水深ゼロメートルからのレビュー・感想・評価
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プール掃除の女子高生
舞台が徳島だから阿波踊りに悩む女子高生、校則違反でもメイクを止められない女子高生など夏休みにプール掃除を命じられた水泳部員の女子が空のプールで只管、愚痴を吐きあう会話劇。原作は2019年に開催された第44回四国地区高等学校演劇研究大会で「文部科学大臣賞(最優秀賞)」をとったそうだから、悩める年頃の子たちには受けたのでしょう。
プールの汚れは野球のグラウンドから飛んできた砂によるのだから野球部員も総動員、皆でやれば負担も軽いのに、まるで罰ゲームのようにプールに居合わせた女子だけに命じる教師のいい加減さには腹が立った。
ただ、おじさんにしてみれば、良くも悪くも青臭さ満載、ギャップが大き過ぎてギブアップでした、ごめんなさい。
水泳の補習がプール掃除
夏休み、体育で水泳をサボった女子高生二人が補習として、水が抜かれたプールの掃除をさせられる。
補習とは関係のない水泳部関係の二人も加わり、女子であるための理不尽さや生きる悩みなどをぶつけ合う。
何事も思いやりが必要。
かなりつまらなかった!!
どう楽しんだら良いのか分からないです。「死ぬなら顔面の調子良い時に死にたい」という台詞は良かったです。可愛くないと愛されない、はまあその通りだと思いますが、だから何なのでしょうか。
男とか女とか…
青い長方形の水のないプール。
3人の少女達がくだらない事を駄弁りながら底の砂を履き続ける。
ミクは子供の頃から踊っていた阿波踊りの男踊りをしたいが、女の体で男踊りなんてと葛藤する
チヅルは一見お調子者だが、男の元水泳部のクスノキにタイムで敗れ水泳を諦める気で水のないプールを泳ぐ
ココロは化粧という仮面を磨き、男に守ってもらうのが女だと語る
結局、いつの時代も男とか女とかどうでもいいじゃん?って話なのよ。
ジェンダー理解が始まったこの頃でもまだまだ解決しない問題。
彼女達は幼い心でその「男」と「女」の理解が難しく境目を乗り越える事ができず諦めている。
大人でも難しいこの問題は中々減らない底の砂のようにへばりついて離れない。
フィジカル面でも問題は彼女達に否応無しに重ねてくる。
体格や体力、そして一定周期で流れるサビの様な経血。
履ききれそうで、でも積もり、を繰り返して大人になっていくのだろう。
己の力で、時に雨に助けられて。
かつて、JKだった過去を持つ身としては当時からあまり進化していない彼女達の悩みや感情の爆発にアイタタタタ!ってなるし、生理中にプールに入れるとか何事かっ?!てなる。
生理の問題って女にとっては本当に厄介なのよ。ましてや思春期で!!
彼女らの面白くもないおふざけやバカ行動を笑ったりできるのは若いからなのよ…もうしんどい…
野球部ってなんとなく「青春」って感じがする。
そこで活躍するのは「球児」支えるのは「女マネ」
倍率の高いマネに入れなかったココロがマネの座を勝ちとり、喜んで支えるリンカを蔑み己をさらに磨く様などがココロを形成する話で良かった。
そして「青春」から飛沫し溜まる砂を掃除をする彼女達。
そんな「青春」もある
舞台のリブートなので引きの画が多く、表情が見えない分振りが大きくなるのがな。
白いブラウスに透けるキャミ、絶妙な丈のスカート、水泳部のチヅルの焼けた肌と対象的なココロの白い足。
若さ弾けるたった一瞬の青春を本当に綺麗に描いているなぁと感じる。
ただ、彼女達から発せられるなんとなく「いい言葉」が多くて結局なんなのかよくわからなくてモヤモヤした。
ラストのアイデアは◎
配信(dmm)で視聴。
よくある女子高生のストーリーだが、舞台は
水の入っていないプールサイド。
プール掃除をしながら学校の悩みなど話すストーリーはなるほどと唸らされた。
ラストは阿波踊り。何故か不思議だったが、方言のセリフで納得。見事。
演劇的閉鎖性
高校演劇を原作とした映画化作『アルプススタンドのはしの方』は、その意外な設定・高校生らしい思いの発露が大きな評判を呼びました。僕も大好きな作品です。そして、高校演劇映画化作の第二弾が遂に登場しました。
夏の補習で、水のないプールの底に溜まった砂を掃除する様に命じられた女子高生4人のお話です。物語は、殆どこの乾いたプールの底で進み、一人一人の苛立ちや疑問・焦りがぶつかり合います。
『アルプススタンドの~』も本作同様のワン・シチュエーション・ドラマであるのですが、その演劇的閉鎖性を逆手に取って成功したのに対し、本作は演劇性に足を引っ張られてしまったと感じました。背景映像の殆どがプールの壁と言う閉鎖性に息苦しくなります。そこを打破する為にもっと強い思いのドライブ感が欲しかったな。
でも、高校生らしい会話の切れ味は小気味よく、「素直なひねくれ」も応援したくなりました。高校演劇の映画化作が更に続くのなら必ず観に行くよ。応援しています。
テーマはジェンダー
クスノキー!
