ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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みんな生きてる、色んな世界
何故泣くのか理解不能
お母さんの気持ちが聞こえてなかったのは,息子の方なんだよね
今、思い出しても、(食べてるラーメンに)涙がこぼれ落ちるくらい切なくて温かかった.
補聴器を買って嬉々として「だって,大ちゃんの声が聞こえるから」とコーフン気味のお母さん.
最初の30分.
淡々と映し出される子育ての実際,日常のひとコマひとコマが,暖かく,幸せがこぼれてくる.春のぬくもりのよう.
毛布をかけてくれるのが母親だし,郵便ごっこもしてくれる.ストロベリーパフェを食べさせてくれるのもお母さん.
お母さんにとって一緒にパフェを食べたことは,息をするように日常.当たり前のこと.
だから忘れているけれど,子供にとっては人工呼吸のように母親からやさしさを吹き込んでもらった温かい出来事だから,ずっと記憶に残っているんだと思う.
この物語は,耳の聞こえない母親とCODAの息子の話だけど,それだけにとどまらず,母と子の普遍を描いていると思う.
授業の朗読が“ごんぎつね”. センスいい.
参観日のお知らせの紙の破り方...そうだよね.あんな感じ.
三者面談.先生,お母さんがわかるように,説明は紙に書いておいてあげて下さいね!
「なんも相談のってくれなかったくせに.友達はみんな相談してるよ!」← してないよ.
「俺,こんな家に生まれてきたくなかったよ」← そんな目で見るんでないよ.お母さんのことを.画面の中に入って行って,ひっぱたいてやりたかった.
聞く耳を持とうとしなかったのは息子の方なんだよね(自分もそうだったから...,余計に涙がこぼれ落ちます).
ラストの電車のシーンがずっと続けばいいのに.
このエッセイはノンフィクションなので泣く!
ろう者の父母から生まれた健常者はこんな思いをしながら生きているんだろうというのが分かるこのエッセイを元にした映画ですね。
手話が出来ることは回りの子供たちからは最初はびっくりするけど、直ぐに他の話題に切り替わるから主人公の大くんは主役にはなれない。家に友達が来ると母親がなんて喋っているかわからないと言われ、原因は耳が聞こえないからどう発声したら正解か分からないで唸っているように喋るからと理解して、友達を作るのもはばかる。小さい時はそんなことでろう者を親を嫌になったりするのが当たり前だったと分かる。
健常者の世界とろう者の世界をまたがって生きていく大くんはよく出来た子供で、大きくなったら吉沢亮くんが大くん役をやっていたけど、画面を通してよく出来た大人になったのが伝わるいい演技と感じた。
両親やろう者役の人はろう者の役者さんが全てやっていたということで手話や動作などは観ていて変なところがないのはそういうことかとわかった。頑張って役者揃えたですね、感服です。
コーダの家族の物語
母が子を思う気持ち、それに子がいつ気が付くか
この映画は絶対に観たいと思ってて、レビューも評価が高い中で行きました。
親と子の双方の思いを緻密に描かれてて、生まれた時から順に成長する過程で、コーダに限らず健常者の一般家庭でも誰もが通る時期、事柄が共感しまくりです。
親の心子知らずとは昔から言い古されてきた言葉ですが、どんな時代でも変わらないのですね。子供は未熟だから当然なんだけど。
この映画はテレビドラマでは成り立ちません。あえてサイレントにするシーンなど秀逸です、スクリーンの光だけだからこそ音に集中出来てまた聾唖の人達の感覚を知る上でも良い手法が感性に訴えかけてきます。
人間くささというか登場人物達も普通の人達で映画の中だけの話とは感じさせません。
どの人物も演技に魅了されますが、母親の忍足亜希子さんの表情が怪演と言うべきで、今年の最優秀女優賞差し上げたいです。
ラストは涙が溢れて止まりませんでした。
私の中で今年一番です。
今年の邦画NO.1(今のところ)
ひとの心を描かない描けていない描こうともしない映画が多い
今の邦画ってこんな感じなのかと悲しい思いでいましたが、
