ぼくが生きてる、ふたつの世界のレビュー・感想・評価
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可もなく不可もなく🙏
健常者と障がい者との間に「壁」はない。
そんなきれい事はいくらでも言えるのです。
手話出来ないし、なんなら口話ですら
(唇の動きで会話読み取る)
めちゃくちゃ難しい。
壁とまでは言わないけど、やはりどうしても
隔たりがあるのが現実ではないかと思う。
喫茶店でパフェを食べている時
カウンターに座ったカップル。
あんな感じの無神経さ。往々にあるのです。
なんでも口に出す、それを正義と思っているし
なんなら何が悪い?と開き直る。
障がい者じゃなくても生きづらいいまの世の中。
大が「こんな家に生まれたくなかった!」の言葉は
確かに、両親がろうあ者であった事の苦労から
来るものでもあるけれど、
個人的には「ふたつの世界」ではなく
「ひとつの世界」での子供の成長日記と
親の深い愛情を思い出させる、とてもセンチメンタルな気持ちになる作品だったと思うのです。
点数5点は、作品云々ではなく
自分の素直な気持ち、可もなく不可もなく🙏
日本に住むコーダの現状を映し出す
コーダである主人公の五十嵐大の人生を間近で撮影したような映画
リアルで物語に没入してしまう
特に聾者の方々の演技が素晴らしくて、そして全員幸せそう
とにかくみんなに見て欲しい作品
ぼくらが生きてる、ひとつの人生
前半の浮き沈みが激しく、それだけで、もう…
大の誕生による幸せムードから、聾者による子育ての難しさで一気に胸が苦しくなる。
差別的な意味ではなく、祖父母のサポート無しでは実際問題立ち行かなかったかっただろう。
(手話を憶えず明子を育てきったのもある意味凄い)
それでも愛情に溢れた家庭で幸せに育っていたところ、友人の「変」の一言で世界との隔たりを意識する。
手話で人気者になれそうなときにも、茶化す阿呆が…
しかし、花壇荒らしの濡れ衣を着せてきた女性含めて、悪意なき悪意が非常にリアル。
中学時代(サスガの吉沢亮でもムリがある)からの反抗期は、みんな身に覚えがあるのでは。
正直、観てて居た堪れなくなった。
だがそれに対し悩み、相談し合う両親の姿は、これも一般的なそれと何ら変わりない。
プータローからの上京暮らしは、両親の出番が減ったこともあり、うだつの上がらない平凡な日常。
大は、成りたいモノはないけど成りたくないモノはある。
だから面接で口では嘘をついても表情で自らバラすし、理不尽なライターには決して謝らない。
この辺は自分に似てて複雑な感情になった。
そんな半生を描く中で、言葉以上に物語る吉沢亮の表情や佇まいの奥行きが凄い。
両親はじめ脇もみな素晴らしいし、複数の子役が悉く吉沢亮っぽい上に演技もちゃんと出来るという。
サークルの酔って記憶なくした一人っ子女性が好き。
聾者同士の会話にユーモアがあって楽しかった。
誰にとっても人生は自分のもの一つきりだし、父も母も一人きりで、その中で生きていくしかない。
世界をいくつに区切ろうが、それは等しく変わらない。
素晴らしかった
出演者みんな良かった。
コーダの悩みや、障害者との関わり方もリアルなんだろうなと感じられた。
大ちゃんとご両親役のお二人が実は年齢が近いだなんて、観ているときはまったく感じず、祖父母や叔父叔母含め、本当の家族のようで自然だった。
お父さんが倒れて実家に戻った大ちゃんに、おばさんが「大ちゃんが生まれるとき祖父母が反対したけどお母さんは産んだ」と伝えるときの感じとか、私に語彙力がないから上手く表現できないのだけど、本当に関係ができてる家族の感じで、聞こえない両親の元に子が産まれることへの祖父母の不安と、子を産み愛したかった両親の愛、それを見守ってきた叔母、みんなが素敵で…