映画化にあたって
ワンシチュエーションの高校演劇ですから、
あの会話劇の間合いとか、舞台袖からの登退場とか、小道具が学校にあるものばかりとか、
ああとても上手いな と思いました。
会話劇としての間の抜けたやり取りや、含みのある擽りがとても良いですね。
高校演劇としてはかなりの水準だったろうなあというのが見て取れます。
その反面、そういったバックグラウンドがない方には、非常に退屈な会話劇に見える構成になっています。
これはもう、台本上の特性ですから、変えるわけにはいかないので、むしろ、
そういった高校演劇特有のニオイを 瑞々しく残してくれた演出の方が良かったと思います。
ただ、それだけの映画でもあるため、ダメな人にはダメだろうなあ。
映画化にあたり、どれだけの部分が変更になったのだろう。
とても良いロケーションを探してきましたね、絵的にとても良いと思います。
単純ながら圧倒的な映画的なビジュアルで、この映画はもう半分くらいはこの力で出来ています。
プールの中で反響する声など、これは演劇ではない映画ならではの良さでしょうね。
途中の葛藤は、高校生の生の気持ちですから、もちろん、彼女たちの目線としては切実な内容でありましょうが、
まあ幼稚なレベルの感情論が主になります。
(登場する教員ですら、高校生が演じている内容ですから、大人ではありません、同じレベルで悩み葛藤する登場人物のひとりです。このあたりが映画と演劇と、更に演劇の中でも特殊な位置づけである、高校演劇との文法の違いですね、このあたりの作劇メソッドについては、掘り下げると、相当面白いのですが)
ラストシーンなど、原作と どう変わっているのか 非常に気になりますね。
答えを出せない課題を取り扱っているため、どうしても、物語上は 「もやっと」終わってしまうのですね。
それはもう、台本の構成上、どうしようもない。
登場人物ひとりひとりが、ほんの少しだけ、前向きになれたというのが、青春映画として
良い終わり方であったのだと思います。
映画としての終わらせ方としては、かなり苦心なさったのではないでしょうか。
あれ以外の終わらせようがない。
演劇の文法でいえば、嵐や戦や大火により、事態が困窮しきったところに、神が救済に現れる あの終わらせ方ですよね。
あとは、思いっきり映画ファンタジーとして、大雨でプールの水が満たされてしまったところに飛び込んで終わるとか、
または、後日談として、改修されたプールで、各々が少しだけ、課題を乗り越えた姿が描かれる事でしょうか。
いいや、そうはならんやろ、、という理屈をひっくり返すような
「映画力」を見たかった気持ちがありますが、まぁ、これは本作の趣旨とは逸れますね。
演劇特有の非日常をビジュアル化するにあたっての矛盾点や、リアリティのなさと
映像化するにあたり、避けて通れないビジュアル的な表現を、どうクリアするかといった
課題があったと思うのですが、そこは、クリアしきれていないように感じました。
商業演劇化、映画化にあたってはプロの脚本家のテキストレジが入り、
更に原作者からのディスカッションで本稿に至ったとのことですが、
どうしても継ぎ接ぎの苦労は透けて見えてしまったように思いますね。
そこが残念でもあり、見えるところがまた 良い部分でもあったかのように感じました。
個人的には、唯一登場する男性である彼が、彼女の宣戦布告に対して、ニヤリと微笑む描写が欲しかったですね。
それがないと、一方的に女性が葛藤し、突っかかっただけのお話になってしまう。
男性を登場させることの是非は原作者も相当 悩まれたようですが、
演劇作品としては登場させない事が是だと思われますが、
映画ですから、横顔や影だけでも男性を登場させないと成立しなかったように感じます。
女性に振り切った作風ですが、「女性」を立体的に際立たせるには、同性の教師や先輩だけでは少し弱く、
やはり対の存在としての男性が構図上、必要だったのではないでしょうか。
そういう意味では、価値観の変化の大きい現在から観ても、既に5年前の作品ですから、
もはや「古い」箇所もありまして、とはいえ、
時代性に刺さるから、名作として残る部分もありますので、(あとは普遍性ですかね、それは時間が証明されますから)
この作品が今後の高校演劇における、台本選択に悩める高校生たちへの、ひとつの選択肢として残り続ける事を祈ります。
低予算ブルーJKs日本映画のひとつ
いつも通りに予備知識なしでの鑑賞
しばらく眺めていて、もしかしてこれって演劇(を元にした)作品なのかな? と感じはじめるくらいわかりやすいくらいに会話劇頼りの映像が続いて、それで何か引き込まれる要素があればよかったのですが残念ながら私にはそれはなく、かなり厳しい90分を強いられた格好となりました。
青春のほろにがさ的な部分で主要人物の誰かか彼女らに感情移入や共感できる方もいらっしゃるようですけど、どのキャラクターにも入り込める余地は見いだせませんでした。
まず、砂が野球部のグラウンドから飛んでくるという設定と、補習と称してプール掃除をさせられるという設定。この物語の根幹であるこの二点が、無理のある舞台設定で致命的だと感じます。
