12日の殺人のレビュー・感想・評価
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【"男と女の間の溝”21歳の女性が夜中帰宅途中に焼殺され、グルノーブル署の殺人捜査班が動き出す。今作は男性社会の警察と事件解決にのめり込んで行く刑事たちの姿をスリリングに描いたサスペンスである。】
ー 冒頭、仏蘭西警察が捜査する殺人事件は年間800件以上。その2割が未解決である。これは、その1件だ。とテロップが出る。-
◆感想
・冒頭のクララが何者かにガソリンを掛けられ、ライターで火を付けられ生きたまま焼死するシーンは衝撃的だ。
ー 故に、グルノーブル署のヨアン刑事や、同僚のマルソーは犯人検挙に全力を挙げて行く。犯人がナカナカ捕まらないストレス、苛立ちを募らせながら・・。-
・捜査を進めるうちにクララの奔放な男性関係も明らかになって行く。ヨアン刑事たちは署に容疑者の男達を呼び出し尋問するが、決定的な証拠は出ない。
ー 更に焦燥感を募らせていくヨアン刑事や、同僚のマルソー。ヨアンは競輪場で自転車を漕ぐ事で精神の均衡を保っているが、(二十日鼠のようにも見える・・。)マルソーは妻との離婚問題も抱えているため暴走捜査をしてしまい、自ら捜査班から抜けてしまう。-
・クララが付き合っていた男達が、クララに言及する際に、”彼女とは身体だけの関係だ。”などと、シニカルな言葉を発するシーン。
ー クララの親友ナニーだけが、”彼女は尻軽女じゃない。彼女が何か悪い事をしたの?”と涙を流しながら、ヨアン刑事に話すのである。
ここも、"男と女の間の溝”を描いたシーンである。-
■犯人が見つからないまま、3年が過ぎる。マルソーは異動し捜査班も解散しているが、ある日新任女性判事ベルトランから呼び出され、”もう一度、捜査を再開しない?調書も良く撮れているし。”と言われ、同じく新任女性刑事ナディアと捜査を再開するのである。
マルソーからは、突然青い花の写真が送られてくるが、これは”女性の力を借りる必要がある。”と私は解釈した。
・ヨアン刑事とナディア刑事は、クララの墓に隠しカメラを取り付ける。そして、そこに写っていた捜査線上に上がらなかった男が、五体投地をする姿。
ー 冒頭、”この事件は未解決だ。”とテロップで流れていたので、犯人ではないだろうと思いながら観ていたが、その男は精神を病んでいた事が分かった時の、ヨアン刑事とナディア刑事の無念そうな顔。キツイよなあ。-
<ラスト、ヨアン刑事はマルソーにメールをする。”外に出てみるよ。”
そして、ヨアン刑事は競輪場ではなく、晴天の山道を立ちこぎで登って行くのである。”峠は未だ先だな。”と呟き乍ら・・。
今作は、殺人事件の捜査を描く中で、様々な”男と女の間の溝”が描かれるスリリングなサスペンスである。
そして、中盤から登場した新任女性判事ベルトランと新任女性刑事ナディアの存在が、行き詰まっていた捜査に活路を開く過程を見ていると、男性社会の弱さ、脆さを、女性が加わることで、乗り越えて行くのだろうな、と思った作品である。>
警察24時
みたい、オーソドックスな造りで凄く観易い。本当の事件じゃあこういった結末を迎えるものの方が多いんだろう、予算が無くて防犯カメラ止まりっ放しとかありそう。刑事たちはマシンじゃないので日々消耗、すり減らしていく、そんな二人は退職した事で、また公道に出られた事で少しは救われたのだろう。
「落下の解剖学」と真逆の部分が興味深い。いじくりのない手法とか、声のある音楽の多用とか、ラストも観客に委ねるというより誰でも納得するしかないというか・・・
フランスで高い評価を得ている映画
この映画を最後まで楽しむことができた。フランスでは、随分高く評価されたようだ。きちんと細部まで作りこまれていたからだろう。これまで知らなかった彼の地のこと;
