ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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その世界を知ることで、見え方も違ってくる
聴こえない両親の世界と、自分を含めた周囲の人間の世界。少々身勝手な祖父母は手話を覚えてくれず、聴こえる大が、小さい頃は当たり前の事として両親の為に通訳をしていた。思春期になると、周囲の目が気になり、意思疎通の難しさにも直面して、自分だけが重荷を背負っていると感じ
てしまう。大は優しくて明るい母のポジティブさにも反発して、家を出て上京したいと願う…
聴こえない世界のことは知っているつもりだった。でも自分は母親の気持ちが分かっていなかった。
自分だけが特殊な環境にいると思っていた大が、世界が広がることで、気付きが増えていく話です。
吉沢亮さんの表情の一つ一つが良いです。特に泣き顔が。
他のキャスティングも素晴らしいです。子役が吉沢さんの子供の時の写真にそっくりでした。
それ、タモリな
こんなにも深い親の愛情。でも、リアルタイムでは気づかない
ラストシーンは、この映画を見事に象徴していて、泣ける。場面設定、カット割り、音の効果もうまいし、吉沢亮、忍足亜希子の演技も最高。
映画全体として吉沢亮の手話はネイティブのようで、違和感がなく、感心した。
ふたつの世界とは、「聞こえる世界」と「聞こえない世界」なのだが、「東京」と「石巻」というふたつの世界で成長していく主人公を描いたようにも思える。「思春期、親に反発した世界」と「愛情を感じている世界」のふたつ、と解釈することもできそう。
母親の無私の愛情がとても大きく、強い。主人公に愛情をそそぐ場面がたくさん出てくる。心から主人公のことを思って最善をつくしていた。
だからこそ、予告編にも出てくる「おまえのかあちゃん、しゃべり方、変じゃねえ?」という場面や「こんな家に生まれて来たくなかった!」という場面は、心が締めつけられて、悲しい。
そして後日、愛情をそそがれた場面を思い出して、その時の母親の気持ちを理解した時の、強い感謝の念と後悔の念に共感する。
父親の方も、主人公のことを信頼して「大は大丈夫」と応えたり、石巻に戻って来ないで東京へ行けと勧めたり、愛情が深い。映画「リトル・ダンサー」では、父親が息子の将来のためを思って自己犠牲の行動をとるのだが、その場面を思い出した。
主人公が挫折したり、つらいことが多く描かれる。主人公も観ている人も嬉しくなるような場面は少なく、映画の展開として盛り上がりに欠けるかもしれない。でも、実際には、この主人公は映画の原作になるくらいの本を書いて、成功しているライターである。ライターになる努力と成功をもう少しポジティブに描いても良かったかもしれない。
どの家にもいろんな事情があるよね。
両親ともに耳が不自由な家に生まれ、いつのまにか自然に2つの世界の通訳をしていた。幼い頃は感じていなかった事が、成長するに連れて人と違う、恥ずかしい,なんで自分だけが、と考え始める。
なかなか個性的な祖父母が同居していたこともあり、いつのまにかちょっと冷めた感じの大人になっていた。
そんな彼に父親がかける言葉がいい。
そして話が進んでいくうちに、そう言う特殊な事情もあるけれど、親を思う気持ち、子供が幸せになって欲しいという気持ちはみんな同じだと心に沁みて涙が出た。
彼が心に溜めていたことを言葉にし始めるのだ。
