侍タイムスリッパーのレビュー・感想・評価
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時代劇映画愛にあふれた作品
東京・池袋のシネマ・ロサでの単館上映からスタートした本作は、SNSを中心に口コミが広がり、その後、全国348館まで上映規模を拡大するという異例の快進撃。
物語は、幕末の会津藩士・高坂新左衛門(山口馬木也)が、落雷によって現代の時代劇撮影所にタイムスリップするところから始まります。彼はその剣の腕を活かし、「斬られ役」として新たな人生を歩み始めます。この設定自体が斬新。
主演の山口馬木也は、タイムスリップした侍という難しい役柄を見事に演じ切り、その存在感と演技力はまさしく本物の侍そのものでした。
また、監督の安田淳一は、全財産を投じて製作費2,600万円を捻出し、本作を完成させ。特に、東映京都撮影所で撮影された本格的な殺陣シーンは、時代劇ファンなら涙もの。
さらに、物語の中で描かれる人間ドラマや、時代劇への深い愛情も、心を捉えました。現代と過去の文化のギャップや、主人公の成長物語など、多彩な要素が巧みに組み合わさりストーリーに深みをもたせたのも見事。ラストシーンはくすりとさせられました。笑
ロングランの理由
失礼ながら、期待以上に楽しめた作品だ
生涯ベスト5
話題になってるとも知らず、友人に誘われて鑑賞。
時は幕末、会津藩の侍が長州藩の侍と一騎討ちをしている時に雷に打たれて現代にタイムスリップ。
タイトルからして侍がタイムスリップしてよくあるカルチャーギャップコメディかと思っていたらタイムスリップして来た侍の適応力が半端ない。
壁のポスターから自分が守ろうとした徳川幕府が140年経っている事を知る。
現代にカルチャーギャップしているところはあまりなく、また周りも撮影所に紛れ込んだ事から記憶喪失で役に成り切っているからと、この人を受け入れる。
初めて観た時は侍が文明に馴染むの早過ぎ!って思ってたけど、体験した人がいる訳ではないので解らない。
ちょんまげと着物と刀という風貌から時代劇の斬られ役をして、褒められた事で今の時代、自分の身を立てるのは斬られ役しかないと斬られ役の集団、剣心会に入門し、斬られ役の道を歩む。
タイムスリップして来た会津藩の侍、高坂新左衛門は福島に住んでいた自分にも、この人会津出身?と思う程、完璧な会津弁を話す。
今度はその事が頭に残る。
こうして順当に斬られ役と人生を歩み、ちょんまげも切り洋服を着る新左衛門。そんな時に大物俳優から10年ぶりの時代劇復帰をし、その相手役として高坂新左衛門が抜擢される。
その訳はこの大物俳優、風見恭一郎こそ幕末で相手をしていた長州藩士だったからだ。
えっ!先にタイムスリップして来ていたの?
そう来たか⁉︎変化球。びっくりした。
一度は断る新左衛門だったが、剣心会の主将らに説得されて、大作「最後の武士」に出演する。
撮影が続き、途中の懇親会でシナリオの変更を知らされ、そこに書いてあったのは会津藩の悲惨な最後だった。ショートケーキが誰でも食べれる豊かな国を作った長州藩。しかし、会津の同胞の悲惨な末路を知って、一矢報いたい。
そして新左衛門は撮影の殺陣を真剣でやる事を提案する。
福島に住んでいた自分にとっては会津の末路を知っていたので、胸がはち切れそうだった。新左衛門の気持ちが痛い程解る。
そして真剣の試合。お互いに動かない。
そして斬り合い。真剣の時は竹光とは音が違う。
このシーンは映画史に残るシーンではないか。
そして結末は!
新左衛門の気持ちになると斬れなかった事は武士を捨てた事なんだろうか?自分の現在を肯定した事なんだろうか?
兎に角斬れなかった。
それから斬られ役の人生は続く。
最後に3人目のタイムスリッパーが!
で爆笑で終わる。
こんな面白い映画は久しぶり。
生涯ベスト5に入る映画だと思う。
ヒノモトは良い国になって…る?
