侍タイムスリッパーのレビュー・感想・評価
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文句なしの星5!!
こんなに面白い映画あったのか!と今まで観てなかった自分を引っぱたきたい!
なんの前情報もなく、暇つぶしに流し見するつもりで流した映画だったんだけど、導入からもう引き込まれて結局最後まで食い入るように観てしまった
間違いなく人生トップ3に入る。それくらい自分の好みドストライクで、滅多に星5なんかつけないんだけどこれはもう何の迷いもなくこの評価
とにかくコメディとシリアスのバランスが本当に絶妙。自分の描く"創作"の理想形そのままだった。殺陣で切られ役なのに侍が染み付いちゃってるせいで反応して斬っちゃうのも涙出るくらい笑ったし、「コメディ映画」としてだけでも完璧なのに、そこに「侍の矜恃」を時代劇と上手く合わせるこのシリアスさ
30秒くらい無音で両者動かずに間合いを取り合うあの時間、あんな風な時間の使い方したら普通は「長すぎやろ!笑」ってなるところ、二人の演技が本当の「侍」に見えて、これから始まる本当の殺し合いを感じさせて目が離せなく、手に汗握る
最初は本物の侍がタイムスリップしてきたらその本物侍パワーで時代劇を無双する!みたいな話かと思ったら、「現代においては無用の長物」として斬られ役という脇役として生きていく、というのもいい。でもそういうなろう展開が一切ない訳じゃなくて、ちゃんとその等身大を見せたあと、最後その場にいたスタッフには「本物の侍だった」って理解できるような構図になっていて、それは勿論過去からタイムスリップしてきたという証明ではなくあくまで「侍の心を持つ者」という証明に過ぎないんだけど、ここではじめて本当の侍の凄さを現代人が理解する、ってのが斬られ役に徹してきた下積みからのカタルシスを感じさせる展開になってる
もうね、とにかく本当に面白かった。コメディもシリアスも、脚本も演出も演技も、全てが完璧だった。人生で好きな映画トップ3にはいりました。「笑って泣ける」みたいな宣伝文句してる映画で一切笑ったり泣いたりしたことなかったけど、この映画は終始笑って泣きました
ねぎらわざるをえないふんいき
伝わってくるものがあったが言いたいことはある。
むかしのことだが一般の国内映画冷評にたいして映画関係者が「必死で味噌汁をつくっている裏方の苦労なんかおまえたちにはわからんだろうな」とツイートしたのが話題になったことがある。じぶんはこのエピソードを日本映画界を言い表すエピソードとして何度か使っている。
俗にこれを根性論と言い、日本では往々にして芸能が根性論というエンジンによって動くことがある。そして根性論にたいする日本的反応が「ねぎらい」である。日本映画界が根性論で作品をつくると、やさしい日本人は「ねぎらい」によってそれに応える。たとえおもしろくなくても「ねぎらい」票は入る。
そればかりか低予算やぎりぎりのスタッフ・キャストでの映画作りならば「ねぎらい」が賞賛に変わる。金も人もない状況下でつくった映画を賞賛しなければ不人情になってしまうからだ。日本では映画が免罪符要素を持ってしまうことがある。
こうした根性からのねぎらいからの免罪符──という展開は海外映画にはぜったいにない。日本映画だけの特殊事情といえる。さらに幕末設定により武田鉄矢的な泣き要素が加わることで、もはや手に負えない根性論免罪符環境が構築されたと言っていい。命がけの会津っぽに誰が抗えるのかという話である。
もちろん侍タイムスリッパーの製作陣は「根性論からのねぎらい」を狙って映画をつくったわけではないだろうが、見ていて気恥ずかしくなるほど実直な作りかつアマチュア精神な作りなので、ねぎらい&賞賛をせざるを得ないような気分へと追い詰めてくる映画だった。意図してはいないのだろうが、必死で味噌汁をつくっている裏方の苦労を思いやってほしいオーラを感じる映画だった。