この映画の冒頭,全く音が消える時,まずはハッとする。これがこの人たちの世界なんだ。なんで静かなんだろう。最後の歌も涙した。
余談だが,大好きな吉沢亮くんの赤ん坊時代,子供時代ともによくこれほど似ていて瞳の美しい子を探してきたなぁと感動(笑)でした。
成長記録であってエンタメではない
劇的なBGMが流れなくても美しさに涙することができる
ろうの両親に生まれた青年の物語。
誕生から幼稚園、小学生、中学生、20代、そして今を追いかける物語。
主演の吉沢亮が中学生から今を演じる。30歳の彼が中学生を演じてしまうのがすごい。
また、幼稚園、小学生の時の男の子が吉沢くんにすごく似ていて、かなりびっくりした。
CGじゃないよね、なんて思うほど。
ドラマの中心は彼とお母さんの物語。
お母さん役の忍足亜希子さん、お父さん役の今井彰人さんもろう者の役者さん。
障害者の夫婦に生まれた子供としての葛藤。反抗期。
ドラマティックな展開はほとんどない。
ある意味、違いはあってもどの家庭にもありそうな親子の間のすれ違いと心の触れ合いにも思えた。
「産んでくれ」と頼んだわけじゃない。そんな言葉を吐きかける少年時代は障害者の親の下に生まれなくてもあるような気がする。
ただ、最後のところのシーンのような、楽しそうな親子の買い物やご飯や会話。
そんなごく当たり前な普通な時間を母親がとても喜んでくれている、そんなことに気づいた時、今までの自分に気づいて涙が滲んでくる、そんなことは分断された特別な世界でなくても、起こっていることのように思う。
15の夜、十七歳の地図から卒業していく姿のように思えた。
ラストになって映画の中で一切、BGMが流れていなかったことに気づかされた。
冒頭はろうの方の世界を表現するために音のない世界。
そこから彼が生まれて音がある世界に変わったけれど、現実の世界は劇的なBGMなんて流れやしない。
それでも僕たちは現実の世界の美しさに涙することがある。
手話で拍手する時は両手を上げて、手のひらを開いて、左右に回すんだ?
タイムボカンのキラキラスターの振り付けみたいで、何か楽しそうだな。
さぁ、連続更新、最終作品となりました!オラオラオラオラァ!!
久しぶりに、忍足亜希子さんが映画に主演するので鑑賞。
両親共に聾唖で、耳が聞こえる一人息子が両親から逃れたくて東京に上京してから、しばらくしてから帰省するまでのお話し。
冒頭からしばらく聾唖者の生活しにくいあるあるが続いて暗い話しが続く。
現実逃避したくて、映画館にいるのに身近な不幸あるあるを見るのはちょっとキツイもんがあります。
同じ不幸なら、とことんどん底の不幸にして、
「 あぁ、良かった。俺、この人よりは不幸じゃない」
と、安心できるのに( おい)
勝手に「エール」 「 コーダあいの唄」 みたいな映画だと思っていたのがそもそもの間違いでした。
このまま、不幸あるあるが続くのかと諦めていたら、主人公が手話教室に通い出してからが明るい話しが多くなる。
自分の爺ちゃんが、ヤクザでギャンブル狂でばあちゃんが信仰している宗教が大嫌いだったのに、死んじゃってから仏壇に向かって毎日その嫌いな宗教のお経を唱えられているという自虐ネタを話したら、それがウケちゃって雑誌編集者になれるとこは良かったなぁ。
映画終盤で、無音状態になって聾唖のお母さんが手話で話しかけるシーンが続くのだけど、何を伝えているのかが全然分からない。あぁ、聾唖者の人の感覚ってこうなんだなと理解できました。