近所で鉢植えが倒されなぜか犯人扱いされる理不尽、
きちんとお母さんは怒ってくれたのに、お母さんが聞こえないから自分がこんな目に遭うと思ってしまう苦しさ、リアルだった。
面接で落ちる経験はしつつも、大ちゃんが東京で居場所を見つけられたのは、親や家族に愛されて慈しまれて育ったからなんだなと感じた。
ユースケサンタマリアの「大ちゃんはどこでもやっていけそう」「しがみつく場所ができたらいいね」の台詞が沁みた。
自分が「こんな思いをする」苦しさ・怒りを、本当は大好きな両親に向けてしまうことでの二重の苦しみが、上京するとき、駅のホームでの涙と表情に表現されていて、こちらも一緒に感情が高ぶり、たまらなかった。
手話をからかうような、小学校のときの同級生は問題外としても、飲食店で注文の際に良かれと思って“手伝ってしまう”のとか自分もやっているけど、当事者がそこまでいいのにと思っても言い出しづらい関係性だったら、良かれと思ってても相手にはありがた迷惑通り越して不快かもしれない…
自分も含め、障害者に障害を背負わせてる側の者として、どうするのが良いことなのか、考えて行動していきたいと思った。
お母さんが、外で手話を使う自分について、必要なものだ、ごめんと素直に伝えたこと。
率直に逃げずに向き合える親って素敵だなと思った。
大ちゃんは心の底では、外で手話を使うお母さんを嫌いとか恥ずかしいとか思ってないんだよね。
だから、東京で知り合えた手話サークルの人の知り合いとの誕生会に参加するし、上京前にカフェや電車でお母さんと自然に盛り上がる。
パチンコ屋さんで意思疎通が取れずに困っている人を、見て見ぬふりせずに助ける。
とにかく、とにかく、素敵な映画でした。
素敵な家族の、あたたかな物語なので、障害がテーマだとか思わず構えずに観てほしい。
主演の俳優さんは今旬の若手俳優さんだと思うが、そういう方が出たことで間口が広がって、たくさんの方に届くといいなと思う。
思い出した順に取りとめなくダーッと書いてしまったが、本当に良い映画です!
すっごく良かった 細部に至るまでストーリーが全て良い感じ 主人公役...
すっごく良かった
細部に至るまでストーリーが全て良い感じ
主人公役は三人とも良かったし、
お母さん役の俳優も良かった
起承転結とかそういうんじゃないのが本当っぽくて良いし、
終わり方がこれまた最高だった
母よあなたは
“感動の実話”的なものを疑ってかかる性分なので、絶賛の声の中、自分のレビューは醒めた視点から書こうと思いながら見始める。
なぜか主人公には、たいして感情移入できず、ひたすらこの母親が気になる。2才で母を亡くして以来ずっと自分なりの母親像を描いてきたが、それが今日、初めて想像と合致したような気分になった。映画がラストに向かって淡々と“泣ける話”に収斂していくのが
こわかった
やられそうだった。歯をくいしばってずっと目を上に向けていたが
だめだった。
ずっと自然体で優しく美しいお母さん
ろうあ者夫婦の間に生まれた主人公五十嵐大。
生まれた瞬間から夫婦の子育て、大の小中高時代、上京そして働き出して宮城に帰省するまでのストーリーが非常に丁寧に描かれている。
そこに何も語らずとも、ファミコンがあってゲームボーイがあって、折り畳み携帯があってiPhoneへ。
吉沢亮は高校生から大人になるまでを、これ以上ないぐらい自然に演じていた。
お母さんの忍足亜希子も、ずっと自然体で優しく美しい。
最後に思わず涙が流れた。
丁寧な作品
とても丁寧な作品でした。
両親が耳が聞こえず、健常者の息子(いわゆるコーダ)の育ち方、感じ方を順番に追う構成。
原作がエッセイなのか、実体験ベースの話らしい。
聞こえる自分(主人公)が、母に言葉を手話で「通訳」して伝えることが誇らしく嬉しい幼少時代はいいとして。