なにしろ低予算であるし─『10名ほどのスタッフで制作しており、安田は車両からチラシ作成・パンフレット製作まで11役以上を1人でこなしている。助監督役の沙倉ゆうのは実際の助監督なども務めており、沙倉の母親も小道具の刀の整備などを手伝っている。また他の演者も度々スタッフとして協力している。』(ウィキペディア、侍タイムスリッパーより)
──という家内制手工業でつくられている。その努力や頑張りをかんがみて、またその大変さやけなげさを思いやって、また、みんなが一致団結してつくった温かみに触れて、みなさまご苦労様でした、としか言いようがなくなる、わけである。
このように皮相が根性論で塗られている映画を一般的な日本人はけなせない。わたしも人の子であるし鬼じゃないから限られた予算で頑張ってつくった製作陣をねぎらいたい気持ちがないわけではない。が、あまりにもベタすぎていやになるところはあった。
たとえば高坂(山口馬木也)が剣心会への入門を願い出た際、住職が滑るとか落ちるとかそういうことぜったい言うたらあかんで──とふっておいてからの(雨道に)つるっと滑って怪我でもしたらとか、(内閣の支持率)こんだけ景気わるなったらそりゃおちるに決まっとるとか、──言ってしまう超絶のベタスクリプトには恥ずかしさで鳥肌が立った。
こ・の・低・脳・な・台・詞・は・な・ん・な・ん・で・す・か。
しかし「真剣の重みを感じるようにしたい」という監督の意図は伝わってきたし、殺陣も緊張感があった。
根性論とは製作側の思い入れのことだ。映画とは製作側の思い入れを観衆につたえるものだ。で、大概の日本映画が根性論の段階で止まる。
本作の斬られ役のモチーフになっているのは福本清三氏だと思われるが、個人的に福本清三氏の情陸風コンテンツに見たのは、ほかの斬られ役に比べてどこが違うのか解らない斬られ方と、かれを褒めまくる著名な時代劇役者だけである。もちろん福本清三氏は悪くない。5万回斬られた男──だからなんなのか、5万回斬られたことをもって観衆はなにを面白いと感じればいいのか──を提供していないことが悪い。5万回斬られた男という装丁だけでそれ以外のアイデアをもっていない作り手が悪い。そういうのを根性論というのだ。
が、侍タイムスリッパーはストーリーがクライマックスの真剣勝負へ誘導していくし、観衆を話の中に引き込む工夫もあった。侍タイムスリッパーははじめて見た根性論ではない斬られ役コンテンツだった。と言える。
ただ貧乏くさすぎる。これは2025年の日本映画である。
にもかかわらず金もなくスタッフもキャストも限られ貧しさの極地で映画作りしている日本とはいったいどんな発展途上国なのだろうと思った。
先日見たネトフリ映画The Electric Stateの製作費は465億円だそうだ。侍タイムスリッパーは2,600万円だそうだ。
文化庁と経済産業省のお抱えNPO法人映像産業振興機構(VIPO)に給付される税金750億円はどこへ消えて無くなるのだろうと思った。
結果的に、日本映画界のわけのわからなさをひしひしと感じてしまう映画だった。また、カメ止めはねぎらいを感じなくてよかったからカメ止めとの近似性は感じなかった。
侍タイムトリッパー
入口としては入りやすいタイムトリップから意表をつく展開。コメディながら熱い気持ちが伝わる良い映画でした。
最後の映画作りの過程からラストまで二人とも同様に大切なものを全力で守ろうとしていたこと。ただし、その大切なものが違うだけであるという状況が切なかった。
最後の殺陣のシーンの二人がすごい迫力で圧倒された。今を全力で生きるだけしかないというメッセージが伝わってきた。
初めのタイムトリップのシーンで相手役の方ががいい雰囲気を持っていたので、あの人はどうなったのかな?と思っていたが、案の定途中で現れた時にキターってなりました。そしてぼんやり、じゃああのパッとしない人はどうなったのかな?って思っていたところエピローグ的なシーンで、第三者的なアングルに変わったときに、もしかしてもしかしてと思ったら、やっぱり最後に現れてスッキリ!