一つは、殺人事件が起きた時、警察が担当する場合と、憲兵隊に任せる場合がある。都市部は警察、周辺部では憲兵隊。警察の担当になったのは、あの美しいグルノーブルの都市部と周辺部のボーダーの辺りで事件が起きたということ。入れ子の国だから、内務省の管轄する警察の事件であったとしても、国防省直下の憲兵隊も横目でみていることになる。例外も多いのだろう。ある種の緊張感がある。
美しい女子大生クララが焼死した事件そのものは、昇進したばかりのヨアンとベテランで家庭に不安のあるマルソーが活躍したが、迷宮入りし、捜査チームも一旦解散した。フランスでは、年間800件に及ぶ殺人事件のうち、2割が未解決とか。
ところが、クララの3年目の命日を前にして、予審判事からヨアンに呼び出しがあった。これが、二つ目のポイント。もう日本では、とうになくなってしまった予審判事の制度があるのだ。日本だと、美しい検事が活躍するドラマはあったが、法廷外で判事が出てくるなんて。予審判事には、捜査の指揮権がある。実際、資料をよく読みこんでおり、捜査の方針をアドバイスして予算を工面する。その再捜査の過程も非常に魅力的だった。あらたなキャリア出身の捜査員も投入される。捜索する警察と、本来ならば裁判をすればいい判事が交錯して捜査が進む。そうしたところがフランスで評判を呼んだ背景か。
不思議なことに、フランスと日本の警察制度には共通性がある。東京とパリには、警視庁があり、パリの方は最近変わったみたいだけど。日本の警視庁の捜査第一課長はキャリア出身でないこと。幕末、フランスの制度が導入されたことが関係しているのか。
自転車の好きなヨアンがベロドローム(競技場)でのルーティンの訓練から、チームを去ったマルソーのアドバイスに従って、ツール・ド・フランスに出てくるような山道に挑戦するところがよかった。その昔、ビートたけしがドラマ「張込み」で、ベテランの巡査部長を務め、若手エリート警部の緒形直人と共演したことを思い出す。女性ヒロインの鶴田真由が魅力的だったことも忘れられない。
◯◯しません
はい、初っ端ネタバレです【解決】しませんwww
・被害者クララは冒頭火を付けられ上半身黒焦で殺害される。
・捜査でクララはヤリマン・ロクデナシ好きと判明
・クララの親友ナニーは可愛い
・黒猫と縁の有る?主人公男性刑事(名前忘れた)は自転車好き、排尿時便座に座るタイプ
・相棒の詩人刑事(タトゥー多数)は家庭崩壊で情緒不安定
・捜査で怪しい男達出てくるが迷宮入り
・3年後に再捜査するも解決しねーENDwww観客舐めんなゴラァヽ(`Д´)ノ
カンヌで絶賛だか何だか知らんがおフランスの感性とは分かりあえない事はハッキリした。
コレをあんだけ面白そうに編集した日本の配給元の手腕だけは評価します。
惜しい
基本的に劇的な作品にしよとはしていない事は分かる。淡々と事件を追っていて。
しかしうまく行っていない。後半で突然動きだす操作も取ってつけたような話だし、判事を何等かで出しておくべき。
前回の「悪なき殺人」もそうだがなにかが足りないように思う。
つまらなくないけど惜しい
ある未解決事件についての捜査を、担当刑事の視点でじっくり描いたサスペンス。
実際の未解決事件をベースにしているため、本作も未解決のまま終わります。凄惨な殺人事件であることから、主人公の刑事が精神的に疲弊していく…のですが、当の主人公よりも病んでいく同僚刑事がいるので、そのあたりも若干散漫に。
捜査や容疑者の取り調べについてもかなり強引というか、この段階で決めつけるの早くない?みたいなことが多発するので、共感性は低め。
全体的な構成は面白いし、地味ながらも最後まで飽きずに観れたのですが、最後が投げっぱなしというか、未解決だからってもう少し良いまとめ方あったんじゃない?という印象。スッキリしないなー。
僕は面白かった。ただ日本語タイトルはタイトル詐欺。フェミニズム映画。女子3人の言葉の意味を(主にそこの男子は)考えなさいという映画。主役刑事の心理、日常が描かれる。 感想、考察せずレビューをあげる。