小学校の同級生からの「お前の母ちゃん変」から始まり、多動性気味で空気を読まないお調子者の同級生が手話をからかう。
近所のババアは「障害者の息子はストレスを発散するため、近所で起きたいたずらは主人公のせい」とやってないのに決めつけ「一緒に謝ってあげる」と無理矢理腕を引っ張る差別っぷり。
元ヤクザな暴力男で博徒の祖父の介護と新興宗教にハマった祖母、聾唖な両親のケアで、次第に家族の通訳や介護が「当たり前」になることが重く感じ、自分だけが不幸で搾取されている気になっていく。
忙しさに勉強が追いつかず高校受験に失敗し、大学進学はならず、パチンコカスとして生きる。
不景気による父のリストラで働かなければならなくなり、田舎でくすぶるよりいっそ東京に行けと背中を押した父の言葉に上京。
背景に描かれる流行が「あったあった」と思えるものが多く。
小学校低学年のときにファミコンってことは、私より下の世代(後でググったら、著者は1983年生まれ)だから、結構かぶっていました。
夜逃げしちゃう編集長がユースケ・サンタマリアで、うさん臭さが何人か知ってる人そっくりでよかったw
反抗期~思春期には「違う」って見られるだけでつらいのに、母の内職などからわかる「ヤングケア前提で貧乏な環境」はキツいよね、と頷きながら観る。
『コーダ あいのうた』より、メタメタに悪い環境にある子どももいることを念頭に、勝手に思い込んだ「普通」を基に差別しちゃいかん!と改めて思わせてくれました。
その環境だって、作中お父さん役の人のセリフ「どこの家にもそれぞれ悩みがあるよ、たぶんね」という一言に集約されていたように、特殊な事例ではなく、どこにでもあることのような気がします。
程度の差はありますが、たとえば「子どもは親を手伝って当たり前」みたいな、親ではなく祖父母や親戚、周辺住民の同調圧力による、子どもの心の圧迫とか、「娘は家族の料理を作って当然」みたいなクソ親だっているじゃないですか。
そんな勝手な「当たり前」「価値観」を押し付けることで子どもを傷つけ、もめて。
それは子どものせいではなく、主に周りの理解のなさの方が問題じゃないかとも。
それだけの説得力ある描写の積み重ねが、映画としてよかったです。
……ただ原作者がどんな人かは知らないし、同一視したら危険かも。
ラストは鼻の奥の方がツーンとした😢
コーダという言葉や存在については、以前にテレビドラマの「デフ・ヴォイス」で知ったのだが、やはりさまざまな葛藤を抱えてしまうのだろうか。
色々な出来事があって、それでも前を向いて生きていくのは、聾唖者も、そうでない者も、コーダも同じ。
吉沢亮が「キングダム」とは全く違う路線の、家族の問題での葛藤や自分の将来のへの不安で悩む複雑な青年という役柄を見事に演じていたのは素晴らしい。
P.S. 正直なところ、舞台が東北の宮城県だったので、ラストは東日本大震災が絡んでくるかなと思っていた。それはちょっとありきたり過ぎて何か違うし、あまり個人的には好ましい展開ではないなぁ、と思っていたら良い意味でスカされた😓
キングダムの吉沢亮とは全く違う演技と母親役の忍足亜紀子の演技に泣いた
聾唖者の両親のもとで育っ五十嵐大にとって、幼い頃は母の“通訳”をすることも日常だったが、成長と共に特別視されることに戸惑いや苛立ちを感じるようになり、明るい母を嫌い東京に逃げる。
その母が駅のホームに息子を送り寂しく去る後ろ姿に自分の母親が重なり泣いてしまった。
そう言えば私の田舎に暮らしていた母も私が帰省から都会に戻る時、姿が見えなくなるまで手を振っていたことを思い出しました。
母役の忍足亜希子や父役の今井彰人をはじめ、ろう者の登場人物にはすべてろう者の俳優を起用しているが、特に忍足亜紀子の演技は素晴らしかった。
聴覚障がいの両親の元に生まれた1人の男の半生を描いた感動作。 本年度ベスト!!