期待し過ぎたか
随分と評判がいいので、アマゾンプライムで見られるということで見てみた。映画館で見ていたら、もうちょっと印象はちがったかもしれないが、アマゾンプライムでみると、テレビドラマ風にしか感じられなくて、それほど面白味もなかった。過去から現代にタイムスリップするという、SFではありがちだが、こういう日本の映画ではそれほど作られてはいないテーマのものだろう。それが生かされている、とはちょっと思えなかった。
この映画の主題は、時代劇は素晴らしいものだ、ということが言いたいのか、それを演出するために、過去から侍をつれてきました、というだけの内容だったように思う。
劇場公開されていたときには、私の趣味ではない日本映画、と言う印象だったが、その印象通りだった。なんというか、日本映画らしい役者の演技、というものがあるようにいつも思うのだが、それがよく感じられた映画だった。
最初から最後まで抜かりなし
欲しいところに欲しい玉をくれる。
映画というエンターテインメントが心底好きな事が伝わってくる、丁寧な作りの映画。
ラスト前の殺陣も良かったし、
ラストはそうそう、それだよねというシーンで良かった。
傑作。
低予算を取っ払っても、いい映画
いい意味で自主制作映画的。場面転換に大きな幅がないところは、逆をいうとCGにもロケにも頼り過れないというところだ。ここがいい意味で自主製作映画的と評したところ。つまりは低予算という縛りをうまく活用していると思う点だ。
こうした低予算つまり、制約性を取っ払って観る。脚本の芯がスッと通っているから、ブレずに没入できる。タイムスリップものとしては、ありがちだが、斬られ役というところに着目したところが侍のタイムスリップとしては、ドラマが進みやすい。
主人公がその設定を少しずつ理解し、受け入れていく流れに多少の引っ掛かりを持つのだが、その前段の現代の平和な世界と豊かな食生活に驚くあたりで解消を試みているのがとても良かった。いつまでも、現代の生活に驚き続けるのではなく、ちょうどいいところで幕末との違いを受け入れるあたり。ここを引っ張り過ぎると、食傷気味となるのだ。
物語は時代の生き方・立場・信念を呼び戻し、敢えてそこに身を投じ直す二人の侍がぶつかり合う。斬られ役ということで、劇中劇の視点が必然的に取り入れられ、ある意味メタ的な俯瞰視点に切り替わるのかと思えばそこに執着しない。
安田監督のテクニカルで情熱的で映画への溢れるまっすぐな想いが伝わってくる。「ほら、それはキミの思い通りの展開とちがうで」と言われているように。
優子ちゃんのかわいらしさが、ラブコメ路線を裏側で牽引している。深入りしないラブコメさはとてもココチいい。また、京都のいい意味での閉鎖的な土地柄・「いけず(イジワル)」さを知った上で、和尚夫婦をはじめとする「人間の優しさ」ってものが人情味を深める。つまり、よそ者に厳しい京都人のくせに、優しいやん!ということだ(筆者は生まれ育ちいまなお京都人である)。
7,000万円という低予算に対して、興行収入10億を越えたこと。日本アカデミー賞「最優秀作品賞」とのことだが、注目されるきっかけを与えてもらわなくては観ることもなかった自分の映画眼(ムービーアイと呼んでいる)がフシアナなのが恥ずかしい。
主演の山口馬木也さんはテレビでちょいちょい目にすることはあった。もっと光を浴びて欲しい役者というのが世の中にまだまだいるのだろうと感じてしまった。
斬られ役といえばの「福本清三」さんと侍がタイムスリップするというCMを結び付けたあたりが、安田監督の眼のよさなのだとつくづく思った。良い映画だった、ちょっと疲れた大人は必ず観るべきだと思う。
良い映画だと思うけど
主演の役者さんが素晴らしいし、笑えて良い映画だと思うけど評判ほどのめり込めるかと言われるとうーん…。会津藩の最期を知って真剣で撮影する必然性がよく分からなかった。
低予算の知ってる映画といえば「カメラを止めるな」と大好きな「運命じゃない人」。どっちも脚本で唸らされる映画だったから、そういうのを無意識に求めていたのかなあ。
悪くはないけど
絶賛する程かなぁと言うのが正直な気持ち。
使い古されたタイムスリップ物と言うネタを良く仕上げたとは思うんだけど、サムライわりとすぐ現代に慣れてるなwなので、お約束の、その辺のドタバタは良くも悪くも短い。
細かい部分が気になるので、映画界で働き始めたサムライ(しかも、先に来てるヤツも居た)が戸籍とか、納税どうしてるんだろう?って思ってしまう。先に来たヤツは既にスターなんだしね。
ラストの真剣でのシーンは蒲田行進曲の階段オチが元ネタかなぁ。蒲田行進曲はあくまでも、元々のストーリーに沿った階段オチなんだけど、コレは相手が勝ってた場合どうすんだ?
