チェンソーマン レゼ篇のレビュー・感想・評価
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セクシーダイナマイトはここでは要らない
アニメ一期の評判の悪さは知っている。
「原作漫画のタッチに忠実でない」、「色味や線の雰囲気が原作よりきれいすぎる」「漫画の荒々しさや粗さが薄まっている」といった批判があった。
アニメ一期の中村竜監督は、漫画「チェンソーマン」をアニメ化するにあたって、暴力やグロ描写を「極端に過剰化する」ことよりも、原作で起こっていることを「起こった通りに」描写したい。見た目の過剰誇張ではないリアリズムを持たせたい、旨のコメント。併せて、登場人物の日常を盛り込むことにより、原作の「余白」、漫画ならではの「コマ」間の飛躍省略を「起こった通り」埋める、そして「新しいアクション」を生み出すことに注力し、原作の「映画」的なアプローチを映像作品に引き上げるため苦心。
アプローチとしては、映画を作る、ということなのだろうが、そのアプローチが、「余白」を好む原作ファンに嫌われ、派手で動きも構図も3DCGの使い方もしっかり考えられたアクションシーンも「違う」、「過剰」と突き放された。
別物なのにね、と思いつつも個人的には笑い飛ばすテイストのグロは要る、ベタ塗りの黒、禍々しさは要る。音楽は要らないが、チェンソーの音は要る。チェンソーの削るような揺れは欲しいが、切れ味は要らないというスタンスだった。(ああ、言ってみれば、「死霊のはらわた」だね)。
個人的にはあまりそそられないレゼ篇だが、製作陣によると、一期の演出スタイルを踏まえつつ、レゼ篇という感情・ドラマ性重視の章を映画フォーマットでより大胆に描き、アクションやドラマの緩急を強め、観客が没入しやすい流れを意図しているとのこと。
原作との比較はなるべくしたくないものの、製作陣の反省を受けての、
「チェンソーマン レゼ篇」
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切ない恋物語にゴージャスな映像。贅沢な音楽に、Mervelな市街アクション。キャラクターのデザインもアップや止め画などは、原作の線に近い。登場人物のカクカクした歩き方も、幼さと現実感のなさが表現されていて、製作陣の原作の読み込みも半端ないことが十分にうかがえて素晴らしい。
原作の、読み手の手が止まる構図でありながら、抜群のコマ割のテンポ感を両立させる構成に対し、スピード感として優先するのも映画ならではの解釈。市街を疾走する車を追いかけるボムの動きや、ビームとチェンソーのコンビとの格闘も、Mervel的なものも取り入れて、非常に見ごたえがある。
原作未読、一期未鑑賞の人は完全に置いてけぼりだが、これもサブスク時代では当然の戦略。
なんだけど、老眼、動体視力低下、難聴手前のメンドクサイおっさんは
ずーっと音楽が鳴っててうるさいのなんの。ボムのどかーーーーん、チェンソーのぶうぉーーーーーんの音だけでいいのに。
なんだけど、せざるを得ないこともまあ、わかる。
オレの好きなベタ塗りの黒の背景が、映画向きでないこともわかる。わかるけど、それに代わる禍々しさが若干足らないのは、少し残念。原作にも台風の悪魔が赤ちゃんである説明はないが、その気色悪さはもう少し画で表現してほしかったか。
だが、ボムの「爆弾頭の、生々しい半裸の女性」の肢体があまりフィーチャーされていないのは仕方ないことなのか。顔がチェンソーの男の子、頭が爆弾の女の子。対比であり、これ以上ない相性の良いキャラクター同士が、ぶつかり合う。人間顔の二人の時のプールのシーンにあった感情は、対決の時もそれぞれの与えられた(縛られた)役目を果たすために殺し合っても、最後は体を「重ねる」。
原作もあまりその辺は強調されていないのだが、思春期の子に、プールの方のレゼではなく、「爆弾頭の禍々しい半裸の女の子」にもっとドキドキさせるような仕掛けを打ってもよかったのでは、と思うが、まあ、思春期世代にあらぬ方向の思春期を送られてても困るか。(じゃあ、プールの方はいいのか、という話にもなるが)
総じて、一期の批評から一部反省修正をし、原作に書いてないことはやらない、書いてある通りにボリュームを増す。製作陣の狙った通りの結果になっていると思うが、個人的には、ぶうぉーーーーーん、ばりばりばりばり、いたいいたいいたいの「チェンソー」ならではの絵が今回もあんまりなかったので、この評価。
悪魔的作画!俺達のチェンソーマンがスクリーンに!
