ふれる。のレビュー・感想・評価
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縦の糸はあなた‼️❓横の糸は私‼️❓逢うべき糸にふれる人は‼️❓
余談ですが、筒井康隆の小説に人の心が読めるヒロインがいて、狂いそうになります。
人の心をみたいとは思いません、自分の心すら右往左往してる。
この映画は、ふれる、を介在して友達でいるのですね、共感できるものでは無いけれど、とても引き込まれる、でも、エンドロールの歌ですら、YOASOBIですら、響かない。
こんなに引き込まれて、最初から最後まで、それぞれのキャラに、どんな想いなんだろう、これからどうするんだろう、とても心配しました、ガラスのような性格のような気がして。
言葉にしないと伝わらない、教訓になりました。
なんだかモヤモヤして感動より不安が残りましたが、とても引き込まれる映画でした🎞️🎟️ありがとうございました😊😭
ふれるちゃん
ふれるちゃんの機能は、人間持ってると思う。こんなこと言ったら相手は傷つくだろうから、違う言い回し考えたり、いっそ飲み込むとか。
良いことばかり言ってれば、こんなに人間関係上手くいくんだねって思った。
でも、言いづらいことも思い切って言えるのも人間なので・・・男の子三人が相手を一点の曇りもない人格者だと思ってたのは、言語のコミニュケーションは怠ってたってことよね。
相手を傷つけたくはないけれど、自分が傷つかないためにも言葉を選んでコミニュケーション図らなきゃいけないと、ななちゃん見てると思う。
そして肝心のふれるちゃんは、言葉での意思疎通は出来ないんだけど、ふれるちゃんの気持ちを思いやれば答えてくれる。思いやることがコミニュケーションの基本姿勢と考えさせられた。
女子二人は自己中だったよー・・・
なぜ3人にしか伝わらないの?
「つながること」の意味と大切さを寓話的なギミックで描く、男三人イチャコラアニメ。
このあいだ、「とん太」で並んでとんかつを食ったばかりだったので、大人パートが始まった瞬間に「あ、ここ高田馬場だ!」とわかりました(笑)。
あと、面影橋とか。ビッグボックスとか。
新婚当時に新大久保に住んでいたので、なんか懐かしい。
あと、服飾学校がまんま初台ー新宿間にある文化服装学院だし。
土地勘があると、観ていてちょっと親密さが増すような。
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「つながってる」ことを重視するSNS世代には、若者にせよ、老人にせよ、けっこう響く話なのかもしれない。
本作のテーマはまさに「つながること」。
そして、「つながりかた」の優劣や善悪ってあるのか、という話だ。
男の子三人のインティメットな友情と、シェアハウス。
女の子二人を含めた新たな共同生活と、三角関係の連鎖。
シンプルな人間関係が複雑になってくると生まれる齟齬。
きれいだけど「ずるい」つながりかたで形成された、ピュアな友情。
「言葉」をちゃんと用いた、拙いながらもリアルなつながりかた。
終盤で暴走した「ふれる」が生み出す、すべてがつながったSF的世界。
一見、話の本筋からずれているように見える「ストーカー」の存在も、ワンウェイで成立する、一方的でよろしくない「つながりかた」の典型的な一例である。
終盤に出て来る「高圧的な会社の先輩」との「体育会系」的なつながりかたも、秋くんが見た表面的なマイナス面と、諒くんが語る内実のギャップが面白い。一部のヤフコメ民が絶対に是認しようとしない「パワハラっぽいけどいい人なんですよ」ってやつですね(笑)。
人は人といろいろな形でつながってゆく。
どうつながるのが、いいつながりかたなのか。悪いつながりかたなのか。
むしろ、いい悪いではなくて、つながること自体が大切なのではないのか。
つながった「結果」として生まれる「絆」こそが真に重要なのではないのか。
そういったちょっと「青臭い」ことを、正面からまっすぐに衒いなく扱った、とても素直でけれんのない、基本的にいいアニメだったと思う。
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良く出来ているな、と思ったのは、
霊獣「ふれる」の能力の「本当の機能」の設定。
そりゃそうだ。なんでも考えてることが駄々洩れなら、逆に仲良しなんかに「なれるわけがない」。
相手に対する想いというのは、うまく「調整」「加工」して伝えるから、相手にも好感情を生み出すことが出来る。