笑ったのは、最後の「今日がその日ではない」だけだった。
アイドル出演の日本映画には興味もないが…
某令和の虎を主宰する社長の言い方を真似するなら…
『ヒットしてるとはいえ所詮自主制作映画でしょう?…』なんて軽い気持ちで観たら画面に釘付けになった。
安易に人気グループの男の子やアイドルを起用する、所謂どう見てもキムタクじゃん!的な恋愛日本映画には興味もないが
先ず、主演の山口馬木也にハマった。
とにかく渋いし何気ない笑い狙いの演技も自然で無理矢理なストーリーが楽しく進んだ
今や大御所俳優に指名された時のビックリ展開も良かったし益々惹き込まれた。
最後の場面は?????だったが
自主制作映画なんだから思い切って過去から来た二人のことを皆んなが理解してる事にしちゃえば、現代では御法度な場面を撮影してることも許せる…みたいにして欲しかったかなと感じました。
アッという間の120分?楽しかった…ありがとうございました。
蒲田行進曲が好きな人ならおすすめ
数多の秀作を抑えての日本アカデミー賞。
何でだろうと思いながら鑑賞しました。
映画を創る人、それに関わる人、映画を愛する人には胸アツの台詞が散りばめられており、賞の受賞はやや内輪受けとも言えるのかもしれません。
寺の門前の決闘シーンからのタイムスリップ、撮影所から寺に居候するまでの展開は、芝居も脚本もテレビドラマレベルで、「映画」として観るには正直ちょっと辛いなと思いながら観ていました。
風向きが変わったのは、高坂新左衛門がショートケーキを食べるシーン。
この作品が単なるコメディではなく、ちゃんとメッセージ性がある作品であることがハッキリした転換点でした。
そこからは胸アツシーンの連続。
昔の映画最盛期からタイムスリップしたような、今ではスベリもしないギャグも散りばめながらのお約束のラスト。
このラストのために3人用意していたのねと合点がいきました。
高坂新左衛門と風見恭一郎の決闘シーンは痺れましたね。
今度観た時は、あの間合いの時間を計ってみようと思います。
最後に、風見恭一郎は寺泉憲さんが演じていると思っていました。
冨家ノリマサさん、ごめんなさい。。。
人間デロリアン
コメディパートではベタな事を存分にやってくれてて面白かったし、本身での殺陣のシーンは凄まじい緊迫感があって思わず見入った。
ストーリーもよかったし、高坂さんはホントに現代に迷い込んだお侍さんみたいに見えた。
感激屋さんなのも、奥手なのも可愛らしかったし。
30年前とは言え、同じような境遇の人が現れたならピンとくる人は居そうなもんだし
現代と30年前の撮影現場に同じおじいさんの役者さんを起用してたのはちょっと気になっちゃった。
雷に打たれてタイムスリップするなんて、なんだかBTTFみたいだし
最後のシーンはターミネーターみたい。
それぞれオマージュだったりするんだろうか
現代で仇を討つかどうかラストシーンが見もの
・過去の闘いを思い出すラストシーンが見もの
・戦闘力を無くした相手に最後に切るかどうか、昔仲間が散々な目にあった仇を討つかどうか
・ギリギリの判断が痺れる
・侍は礼儀正しい
選択する未来
タイトルの様にタイムトラベルものだけど、生きる時代により選択できる希望が描かれる。
浪人が現代にタイムスリップしてくることで、巻き起こる時代錯誤の行動をコミカルに描きつつ、いまを受け入れ生きる浪人が選択する未来が清々しい。
タイムトラベルの描く方や小道具はありきたりなものばかりなんだけど、出演者など既成概念のない役者さんたちが演じている点が日本の作品としてとても新鮮に感じられた。
時代劇へのリスペクト…
爽やかなタイムスリップもの。侍として懸命に生きた男たち、その時代で死にきれなかった思いを時代劇の役者として侍の姿を現代に残そうと演ずる。冨家ノリマサ以外知らない演者達ばかりだったが、心地よいテンポで見れた。
本気が一番響く
とにかく主役2人の哀愁あり、渋くて、本気の伝わる演技が素晴らしかった。
言葉は悪いが安っぽく進行していき(意図的か)、2人が再会する中盤から、特にクライマックスは本物同士の命のやり取りは手に汗握った。
クライマックスの迫力はこの作品の"安さ"があってこそ伝わるものだったと思うし、抜刀までの間は「椿三十郎」のラストを彷彿とさせ、真剣での鍔迫り合いのギリギリとした効果音、滲む汗の演出も素晴らしかった。
クライマックスこそ、この作品の本気が詰め込まれていて、いつの時代も本気で向き合ってくことの大切さみたいなものを教えてれるように感じられました。
衰退する幕末の武士道と、ピークから衰退する時代劇を重ねて、変化する時代に適応して生きていくことが大事と考えつつも、その礎を築いた時代や人々あってこその今なのだなと。
としみじみ振り返りつつ、一方で、終盤以外の"安さ"みたいなものが個人的にあまり得意ではなくて、退屈に感じてしまったのも事実で3.5にとどめさせてもらった。
幕末の悔恨