出会えました。今年一番の日本映画。
こころの揺れを、繊細に丁寧に描く監督の手腕がすばらしい。
音のない世界と音のある世界を、映画館で感じてほしい。
あと、字幕版をたくさん上映した 映画館もすばらしいと思う。
母の無上の愛情に猛烈に感動
なんと豊穣な作品なのだろう、と感嘆しました。
劇場には聾者の方も鑑賞に来られていて、劇場内の雰囲気もすごく良かったです。
主人公大を演じた吉沢亮もさることながら、
大の母明子を演じた忍足亜希子の演技が素晴らしかったです。
コーダを扱った作品といえば、2022年に日本で上映されたアカデミー賞作品賞受賞作品『コーダ あいのうた』が
記憶に新しいですが、
本作が決定的に異なった描き方をしているのは、コーダである主人公大を幼少期の頃から丁寧に描いていることです。
大はコーダに生まれたことで、周囲の人から奇異の目で見られ、時には酷い扱いを受けてしまうことで、
両親へのネガティブな思いが生まれ、ついには家を出て東京に行くわけです。
その東京で聾者の方々と出会う機会があり、その堂々たる生き様から、両親への思いに変化が生じる大。
大人になった大は、母親とのコミュニケーションにおいて、周囲の人を気にせず手話で母親と話すことで、
母親が大に感謝をするんですね。大にとって恥ずかしい存在だった母が普通の母になった瞬間であり、
ここがこの作品の最も伝えたかったことだと思いますし、私もここで涙が止まらなくなりました。
『コーダ あいのうた』よりも格段にリアリティが増していると思いますし、
主人公大の気持ちもさることながら、両親、特に母親の“想い”に焦点を当てて、最後まで描き切っていることで、
作品としての完成度が格段に上がっていると感じました。
本作への出演を決め、見事に手話含め演じ切った吉沢亮にも心から拍手をおくりたいと思います。
こういう邦画が今後もたくさん制作され、多くの人に観ていただけるよう切に願うとともに
私も劇場鑑賞を通して、こういう場を通してその素晴らしさを伝えていきたいと思います。
ありがとうございました。
恥ずかしいという感情
ろう者の映像作品ときいて頭に浮かぶのは、日本では「silent」、海外だと「コーダ あいのうた」。希望に満ち溢れた夢のある作品だと思う(silentは例外)一方で、いずれもフィクションでリアリティは無いなと感じてしまう。いい意味でも悪い意味でも映画的なストーリー。作り物感はどうしても否めない。
ただ、本作は作家・五十嵐大による自伝的エッセイを原作とした作品であるため、等身大でとても現実的な物語。そりゃそうだろと思うかもだけど、経験談だからこそ、ろう者・コーダについて初めて見たことや勘違いしていたこと、そして彼らの世界など、多くのことを知ることが出来、淡々とした作品ながらに、ものすごく響いたし、見る前と見た後では自分自身がいろんな面で変わったのを実感した。
どの家族にもそれぞれ抱えている問題や過去があって、この家族はたまたまその抱えているものが少し大きかっただけ。可哀想だね、苦しいね、大変だよね、という風に描かれていないのは、経験した作者本人の目線だからだろう。何も可哀想なことはない。何も特別ではない。たしかに、ろう者同士の子育ては批判されるだろうし、理解され難い。反対するのは、それもまたその親なりの愛。一瞬でも目を離したら子どもはどこかへ消えてしまうし、音の無い世界では、更に危険で大変だと思う。でも、たしかに愛がある。愛で溢れている。郵便屋さん、花壇、一人暮らし...。どのお母さんも子どものことを一番に思っているし、どのお母さんも一緒なんだな。
当たり前だったこと、普通だと思っていたことが、周りの何気ないひと言によって変だと、恥ずかしいことだと感じるようになってしまう。「インサイド・ヘッド2」でも同じ描写があったけど、やはりこの感情、成長していくに連れて避けては通れないものだと思う。何も恥ずかしいことじゃないのに、そのことに気づくのには長い時間がかかってしまう。
2時間しかないけど、五十嵐大という人物の成長をリアルタイムで追っているような、そんな気持ちになる。そして、お母さんをお母さんとしてではなく、1人の人間として見た時に彼はようやく気付く。この人がお母さんで良かったなって。その瞬間がたまらなくいい。
