画が90分ないのがかなり厳しく、趣旨としては理解できる(差別と区別はどう違うかほか)ものの、90分で全てを語りつくしているわけではないし(そもそも90分でも120分でも映画で語りつくせるならこんな問題は日本には存在しない)、他に発散してしまってわかりにくいストーリーだなぁ…といったところはあります。
ただ、明確にその「高校2年生の思考レベルでの男性、女性とは何か」「ジェンダー論」といったことまでは感じることができたので、「若干時間が短いかな」とは思ったものの(準短編枠といった趣)、その大半は時間の問題であり、いわゆる「映画の肥大化」として120~180分が当たり前になる中で90分を切る時間帯で「とりあえず言いたいこと」自体は理解できたのでフルスコアにしています。
なお、「水泳映画ではない」ので要注意です。
水のないプール
水のないプール、4人の女子高生の会話に詰まったいろんなこと 等身大の数々のセリフが素晴らしい。確かに舞台で観たくなる。
水泳映画と思いきや、水はほぼ雨とポカリしか出てこない不思議な映画。...
演劇作品
「見んといて!」
「アルプススタンドのはしの方」の再現を期待して
見たのだけれど、残念でした。
高校生が書いたような脚本のせいか。演劇部の演し物のような演技のせいか。いやいや、やっぱり監督のせいですよね。作りながら、これまずいなあ、と考えなかったのでしょうか。訴えたいことも何か観念的で、高校生が初めて作った作品みたいな感じです。
監督は「リンダ・リンダ・リンダ」の監督ですか?
あんな素晴らしい作品を作る監督が、なんでこんな作品にしてしまったのだろう。
この演劇を映画にするんだったら、せめて、日射しとか、汗とか、暑さとか、日焼けの様子とか、もう少し本物らしくならなかったのでしょうか。そもそも、水泳のインターハイは8月半ば頃なのでは、等々、面白くないと、何かつまらないところに目が行ってしまいます。
体育の先生の怒りモードの部分だけ、おもしろかったです。
終わりよければ?
狭い世界のストーリー
映画への変換が不完全な舞台劇
ガールトークの舞台劇ですが、今ひとつ狙いがボヤけていた感じ。
答えのないイライラをぶつけ合ってるだけの会話の羅列に見えてしまった。
生徒たちも自分のやりたいこと、自分の意志を語るけれども、それらはすべて今の世の中の閉塞感への反抗でしかなく。
社会に出れば女は理不尽に立ち向かわなければならないと諭す山本先生も、生徒のことを考えている優しさと、単なる八つ当たり的な理不尽さのどっちが本質かがわからず。
舞台なら(もしくは少女漫画なら)突拍子のない行動やセリフも、一種のお約束として許せるし、深読みしたくなる傾向もあるけれど。
映画にそのまま写すだけだと、単にリズムが悪くなり、自分にとっては「映画に変換するのを失敗した」ように見えちゃうんですよね。
長さ的には飽きる前&寝てしまう前に終わるのは、よかったけどもそれだけ。
大塚製薬のお膝元
評者は男性
高校卒業が近づくにつれてメイク熱心になっていく女子達にかつては奇異の目をむけていた評者であるが、あれは大学や社会といういわば性的荒野に放たれるのに備えた防御反応という側面を持つのだと納得した。ココロ、ありがとう。
女(男)はこうあるべき、という画一的な性的役割押し付けは不毛な思考停止の産物である一方、完全ジェンダー・フリーが実現すると生物学的女性にとって身体面で明らかに不利な別の男社会が到来する。この中間のどこかに落としどころがあるはずだが、人類は残念ながらそこに至っていないのがなんとも歯痒い。
男踊りや野球部エースへの恋心やメイクのエピソード、あるいは性的ハンディに抗うために心ならずも生徒に理不尽に接さざるを得ない女性教師(最後は折れちゃったみたい)などを見ていると「女の敵は女」的なことを言いたがる気持ちもわかる。しかし、そういう発想をする人がたとえ女であっても目線は100%男であるという自覚は持ちたい。
特に感動はしないが、高校時代に女であることに対峙するんだなと思った。
いまだに「女は楽でイイよな」とのたまわる男子がいる。男であるから「1抜けた」と降りれないことを言いたいらしい。まったくなにを言ってるんだと思う。女であるというだけで限界を感じさせられることに比べれば屁みたいな悩みである。
だいたい僕は高校時代に自分が男であることに対峙したことがない。社会人になってからも考えたことがないぞ。男だからこうしなきゃいけないという周りに「うるせえな、知るかよ」と頭で少し思う程度である。フェミニズムに恩恵を受けた口である
歯痒さ
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