「未熟さと凶暴さのギャップが凄い」チェンソーマン レゼ篇 アラ古希さんの映画レビュー(感想・評価)
未熟さと凶暴さのギャップが凄い
娘の勧めで鑑賞した。原作コミックは未読であるが、アマプラで総集編の前後編を見た。「ルックバック」の作者藤本タツキが執筆中で未完結の SF 長編ホラー作品の映画化である。コミックは現在 22 巻まで出版されている。第 11 巻が第一部終了となっていて、その後休載に入って「ルックバック」を完成し、その後再開したという経緯を持つ。残虐描写が全編に渡って出現するので、世界観は「ルックバック」とまるで違うが、「ルックバック」で変質者が攻撃して来る場面の残虐性は似たようなものを感じさせる。
「鬼滅の刃」と類似した世界の話だが、こちらは近代の日本が舞台である。敵は鬼ではなくて「悪魔」で、体を悪魔に乗っ取られた「魔人」というのも出て来る。悪魔に戦いを挑んで人間を守ろうという鬼滅隊のような組織が政府直轄で設立されており、「公安対魔特異課」という。また、悪魔と特殊な契約を結んだ特殊な人間が何人かいて、主人公のデンジは 16 歳の若者ながら非常に特殊な悪魔と契約を結んで自分の体内で共存しているという設定になっている。
デンジの体内で共生している悪魔が非常に能力の高い極めて特殊な存在で、その心臓を我が物にしようとする悪魔や人間が多数出現する。デンジは 16 歳ながら巨額の借金を背負った親に先立たれ、ヤクザに拾われて法外な安い報酬で働かされたため、ロクに学校に行ったことがなく、漢字も満足に読めないという未熟者で、人生経験も乏しい。しかし、一旦体内悪魔の能力が発動すると、とんでもない強さを発揮する。未熟者がとんでもない能力を持っているというのは「エヴァンゲリオン」を彷彿とさせるが、デンジがシンジと違うところは素直さがあまりないところで、近くにいたら嫌悪感を感じるような人物である。
映画は、アマプラの総集編前後編に続く物語なので、原作コミックを読んでおくか、総集編を見てからでないと世界観や登場人物が分からず疎外感を感じさせられることになるはずである。総集編を見てから映画館に行かれるようにお勧めしたい。鬼滅の刃と大きく違うのは、人間を救わなければならないという熱意がやや希薄である点と、心に響くような台詞があなりないところである。鬼滅の刃に比べるとやや若年層向けではないかと感じられた。
デンジは、公安対魔特異課の女性上司マキマに惹かれながら、今作に登場する年上の女性レゼとも急速に親しくなり、二人の女性の間で揺れる気持ちなどが描かれるが、そうしたロマンチックなシーンと全く対極的なのが悪魔たちとの戦闘である。容赦ない残虐表現が続くので、こうしたシーンが苦手な方にはお勧めできない。
声優では、マキマの同僚の岸辺の声が「チ。」のノヴァクの声と同じ津田健次郎だったのがすぐ分かった。最近では俳優としても引っ張りだこで、朝ドラの「あんぱん」や大河の「べらぼう」、映画の「沈黙の艦隊」にもそれぞれ非常に印象的な役で出て来ている。マキマやレゼの声も非常に魅力的だった。
テレビアニメでは米津玄師が主題歌を担当しているのが話題だったが、今作でもエンディングを担当しており、しかも宇多田ヒカルとの共演を果たしているのが非常に聴きものである。映画のエンドロールで歌謡曲が流れるのは邦画では珍しくなく、「沈黙の艦隊」のように内容と全く無関係な歌が流されて腹が立つことが多いが、今作のエンディング曲は、米津玄師が書き下ろしているだけあって、物語のアウトラインをなぞるような内容の歌詞になっているのが魅力的である。宇多田ヒカルが自作の曲以外を歌うのは初めてらしいが、あまりにハマっていたのが素晴らしかった。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。