ぼくが生きてる、ふたつの世界。
すごくシンプルだけど、すごくいいタイトル。大ちゃんにとって、両親と話すためだけの手段だった手話。それがある人の出会いをきっかけに口で話すとは別の、新しいひとつの世界となり、彼の中で何かが変わっていく。
実際、ろう者の方と接する機会は少なく、仕事でたまに対応するくらいなのだけど、その度に感じる。なんで、自分はこの人と会話ができないんだろうって。手話がこなせる健聴者は、傍から見て偽善者のように、自己評価の向上のためにやっているように見えてしまうし、そう思われてもおかしくない。だけど、友人の従兄弟に耳の聞こえない赤ちゃんが生まれた時、初めて実感した。なにも、かけ離れた、遠い世界ではないんだと。だからこそ、この映画をきっかけにろう者の方、そしてそういった方と関わりのある全ての人に対する認識が少しでも変わればいいなと思うし、英語以上に身近であるということを自分も含め、知っていきたいなと思えた。
少しおぼつかない文章になってしまったけど、本作は見る人全ての等身大の何気ない成長を描いているからこそ、素晴らしい作品だった。なかなかこういう映画は見られない。素朴だけど、温かい。2024年を代表する、必見の作品。吉沢亮、やっぱいい役者だ。。。
最後の歌
「親ガチャ」と言われる今だからこそ
「コーダあいのうた」は、青春音楽映画としても面白かったが、ラストで主人公が巣立った後、あの家族はどうなったのだろう、と気になってしまっていた。本作は、耳の聴こえない両親のもとで生まれた息子が、成長とともに葛藤を抱え、親元を離れて暮らした後、あらためて親を見つめ直すところまで描いている。テーマ性は「コーダ」より深い。
実際の体験を基にしているため、エピソードの一つ一つが、まさしくリアルに感じられる。人物にとことん寄り添う呉美保監督の演出力はさすがだが、原作のエッセンスを取り出して再構築した脚本の力も大きいだろう。
一見、特殊な親子の物語のように見えるが、扱っているテーマは普遍的。いやな言葉だが「親ガチャ」と言われる今だからこそ、自分と親との関係を見つめ直すことを描いた本作は、意義深いと思う。
主役の二人だけでなく、出番の少ない脇役もみないい味を出していた。子役たちが、吉沢亮の小さい頃のようで驚く。忍足亜希子と烏丸せつ子も、本当の親子のように似ていた。
平日の昼間のせいもあり、観客はシニア層でまばらだったが、もっと多くの人に知ってもらいたい作品。エンドロールの歌にも泣ける。
予告編が文科省推薦、みたいでよくなかった。自伝のリアリティがあり、...
予告編が文科省推薦、みたいでよくなかった。自伝のリアリティがあり、コーダの側から家族を描いていた。洋画のコーダを確かに超えていた。でんでんのおじいちゃんも宗教にハマる烏丸せつこも良かった。そしてユースケサンタマリア。どこまでも明るい父母、東京に行けと行ってくれた父も素敵だった。大は大丈夫という父の信頼が素晴らしかった。東京と故郷の行き来のシーンは経験のある人なら胸に刺さる。ラストシーン、母の後ろ姿から想起が溢れ出し、感極まって泣く吉沢の演技は素晴らしかった。蜜月の子ども時代が幸福に溢れているだけに学校に行ってからの負の社会化が辛い。ラストのタイトルも見事。タイトルはまま映画の世界だった。吉沢君は大河ドラマ以降、こういう骨太の役が似合うようになった。
親の気持ちと子の気持ち
無音の世界。全く想像もつかない世界の中、両親特にお母さんの気持ちが、自分にも置き換えられる様でギュっとなる。
子どもの時の親への反抗心も分かるからまたギュっとなる。周りの目も気になるってのもほんとあぁ何か分かる。いずれ大きくなったら、親の気持ちも分かる様になるかなぁ…なんて思いながら観てたら…それが映画の醍醐味で最後は涙が止まらない止まらない。
映画館だからこその、"無音"の世界の擬似体験。とにかく静かで怖かったからこそ、映画館で観てもらいたい映画。
余談。赤ちゃんからの子ども時代の子たちがみんなちゃんと吉沢亮(激似)で余計に大人時代も感情移入できた。
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