幕末の京都の夜、長州藩士を討つ為に待ち構えている密命を受けた会津藩士。いざ刀を交えた途端落雷を受け気を失う。気づけばそこは現代の時代劇撮影所。会津藩士の高坂は紛れ込んだ撮影所でいろんな人に助けながら、切られ役として身を立てていくがそこに表れたのは・・・
日本アカデミー賞を取ったのも知らずに何となく観たが、役者さんは誰も知らず何となくB級感を匂わせていたが、前半のコメディ感は絶妙だし、全体の構成もすごいしっかりしていて面白さ2時間キープ。
エンドロールまで見ていたら、監督は殆どの仕事に絡んでるし、助監督役の人も本当に助監督だった。自主制作とのことだが、熱量が詰まった映画だった。
複雑さはなく一直線のストーリー展開なのに面白かった
子供の頃はテレビで、遠山の金さん(中村梅之助)、子連れ狼(萬屋錦之介)、大江戸捜査網(杉良太郎)、水戸黄門(東野英治郎)を観てました。最近はSF作品ばかり観てますが、どこかの記事で侍タイムスリッパーが紹介されていたので期待してない暇つぶし視聴です。そういう前提の感想です。
ストーリーには仕掛けや伏線が無く、犯人探しやトリック解明なども無し。一直線にエンディングまで進むので、斜に構えずに素直な心持ちで観ることができました。主役が時代劇の斬られ役として働き始めてからのストーリーは、すごく素直というか、次はこうなると面白いなと思える展開にそのままなっていましたし、頭が疲れない娯楽作品としてとても楽しめました。
江戸の世から離れるのは同時だったのに、タイムスリップした先の年代が数十年もズレていることが、ストーリーのひとつのキモになっていたように思います。30年早く現代生活が始まった敵役の考え方の変化や達観、現代生活への順応。そこに昔そのままの使命感と考えを持った主人公が現れることで、その対比や衝突が描かれていてそこがとても良かったです。
そして、その主人公に触発されて昔を思い出したが故に、真剣(本身)を使った時代劇の撮影シーンになったのではないかと思います。
少々、恋心的な描写もありましたが、あれは無くても良かったかも。ただ、それがあることで作品全体の印象が柔らかくなる効果は感じました。
現代にタイムスリップしてからの時間的な経過が明確に描かれていませんし、どの程度の期間がかかったのか分かりませんでしたが、「元の世界とは違うことを認識して状況を受け入れる」までの描写が少ないというか、あまりもあっさりで少し違和感は残りました。ただ、本作が描きたかったのは時代劇撮影に参加してから以降のことだと思いますので、序盤の展開をササッと終わらせてしまうことで、観ているこちらとしては飽きがこなくて良かったです。よくあるんですよね、主人公が置かれた状況や心理状態の描写が長い映画が。それをやられちゃうとストーリーが展開する前に飽きて、観るのが辛くなります。それよりは少し端折ってくれた方がいいですね。
撮影所で頭をぶつけて記憶喪失、記憶混濁になって自分のことを本物の武士だと思っている男。そういう風に周囲は理解しているということになってますが、働いていくなら健康保険や住民票も必要になるでしょうし、もし恋心が実ったら戸籍の問題も出てくるでしょう。映画の準主役としてポスターに大映りしてましたが、有名になるとマスコミや週刊誌が周辺を嗅ぎ回ります。その辺りのことはどう解決するのか、と他人事ながら心配しましたが、たぶんそれは作中に答えが出ていたようです。敵役は30年前に現代にやってきて、いまや大物俳優です。主人公とは最終盤でも仲良くは出来ていなかったですが、同じタイムスリッパーとしてノウハウの提供はあるでしょうね。
それから、観終わってから振り返ると、意地悪な人、ずる賢い人、騙す人、そういう負のエネルギーを持った登場人物が思いだせません。みんな前向きに頑張ってるいい人ばかりだった点も良かったです。
ただ、ひとつだけ余計ではないかと感じたのは、最後のシーンです。江戸の世で雷に撃たれた時は3人が一緒にいて、その残りの一人が時代劇撮影現場にタイムスリップして現れました。それによって、本作がビシっと終わらないんですよね。彼はそのまま江戸に取り残されたことにして、エンドロールで少しだけ映る感じにしても良かったんじゃないか、そう思います。
今はその時では無い
太秦撮影所や付近の住民に支えられ制作される時代劇を背景に本物の侍が参戦するのが楽しい。
過去の相手も現代にタイムスリップしていて既に大御所としての地位を築いていて映画制作で対峙するのも良いんだけど「カメラを止めるな」のような初見での驚きは無かったかな。
海外でリメイクされるなら「カウボーイ・タイムスリッパー」とかになりそう
期待が高くて、残念
作品的にはよく練られていてよかったと思う。
ただ、前評判でまさかの展開と聞いて、ものすごいことを想像した。結果、これ?
となってしまった。そうなると途中が冗長だなあ、と思ってしまい、この評価です。よく比較されてる。「カメラを止めるな!」の方が面白かった。
全253件中、21~40件目を表示