チェンソーマン レゼ篇のレビュー・感想・評価
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また見たい戦闘作画ではなかった
アニメの最初の数話は視聴済みだったので、映画公開前は必ず見に行こう、と思っていたものの何故か公開日が近づいたり公開直後は急に行く気分がなくなり。。
光の点滅が多い場面があるのでご注意くださいって文言も躊躇した理由かもしれません。
ただ公開からだいぶ日にちが経ち、観客数がかなり少なくなってきたのでまぁ一応確認しておこうかな、と鑑賞。
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どなたかのレビューで前半は戦闘が無く謎の青春ものを見せられる、とあった通りでなんか不気味に爽やかな導入部分が半分。ここまでなら確かに劇場で無くとも良いな〜と思いつつ。
後半、レゼが本性を現して皆と闘うところは「いやなんか彼女の能力チートっていうか、変身したあとのこの彼女に勝てるのか?」と思っていたから拘束出来たところはなるほどそう闘うのか!と思い。
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でもなんだか戦闘シーンは多分劇場版ならではの迫力シーンなんでしょうけど何故か見づらい。
「動きが速くて目で追うのが大変」というのは鬼滅の刃と同じですが、直前に恋雪ちゃんのイラストをお迎えするため14回目の鬼滅の刃を見たばかりだったので戦闘作画の違いを考えていました。
好みの問題かもしれませんが、鬼滅の刃みたいに
「もう一度この戦闘シーンは見たい」
「義勇さんの動きを覚えるまで何度も見たい」
「善逸の闘いの動きはまた見たい」
などと思うような気持ちにはなれず。
話の展開はまぁ悪くはないかな、と思いつつ、スクリーンでバトルシーンを見ても分かりにくいだけでワクワクしないから、チェンソーマンの今回の映画はもう見なくていいな、と思いました。
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レゼは変身させないようにすれば割とあっさり倒せるんですね。戦闘中の桁違いの強さと比べてあまりにもあっさりしていて拍子抜けしました。。
しかしデンジ君16歳には見えない。
アニメ1話の時点で20歳くらいだと思ってました。
これも違和感の原因かな?
とりあえず最後に津田健次郎さんの声が聞けたのでまぁ良しとします(笑)
久しぶりにアニメ映画でここまで満足した!
ジャンプ+で地道に毎日少しずつ読み進めていた頃の原作記憶が程よく抜けており新鮮に楽しめた。
原作の良さを最大限に引き出した映像美よ。
ボムの躍動感が素晴らしかった、、仲間になって戦う未来を期待してしまった
あと、あのBGMやら主題歌のピッタリ具合が鳥肌モノでした。ちょっとリズム取っちゃったもんな。
なにより昨今の3h映画が流行る中100分で美しくまとめ上げたことを評価したい。これぞ綺麗な映画だなと。
唯一気になったのは、本性表す前のレゼ、ちょっとメンヘラ地雷女子が強すぎん?
原作読んだ時の印象はもっと素朴だが沼る印象だっただけに、くどかったかな…
そしてもう少しレゼ側の感情に時間かけて欲しかった。ならもう泣けたよね。
そしてマキマさんの私服…あんな感じね…。
漫画で観てはいたが年上憧れ女子の服って結構大事よね
サブスクに出たら間違いなく見るね
10本に一本の映画でした
25年57作品目
ヨーロッパ映画?
強烈な暴力の合間に切ない恋愛模様を挟み込む映像美
この映画単体で物語として完結しています。ただ、まあまあ残酷なシーンはあるので、子供向けでは癒えない作品ではありますが。
原作の最低限の知識(主人公の名前や、悪魔とやらが暴れまわってるらしい世界線の日本、ぐらい)を持つ自分が見ると、ストーリーはある意味の荒唐無稽さを含んでいます。ただし、あくまでも主人公とヒロインの真っ直ぐな純愛に強烈なスポットライトを当てることで、そのようなことは些末なものだと感じさせ、見事に映画として成立させることに成功してるのではないでしょうか。
映画では、この二人が相思相愛だったのか、あるいは単に情にほだされただけの関係なのかは、多くを語ってはくれません。ただ、迫力ある映像の合間に見せるキャラクターの細やかな仕草描写や、それに上乗せされる声優の方々の見事な演技は、我々観客を充分に様々と想起させます。かつ、それらを肯定するような歌声。はい、最初に申し上げた荒唐無稽さなんか、 もはやどうでもよくなります。
鬼滅の刃しかり、本作しかり。日本のアニメ映画の実力を余すことなく表現した作品に、短い間で二度も出会えたことに感謝したくなる作品でした。
映画初後悔…画素も作画もひどい箇所が多すぎ。
個人の見解です。映画をよく見ますが、初めて お金と時間を費やしたことを後悔した作品。
原作の漫画も好きで アニメは作画が荒いところ 気になっていたけど、まだ観れる感はあったが、映画はかなり作画も荒くて 、作画が下手なところが多すぎた。
戦闘シーンに全力を注いでいる感は伝わったけど 、戦闘シーン が ほ ぼ 意味不明な状態な部分が多数あった。
こんなことなら映画化されない方が良かったとさえ思った。
検索が大好きなだけに、残念すぎた。
鬼滅と同じ制作チームで作って欲しかった。
後半にむけての前半が!