離れて暮らす事でより両親との絆が深まっていく過程は子育てあるあるなのか?耳が聞こえる世界と、耳が聞こえない世界。この二つの世界の間には深くて暗い川がある。ローエンドロー🎵
上映中、手持ちカメラの映像がずっと揺れているのはどんな演出意図があったのか?昔の映画では、よくある手法でしたけどね。
笑えて泣けるコメディなんだろうという先入観があったので、暗い話しが多くて残念でした。字幕版もあるので、聾唖者の方にも楽しめる映画なので良いかなと。
んー、でも配信で見ていたら前半の暗い話しにウンザリして見るのを途中でやめるかなぁ?それくらい、暗い映画でした。ポイントで見るなら損はしない映画です。
よく集めましたね吉沢亮似の子役
まるで、出世魚のブリとかスズキのよう。産まれてから中3役の吉沢につなぐまで4人。
そして、吉沢本人は中3から30代を。最後の方は武田真治風のメイクでした。
宮城県塩竈が実家。
親子三代が暮らす漁港の町。
おじいちゃん(蛇の目のヤス)役はでんでん。
おばあちゃん役が烏丸せつこ。
お食い初めの支度風景。
でんでんがアワビ煮を口元に持っていくと火がついたように泣き出す赤ちゃん。
「なげーなげー、男は声とポコチンのデカさできまんだどー」
CODAの男の子(五十嵐大)はひとりっ子。
聾者の両親が子供を育てるのはとても大変。おじいちゃん、おばあちゃんが元気なうちはサポートできますが・・・
題名はこちらも、Both Sides Now(ジョニミッチェル)的 。
コーダ あいのうたでは描かれない細かい部分も多くて、より家族の物語でした。
補完しあえる映画。
漁港の市場での買い物シーン。オマール海老ではなくてワタリガニ。
バークレー音楽大学をめざしたりしないので、その分話に起伏はあまりありませんが、より身近に感じることができてよかったです。
高校を卒業してから実家と東京を往復しながらパチンコ店のアルバイトから雑誌ライターになった五十嵐大さんの半生の手記を元にした映画でした。原作を読みたくなりました。幻冬社刊。
母親役の忍足亜希子さんと父親(船体整備士)役の今井彰人さん、手話サークルの聾者の役者さんたちもよかった。とくに、忍足亜希子さんは生んだ時から30年以上の母親役を健気にあかるく演じていらっしゃっていて、とても綺麗でステキだった。
車内で手話を交わすシーンとか、息子に悪態つかれて悲しそうにするシーンとか。
聾者の夫婦って辛辣な言葉で喧嘩したりしない気がするし、自分たちだけで手話で冷静に話せて、普通の夫婦より仲がいい気がする。コーダあいのうたのマリー・マトリンも明るかったし、羨ましかった。
夕方に観たらやたら腹が減った。
家族で食事する場面やパフェやカレーのせいもあると思うけど、食欲が出る映画はいい映画なんじゃない?
全くの余談だが、京成線車内で吉沢亮と目があったとウチのオババ姫が妙にコーフンして話しておったのを思い出した。たぶん他人のそら似だよと言うと、京成線沿線に住んでいるし、京成のイメージキャラクターもやっていたから間違いない❗と自信満々に畳み込んできた。なんでそんなに意地張るのかね。
【追記】
でんでんお目当てで鑑賞した。やっぱりさすが😎
母親に甘えて反抗した若い日々。 今のうちに感謝の想いを伝えよう。後悔しないように。
全てをかけて育ててくれた毎日への感謝を伝えられなかったこと。
それどころかうるさがって歯向かっていたことへの後悔。
きっと誰にもあることを、思い出させてくれる。
間に合ううちに、ひとりでも多くの子供たちに、
母への感謝を伝えるきっかけになれば、
この映画はとてつもなく価値がある!
