ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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日本の商業映画でコーダを取扱うことに感激。 手話と声、ふたつの言語...
日本の商業映画でコーダを取扱うことに感激。
手話と声、ふたつの言語、ふたつの世界を行き来する。
耳が聞こえなくても手話で通じ合う幼少期は何とも微笑ましい。しかし、次第に周りの目線や違いに目が向いてしまう…
子役たちがみんな吉沢亮に似ていたので今後に期待できる。
そして本格的な反抗期。
自分が大だったら同じようにグレるだろうなと思うエピソードが描かれる。
そんな大を愛情を持って暖かく支え続ける両親の姿が良い。その上、他の家族も大変な思いを抱えているよと笑い合える心の深さにも感動した。
そして東京編。
大可哀想だなと思っていたが、大個人のせいでもあるよなぁと思わせててくれる始めの無気力さが良い。
東京でのある出会いが自分自身と家族のことを考えるきっかけになっていて、やりたいこと見つかったし、東京行ってよかったなぁと勝手に親の気持ち笑。
終盤、久々に再開した母親に向かって言ったありふれた言葉に、凄い涙腺を刺激された。その時、理解した。今作は普遍的な家族との愛の形を描いているんだなと。
両親がずっと大のことを第一に考え愛情を持って接していたことに気づけて出た言葉なんだろうな。
だからあの言葉に自分も共鳴し言葉以上の感動を感じたのだろう。
多様性の時代に
はい。よく私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。ありがとうございます。
本当に久しぶりでございます。少し前に3日かけてレビューを書いたのですが… 消されました。
みんな、おいらが悪いのさ… と往年のロカビリー歌手の心境でございます。
話しは飛ぶんですが、地下鉄に乗っていた時の事です。広告に中学入試の問題が載ってるんですね。つまり解くのは小学六年生です。
それが結構難しいんですよ。必ずチャレンジしちゃう。ガキに負けてたまるか❗️
大人気ねえぞ‼️
で、長文のあとに、多様性について個人の経験に基づいて200字以内に述べなさい… だと!
なんじゃ、それ‼️松田優作ばりに叫びました‼️
以下私の作文。
姪っ子ちゃん(5歳)と塗り絵をしていた時の事です。顔の部分になりました。
ここは肌色だね。が、しかし、姪っ子曰く
まさみちゃん、今は肌色はないんだよ。ペールオレンジって、言うんだよ。
オーマイゴッド‼️最もでございます。負うた子に教えられて瀬を渡り。調べたらその通りでございました。今は肌色と言う概念は絶滅しました。ペールオレンジまたはうすだいだいと言います。
多様性は日進月歩です。毎日アップデートしなければなりません。国籍もジェンダーも障害者も性的マイノリティも
私もです。日本人は骨格や筋肉が違うのでメジャーリーグで、ホームラン王やMVPは絶対無理。
明らかに違ってますね。大谷さんです。毎日歴史を刻んでます。私も算数をサボって歴史を見に行きたい!
さてと… 雑談が多くてごめんなさいね。
まず私は呉美保監督が大好きなんですよ。大林信彦監督に直談判して助手にして貰う行動力。凄いです。
最近は長編映画を撮っていないんです。私はミポリン(大林監督がそう呼んでいたんで…)のインスタをフォローしているんですね。
まあ映画の話題もあるんですが、子育てとくに食べ物の話しがめっちゃ多い。つまり家族をとても大事にしてるんです。
ミポリンのメインテーマです。家族、食事、アイデンティティ、ミニマムであり普遍的。
イタリアの母ちゃんは野外でご飯を食べる時、必ずペールオレンジジュースを絞ってる… みたいなね。
ペールいらんがな‼️
本作もそんな映画。ある意味母ちゃんが主役じゃねえの。コーダで反抗期の息子も受け入れて電車でわちゃわちゃ話すのを喜んでね。
まあ聾の方の子供の話しなんで劇的な展開はないし、静かな映画なんだけど、それが沁みるのよ。まじで。
コーダやケイコ目を澄ませて、みたいなね。
いい映像も沢山あるよ。鉄橋を渡ってトンネルに入って、新しい景色が広がる。メタファーだね。東京パートではビルまたビル。そしてビル。対比が鮮やか。
ミポリンは三重の伊賀出身。多分最初に東京に来た時の印象なんだね。
そうなのよ、船堀タワーから見たらねビルばっかなんだよ。これがまた。東京タワーが埋もれてんの。ビルの隙間にね。
薄くて長くてごめんなさい。お付き合い頂きありがとうございました。グラッツェ‼️
あれ?まだ読んでるの?是非観て下さい。
PS ミポリンまた映画を撮ってね。WAKU WAKUさせてね。
そっちじゃねえわ‼️
やっぱ、齢を
静寂
みんな生きてる、色んな世界
何故泣くのか理解不能
お母さんの気持ちが聞こえてなかったのは,息子の方なんだよね
今、思い出しても、(食べてるラーメンに)涙がこぼれ落ちるくらい切なくて温かかった.