アニメ見てすぐ見たい
漫画読んでないです。
映画館で米津玄師×宇多田ヒカルのエンディングを聴くために、総集編見ました。
ハマりました。
えなに?銃の悪魔ってもう居場所わかってるんだっけ?
アキくん…もう相棒が目の前で死ぬのは嫌なんだなって思ったら泣けました。
アキくん死ぬの?死なないで!!
レゼ!何者なんだよと思ってたらこの子も人体実験の被害者?だったのかな…
最後デンジの背中みれたね、学校行ってみたかったね。
原作読んじゃうかもしれない
激しくも儚い物語
原作は読んだことありませんが遅ればせながらテレビシリーズを配信で視聴したところナント続編の劇場版が放映中とのこと。今の熱量と記憶が薄れないうちに映画館に足を運びました。
主人公のデンジは街で出会ったレゼという少女に惹かれます。元々好意を寄せている女性上司のマキナと同様謎めいていてベクトルは違いますがエキセントリックかつ距離感がバグっていてグイグイ距離を詰めてくるレゼのことを好きになってしまいます。レゼのCVの上田麗奈さんは小悪魔的キャラが実に巧いですね。デンジ君は女性の好み変えないと絶対苦労するよ(笑)
デンジとレゼは惹かれ合う中で彼が通ったことがない学校に夜間連れて行ってもらいますがどこかで見たようなノスタルジックな展開。終盤でレゼも実は学校に通ったことが無いと洩らします。過酷な生い立ちから学校に通えなかった2人が夜間の学校に忍び込みゴッコ遊びをするなんとも言えない情景。
そこからの急激なバトルシーンへの切り替えと没入感。テレビシリーズと同様流石だと思いました。
バトルシーンの激しさは最新の令和のアニメらしく迫力満点で素晴らしいです。MVPは間違いなくサメ魔人のビームでしょう。ただ「ポケモンショック」程ではないもののフラッシュの連続シーンが数秒あり個人的に眩しくて目を細めるシーンがありましたがここは賛否両論。
他にもデンジの念願だったマキナとのデートや、アキと天子の悪魔とのバディの描写も良かったです。ただ個人的推しのコベニちゃんの出番が少なくて残念。テレビ版みたくもっとネジが飛んでるとこ観たかった(笑)
最期の場面は悲劇とも当然の帰結とも受け取れ正直複雑な気持ちになりました。
作中で度々挙げられた「田舎と都会のネズミの寓話」が何を意味するのか初見だと正直わからなかったので他の方の考察を参考にしたいです。
テレビシリーズから劇場版公開まで3年間が空いてるんですね。テレビシリーズ2期の発表がいずれあるのかとても楽しみです。
原作がもっと好きになった。また観に行きたくなる
映像のスピード感に付いていけず
超魅力的なキャラたちの出会いと別れ
ジェットコースターに乗ってるみたい!
原作も読んでますがスピード感が段違い!戦闘シーンは終始ジェットコースターに乗っているようなアトラクション感覚でした。
作中でマキマさんも『お涙ちょうだい演出が嫌だったよね』ってニュアンスの話をしていますが同感の私には、完全に振り切った殺し合いで語り合うレゼとデンジ君の暴力的な関係の方がなんだかしっくりきました。レゼとデンジ君の関係性の変化の恋愛要素も押し付けがましくなく淡く切なく描かれていて、マキマさん要素も対比で加わり、さらに結局ラスボスはマキマさんかよって胸にしこりを残すラスト。
さすがMAPPAの作画・演出力に加えて、米津玄師&宇多田ヒカルの神曲。時間も100分集中力が途切れることもなく、もう1回リピしたいと思わせる内容でした。
途中戦闘シーンで閃光が眩しかった以外は満足いく映画でした!