生のままの感情をお互い剥き出しに垂れ流し続けていたら、友情など育めるはずもない。
そこのところに、ちゃんと理由づけしたうえで、さらにはその「便利な感情のやりとり」で育まれた友情について「楽をした」「ずるをした」と言い切るセンスは素晴らしい。
結局、ここで語られていることは、現代のSNSでのやり取りでも同じことが言えるんだろうと思う。
Xやヤフコメでの、相手の尊厳を削り合うような壮絶なたたき合い。
逆にインスタやフェイスブックでの、歯の浮くようなおべんちゃらの飛ばし合い。
ラインでの、ひたすらつながり合い監視し合う、息のつまるような社会空間。
エコーチェンバー。タコツボ化。分断とカルト化。
やりとりの短文化。条件反射のレス。スピード化。つながらない権利の消失。
どちらにせよ、いずれも「健全」なコミュニケーションとはとても言い難い感じがするけれど、それでも人はつながらずにはいられない動物だ。
ならば、多少やってることは気持ち悪くても、相手を貶めない形で社交的に「褒め合う」インスタでのやり取りのカルチャーなんかは、あれはあれでまだしも悪くないのでは、と思ったりもする。あるいは、匿名でのぶっ叩き合いで日常の憂さが本当に晴らせるのなら、それはそれでいい面だってあるのかも。
とはいえ、一定の自己顕示欲と承認欲求を満たす意義は認めるにしても、それには相応の羞恥心と含羞くらいは伴ってほしいというのが個人的な希望だし、「つながる」ことが目的化して、「いいね」の数やビューのカウンターの奴隷になっちゃったら、なんとなくもうおしまいな気もする。
この『ふれる。』で描かれているのは、まさにそんなコミュニケーションの「作法」や「目的」についての考察であって、観ているとどうしても、「さて自分は他者とどうかかわっているのか」と、ついつい我が身のありかたについても振り返って考えてしまう。
そういうところは、とても良い映画だと思う。
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気になるところもある。
中盤の「男女でシェアハウス編」の作りが、
なんか全体的に雑なんだよなあ。
てか、そもそも、男三人で島から上京してシェアハウスしてる連中が、見知らぬ女の子がストーカーに追われてるからって、いきなり自分たちの部屋に同居させるもんか??
まずは、駅前直結で、セキュリティのしっかりしたオートロックのマンション薦めろよ。とくに諒くんは不動産屋なんだから(笑)。
女の側からしても、いきなり男三人と同居とか、ちょっとあり得ないんじゃないの。
優太と奈南ちゃんのふたりがキスしたからって、いきなりサプライズパーティってのも、唐突な展開すぎて女の子二人以上に、こっちがドン引きですよ。いや、そんなことやらないだろ、ふつう。それに百歩譲って、やるならやるで、優太と奈南が主役のサプライズパーティでしょ?? なんで、片方の優太が「招く側」で席に座って待ってるんだよ(笑)。頭おかしいだろ。
あの展開で、諒と秋がいきなり奈南を「ビッチ」とか「尻軽」とか吐き捨てるみたいに悪口いうのも、普段のキャラクターからして「あり得ない」感じで、怒って飛び出した女の子二人以上に、客のほうが途方にくれるばかりだ。作り手の都合なんだろうけど、とくに秋くんはもともと「場面緘黙」みたいなやつなんだから、あのシチュエイションであんなひどいこと、絶対さらっと吐き捨てたりしないでしょ。
あと、ベランダで諒と秋が手を握り合ったときに、お互いに「樹里が好きだ」という感情を伝えたのに伝わっていないって話も、なんかさすがにご都合主義がすぎるような……。
だって、ふたりともあそこで相手に樹里への恋愛感情を「伝えた」と確信している以上、その気持ちはその後は相手に隠す必要がないわけで、折に触れて絶対に行動に出ちゃうものだと思う。とくに諒はああいうタイプだから、「俺あいつと付き合ってるんだ」と秋に伝えた以上、ふつうに秋の前では「カップル」として行動するはずで、病院での樹里の抱きつき以前にも、いくらでも「二人が付き合っている」ことを示す動きは見せていたに違いなく、そのシグナルをすべて秋が見落としていたというのは、秋をバカに仕立て上げすぎていて、ちょっと可哀想だ。
あれだけ「ストーカーが危険だから」って理由で、わざわざ男三人と無理やりシェアハウスしたっていうのに、襲われた日にあんな暗い夜道を女ひとりで帰させてるのも、ちょっと信じがたい感じがある。ぜんぜん誰も対策とかしないで生活してたってことかな?