「田舎のネズミと都会のネズミどっちがいい?」
▼感想
映画館で鑑賞!面白かった!!
自分は原作漫画の大ファンで、今作をずっと楽しみにしていた!今作で描かれるのはレゼ篇。ストーリーは原作通りで、内容、構成、テンポ…全てが映画化にカチッとはまっていて、映画化するならここしかなかった!改めて見ると、カフェのエプロンやプール、花火…レゼとのデートパートが戦闘シーンの前フリになっているのに気づかされた。
戦闘シーンは神作画…いや、悪魔的作画!チェンソーマンとボムとの戦いは凄すぎて脳から変なドーパミンが出てるんじゃないかってくらい興奮した!ただ作画が良いだけでなく、アニメの挿入曲を入れたり、原作表紙のカラーリングになったり粋な演出に痺れた!
声優陣がキャラクターの魅力を底上げ!デンジは普段の本能丸出しなバカな感じの声とチェンソーマンの時の狂戦士のような笑い方が100点!レゼは可愛さとミステリアスさを備えた上田麗奈の声がぴったりだった!上田麗奈の声のおかげで、レゼは原作漫画で読んだ時よりもさらに魅力的なキャラクターに感じた。
顔と両手がチェーンソーの男がサメに乗って台風に突っ込む…こんな漫画はチェンソーマン以外自分は知らない。大好きな原作漫画の魅力をこの映画が100%引き出してくれて嬉しかった。この作品が今後のアニメシリーズの起爆剤になって欲しい!
チェンソーマン!最強!
▼お気に入りのシーン
チェンソーマンとボムのビルでの戦闘シーン!
ここは何度も見たくなるような中毒性があった!
期待通り、映像の迫力、レゼの愛らしさ、内容には満足だった
見やすい
2025年劇場鑑賞254本目。
エンドロール後映像めっちゃ有り。
原作は連載をリアタイで全話読んで、ジャンププラスの第二部も読んでいるので何か起きるか全部分かっていますが細かい所は全く記憶から飛んでいて、TVシリーズは全く観ていませんが鑑賞。
自分は藤本タツキの連載デビュー作のファイアパンチは単行本で全巻買っていて、短編集も買うのだけれど、基本この人の作品不快なんです。悪意とか、人の死の描き方がこうなったら嫌だな、のさらに斜め上くる感じがしんどいです。じゃあ読まなきゃいいだろと思われるかもしれません。でも道に動物の死体や吐瀉物みたいなものがあったら見たくないけどなんか見たくなるような感覚分かります?自分の藤本タツキの作品はそういう存在です。
で、原作は基本モノクロの漫画なのですが、アニメとしてカラフルに動くとこんな派手な戦闘だったのかと初めて気づきました。これはIMAXで観て良かったなと思いました。敵はもちろんデンジ自体もあんまり人を守らなきゃみたいな意識が低い(一応寝覚めが悪いとは言ってましたがまぁ死んだら死んだで仕方なくね?という感じ)ので戦う場所も全然人の少ない所でやろうとかないから街中でやりたい放題。ハリウッドならなぜか無人になっていますが、チェンソーマンはもちろん巻き込まれて死ぬ人をちゃんと描くのでまた不快な思いをさせられつつ心に残るわけです。
細かい所は覚えてないにせよ、結末は覚えているので正直レゼとのやり取りに甘酸っぱさより不穏しか感じられなかったのはこちらの問題(距離が近づくと蜘蛛が蝶を食べるカットが入るのが意地悪すぎました)ですが・・・。
"ファン"を意識しすぎている
これに尽きる。
アニメ1期では新しい映像を作りたいという気持ちで実写を意識したが、テンションが低すぎて不評だった。
そのためか、レゼ篇については原作を守りたい、ファンを怒らせたくない、みたいなのが前面に出てきており、非常に退屈した。
動物でも野菜でも、いくらでもオリジナルの悪魔は作れるはずなのだがそういうのは無い。
恋愛パートと戦闘パートが完全に分離されているが、噛み合いは一切ない。これは原作の問題だが、そこを調理出来ないならなぜ映画化した?という疑問だけが残った。
この作品は別に恋愛が突出して面白いわけでもないし、バトルは何でもありの脳死バトルだが、それでも評価されている理由があるわけで、そこを突いてほしかった。
前半と後半のギャップ、スピード感最高