◎3人の女性の言葉 (前半1人、終盤2人)
・女友達ナニーは主人公ヨアンを非難する。
ナニー 「彼女は尻軽なんかじゃない。なぜ彼女の男関係ばかり調
べるの。彼女が殺された理を教えてあげる」
ナニー 「彼女が女の子だったからよ」
・事件から3年後、女性判事は捜査再開を提案する。
ヨハン 「男と女の間には越えられない溝がある 」
女性判事 「私は男だからとか女だからとか考えない」
・3年後の12日、張り込みの車内
新人刑事ナディア 「不思議なもんですよね。男が殺して男が捜査する」
レビュータイトルにある(そこの男子)というのはボクのことです。ハイ。
実は映画を見る前にネタバレも含むレビューを全部読んでしまった。いつもはこんなことはしない。ネタバレなしのレビューを2、3読んでから映画を見るつもりが、面白くなって全部読んでしまった。おかげで日本語タイトルに騙されずに済んだ。原題「12日の夜」、邦題「12日の殺人」。映画の売り上げを伸ばすためにタイトルで嘘をつくのはもうやめてほしい。
映画の内容が良かったのが救い。
237 あまり探偵映画的に煽らないでほしいね
“未解決事件ものの新たな傑作”
やめてよ。探偵小説好きにこう言って煽るのは。
デカ長は同じ景色をぐるぐる回っているのから
峠を越えるようなところへステージが上がりました!
僕は満足です!ってなるかもしれんが
観てる方はそれをやられてもなあ。
そらなんとなくジェンダー的な訴えが裏であるのはわかるけど
あたしゃあそんなものは観たくないんですわ正直。
この領域で話すと長くなるんで割愛しますが
カネ払いたくないです。
もっと未解決ならそれなりに見せ方があるでしょうに。
映画の雰囲気がよかっただけに残念です。
60点
アップリンク京都 20240330
フランスにおける黒猫ってどれくらい不吉なのでしょうか
観終わって「何もかもがスッキリした!」というタイプの映画ではないので、好みの合う合わないは分かれる作品だとは思う。
生きたまま焼かれた少女。怨恨が疑われることから、彼女の異性関係が捜査対象になるが、排除しようとしても、どうしても予断が入り込む。その予断も、刑事一人一人が抱えている状況や、事件そのものへの思い入れによって違う様子も丁寧に描かれる。
やがて、予想以上に容疑者が増えていくにつれて、被害者側を責める論調や、犯人を決めつける者も出てくるのだが、それを見せられている我々観客もそれに共感しかけたところで、被害者の親友から、投げかけられた言葉が強烈だった。
彼女が例えどのような男性と付き合っていたにしろ、生きたまま焼かれなければならない理由にはならないし、親友や両親にとっては、かけがえのない人だったという当たり前のことも丁寧に描かれ胸を打つ。
作品の中で「犯罪を犯すのも男性で、それを捜査するのも男性」という言葉が出てくる。本当にそうだろうかと思いながら調べてみると、犯罪の9割は男性が起こしていた。その割合の多さに、正直驚いた。同時に「本当にそうか?」と思った時点で、自分も無自覚で無反省な男性優位思想にどっぷりだったのだと反省した。
ただ、この映画における性差の問題は大きな柱の一つだが、そこに単純化させていないところがこの映画のよさだと感じる。
例えば、日常生活の中では、明快に何かが解決することばかりではない。モヤモヤを感じていることも、何となくうやむやな着地のまま、次の新たな問題に向かわなくてはいけないことも多い。けれど、解決はしなくても、その問題と向き合ったことで、自分の中に生まれたわずかな前向きな変化を見つけることもある。
その様子が、主人公の趣味としている自転車になぞらえて表現されているところなど、とてもよかった。
また、途中で退場した同僚のその後も、象徴的な描き方で多くを語らない所もよい。