終盤の、男三人が友情を再確認する、熱くて爽快でちょっとナイーブな展開も、大前提として「奈南がストーカーに襲われて大けがをして入院している」って重大な状況下にあるのを完全に忘れているかのような振る舞いが続いていて、けっこう猛烈な違和感があった。
優太はもともと奈南が好きだったうえに、自分がストーカーを引き込んだとかいってえらく後悔してたのに、その後その話に一言もふれないよね? なんで??
他にも、行きつけの店で赤の他人をスカウトするときに「いきなり静岡に行かせるような失礼な案件」で急にスカウトしないだろうとか、個人的な感覚でいえば、結構つくりはゆるい話なのかなあと思うけど、気にならない人は気にならないのかな? というか、男女でシェアハウスって設定自体に、初老のオタクの青臭い道徳心と羨望心がアラームを発しているだけなのかもしれないが(笑)。
その他、ふと思ったことなど、箇条書きで。
●高田馬場の街が美麗な背景によって美化されている。ちょっと『PERFECT DAYS』みたいな(笑)。
●単純に、美形男子の三形態(ガテン系、無口系、ショタ系)がわきゃわきゃ友達ごっこしている様を「愛でる」アニメって一面も大きいかもしれないが。そのわりに腐女子が食いついている気配があまりない(興行成績が振るわないとのうわさ)のは、シェアハウスに女二人をぶっこんで、あげく恋愛までさせてしまったからだろうか。
まさに、『Free』みたいなキャラの取り合わせなんだけどなあ(笑)。難しいもんだ。
●最近の若い俳優さんたちは、みんな本当に器用に声優をこなす。秋役のジャニーズの子は若干クセがあったが、諒と優太の役の子は、プロの声優顔負けの精度で素晴らしかった。
●女の子二人のキャラ、どっかで観たことあるタイプだなあと思ったら、『WUG』っぽかったのでした(爆笑)。
●服飾学校の副担任、映画じゃなくてTVの深夜アニメだと、きっと津田健次郎じゃなくて、子安武人にこの役回ってたんだろうな。
●「ふれる」のハリネズミ形態って、「糸で出来ている」というのもあるんだろうけど、コミュニケーションって基本「とげとげして、ふれると痛い」ものだということなんだろう。
●オーラスの光あがってくの、めっちゃ『CLANNAD』とか『Kanon』っぽいし、最後のYOASOBIのアレンジもなんとなく鍵っぽいよね。
●ラストで「ふれる」の糸が下につづいていく演出が、『ぼくのお日さま』とかぶっていてニヤリ。
●なんでタイトルに「。」が入っているのかと思ったら、青春三部作に全部「。」がついてるからなのね。
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ちなみにわたくしごとながら、僕自身は、ちっとも「つながらない」人間である。
キャラクターとしてはよくしゃべるし、誰とでも仲良く出来る社交的なタイプだと自負しているが、プレイヴェートで誰かとつながっている必然性をまったく感じない。
20年間喧嘩もせずに妻と仲良くやっているが、それ以外、小中高の友人とは全くの没交渉で、大学時代の友人であっても「向こうから連絡してくる」人間とかろうじてつながっている程度。
結婚して10年くらいして、妻に「あなたから人に連絡とってるのをホント見たことないわね」といわれて、自分のほうが驚愕したくらい。あれ、そうだったっけ?みたいな。
人見知りの妻と違って、自分は会社では陽キャの人なつっこいタイプで通してるし、上司からも可愛がられることが多いので、「自分がプライベートで何十年も友達や地域の住民とほぼ交流していない」ことに、我ながら全く気付いていなかったのだ(笑)。
そもそも、スマホを持ったのが5年前くらいで(それ以前はガラホ)、こことヤフコメ以外、何もSNSをやったことがない(Xもインスタもほぼ見ない)。
要するに、自分はどうやら「人と分かち合ったり」「人に悩みを相談したり」「さみしいときに頼りにしたり」「誰かに思ったことを伝えたかったり」といった感情がまるっと欠落しているらしい。