補聴器を買って嬉々として「だって,大ちゃんの声が聞こえるから」とコーフン気味のお母さん.
最初の30分.
淡々と映し出される子育ての実際,日常のひとコマひとコマが,暖かく,幸せがこぼれてくる.春のぬくもりのよう.
毛布をかけてくれるのが母親だし,郵便ごっこもしてくれる.ストロベリーパフェを食べさせてくれるのもお母さん.
お母さんにとって一緒にパフェを食べたことは,息をするように日常.当たり前のこと.
だから忘れているけれど,子供にとっては人工呼吸のように母親からやさしさを吹き込んでもらった温かい出来事だから,ずっと記憶に残っているんだと思う.
この物語は,耳の聞こえない母親とCODAの息子の話だけど,それだけにとどまらず,母と子の普遍を描いていると思う.
授業の朗読が“ごんぎつね”. センスいい.
参観日のお知らせの紙の破り方...そうだよね.あんな感じ.
三者面談.先生,お母さんがわかるように,説明は紙に書いておいてあげて下さいね!
「なんも相談のってくれなかったくせに.友達はみんな相談してるよ!」← してないよ.
「俺,こんな家に生まれてきたくなかったよ」← そんな目で見るんでないよ.お母さんのことを.画面の中に入って行って,ひっぱたいてやりたかった.
聞く耳を持とうとしなかったのは息子の方なんだよね(自分もそうだったから...,余計に涙がこぼれ落ちます).
ラストの電車のシーンがずっと続けばいいのに.
このエッセイはノンフィクションなので泣く!
ろう者の父母から生まれた健常者はこんな思いをしながら生きているんだろうというのが分かるこのエッセイを元にした映画ですね。
手話が出来ることは回りの子供たちからは最初はびっくりするけど、直ぐに他の話題に切り替わるから主人公の大くんは主役にはなれない。家に友達が来ると母親がなんて喋っているかわからないと言われ、原因は耳が聞こえないからどう発声したら正解か分からないで唸っているように喋るからと理解して、友達を作るのもはばかる。小さい時はそんなことでろう者を親を嫌になったりするのが当たり前だったと分かる。
健常者の世界とろう者の世界をまたがって生きていく大くんはよく出来た子供で、大きくなったら吉沢亮くんが大くん役をやっていたけど、画面を通してよく出来た大人になったのが伝わるいい演技と感じた。
両親やろう者役の人はろう者の役者さんが全てやっていたということで手話や動作などは観ていて変なところがないのはそういうことかとわかった。頑張って役者揃えたですね、感服です。
コーダの家族の物語
母が子を思う気持ち、それに子がいつ気が付くか
この映画は絶対に観たいと思ってて、レビューも評価が高い中で行きました。
親と子の双方の思いを緻密に描かれてて、生まれた時から順に成長する過程で、コーダに限らず健常者の一般家庭でも誰もが通る時期、事柄が共感しまくりです。
親の心子知らずとは昔から言い古されてきた言葉ですが、どんな時代でも変わらないのですね。子供は未熟だから当然なんだけど。
この映画はテレビドラマでは成り立ちません。あえてサイレントにするシーンなど秀逸です、スクリーンの光だけだからこそ音に集中出来てまた聾唖の人達の感覚を知る上でも良い手法が感性に訴えかけてきます。
人間くささというか登場人物達も普通の人達で映画の中だけの話とは感じさせません。
どの人物も演技に魅了されますが、母親の忍足亜希子さんの表情が怪演と言うべきで、今年の最優秀女優賞差し上げたいです。
ラストは涙が溢れて止まりませんでした。
私の中で今年一番です。
今年の邦画NO.1(今のところ)
ひとの心を描かない描けていない描こうともしない映画が多い
今の邦画ってこんな感じなのかと悲しい思いでいましたが、
出会えました。今年一番の日本映画。
こころの揺れを、繊細に丁寧に描く監督の手腕がすばらしい。