砂土のグラウンドのある学校の付近にお住まいの経験のある人ならお分かりの通り、そういうグラウンドがあるだけで砂というのは飛んで来て堆積するから、そもそも野球部の活動とは何の関係もないです。それはその学校自体の問題と見るべき要素で、野球部のせい云々は野球部にとってはとばっちりでしかなく物語上のご都合主義でしかないと感じられます。
そして補習と称した罰ゲームのようなプール掃除も、所謂舞台装置なのはそうなのでしょうけども、もう少し説得力のある設定と流れを付与してほしいと感じました。最後のほうで一応のこの設定についてのフォローみたいなものが入ってたようですけど、イマイチわかんなかったです。ちゃんとしたコンディションで泳ぐのと広大なプール底面の砂掃除とどっちがいいか?っていったらどっちかという前者じゃないの?と現実的な考えが過ってしまいます。いや、まぁそういう要素でもって戯画を表現しているのもわかるんですけども・・・。要は「プールで泳ぐ」=「社会で女として生きる」ということなのでしょうけど。その考え方や生き方や対し方がそれぞれのキャラクターによって違うということなんでしょ。それにしても、それにしてもですよ。
4人の中でも特にメインらしき阿波踊りの子についても、結局彼女の背景や思想が何もわかりませんでした。男とか女とか関係ないってのは、それはそうなのですけども。男女がどうとかって話も、確かに高校生のつくった話としてはナカナカですね!という評価にはなりそうなのですけども、誰がつくったのか関係なく観させてもらうとかなり厳しい評価を下さざるを得ません。そんな話はどこにでも有り溢れているからです。
野暮な突込みなのかもしれませんが、時系列によって太陽による影の向きが結構バラバラなのが気に掛かってしまいました。それは、あまりにも内容が退屈過ぎるが故に気になってしまうというのもありますけど、戯画としてみるには中途半端なのでやはり低予算作品故の仕方なさなのでしょうか。
こういう、ブルーJKs日本映画って定期的に見掛けるのですけど、なんか「こういうビジュアルで売り出せば、大コケはしなくてもこのくらいは売上は見込めるだろう」みたいなデータでもあるんでしょうかね?
あと1人
解決してませんが
しかし女子高生の悶々とした日常が伝わる作品
動作がゆっくりなのも今のjkらしい動き
淡々としているので走ったり喚いたり
もう少し可愛らしさが欲しいところ
青空の下、砂が入った水色のプール
砂は掃いてもきりがなく、時に風でまとわりつき、口に入るとジャリッと気持ち悪い
まるで「悩み」を表しているかのよう
化粧する女子高生
自分に自信がない
将来、素顔が一番綺麗だねって言ってくれる人が現れると良いなと思う
基本ワンシチュエーションの舞台劇
舞台劇の映画化ということで、なんとなくワンシチュエーションであろうことは予想していましたが、
水のない&砂に埋もれている高校のプールが舞台でした。
基本的に女子高生たちのたわいもない会話劇・群像劇なのですが、
彼女たちそれぞれに抱える悩みがあり、それが会話の中で表出してきて
実は社会問題ともリンクしているという、実に深みのあるつくりあがりだと思いました。
いくら掃除しても砂はなくならない、なくそうともしない彼女たち、
そういうどうしようもない感とか、あらがえずに諦めている感なんかが
彼女たちの気持ちともつながるよう表現されていて、87分見続けることができました。
ともすれば、退屈な作品にもなりそうですが、
そうならないのは山下監督の手腕とフレッシュな俳優陣のなせる技だろうと感じた次第です。
実に実験的な作品で、なかなかの面白さ、楽しめました。
この作品に出ていた若い俳優さんたちが、今後活躍するのが楽しみです。
演劇から映画化された作品!
砂の積もった水のないプールに在った青春
高校演劇を映画化する意義と難しさを体現した一作
高校演劇の映画化といえば、最近も城定秀夫監督の『アルプススタンドのはしの方』(2020)という映画があったなー、と思っていたら、両作とも高校演劇の映画化プロジェクトとして作られたとのこと。
『アルプススタンド~』は、高校野球の試合会場なのに試合は敢えて見せない、という演劇的な作劇法を効果的に取り入れていましたが、一方本作は実際に学校にあるプールの広さ、そこに堆積する砂の物量感を物語上表現できなければならないので、特に美術面で相当苦労したことがうかがえます。
原作の演劇作品で脚本を手掛けた中田夢花が、本作でも脚本を担当している点が、本作の大きな特徴となっています。劇場公開作の脚本家としてはまだ経歴が浅いはずですが、それでもあえて抜擢したことは、高校演劇と映画をつなぐ回路をより広くする上で大きな意義があります。
中田は演劇では省略できたプールや砂が実際に映し出されることを想定して脚本を書く作業の苦労をインタビューで語っており、確かに作中でも、演劇的演出と映画としての表現がかみ合っているとは言えない場面もなくはなかったのですが、それでもこれだけの水準の脚本を仕上げたこと自体がまずは驚異的。
高校演劇は毎年優れた作品、人材が登場しているので、今後も映画化を積極的に推し進めてほしいところ!
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