考えてみると、趣味もぜんぶ一人でやるものばかりだ。クラシックの演奏会も、観劇も、鳥見も、古仏巡礼も、美術館めぐりも、天然記念物めぐりも、夏山登山も。
単純に隣に知り合いがいると集中力がそがれるし、何かを観たあと相手に気を使いながら感想戦をするのがひたすら億劫なので、だいたい何かを見て考えるときは常に一人である。
代わりに、誰かを前にしたら全力で応対する。全力で楽しませる。仕事のクライアントにはレンタル奴隷として全身全霊で尽くす。そうやって生きて来た。
だから正直なことをいえば、『ふれる。』のなかで模索されているテーマやモチベーションに個人的にそこまで関心があるかというと、あまりない(笑)。
なんで、社会人になってまでシェアハウスで生活する必要があるのかまるで理解できないし、対人関係でそこまで悩んだことがないので、「孤独」や「つながり」や「絆」というものについて、切実なテーマとしてあまり感じたことがない。
というわけで、他の人ほどにはハマれなかったかもしれないと言い添えておきます。
あのはなを令和でやりたいのは分かるが、、、
令和版の「あのはな」をやりたかったんですね。
あのはな、では「めんま」が担っていた「皆んなをつなぐ」役割を、神様みたいな「ふれる」が担う。めんまを除いた男女比も男3、女2。秋がじんたんで、諒がゆきあつ、優太はポッポですかね。清楚なビッチのなながあなる、今回のつるこはゆきあつと結ばれそうで何よりです。
あのはな、でも終盤で発覚したように「実は言えなかった」ことを言い合うことで、仲間たちの結束が復活して、より強固になる。
「真の友情」「旅立ちと別れ」「ほろ苦い憧れ/失恋」という普遍的なテーマを取り上げた、王道の青春物語。なので令和の若者には、これでいいんじゃないかな〜。
ただ、平成育ちのオッチャンから言わせてもらうと、別に超平和バスターズでやる必要ってある?って感じが否めません。
まず、中心線が弱い。あのはな、は「めんま」という大きな存在の「喪失→復活→浄化」という強い「代償」により、仲間の友情と心の成長、という「成果」を得る。ここのカタルシスが大きな感動を生む。
で、誰が「ふれる」を失う喪失感を受け、復活を望みます?ボッチ解消のお供だったんだから、秋ぐらいですよね。でも、もう要らないから、真っ白シロ介、になったのを持ち運ぶだけ。あれで何か「呪い」を受ける、って設定なら納得しますがね〜
延々と心情の説明や言い合いが続く。あのはな、で言ったら最終回の1話前、定林寺での告白合戦が2時間続いた感じで、お腹いっぱいです。
エピソードや絵で解らせようとせず、セリフの応酬でストーリーを作る最近の作風ですね。ユーザーの読解力が落ちたのか、クリエイターに自信がなくなったのか、、、、
設定を学生から社会人に移しながら、その効果は?と思わずにはいられません。あのはな、の時の高校生っていう内輪設定ですら、めんまの家族、って外側を描き、仲間内の内輪との対立と、苦労しながらの解消を描いています。
社会人設定にして、何か外の世界との関係性は変わったのでしょうか?
専門学校の同級生とのわだかまりは?出来の悪い不動産屋は?一旦断った料理人の話は、都合よく「あれはまだ断ったいない」で解決し、ストーカーは首尾よく警察が捕まえる。
何もかも、優しい世の中ですね、ってことが言いたいのですかね。
と、ここまで言うと、一周回って「令和の時代では、そんな作品しか作れない超平和バスターズをみてくれ。これでいいのか?」というメッセージだとすれば、納得しますがね〜。
主人公が高校生なら人気でたかも
映画のCM的に心情描写がテーマなのだろうと思い、その手の物語が好物なので期待して見に行きました。
絵はむっちゃ綺麗でした。最近のアニメはやっぱり凄いです。男性陣もかっこいいね。絵が目的の人とイケメン目的の人にはおすすめ。
でも、話の内容重視の人にはおすすめしません。まじで。理由は、誰向けなのか意味不明、三人が大人として未熟、関係構築部分の描写が雑という点です。
まじでこれ誰向け?