聴覚障がい者の両親を持つ青年の生活のリアルを描く。
両親役の俳優がともに実際の聴覚障がい者であるため、とても自然に観れる。
しかし、そこに描かれるのは特別なことばかりでなく、普通の母と子の想いと変わらない。
何もわからないまでも、子供がやりたいことができるように思ってくれている。
ちゃんと食べているか、常に気にしてくれる。
とてもシンプルな母親の愛と、その感謝を伝えられていない後悔が詰まっていて、泣けた。
日本版コーダ?音が少ないのが絶妙に良い
24時間テレビのドラマみたいなクオリティ
良い関係性を持った家族だなぁ
母の背中に涙。
耳が聞こえない両親を持つ青年の成長物語。
原作は未読。
描かれていた日常の差別的な事はほんの一部でしょうし、完全に理解はできないかもしれないけど、映画になったことは意義あることでしょう。
ママに抱きついていたかわいい子が、中高生になり母にひどい言葉を浴びせるけど、当事者にしかわからない苦悩があるけど。
思春期にはどこのご家庭も、男の子ならあんな感じですよと、お母さんに声をかけたくなりました。
手話サークルの仲間に「やれることを取り上げないで」と言われてその世界を理解したように、もっと接して理解できたらいい。ふたつの世界はひとつにはならないけど、より近づけたらいいなと思いました。
涙ジワジワでした。
吉沢亮、この役うまかったです。現状に悩む姿だけでなく、髪長めの時やパチンコ屋店員の時の投げやりな感じとか、就活してもこれじゃ面接受からない感じとか。
そして子役の子達が、吉沢君に似た顔立ちで違和感がなくて良かったです。
忍足亜紀子さんは知っていましたが、演技は初めて拝見。…と思ったら、レビュアー様のレビュー見ていて、「黄泉がえり」に出てたの判明。見たけど覚えてないです。もっと色々出演されてる作品見たいです。
烏丸せつこさんも久々に拝見しました。クレジット見るまでわからなかったです。
ぼくが生きてる、ふたつのせかい
静かな映画
聾者の両親のもとに生まれた主人公を中心に、
聾者とその家族の葛藤、愛情を描く映画
「聞こえない」親のもとに生まれた「聞こえる」こどもを、
『コーダ(Children of Deaf Adults)』と称するんですね。
初めて知りました。
主人公の出生から始まり、幼少期・小学校・中学校と進みます。
いろいろと嫌な思いをしたり、同情されたり…
自分の失敗を親のせいにしてみたりと、様々な葛藤がある。
しかも、同居の祖父は刺青しょった博打うちだし、祖母は宗教に傾倒しているし…
なかなかの家庭環境ですね。
私はエンパスの気があるので、ちょっと観ていて辛かった。
そんな中でも、聾者の両親は穏やかで誠実なタイプで、自己肯定感の強い、明るい人たち。
これが救いでしたね。
主人公も、いろいろと葛藤はありつつも愛情深くて、良い人。
静かな明るさが好印象でした。
映画としては、派手なことは何も起きなくて、
静かに静かにエピソードが紡がれていくもの。
エンタメとしてのおもしろさは無いかも知れないけど、
エピソードの向こうに透けて見えるものに感じ入りました。
母と子の暖かい関係
2022年の米国アカデミー賞作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」に続く”コーダもの”(そんなジャンルがあるのか知らんけど)でした。 コーダ=CODAは、Child of Deaf Adultsの頭文字を取った言葉で、直訳すれば”聾唖者の親を持つ子供”という意味であり、本作でもこの言葉そのものもが出て来てました。「コーダ あいのうた」も本作も、聾啞の親と耳が聞こえる子供の親子関係にスポットを当てた良作でしたが、創作の物語でどちらかと言えばコメディ要素が強かった「コーダ あいのうた」に比べると、本作は原作者にして主人公でもあった五十嵐大(吉沢亮)のエッセイを元に映画化されていることや、舞台が日本であることもあって、非常に身近なお話に感じられました。
そして主役の大が生まれたところから始まり、大人になるまでを描くことで、特に母親である明子(忍足亜希子)に対する大の感情や二人の関係性の変遷が、非常に分かりやすく表現されていて、コーダの偽らざる想いが十二分に伝わってきました。
さらに大が故郷の宮城から東京に出て来て働き始めた以降の展開も面白く、第三者との関係性の中で両親、特に一度は反発した母親に対する想いが再び優しい方向に向いた時、こちらも自分の母親を思い出して涙腺が緩んでしまいました🥲