驚きのよくある物語。
バトルアクションは迫力あった
チェンソーマンとなり、公安対魔特異4課所属のデビルハンターとして悪魔たちと戦う少年デンジ。公安の上司である憧れの女性マキマとのデートに浮かれるなか、急な雨により雨宿りをしていると、レゼという少女に出会った。近所のカフェで働いているというレゼはデンジに優しくし、2人は急接近した。この出会いをきっかけに、デンジの日常は大きく変わり・・・さてどうなる、という話。
テレビアニメ版は未鑑賞。
バトルアクションは迫力あった。
殺されても人の血で生き返るなんて鬼滅の刃の鬼みたいだった。
レぜは可愛かったし、プールのシーンなんか色っぽかった。
マキマも綺麗だった。この2人のキャラは特に魅力的だった。
初めてみたが、妖怪人間ベム、みたいな感じで面白かった。
テンポが良い
だらしない主人公に共感する情けない自分
観て良かったです。
最後は切ない気持ちになりましたが、スタッフロール後の描写に少し救われた気分です。
予告編で興味を持ったので、原作コミック未読ですが、TVアニメを第1話のみ視聴して本作を鑑賞。よく分からない部分も沢山ありましたが、それでも非常に楽しめました。
レゼの思惑通り、色仕掛けにノーガードでひっかかる主人公。
主人公のくせに何やってんだ、お前は!と怒りたいところですが、16歳の男子が女性にあんな風に来られたら、それはそうだよなぁ、と妙に納得してしまいます。
主人公は、レゼに騙され、殺されかけ、公安の仲間(?)達が大勢殺され傷付けられ、街は破壊され多数の市民が犠牲になる。そんな経験をしてなお、レゼを選ぶ!?全く理解できません、と言いたいところですが、ここでも、う~ん、分からなくもない、と主人公に少し共感。かわいい女性キャラなら何でも許せてしまうのかと、鑑賞中にわりと真剣に自己嫌悪に陥りました。
劇中、かなり悲惨な出来事があったにもかかわらず、最後の展開以外は割と楽しい映画を観た後のような気分で劇場を後にしました。
そのままの最高の面白さ
なぜレゼは最強なのに一撃で殺られるのか。
劇場へデンシャで向かうが、遅れてて。
駅の掲示板に ”遅延” そーなん?(笑)
お後がよろしいようで・・・
今日は「チェンソーマン レゼ篇」早速 観ましたよ。
劇場はほぼ満員御礼!
若い男の子が多いねぇ。高校生・大学生でしょうか。
女子達は少ない。
その理由は本編始まって直に分かったね。
前半、これって青春ラブコメ物?だったっけ
茶店員の女子の積極的アピ-ル。
デンジ君のどの女性を選べばいいかっていう思い。
優柔不断と割り切れそうで割り切れない その場限りの恋の病。
突然 迫る、全裸で彼女とプールとか。
映画”500日のサマ-”もそんな積極性が生む恋だったねぇ。思い出したよ。
宣伝ではレゼの服は黒の半ズボンだったけど
映画では純白のブラにパンツ姿そして黒の前掛け・・・
成る程ね、 彼女いない歴がそのまま実年齢の男子達が集まっちゃう訳だわ。
既に場内はゴキブリホイホイ的なカオスって事になってしまってた事に
今頃気が付いた。
前半は 変な澱んだ空気感に成ってましたね。(*ノωノ)
後半、キスで舌嚙みちぎる・・・この 辺りから レゼと本格的戦闘で。
爆発、爆発・爆発と 対デンジのチェンソ-が炸裂で
兎に角気合入りましたわ。
絵は綺麗~ 爆発場面もイイ感じ。
血飛沫ドヒャ- どひゃ- ドバ~ (@_@;)
鬼滅もそうだけど、 こんな残虐場面バンバンやってて
日本アニメも洋画並に過激に成ってきた感アリですね。
と言う訳で、最初オープニングのテロップ入りが
TVアニメ番組のままなんで無理して映画にしたのかなとか
TV特番アニメで良いんじゃって思ったけど。
内容はTVよりは劇場向きだったかもですね。
ただ あんなけレゼは最強とか言ってたのに、最後マキマと天使の悪魔でアッサリ片付く。まるで鬼滅の胡蝶しのぶに鬼が殺られた様な感じしたわ~。
最後まで観たけども
まぁ良いんじゃない。モテない男子の青春過激バイブルって事で。
興味ある方は
とにかく劇場へGO!