音のない世界と音のある世界を、映画館で感じてほしい。
あと、字幕版をたくさん上映した 映画館もすばらしいと思う。
母の無上の愛情に猛烈に感動
なんと豊穣な作品なのだろう、と感嘆しました。
劇場には聾者の方も鑑賞に来られていて、劇場内の雰囲気もすごく良かったです。
主人公大を演じた吉沢亮もさることながら、
大の母明子を演じた忍足亜希子の演技が素晴らしかったです。
コーダを扱った作品といえば、2022年に日本で上映されたアカデミー賞作品賞受賞作品『コーダ あいのうた』が
記憶に新しいですが、
本作が決定的に異なった描き方をしているのは、コーダである主人公大を幼少期の頃から丁寧に描いていることです。
大はコーダに生まれたことで、周囲の人から奇異の目で見られ、時には酷い扱いを受けてしまうことで、
両親へのネガティブな思いが生まれ、ついには家を出て東京に行くわけです。
その東京で聾者の方々と出会う機会があり、その堂々たる生き様から、両親への思いに変化が生じる大。
大人になった大は、母親とのコミュニケーションにおいて、周囲の人を気にせず手話で母親と話すことで、
母親が大に感謝をするんですね。大にとって恥ずかしい存在だった母が普通の母になった瞬間であり、
ここがこの作品の最も伝えたかったことだと思いますし、私もここで涙が止まらなくなりました。
『コーダ あいのうた』よりも格段にリアリティが増していると思いますし、
主人公大の気持ちもさることながら、両親、特に母親の“想い”に焦点を当てて、最後まで描き切っていることで、
作品としての完成度が格段に上がっていると感じました。
本作への出演を決め、見事に手話含め演じ切った吉沢亮にも心から拍手をおくりたいと思います。
こういう邦画が今後もたくさん制作され、多くの人に観ていただけるよう切に願うとともに
私も劇場鑑賞を通して、こういう場を通してその素晴らしさを伝えていきたいと思います。
ありがとうございました。
恥ずかしいという感情
ろう者の映像作品ときいて頭に浮かぶのは、日本では「silent」、海外だと「コーダ あいのうた」。希望に満ち溢れた夢のある作品だと思う(silentは例外)一方で、いずれもフィクションでリアリティは無いなと感じてしまう。いい意味でも悪い意味でも映画的なストーリー。作り物感はどうしても否めない。
ただ、本作は作家・五十嵐大による自伝的エッセイを原作とした作品であるため、等身大でとても現実的な物語。そりゃそうだろと思うかもだけど、経験談だからこそ、ろう者・コーダについて初めて見たことや勘違いしていたこと、そして彼らの世界など、多くのことを知ることが出来、淡々とした作品ながらに、ものすごく響いたし、見る前と見た後では自分自身がいろんな面で変わったのを実感した。
どの家族にもそれぞれ抱えている問題や過去があって、この家族はたまたまその抱えているものが少し大きかっただけ。可哀想だね、苦しいね、大変だよね、という風に描かれていないのは、経験した作者本人の目線だからだろう。何も可哀想なことはない。何も特別ではない。たしかに、ろう者同士の子育ては批判されるだろうし、理解され難い。反対するのは、それもまたその親なりの愛。一瞬でも目を離したら子どもはどこかへ消えてしまうし、音の無い世界では、更に危険で大変だと思う。でも、たしかに愛がある。愛で溢れている。郵便屋さん、花壇、一人暮らし...。どのお母さんも子どものことを一番に思っているし、どのお母さんも一緒なんだな。
当たり前だったこと、普通だと思っていたことが、周りの何気ないひと言によって変だと、恥ずかしいことだと感じるようになってしまう。「インサイド・ヘッド2」でも同じ描写があったけど、やはりこの感情、成長していくに連れて避けては通れないものだと思う。何も恥ずかしいことじゃないのに、そのことに気づくのには長い時間がかかってしまう。