俳優を起用→女性
監督を全面に出す→オタク
かわいいキャラクター→子ども
主人公が社会人→社会人
ってことなんですかね。ターゲット広げすぎて滑ってますね。やっぱ的は絞ったほうがいいね。監督はマーケティング部門にゴリ押しされてこうなったんでしょうか。だとしたら気の毒ですね。
まじで関係構築パートが雑すぎます。音楽流して三人が仲良くなる過程を流すだけってそれは流石にないんじゃないでしょうか。三人がどうやって仲良くなったとか、ふれると主人公の仲とかそのへんの描写が雑すぎます。別に説明的であることは求めませんけど。だって三人の関係性の変化がこの映画のメインでしょ?なのにそのスタート部分端折ってどうするんですか。建物の基礎部分を適当に施工するようなもんですよ。
もしかしたら映画以外の漫画版や小説版では描写があるのかもしれないけど、それを映画ではまるっきり端折るってそれはないでしょ?二期作でもないのに予習してから観に来いってか?二郎系ラーメンじゃないんだからさ。
これ、主人公が高校生だったら名作とまではいかずとも、今年のアニメ映画ベスト3に入ってたと思います。ただ、大人でこれは正直キモいです。確かに、コミュニケーションをサボってたから精神や関係構築能力が高校生並みってのはわかりますよ。それをさり気なく描写したいってのもわかる。でも、随所で描写される三人の未熟性がちょっと見てられない。特に「キスしたから恋人認定」の部分は、単純にキモいです。あと三人の喧嘩もおさなすぎて見てられない。もっとましな描写方法はなかったんですかね。「高校時代、周囲に馴染めず三人でいつも一緒にいた」みたいな描写でも、同じように三人の未熟性を描写できると思うのですが…。
あと、餅は餅屋、声は声優だろ定期。
会話とスキンシップの大切さ
不思議な生き物「ふれる」の力で仲良くなった3人の青年の友情を描いた物語。人の心が読める能力を手に入れることは本当に幸せなのかを考えさせられます。会話の大切と人の心が読めないからこそ努力するスキンシップの重要さも感じました。
2024-169
評価はあえて少なめに
評価、高いですね。
悪くはないのですが、あえて少なめに採点しました。
人間同士の付き合いって、そんなに単純ではないと思うのです。
心をのぞいても、言葉の端々に相入れない事が思うのです。
そのあたりのつが甘きなと思いました。
生かしきれない島の伝承
私の琴線にふれました…!
見ていてうわ〜分かる〜〜!ってどんぴしゃで共感するシーンがいくつもありました。
人間関係で生まれる心の機微が美しいアニメーションと共に分かりやすく丁寧に描かれていてとても心に響く映画でした。
主人公の声の演技は不慣れさが感じられたのが逆に自然で結果的に良かったと思います。終映後に演者のお名前を見て意外だったのでびっくりしました。
人間関係ってコミュニケーションの上に成り立つもので、コミュニケーションて言葉によるものが大きいですよね。
でも言葉に出して相手に伝えるって単純なことじゃなくて…伝えなきゃいけないこと、伝えなきゃだけど伝え方に配慮が必要なこと、伝えない方が良いこともある。
ふれるは争いの火種になりそうなことをフィルタリングして排除していたわけだけど、人間関係ってのはそれで永劫上手くいくほど単純じゃなかった。
でも人間関係ってふれるがいてもいなくても結局なるようになるんですよ。
何があっても最後どうありたいか決めるのは当人たちだし。
今まで色んな経緯で最後は"要らない"って言われてきたのかな…とか想像するとやるせない気持ちになります。
"要らない"なんて言われたら存在意義をなくすし…悲しかったろうな…。
誰かに必要だよって思って欲しくて暴走したのかなって考えたらもう涙が堪えきれなくて…!
僕こんな事出来るよ!僕がいたら言葉に出さなくてもお互いの思ってることが分かるようになるよ!便利でしょ??誰か僕のこと必要だって言って…、、、
ふれるの思ってることは分からないけど、そんな切なる思いが伝わってくるようでした。
だからふれるは、これからもずっとふれる自身を求めてくれた秋くんたちの友達でいたらそれで良いです…!不思議な力がなくても、ふれるを大切に思ってくれる秋くんとずっと戯れていたら良い…!
もう〜〜〜ふれるのうるうる涙目を見た瞬間大号泣でした…!!小動物に弱すぎる泣
今までずっとふれるを見付けてくれた人と人が仲良く繋がってられるように頑張ってたんだよね…!可愛い可愛いね…!!
人間関係拗れそうになってもそれを乗り越えてふれる自身を求めてくれるイケメンが見付かって本当に良かった…!!!
やっと本当の居場所が出来たね…!!
正直映画の内容関係なくふれるの可愛さにいちいちキュンとしていた部分があります。動き可愛すぎんか!?私もそんな風にふれると風呂掃除したいよ…!!