「あの名作と半世紀を超えて響き合う、人間と悪魔の思想」
日本のアニメは素晴らしい。
「劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来」にしても、本作にしても物語が面白い。アニメ版「チェンソーマン」第1シーズン12話。最終回「日本刀VSチェンソー」の最後に登場した〝あの娘〟がレゼやったんや。。。
そして映画を一か月遅れで鑑賞。
単刀直入な意見。
「レゼに惚れてまうやろ!」(いとも簡単にデンジがハニトラに掛かるのも分かる(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪)
思わせ、こじらせ系のレゼ。野郎は早々にトラップに掛かるのが世の常。
「田舎のネズミと都会のネズミどっちが好き?」って聞かれたら。
「地方都市のネズミ」って答える(^^♪
で、幼少期からアニメ(マンガ)に慣れ親しんだ。
本作を鑑賞しながら「うん?」って思った。
今回はそんな感想でまとめる。
『デビルマン』と『チェンソーマン』──半世紀を超えて響き合う、人間と悪魔の思想
永井豪の『デビルマン』(1972)と藤本タツキの『チェンソーマン』(2018〜)は、時代も文脈も異なる作品。しかし、どちらも「人間とは何か」「善悪とは何か」という根源的な問いを抱えている。
今回は、両作の共通点を5つのテーマに分けて整理する。
※「デビルマン」
永井豪の『デビルマン』は、1972年に発表された日本の代表的なダークヒーロー漫画であり、人間と悪魔、善と悪、愛と憎しみといった根源的テーマを壮絶に描いた作品。
主人公・不動明は、ごく普通の少年であったが、古代から眠っていた悪魔族〈デーモン〉が現代に復活し、人類を滅ぼそうとする中、その運命に巻き込まれていく。
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① 人外と人間の“融合”が生むアイデンティティの葛藤
『デビルマン』の不動明は、悪魔アモンと融合して「人でも悪魔でもない存在」、
『チェンソーマン』のデンジも、悪魔ポチタと一体化し、同じく人間と悪魔の狭間で生きる存在に。
両者は、力を得る代わりに「自分が何者なのか」を失う。
この“境界的存在”としての苦悩こそ、両作の根幹をなすテーマ。
戦いとは外敵との闘争であると同時に、自分自身との闘いでもある。
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② 愛と暴力の共存──矛盾する人間の本質
両作の主人公は「愛のために暴力をふるう」矛盾を抱えている。
明は愛する人を守るために同族を殺し、デンジも仲間やマキマへの愛憎の中で血を流す。
ここで描かれるのは、“暴力は悪”という単純な図式ではない。
むしろ、愛が暴力に変わり、暴力の中に愛が宿る――人間の感情の二重性そのものが描かれている。この矛盾の中でこそ、人間の真の姿が浮かび上がると感じる。
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③ 人間社会への不信──怪物よりも恐ろしいのは人間
『デビルマン』の最終章では、人類はデーモンへの恐怖から互いを殺し合い、滅亡する。
『チェンソーマン』でも、公安組織や社会構造は冷酷で、悪魔以上に非人間的。
両作は、暴力や悪意の根源を「外の怪物」ではなく、「人間社会の内部」に見出している。
つまり、怪物とは社会の鏡像であり、人間の愚かさを可視化する装置と思われる。
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④ 愛する者の喪失と、救いなき世界
どちらの物語も、愛の果てに“喪失”が待っている。
明は牧村美樹を人間の手で失い、デンジも仲間を次々と喪い、マキマを愛しながら殺す。
それでも彼らは立ち上がり、再び戦う。
そこにあるのは、希望ではなく、「絶望の中でそれでも生きようとする意志」。
この“救いなき人間の強さ”が、両作品の最も人間的な輝きであろう。
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⑤ 善悪を超える“混沌の倫理”
『デビルマン』も『チェンソーマン』も、善悪の境界を意図的に曖昧にしている。
ヒーローが必ずしも善ではなく、悪魔が必ずしも悪ではない。
正義のために戦う者が、もっとも血にまみれていく。
それでも彼らは、誰かを守りたいという想いだけで立ち上がる。
この「倫理の混沌」こそ、現代社会における“リアルな人間像”として響くと感じる。
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まとめ
『デビルマン』が1970年代の社会不安と人間不信を描いたように、『チェンソーマン』は21世紀の虚無と孤独を背景に、人間の感情と暴力の関係を描き直している。
半世紀を越えて、両作が問うのは同じこと――
「人間は、愛することによってどこまで怪物になれるのか。」
その問いの鋭さこそ、『デビルマン』と『チェンソーマン』をつなぐ魂の共鳴点。
そして今もなお、人類はその問いに答えを見いだせずにいるのかもしれない。
※あとがき
ずっと「チェーンソーマン」やと思っていたら〝チェン〟ソーマンなんやね♬
これは映画「悪魔のいけにえ」の「テキサス・チェーンソー・マサカー」のトラウマだと思った。((((;゚Д゚))))
以上
全851件中、141~160件目を表示
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