久々の映画館での鑑賞になりました。
やっぱり映画館の大画面はいいですね。
この映画、特に最後のシーンはぜひ大画面で鑑賞してほしいです。
タイムスリップしてきた云々言わないで生きていく術を見つけて馴染んでいく主人公が良かった。
ゆうこさん、和尚さん、師匠、みんな良い人たちでほっこり。
なんとなく漂う昭和感もなんか懐かしいかんじがしました。
印象に残ったのはケーキを食べたシーン。
果たしていまの日本、先人の方々にしたらどうなんでしょう。
誰かタイムスリップしてきてくれたら聞いてみたいと思います。
映画の魅力が詰まった傑作
映画作りへの情熱
初めて見たのは昨年10月。あっという間に10回の大台に乗ってしまった。久々に楽しく笑えて泣ける映画に当たったので飽きるともったいないから控えようと思いつつ、癖になり、今に至っているのですが、初見では馬木也さんの見事な殺陣と演技力に惹きこまれた。いかつい暗殺者の顔がタイムスリップして、塩むすびに感動し、ケーキで日の本の豊かさに感じ入り、それにしてもよく泣く男に変貌して、楽しかった。ラストの殺陣は何度見ても見事で感動した。そして今、なぜ飽きないのか考えるようになっている。
最初は主役にしか目がいかなかったのだけど、鑑賞を重ねるうちに、この映画は、切られ役や端役に至るまできちんと演技していること、映画そのものに映画を作る情熱を感じさせることに気づかされた。タイムスリップして元の世界に戻れぬ孤独を心優しい人たちに支えられて、切られ役で生きていこうとするも会津の人たちの悲劇を知ってしまい、どうすることもできない悲哀を同じくタイムスリップしてきた長州藩士にぶつけて真剣で勝負することになる。脚本も上手い、安っぽさや嘘くささがない、低予算なんてすっかり忘れてしまう。
画面も美しい。日本アカデミー賞7部門受賞もうなづける。というか、自主製作で各大手映画会社に勝負を挑んでいる構図ではないですか。この情熱たるや、すごい。監督、俳優、スタッフ、一丸となって映画作りをしている。私はその熱気にあたるべく、せっせと映画館に通っているようです。
予想外に熱い人間ドラマ
多くの映画マニアの人達が絶賛していた本作。低予算の自主製作映画で、元々は一館のみでの上映予定だったにも関わらず口コミで評判が広まり、現在は全国規模で上映されているという『カメラを止めるな』を彷彿とさせる作品です。私の住む映画過疎地の秋田県では話題になっていてもしばらく上映が無かったのですが、今月から大館市にある御成座さんにて上映がスタートしたので遅ればせながらの鑑賞です。「幕末の侍が現代の時代劇撮影所にタイムスリップする」というあらすじだけ知っている状態での鑑賞でした。
結論ですが、めちゃくちゃ面白かった!!
時代劇をテーマにした作品ですが、舞台となるのは現代ですので分かりづらさや難しい場面などはほとんどありません。幕末の歴史について中学校で習ったくらいの知識があれば十分理解できる内容だったと思います。幕末の侍が現代にタイムスリップし、現代日本で時代劇に出演し、「斬られ役」で人気となっていくというストーリーは新鮮でもあり、時代劇などについても深く考えさせられる内容でしたね。中盤以降に起こる展開も盛り上がりましたし、賛否両論分かれているらしいラストの展開も、私は肯定派です。とにかく、最寄りの映画館で上映されているなら今すぐにでも鑑賞してほしい名作映画だと思います。
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時は幕末、会津藩士の高坂新左衛門(山口馬木也)は長州藩士の暗殺のために京都の寺の前で待ち構えていた。標的である長州藩士・山形彦九郎(庄野崎謙)と刀を交えていたところ、突然雷に打たれて気を失ってしまう。新左衛門が目を覚ますとそこは、現代の時代劇撮影スタジオだった。
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侍のタイムスリップ。非常にシンプルなストーリーでありながら、この映画は非常に深く面白い作品でした。
現代にタイムスリップした新左衛門が優しい寺の住職さんに助けられて住み込みで寺の手伝いをする流れから斬られ役になるまでがスムーズで分かりやすくてよかった。テレビで見た時代劇に感動し、ひょんなことから斬られ役として参加し、時代劇製作スタッフたちの情熱や技術に対してさらに感動。有名殺陣師に弟子入りし斬られ役として大成していく。
全体的にストーリーがテンポよく進んでいくのが見ていて気持ちよかったですね。物語が向かう方向やキャラクターたちが何をするのかがきっちり画やセリフから分かるようになっていて、間延びするシーンもなく最初から最後まで楽しかったです。