2時間しかないけど、五十嵐大という人物の成長をリアルタイムで追っているような、そんな気持ちになる。そして、お母さんをお母さんとしてではなく、1人の人間として見た時に彼はようやく気付く。この人がお母さんで良かったなって。その瞬間がたまらなくいい。
ぼくが生きてる、ふたつの世界。
すごくシンプルだけど、すごくいいタイトル。大ちゃんにとって、両親と話すためだけの手段だった手話。それがある人の出会いをきっかけに口で話すとは別の、新しいひとつの世界となり、彼の中で何かが変わっていく。
実際、ろう者の方と接する機会は少なく、仕事でたまに対応するくらいなのだけど、その度に感じる。なんで、自分はこの人と会話ができないんだろうって。手話がこなせる健聴者は、傍から見て偽善者のように、自己評価の向上のためにやっているように見えてしまうし、そう思われてもおかしくない。だけど、友人の従兄弟に耳の聞こえない赤ちゃんが生まれた時、初めて実感した。なにも、かけ離れた、遠い世界ではないんだと。だからこそ、この映画をきっかけにろう者の方、そしてそういった方と関わりのある全ての人に対する認識が少しでも変わればいいなと思うし、英語以上に身近であるということを自分も含め、知っていきたいなと思えた。
少しおぼつかない文章になってしまったけど、本作は見る人全ての等身大の何気ない成長を描いているからこそ、素晴らしい作品だった。なかなかこういう映画は見られない。素朴だけど、温かい。2024年を代表する、必見の作品。吉沢亮、やっぱいい役者だ。。。
最後の歌
「親ガチャ」と言われる今だからこそ
「コーダあいのうた」は、青春音楽映画としても面白かったが、ラストで主人公が巣立った後、あの家族はどうなったのだろう、と気になってしまっていた。本作は、耳の聴こえない両親のもとで生まれた息子が、成長とともに葛藤を抱え、親元を離れて暮らした後、あらためて親を見つめ直すところまで描いている。テーマ性は「コーダ」より深い。
実際の体験を基にしているため、エピソードの一つ一つが、まさしくリアルに感じられる。人物にとことん寄り添う呉美保監督の演出力はさすがだが、原作のエッセンスを取り出して再構築した脚本の力も大きいだろう。
一見、特殊な親子の物語のように見えるが、扱っているテーマは普遍的。いやな言葉だが「親ガチャ」と言われる今だからこそ、自分と親との関係を見つめ直すことを描いた本作は、意義深いと思う。
主役の二人だけでなく、出番の少ない脇役もみないい味を出していた。子役たちが、吉沢亮の小さい頃のようで驚く。忍足亜希子と烏丸せつ子も、本当の親子のように似ていた。
平日の昼間のせいもあり、観客はシニア層でまばらだったが、もっと多くの人に知ってもらいたい作品。エンドロールの歌にも泣ける。
予告編が文科省推薦、みたいでよくなかった。自伝のリアリティがあり、...
予告編が文科省推薦、みたいでよくなかった。自伝のリアリティがあり、コーダの側から家族を描いていた。洋画のコーダを確かに超えていた。でんでんのおじいちゃんも宗教にハマる烏丸せつこも良かった。そしてユースケサンタマリア。どこまでも明るい父母、東京に行けと行ってくれた父も素敵だった。大は大丈夫という父の信頼が素晴らしかった。東京と故郷の行き来のシーンは経験のある人なら胸に刺さる。ラストシーン、母の後ろ姿から想起が溢れ出し、感極まって泣く吉沢の演技は素晴らしかった。蜜月の子ども時代が幸福に溢れているだけに学校に行ってからの負の社会化が辛い。ラストのタイトルも見事。タイトルはまま映画の世界だった。吉沢君は大河ドラマ以降、こういう骨太の役が似合うようになった。
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