あえて、問題の解決を中心に持ってこないことで、人々の複雑な心の動きを複雑なまま提示する企てにより、味わい深い作品になっていると思う。(ここが評価の分かれ目かも…)
ところで、この映画の中では、黒猫ばかりが登場するのだが、フランスでは、黒猫はガチで不吉の象徴なのか、それとも迷信程度なのか、そのニュアンスにとても興味がわいた。
思っていた映画とは違っていました
闇とは何なのか…
事態が変わらず閉塞感が続くこと
義務的な仕事の繰り返しなど、日常への埋没
口には出さないが、被害者女性への偏見があった(男性関係など)
単なる仕事のストレス
そんなところでしょうか。
途中で凄く眠くなってしまって、残念ながら見落とした部分も多いです。
その謎はきっと…
若い女性の無惨な殺人事件を捜査するも、イマイチ進展せず闇に迷い込む刑事達の姿を描いた作品。
粗予習無しで観たので、最初は難解な事件を解決していくミステリー作品かと思ってたが…
冒頭のテロップとか、ネタバレ以外の何物でもないだろw…なんて思ったりしたが、本筋はそこじゃないようですね。
チームの皆を含め、登場人物は誰もが怪しげで何かを抱えているような。事件を軸に、不安定な人間らしさ(?)がヒシヒシと伝わってくる。
捜査パートはミステリー感あって良いですね。振り出しに戻る歯痒さや、ある意味ホラーよりも怖い演出もそこそこに…からの"ここで歌ってみろ"は拷問過ぎるw
そんなこんなで、監督の仰る伝えたかったこと、感じたかったこと、は堪能できたがこういう作品はやっぱり最後にはそれが欲しいと感じてしまい…。
まぁそこじゃない作品のようなので仕方ないが。
そして、捜査は気の遠くなるような作業ですね。
来るかどうかもわからない犯人を待ち続ける…想像もできません。
そんなことも含め改めて考えさせられたし、期待とはちょっと違ったが濃密な人間ドラマを観た感じで中々良かった。
サツカンだって人間だ
事件を捜査する警察官の人間臭さが描かれた作品だと思うの。
ふつうの人が犯罪に関わることはまずないけど、警察官は毎日の業務として関わるんだよね。
それが普通だから、普通にやれるんだろうと思ってるけど、やっぱり、そうじゃないとこは出てくるんだよね。
同僚も色々と事情があって、それが捜査に影響するし。
というのが静かに描かれていて面白かったよ。
Ordinary
監督の前作も邦題が〜の殺人で、今作も捜査系の作品なんだろうなーと思って観ましたが、思っていた方向とは違う方向に進んでいった作品でした。
殺人事件を捜査しつつ、事件の真相へと向かってはいくものの、どうも刑事たちの普段を映したり、手当たり次第怪しいやつを尋問したりの繰り返しで、静かすぎる作風が自分には合わなかったです。
序盤の殺される模様が衝撃的だったので期待したのですが、そこからどんどん尻すぼみになっていってしまいました。
刑事たちは日本映画で描かれるような刑事みたいにおバカさんが多めで、基本決め打ちしていって外れて、バカみたいに尋問して外してばかりなので、もう少し捻って考えてくれよと思ってしまいました。
基本的に同じ部屋でやるので変わり映えしないのも頭を抱えてしまいましたし、その会話が次に繋がるわけでもないのがこれまた…。
オチの付け方も未解決事件の終わり方のような悔しさとかそういうのではなく、淡々と終わっていったのも物足りなかったです。フランス映画はサスペンスでも相性が悪いとは…。んー難しい。
鑑賞日 3/21
鑑賞時間 11:45〜13:45
座席 E-13
シ◯っている
先月コロナに掛かり、味覚障害になって2ヶ月になる
味覚障害でも腹は減る
ただ、前より無駄なモノを食べなくなるので自動的にダイエットにはなる
映画を観る前に食事を摂ると100%の確率で寝落ちする
今日も仕事終わりで映画館に行くとき、コンビニに寄ってしまった(味覚障害のくせにブロッコリーサンド🎵)
意外と今日は、いけるかもしれない
(゚∀゚)
しっかり寝落ち⤵️ヤッバリ‥
しかも映画はミステリー仕立て サイアク!