IRIS OUT
愛すべきチェンソーマンはこれだ!と言わんばかりの暴走レベルの熱を感じさせてくれる映画になっていました。
特典はミニコミックでした。
TVアニメシリーズではどうしてももっさりした感じが出てしまっており、原作での狂気っぷりやスピード感が失われていてうーんと思っていたのですが、公開直前に配信された総集編ではスピード感が抜群に上がっており、これだこれだ!と思わせてくれたので映画も期待していたのですが、これが凄まじいレベルでの映画化でした。
「IRIS OUT」から始まる最高の出だしでこれは面白くなるぞ!と確信が持てましたが、原作のエピソードをじっくりやってくれて、尚且つスピード感も原作を読み進めていた感じと同じで良かったです。
マキマさんとのデートは改めて観てもめちゃくちゃワクワクドキドキしましたし、マキマさんとのデートかと思ったら映画を梯子しまくりと、映画好きの自分は喜んで!とついていきますが、普段観ない人からしたら映画行脚は相当ヘビーやろなぁと笑ってしまいました。
映画館でのエピソードもめちゃくちゃ分かりみが深く、周りが笑っていても自分にはピンと来ず、周りが泣いていても冷めた目で観てしまい、めっちゃ普通だなとスンっとなってしまったり、でも何気ないシーンでめちゃくちゃ感動しちゃったりと、映画にまつわるお話の共感がエグかったです。
そこからレゼとの出会いのパートも素晴らしく、電話ボックスでの会話だったり、喫茶店での距離感だったり、年相応のデンジの表情も良いですし、レゼのキュートな立ち振る舞いも最高で、学生時代が無かったデンジの青春模様がドドンと大量供給されるシーンはやっぱりめちゃくちゃ良いですね。
夜の学校に忍び込んで授業をしてみたり、プールでスッポンポンになって泳ぎの練習をしたりと、デビルハンターの生活とはまた違う世界が共存しているんだなと改めて感じさせられるのも良かったです。
ただここから血みどろの青春が始まっていき、メロウだったテンポが急加速していき、チェンソーマンらしさ全開になっていきます。
レゼが爆弾の悪魔に変身し、デンジとの直接対決は凄まじく、そこにやってきたビームが間一髪で助けてながらもガンガンフルスロットルで追いかけてくるレゼがいかついです。
レゼの強さも尋常じゃなく、公安の連中もフルボッコにしていきますし、
街中でのチェイスから更にギアが上がっていき、暴力の魔人が爆速で奇襲を仕掛けていくところなんかスピード感がヤバかったですし、ガンガン燃えまくる車たち、そこから息を吹き返したデンジがチェンソーマンになるまでのテンポが最高で鳥肌もんでした。
なんたってシャークネードバトルが最強作画で爆裂しまくっていたのが最高でした。
台風の悪魔の周りをビームとデンジで駆け回りまくり、それを追いかけるレゼの構図がノンストップで描かれ、目まぐるしく回るカメラワークながらもその世界にのめり込んだかのような感覚になれたのは原作ファン冥利に尽きました。
ビルも街も全部巻き込んでのぶつかり合いが凄まじく、静と動が一体化してチェンソーマンのアクションの完成形をこれでもかって味わえたのが最高でした。
レゼとのやり取りも嘘だと分かっていながらも、デンジが助けに行く流れなんかはやはり好きですし、それに対するレゼの冷たい反応なんかもやっぱ良かったです。
ラストもねぇ…分かってはいるんですけどやはり切なかったです。
あのまま遠くへ行っていたらもしかしたら違う人生を歩めたのかも知れなかったのに、デンジとの再会を夢見て戻った先にマキマさんがおり、そしてトドメを刺されるという、本来は敵サイドであるはずのレゼを憂いてしまうというのもうまいつくりだなと思いました。
デンジが好きになった人たちが殺し合っているという惨状をそこまで離れていない場所で行なっているのも残酷さに拍車をかけているようでした。
ほんでもってオチを全部掻っ攫っていくパワーはやっぱし可愛いですね。
第1部の残りもアニメで見てみたいですし、第2部もどうなるんだろうとますます期待してしまいます。
マキマさん、俺ァ人生を華やかにしてくれる作品に出会っちまったよ…。
鑑賞日 9/19
鑑賞時間 20:25〜22:15
絶対観るべき映画。
今までアニメにほとんど興味がなかった私が、人生で初めてここまで心を揺さぶられ、
どハマりした作品が『チェンソーマン レゼ篇』です。
映画を観ながらずっと胸が苦しくなるほど
切なく、それでいて心を掴まれるような感覚を
味わいました。デンジとレゼの短くも濃い間係、そして最後に訪れる残酷な運命…。
二人がもし逃げられたらどんな未来があったんだろうと、観終わってからも考えずにはいられませんでした。
物語の伏線回収もテンポも全てが完璧でした。
しっかり笑いの要素もあり、本当に退屈も後悔もしない最高の映画でした。
アクションシーンもかなり力入ってるのが伝わってきます!