俳優陣は、主人公・大を演じた吉沢亮が、表情だけでなく後ろ姿を含めて実に繊細な感情表現をしていて素晴らしかったです。また、母親役の忍足亜希子はじめ、「コーダ あいのうた」同様に聾の役は聾の俳優が務めており、本作の見所とも言うべきものでした。
大が勤めることになった雑誌編集長のユースケ・サンタマリアも、怪しげでいながら魅力的な雰囲気で良かったです。
一点予想と違ったのが、東日本大震災の話が出てこなかったこと。原作者の五十嵐大は1983年生まれとのこと。主人公の大の生年は作中明示されていなかったものの、子供時代にファミコンでスーパーマリオに夢中になっていることからも、年代にブレはないのでしょう。従って、宮城県の海辺の街を舞台にした作品だったので、確実に震災の話が盛り込まれるだろうと思っていたのですが、実際はそうではありませんでした。
震災の話を入れるとそちらがメインになってしまいがちなので、それを避けたかったのか、全く当初から念頭にすらなかったのかは分かりませんが、そういう物語になっていたらどうだったのだろうと夢想しながら劇場を後にしました。
そんな訳で、本作の評価は★4とします。
Coda日本版と、言ってはいけない。
邦画を字幕付で観ると、字幕なしで観た時と違う印象を持つ場合がある。
聞き取れなかった言葉や台詞が文字で表された事により視覚と聴覚に二重に訴えるからかも知れない。最近は字幕付上映もあるので、邦画でも可能な限り字幕付で鑑賞している。今回は内容からも、あえて字幕付版の回で鑑賞。五十嵐大の自伝的エッセイの原作は未読。
9月24日(火)
新宿ピカデリーで「ぼくが生きてる、ふたつの世界」日本語字幕版を。
「Coda あいのうた」に触発された作品かと思ったがアプローチが違った。
この映画は大が生まれたところから始まる(背景音は無音)。宮城の港町、誕生祝いに集まる人々。両親は耳が聞こえない。赤ん坊の大が泣いても泣き声が聞こえない。小学生になった大は親と手話で会話するので同級生から奇異な目を向けられる。そんな状況に母親を疎ましく思い始める。授業参観日を母に教えない。奇異な目で見られたくないからだ。
高校受験のための三者面談でも耳の聞こえない母親は上手く相談に乗れない。塾にも通うが第一志望の高校には入れない。
20歳の大はやりたい事を探すため東京へ旅立つ。しかし、パチンコ店で働くなどしている。壁には上京する時に母が買ってくれたスーツが掛かっている。母から送られてくる荷物、食料品と封筒に入った五千円札。大は東京でも手話サークルに入り、聾者と交流する。
スーツを着て出版社の面接を重ねる大。やっと調子の良い編集長(ユースケ・サンタマリア)に採用され、編集の仕事を始める。しかし、その編集長も逃げ出し、大はライターとなる。父が病に倒れて見舞いに宮城に戻る。東京に戻る大を母は駅まで見送りに来る。その後ろ姿に上京する際の母の後ろ姿を重ね、過去の様々な母の姿を思い出し泣き崩れる。
無音世界から東京へ向かう電車は暗闇のトンネルを抜ける。それは別の世界に出て行く大の姿を現しているように見えた。
大は、母を疎ましく思いつつ、東京でも手話サークルに入り聾者との繋がりを続けて行く。サークルの飲み会で注文を耳が聞こえる大が行い、聾者でも出来るから余計な事をするなと諫められる(聾者の気持ちが理解出来ていない事を現している)。
少年時代を演じた子供たちが吉沢亮に似ているのは良かったが、さすがに中3を本人が演じたのはきつかった(似ている中学生はいなかったか)。両親を演じたのも、その他の聾者の役にも聾者の俳優を使ったのも良かった。祖母が烏丸せつこだったのがビックリだった。
本作にはユーモアはあってもエンタメ性はない。劇映画なのでその点が不満。(Codaにはあった)
Codaでは、大学に旅立つ娘を家族全員で見送り、娘は愛していると表現する。
上京する息子は、母親に愛する事を表現出来ない。
今日観た2本は、上京する息子を見送る母親(本作)と上京する娘を見送る父親(ごはん)が描かれていた。子供は親を疎ましく思っても、子を思う親の気持ちは変わらない。
そして、その思いを知った時に、子は親を思い涙を流すのである。
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