中盤、持ち直しなんとか映画に喰らいつく!ガンバレ、オレ!
どうやら、この映画は「殺人の追憶」や「ゾディアック」みたいな話ではないことは理解できた
では、どんな話なのか⁉
それは映画館でミナサンどーぞ(・∀・)
(おまけ)
自転車で帰宅途中、豪徳寺の商店街でTVのロケをしている
芸能人誰かいる⁉
ロバート秋山❗ (゚д゚)ラッキ~⤴️
職場で自慢するっ! オワリ!
実は捜査がメインではない
実際にあった未解決事件を題材にしたミステリーがスッキリと終わらないことはわかっている。犯人はコイツだろうと匂わせる(もしくはほぼそうだろうと思わせる)が、決め手に欠けて不起訴になり(もしくは逮捕にいたらず)終わることが多い。でも、面白い作品も多いから観てしまう。
若い女性が焼かれて殺された事件の容疑者・参考人はすべて男。しかも全員被害者と体の関係があった。ちょっぴり「ツインピークス」(古い!)を連想させる設定。
未解決事件を扱ったミステリーのはずだが、取り調べや推理、科学捜査がメインとは思えなかった。むしろジェンダーの問題や、捜査する側の心の問題を扱った物語に見える。殺された彼女は被害者。でも彼女が多くの男性から恨みを買っていたんじゃないかと見込み捜査する刑事たちの感覚に同調しそうになってしまう。彼女が悪いと思っていたわけではないが、被害者の友人の言葉にハッとさせられた。そうか、こういう映画なのか。
もちろん事件は未解決のままで終わっていくのだが、実はモヤモヤはあまり残らない。あの刑事たちが少し前向きになれたからなんだろう。未解決のはずなのに。しかも本当はアイツなんだろ!的な余韻も残さないし。
それにしても自分のパートナーが浮気していてもそれを受け入れる感覚がフランスっぽいなと感じてしまった。そこに嫉妬という感情が沸き起こらないと事件にはなりづらい。あの刑事たちの戸惑いに共感してしまった。
正義、仕事、ジェンダー
2022年。ドミニク・モル監督。フランスの地方で、21歳の女性が生きたままガソリンをかけられて焼死するという衝撃的な事件が発生。捜査を担う警察の班長は寡黙で冷静沈着な男だったが、他の事件には感じない身につまされるような哀しみを感じる(特に理由はなく、ただ事件が取りつくと説明される)。手がかりはあるのにいっこうに犯人にはたどり着けず(法と正義)、報告書作成に追われて寝る間もなく(文書主義)、捜査の過程で否応なく「被害者バッシング」的な状況に陥ってしまうことに自己嫌悪感を抱きながら(ジェンダーバイアス)、それでもあきらかめない男(とその仲間たち)の姿。
こんなに真摯な「お仕事ドラマ」を久々に見た。自己利益のためではなく正義や理想のために仕事にまい進しつつ、自らを省みて反省し、結果が出なくてもめげない。周囲をよく観察して耳を傾け、信頼する仲間を自然にいたわり、変化を受け入れていく。そんな警察班長の真摯で柔軟な姿が、余暇に打ち込む自転車で表されている。
仕事男子の生き様にミートゥー運動以降のジェンダー意識が加わって、ちょっと理想的すぎるきらいもある。山の方へと消えていく同僚の方を主人公にすれば、一時代前のハードボイルド系ドラマになるのだろう。
花の写真を見るときに、撮影者の視点に立つか、被写体の視点に立つかで全てが変わって見えてくる
2024.3.21 字幕 アップリンク京都
2022年のフランス映画(114分、G)
未解決事件に挑む殺人課の刑事たちを描くクライム映画
監督はドミニク・モル
脚本はジル・マルジャン&ドミニク・モル
原題は『La Nuit du 12』、英題は『The Night of the 12th』で「12日の夜」という意味
物語の舞台はフランスのグルノーブル