分かりやすくありながら、かなり掘り下げがいのある深いストーリーですよね。新左衛門は斜陽産業である時代劇と衰退しつつあった幕末の侍を重ねて見ているんだろうな、とか。
新左衛門が時代劇の斬られ役として人気が出てきた映画中盤から、物語が一気に動き始めます。ハリウッドで活躍していた伝説の時代劇俳優の風見恭一郎(冨家ノリマサ)の主導で、一大時代劇の制作が決定し、その主演俳優として新左衛門に白羽の矢が立つという展開です。初めのうちは自分には荷が重いと感じ断ろうとした新左衛門だったが、風間から明かされた衝撃の真実と、その後の風間や師匠である殺陣師関本とのやり取りで考えを改め、主演のオファーを受けることにすると言う展開ですね。
風間から明かされた衝撃の展開は本当に驚きましたね。「まさかそんな展開があるのか!」と、映画館で感嘆の声を上げそうになりました。このシーンが、個人的に一番テンションの上がったシーンだと断言できます。
映画の撮影が始まり、一番重要なラストシーンをどうするかという時に新左衛門が提案したのは、「真剣を使っての斬り合い」という無謀なもの。助監督の山本優子(沙倉ゆうの)は必死に止めるものの、監督と風間はやる気十分。終盤の殺陣は真剣での命懸けの撮影となってしまった。
正直、他の方のレビューを確認する限り、この真剣での斬り合いというのは賛否両論あるっぽいです。私もなんでいきなり真剣での斬り合いをしようってなるのかは理解できません。ただし、理解はできなくとも私はこの真剣で斬り合いをするというラストシーンは息をのむ素晴らしいシーンだったと思います。撮影が開始されてしばらく続く睨み合っての膠着状態。これは黒澤明の椿三十郎のオマージュらしいですね。映画上映トラブルかと思うくらいに睨み合いのままピタリと静止して動かない二人のシーンでは、映画館全体が完全に無音になるほどの緊張感に包まれました。そして突然始まる激しい斬り合い。緩急が素晴らしく、圧倒される迫力でした。
映画のラストではコメディ映画らしく、ちゃんとオチつけてくれたところも結構好きです。
不満点はほぼ無い素晴らしい映画なんですが、劇中のコメディシーンでいくつか間延びしてるなと思ったシーンがあったので(落ちるとか滑るとかのシーン)、そういうシーンを短くしてくれたらもっと見やすくなったかな~という印象ですね。
本作は映画そのものもめちゃくちゃ面白いですが、裏話も含めて制作陣の情熱が感じられる作品だと思いますので、これから映画を鑑賞される方はパンフレットの購入をおススメします。時代劇の助監督役で出演していた沙倉ゆうのさんは、『侍タイムスリッパー』でも助監督として仕事していたというところとか。
本当に素晴らしい映画でした。オススメです!!!!!
評判が良い。期待以上
初っ端から陰影が上手かった。これは期待大と思ったがその通りだった。
メインの役者の表情の変化がとにかく素晴らしい。
武士に戻る瞬間や、言葉に出ない表情、お固いことで有名?な会津藩士が現代に馴染んで表情が柔らかくなっていく様。
伝えたいこともストーリーもオチも良かった。
一番身近な内戦なので戊辰戦争で何が起きたかは語り継ぐべきだとも改めて思わされたし、今現代で内戦や戦争の渦中にある方々にも想いを馳せながら見てしまった。
あの時代をよりよい未来のためを想い必死で生きた方々に感謝と、同様に現代の我々も必死で生きてると感じさせられた。
邦画洋画問わずどこか見覚えのあるような雰囲気が全体にバランスよく散らばっていて、日本映画だけでなく映画の懐かしさと素晴らしさが詰まっていた。
逆にストーリーは今流行りの転生物?っぽさやノリの良さなど、今の時代だからこそ作れる映画だと思う。
shogunが売れたから海外でもウケると思う。字幕で映画館で見たいと思う方もいるのでないでしょうか。
期待を裏切らない面白さ
これは面白い
タイムスリップ映画
作品自体というよりその作品の状況を魅力に感じた
時代劇という文化の衰亡と
江戸幕府の衰亡が重ねられ
それに抗うこともできずに今を生きていくしかない人々の姿は
2010年代の洋画のおっさんキャラに
通ずる格好良さがあった
しかし殺陣というのは本当に美しいものだなと思った
ずっとチャンバラがカッコよくて笑いながら観ていた
すると、どうだ
最後にそれを裏切って
いきなり緊張度Maxだ
あのギャップは上手い脚本だなー
と感心した
『カメ止め』と較べる方が多くて気になって観たが
『カメ止め』程、映画として完成度が高いかと言われればそうでもない
使い古されたネタに苦笑する人もいてもおかしくない
でも結局殺陣がカッコよくて
周りの人たちが暖かくて
定番だからこその安定感が心地よいと感じれば
この映画は最高のタイムスリップ体験になるだろう
孤独な魂の邂逅ですよ!