秋くんの次は私がふれるを飼いますので、もう二度と涙目になんてさせません…!!!泣
ふれるにふれてみて
小学生の子どもと鑑賞
YOASOBIファンの小学生息子2人が観たいというので映画館まで行ってきた。
事前に別サイトでレビュー見て評価が高くなかったので全く期待せずに行ったからか、結果すごく良かった。
無意識にふれるの能力に頼りきりになっていたことで言葉で表現する力が弱くなり、
社会に溶け込むことが苦手になってしまった若者たちが、
心地よい関係から脱却し、孤独になることを受け入れた上で前に進む、一歩大人になる
そんな物語だったと解釈。
最後、これから辛いこともいっぱいある中で自分の力で頑張っていくんだろうなあと思うと自分の子どもたちの自立を想像して泣いてしまった。
けど心地よい場所が、きっとこれからも辛い時に心の支えになると思うので、息子たちにとってもそんな場所になりたいなあと改めて思った。
子どもたちもまだ難しい部分もありながらも感じ取ったことがあったようで、鑑賞後はYOASOBIの MVと歌詞を見ながら、言葉で伝えることの大切さを話し合った。
子どもたちと観に行って良かったなと思えた映画だった。
優しい世界とは?
青春アニメのゴールデントリオ長井×岡田×田中の最新作
私の思うキーワードは『琴線に触れる』
ある島に言い伝えられる神様「ふれる」を見つけた少年・秋
彼は極端に口下手で話すより先に手が出てしまう悪癖から周りに避けられていたが「ふれる」の持つテレパシーのような力をキッカケに同い年の諒・優太と友達になっていく
高校卒業後、上京した三人は共同生活を始めるのだが島とは違う環境でそれぞれの問題にぶつかることになる・・・
ラストの表現方法も含めて「ふれる」をインターネットの隠喩と見る人も多いかもしれない
しかし、リアルの関係も含むコミュニケーション全般と受け取るほうがより適切だと私は感じた
観賞時に「琴線に触れる」という言葉が強くイメージされた
心からの感動につながるものは決して美しいものばかりではない
上京後の重要人物の一人、奈南は主人公・秋と対をなす存在だ
周りに壁を作る秋。周りを受け入れ過ぎてしまう奈南
良い人間関係、優しい世界とはなんだろうか?
それが容易く見つけられるものではないと、ある意味突き放す優しくない作品である
メッセージが噛み合わない
ストーリーによる問題提起とメッセージが噛み合わない、というのがまず受けた印象です。
作品のテーマは、思いを言葉にして伝えることの大切さ、心を完全に理解し合うことは不可能だが絆を育むことはできる、という辺りだと思いますが、作中に起きた大きな危機は、妖怪の暴走と恋愛関係の縺れ。これらの事件を経て主人公たちが上記の結論に至るかというと正直疑問符が付きます。そも前者は作中でも理由が分からないので反省のしようがありません。
後者について。キスを受容しても恋仲にならないって当たり前なんですか?作中では勝手に盛り上がった優太と2人が悪いという形でしたが、正直私は秋がついていた悪態とほぼ同じ印象でしたよ。奈南に常識が無かったと。逆にキス≠恋人が常識なのだとしても、主人公たちの反省は上記ではなく、単に常識が無かった、女性経験が浅かった、となってしまう。どちらにせよ、このテーマの問題提起としては微妙と感じました。秋と諒のすれ違いも、お互い伝え合おうとはしているので反省点にはなりません。
総じて、伝えたいメッセージはハッキリしているのに、話が噛み合わないというのが私の感想となります。
ふれるが可愛い
すずめの戸締まりと同じ世界感でした。ミミズ=ふれるの糸、ダイジン=ふれる、という感じがした。結局人間はフィルターかけてたら一生分かり合えないというか、いつまでも他人のままですね。人とぶつかりたくないから本心言わない人は信頼関係生まれないかも。せっかくふれるがめっちゃ可愛いのになんだかストーリーが薄くて勿体なかった。私は同性目線であの2人の女子は嫌いです。特に大人しい方。あき君が言った通りどこまでも流されやすいからストーカーされるんだよw 傷つけたくないからキス受け入れてその気にさせるとか何この女って思った。最後あき君を好きになった理由を問われて、顔と身長。ってただの流されやすい面食いだった。
ふれると3人の友情にふれてきました
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