さらに、米津玄師さんと宇多田ヒカルさんという日本を代表する二人のアーティストが手掛けたエンディング曲「JANE DOE」が流れた瞬間、感情が一気に溢れて涙が出そうになりました。映像と音楽が一体になったこの瞬間こそ、映画館で体験してほしい“震えるような感動”です。
ここまでキャラクターに感情移入し、物語に夢中になり、音楽に心を動かされた映画は今までありません。チェンソーマンという作品に出会えたことが本当に嬉しいし、ファンであることを誇りに思います。
迷っている人がいたらぜひ劇場で観てください。私は間違いなくもう一度観に行きますし、これからもチェンソーマンを応援し続けます!
お チェンソーマン総集編を観てから、
是非劇場版を観ることをおすすめします!
個人的には鬼〇の刃越えてます。笑
チェンソーマン様最高!
映画にする必要??
感情経済と選別の地平で出会った二人
率直に言って、これは“ラブストーリー”ではない。
むしろ、愛や恋といった言葉がいかに市場化・機能化されているかを、極めて残酷に描いた社会批評的作品と言える。本作は、ロマンスの形を借りて、資本主義社会下における感情と暴力の交差点を描いている。そう捉えない限り、この作品の真価は見えてこないのではないかと考える。
まず、主人公・デンジという存在。
彼は知識も教養もなく、資本も信用もない。つまり、現代日本における“持たざる若者”の象徴。だが彼が唯一持ち得るのは「誰かを信じる力」、すなわちナイーヴな感情の資産である。そしてそれが、国家に組み込まれた武器人間レゼという“搾取される存在”との接触によって露出する。
レゼは単なる敵役ではない。国家(ソ連)の道具であり、体制の意思を背負った暴力装置。だが同時に、彼女には「普通の女の子として生きたい」という、ささやかな願望が宿っている。それを揺さぶったのが、あまりにも無防備で、あまりにも真っ直ぐなデンジだった。
その構図の中で、最も意味深なのがマキマのこの一言。
「10本に1本くらいしか面白い映画には出会えないが、その1本に人生を変えられたことがある」
この台詞は、ただの映画趣味の話ではない。
「選ぶ者」としてのマキマの冷徹な哲学を表していると理解した。
大量の凡庸な人間の中から「価値のある1本」を嗅ぎ分け、それを手に入れ、掌に収め、制御する。そうした支配の論理を、まるで詩のように語るところに、このキャラクターの本質が表れている。
だが物語の最後、選ばれなかった側――つまり、レゼの行動が、静かにその構造を裏切る。
彼女は電車に乗り、逃げようとする。国家に戻るか、自由を求めるか。だが、その途中で思いとどまり、駅のホームで振り返る。そして向かう先は、デンジとの約束の場所――喫茶店。
つまりレゼは、最後の最後で「任務」ではなく「自分の意思」で選び直そうとした。
あれは、レゼが“感情の被支配者”ではなく“主体”として人生を選ぼうとした、ほんの一瞬の革命だ。
しかし、彼女はその途中で“消される”。
マキマの支配は、そうした自立の芽を容赦なく摘み取る。
「その1本」にすらなれなかった者に、幕は降ろされる。
だがその行動は、確かに我々観客の胸に焼き付く。
「人生は変えられなかったが、変えようとした瞬間」は、物語を永遠に変えてしまう。
デンジは喫茶店で待っていた。
それが希望だったのか、ただの愚かさだったのか。
観客にはわからない。だが――
もしも“10本に1本”が存在するのなら、
この映画は、その1本であり得たかもしれない“幻の選択肢”を、静かに提示していた。
全229件中、1~20件目を表示
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