良いBLでした!
30年抱えていた孤独を分かち合えるのはかつての政敵、相見える度にちょっと涙目なのがもう(号泣
極め付けはあの挨拶(以後大号泣
抑えめな時代ギャップコメディ演出も良い。静かに怯える侍w
剣友会の先生も良かったですー!
あの胴衣は先生のお古ですよね!
師匠への暇乞い…(嗚咽
殺陣が本当にきれいでした。
失われていくものの継承
2024年。安田淳一監督。幕末の京都で会津藩の剣豪として長州藩士と斬り合っていた男は、雷に撃たれて現代の京都の撮影所へタイムスリップ。知らぬ間に時代劇の撮影に紛れ込んでいた男は自らの境遇を徐々に悟っていくと、助監督の女性に一目ぼれしつつ、切られ役として生きていく決意を固めていく。そこへ、かつての敵である長州藩士もタイムスリップしていたこと、幕末後の会津が過酷な運命をたどったこと、を知って、、、という話。
侍として生きること(当時)も時代劇を撮影すること(現代)も時代とは合わない生き方であり、だからこそ、何もしなければ当時の人々の生き方が忘れられてしまうので、誰かが継承しなければならない、という展開。当時と現代、現実と虚構の境界を超えていくときの葛藤が描かれていくが、二つのものの境界はあいまいに溶けていく。
話題のコメディー映画と思い、気軽に観に行きましたが
武士・時代劇へのオマージュと佐幕派(会津藩)の悲運
高坂新左衛門が思わず商店のシャッターから引き剥がして見入ってしまったポスターに書かれていたように、自潘が命を懸けて従おうとしていた幕潘体制が崩壊してしまってから140年も経った日本に降り立ってみれば、幼少から磨いてきた剣術の腕前は、時代劇の斬られ役くらいにしか役に立たない-。
その寂寥感は、並大抵のものではなかったことでしょう。
そういえば、本作を観終わって考えてみると、ひところはテレビの定番とも言えた「水戸黄門」も「遠山の金さん」も「大岡越前」も、放送終了になって、もう久しくなってしまってもいたようです。
本作は、いわゆる武家社会の「担い手」として、武芸(剣術)に生きた武士や、その武士の生き様(ざま)、そして武士を主役とした時代劇ドラマへのオマージュとして、素晴らしい一本でもあったと、評論子は思います。
本作の題名は「タイムスリッパー」ではあるのですが、「どっこい、時代劇はタイムスリップ(時代錯誤の遺物)なんかじゃぁないんだよ」という、時代劇・斬られ役の魂がこもった一本だったことも、間違いがありません。
「素直な気持ちで「観てよかった」と思える作品」とは、評論子が入っている映画サークルの先輩会員の、本作に対する評でしたけれども。
その先輩会員の評どおりに、十二分な優秀作ということだったと、評論子も思いました。
(追記)
長岡潘は、かつての盟友であった会津潘攻撃の尖兵として官軍(明治政府軍=薩摩・長州を主体とする連合軍)に利用されることを拒んで、官軍から壊滅的な打撃を受けてしまいます。
(この間の事情は、別作品『峠 最後のサムライ』に詳しい)。
当然、会津潘の方でもそういう事情は知悉していたので、長岡潘の手前、簡単に官軍の軍門に下ることもできない。
そして、他方の官軍としても、いわば「官軍に楯突く不届き者」に対する、いわば「見せしめ」として、作中の高坂新左衛門が目を通した台本でも言及されていたような、酷(むご)い仕打ちを、あえて会津潘に行わなければならなかった。
そして、後にそんな仕打ちを受けるほど、佐幕派(会津潘)の薩摩・長州の両潘に対する恨み(敵愾心)には、お互いに骨髄に染みるような相当に根深いものがあったことは、想像に固くありません。
本作でも、高坂新左衛門と風見恭一郎との確執にも、上記のような背景を考えると、締めつけられるような胸の痛みを感じます。