何か起こる訳ではないけど、日常の親子の会話や息子の行動や発言などに心を打たれる素晴らしい作品だった!
観賞後も本作の事を思い出すだけで理由が解らない涙が出る感じ(笑)
聴覚障がいの両親を持つ吉沢亮さん演じる大の半生を描いたストーリー。
吉沢亮さんが主役と思いきや前半は全然登場しない(笑)
と、思いきや小学生の大を演じた子役が吉沢亮さんにそっくり(笑)
ここでストーリーの流れが予測出来た感じ。
大の行動の全てが心に刺さる!
こんなに登場人物に共感出来る作品に出会った事がない!
大が成長する過程での反抗期や家を出たい気持ちとか、男性なら共感できる感じだった。
逆に女性陣の感想が聞きたくなる。
大が父親と道路を歩きながら会話する長回しのシーンも素敵だった。
手話で話しているのに、思い返せば普通に会話していた記憶になっている錯覚に陥る(笑)
圧巻だったのは吉沢亮さんの手話。
相当練習したんじゃないだろうか?
コーダと言う役を違和感無く演じる姿が素晴らしかった!
母親と子供の親子愛は障害の有無に関係無い絆で結ばれていると思わされた。
終盤の駅のホームのシーン。
いきなり無音になる演出がヤバい!
ヒクヒクと泣いてしまった自分が周囲にバレてしまった(笑)
個人的に吉沢亮さんに主演男優賞を差し上げたい作品でした( ´∀`)
優秀作品賞へ推し! 聴こえない母へ、産んでくれて育ててくれて ありがとう!!
耳の聞こえない両親から育った一人息子コ-ダ(聴者)が今思う、
音のする世界と、静寂の世界。
普通の両親の元へ生まれたかった。・・・この思い。
貧しいし、塾にも行ったけど進学にも失敗、人生の道が開けない、
親が耳の聞こえない聾唖者だから・・・・そう思う 主人公の大。
母さんと一緒に歩くの嫌だ!、学校に来ないで!、皆の前で母と話しもしたくない! ・・・多感な少年期 彼の心に芽生える葛藤が少しずつ心に歪みを生む。
今日は 聾唖の両親を持つ青年の話「ぼくが生きてる、ふたつの世界」の鑑賞です。
感想からまず述べると、全て実話でしょう。偽りな表現は感じられませんでした。
どうしてもこの様な作品にありがちな 不要な脚色をし見栄え的展開流れを組んでしまってる事が結構有るのですが、そういった点が無く、誰の心へも等身大で奥底へ感情が入ってきます。
貧しさや、介護、祖父の暴力、孤独、進学失敗、上京そして一人暮らし、チャンスと挫折・・・誰にでも起こりえる視点と展開です。
両親が障害者だからと言って特別な人生が待っている訳ではありません。
ですが、生まれてから 生きてきた今までに与えられた運命みたいな物はあったでしょう。それに自分が向き合って いつそれに気付く事が出来るかだと思うのです。
貧乏も、介護も、両親が障害者も、自分以外の人でも有るわけで。
だから 健常者と同じように悩み、それを生きていくのが人生でしょう。
そう思います。
二つの世界の中を渡り歩く彼。でも見ていて、厳密には彼は健常者であって障害者では無いなと思うのですよ。でも 聾唖の方々の悩みや苦労は 人より遙かに理解が出来る。手話で意思が通ずることは 健常者からすればそれは素晴らしいと思いますね。 結局その思い、長けた能力を何に使うかだと感じます。
コ-ダである彼の人生も表現の一つでもあると思いますが、やはり母子の関係性が一番の魅せ場だと感じますね。
結局の所、一般的な母親との関係を描く事で、耳が聞こえない母、父を持った彼から見えた世界が一番のネタなのでしょう。
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(その他 思った事)
・吉沢さんの高校生姿って無理有るかなと思ってたが違和感なく見れたと思う。