(正直に自白すれば、そのことに思いが至り、鑑賞中には、何度も涙が出そうになった評論子でもありました。)
そして、それが、武士や武士道(そしてその流れを汲む時代劇)に対するオマージュと並んで、本作のもうひとつのバックボーンを構成していることも、また疑いのないことだろうとも、評論子は思います。
(追記)
本作は、自主製作の作品として単館上映から全国公開に拡大した作品ということですけれども。
その故もあって、いわゆる「豪華俳優陣」が主役を演じたり、脇を固めているわけではなく、言ってみれば「あまり顔なじみでない俳優さんたち」が演じているだけに、「芝居くささ」を感じることなく、そのぶん素直にストーリーに感情移入できたという要素はあったかと思います。
変に「豪華俳優陣」に引っ張られていないという点も、本作の美点として指摘して良いのではないかと、評論子は思います。
(追記)
幕府の治世を是と信じて、新政府(薩長連合軍)と血みどろの死闘を繰り広げ、劣勢を強いられた佐幕派(会津藩)は、態勢挽回の、いわば切り札として、長州藩士・山形彦九郎の暗殺を計画。その刺客として高坂新左衛門が差し向けられる―。まさに血で血を洗うような争いを繰り返していたものの、140年余りを経てみると、庶民にもイチゴのショートケーキが日常の茶菓として用いられるような国になっていた。
高坂新左衛門にしてみれば、あの死闘の日々はいったい何だったのかという寂寥感・徒労感に、さぞかし苛(さいな)まれていたことでしょう。内心では。
しかし、このことはおくびにも出さず、140年後の世界では、その140年後の世界で、果敢に時代劇の「斬られ役」としての居場所を求めようとする。
武士は、他人に内心の動揺を知られることを「恥」と認識したと聞き及びますけれども。
そして、それ故「武士は食わねど高楊枝」ともいいますけれども。
やっぱり、高坂新左衛門もその意地があり、彼も間違いなく武士であったということなのでしょう。
本作のビジュアルにある襷(たすき)がけの高坂新左衛門の後ろ姿からは、その意地が、オーラのように立ち上っているように思えて、評論子には、なりません。
(そして、それ故、あのイチゴのショートケーキは(会津磐梯山に降り積もった雪のように白い握り飯と並んで?)、本作では意外と重要なアイテムだったのではないかと、評論子は思います。)
(追記)
ちなみに。評論子の祖先も武士だったと聞いています。
仙台地方を治めていた亘理伊達藩が、藩財政の立て直しを北海道の拓殖にかけて入植してきた当時、その亘理伊達藩に仕官しており、当主とともに北海道に移り住んで来たようです。
(評論子が北海道で生まれ育った理由が、それで分かったりもしました)
侍ですから、やっぱり腰に大小はぶら下げていたとは思うのですけれども。
しかし、お役目が「物書役(ものかきやく)」ということで、今ふうに言えば「財務会計係」ということでしたから、別作品『武士の家計簿』のような、いわゆる算盤侍(そろばんざむらい)だったようです。
それ故、そちらの方面は、高坂新左衛門のような「藩内随一の使い手」どころか、おそらくは、満足に抜いたこともなかったのだろうと思います。
抜くどころか、生活苦から「武士の魂」も売払ってしまい、腰に差していたのは、とっくの前から竹光だったと言うのだけは、その末裔である評論子としては、「なし」にして欲しいところです。
そして、その末裔である評論子も、いっときは財政再建団体転落も必至と言われた、さる貧乏自治体に奉職(仕官)してしまっているわけですから、「末裔よ、お前もか。」とばかりに、さぞかし草葉の陰で苦い顔をしていることでしょう。
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