・手話にも場所によって違い、方言がある事が分かった。
・仕事は常に自分の出来るレベルより少し上のレベルが遣ってくる。
・両親が聾唖者だと、赤ちゃんへの育児は相当大変であったであろうと理解した。
周囲の人達の助けが無いと多分無理だと感じる。
・耳が聞こえない両親でも大きな愛が有って、育てて貰えたから良かったと思う。
健常者の両親であっても我が子への愛が無く、虐待され放置されてしまう子もいる。不幸か、幸福かは つまりの所、愛がある家族であったかどうかだと感じますね。
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何とか東京で仕事をやって暮らして行く息子。
父が病で倒れて急いで帰郷。
祖母の介護と、父の看病。
母の事が心配で 家へ帰ろうかと・・・母へ申し出る息子。
”大ちゃんは東京で、頑張って~”
東京へ戻る列車待ち、駅のホームで、 昔 上京する時の事を思い出す彼。
母と列車内で手話で話した 役者になる話・・・
笑う母の顔。やがて列車を降りた母が 一言息子へ言う・・・・
”列車の中で 手話で話してくれて ありがとう~ ”
母がホ-ム端へ歩いて行く 後ろ姿を見て、
その時、今までずっと自分に話しかけてくれていた 母の声が聴こえた!
自分は何も母の事を分かってはいなかったんだと、
心から聴こうと、話そうとしていなかったんだと。
今 それに気がついた・・・
その事に 彼は深く号泣する・・・ そして母への感謝。
この場面、 メッチャ泣けましたわ。
本当に良い場面表現だったと思います。
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原作:五十嵐大氏「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」
脚本:港岳彦氏
監督:呉美保氏
-----MC
・五十嵐大(主人公コーダ)役:吉沢亮さん
・五十嵐明子(母)役:忍足亜希子さん
・五十嵐陽介(父)役:今井彰人さん
・鈴木康夫(祖父)役:でんでんさん
・鈴木広子(祖母)役:烏丸せつこさん
俳優陣は皆さんとても素晴らしく、本当の家族の様に思えました。
本物の赤ちゃんを使う事でリアリティがあり
特に百日祝い「お食い初め」の習わしが微笑ましかったです。
是非、ご家族揃って
劇場でご覧くださいませ!!
鑑賞動機:呉美保監督9割、あらすじ1割
『そこのみにて光輝く』『きみはいい子』でハードルが凄まじく上がっていたのと「私の一週間」に感心したことで逆に欠乏感が増していたこともあって、「うーん、期待していたほどでは…ない?」と鑑賞直後は感じていた。
1日寝かせてから改めて考えてみると、CODAだからどうこうではなく、普通の男の子の成長物語で、『6才のボクが、大人になるまで』がチラリと頭をよぎる。
地元から出て初めてある程度客観的に自分(の状況)を見る事ができて、それまで嫌だと思っていた事が、実はそんなに大したことではないのかもしれないと思えること(実際大してことではあるのだけれど)が、必要だったのかな。時系列順に進んでいたのが、終盤に入る回想シーンによって、こちらも気持ちの整理がついたように思う。
お父さん役の今井彰人が吉沢亮とあんまり年が違わないのにびっくり。
うーん、タカノフルーツパーラー? 千疋屋?
コーダの苦悩
吉沢亮がいまだに中学生を演じるとは。ちょっとした雰囲気の違いで年齢変わってて素晴らしい。思春期とその後の母親との温かい雰囲気への変化はほんとにグッときますね。お母さんありがとう。忍足さん美しくて優しくて素敵でした。
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