2016年10月12日の夜、グレノーブル署では、前任は班長(ニコラス・ジュヘット)の退職祝いパーティーが行われ、新班長にはヨハン(バスティアン・ブイヨン)が就任することになっていた
夜も更けた頃、サン=ジャン=ド=モールエンヌでは、親友ナニーことステファニー・ベヤン(ポーリーヌ・マリエ)の家で行われたパーティーからクララ・ロワイエ(ルーラ・コットン・フラビエ)が家路へと向かっていた
彼女は真夜中の公園に差し掛かり、そこで何者かに液体を撒かれ、そのままライターで火炙りされて殺されてしまった
翌朝、現地に出向いたヨハンと相棒のマルソー(ブーリ・ランネール)は、酷い遺体と対面し、そのことを両親(キャロライン・ポール&マシュー・ロゼ)に伝えることになった
母はナニーの家に泊まっていると思い込んで受け入れず、そこにナニーがやって来て、それが事実だと認識することになった
その後、ナニーや両親などから交友関係を聞いていくヨハンたちは、その都度上がってくる容疑者たちを尋問していく
だが、決定的なものは何もなく、そればかりかクララが複数の男性と関係を持つ人物だという印象が生まれてしまう
ある日は、現場に落ちていたライターが謎の人物から届き、送り主のドニ(ベンジャミン・ブランシー)もクララと関係があったように仄めかされる
さらには、両親が墓参りした際に「血染めのTシャツ」が置かれていることが発見され、それもかつて交友があったとされるヴァンサン(ピエール・ロッテン)のものだとわかる
彼はナタリー(カミール・ラスフォード)の元に居候をしていて、彼女はヴァンサンのアリバイを保証する
だが、彼を犯人だと確信しているマルソーは、彼に殴りかかってしまい、捜査は暗礁に乗り上げてしまうのである
映画は、その3年後に大きく動く様子が描かれていく
業務を引き継いだ判事ベルトラン(アヌク・グリンバーグ)は事件の調書に目を通し、捜査再開をヨハンに告げる
予算もつけられることになって、墓の近くに隠しカメラをつけたり、事件現場の張り込みなどが再開されていく
そして、そのカメラに謎の男(ダヴィッド・ムルジア)が映り込み、今度こそ事件に進展があるのでは、とざわついてくるのである
映画は、冒頭に「フランスには20%の未解決事件があり、この事件もそのひとつである」と明示され、そのまま「未解決事件」として終わってしまう
ミステリー好きからすれば「犯人は捕まらないまま終わるのか!」と怒ってしまう案件であるが、そもそも映画は「事件解決」を描いてはいない
未解決事件がどのように起こるかという過程を描いていて、初動の捜査方針の間違い、固定観念、捜査を妨げるものなどが描かれていく
後半では、女性判事と女性刑事ナディア(ムーナ・スレアム)が登場し、ようやく事件に対して「女性目線」というものが登場する
彼女らに見えているものがヨハンたちに見えていないのだが、ナディアは「男が罪を犯し、男が捕まえる」と揶揄することになる
加害者目線で事件を観ていくことで見えるものと、被害者目線で事件を観て見えるものの違いがそこにあって、わかりやすいのはナニーへの取り調べにナディアがいたら答えた内容は違うだろうし、ヴァンサンを匿うナタリーの異変にナディアなら気づいたかもしれない、というものである
これは男性の能力云々の話ではなく、事件は多角的に見る必要があるというメッセージが込められている
事件に「刑事の勘」を働かせているマルソーはその視点に立てる人物であるが、ヨハンにはそれがわからない
それを突きつけるのが、マルソーが送りつけた写真に集約されていると言えるのではないだろうか
いずれにせよ、殺人事件を違った角度から捉えている映画なのだが、物語の導入は普通の犯罪映画にしか見えないので、ヨハン目線で事件を追っていくことになってしまう
それが演出の狙いではあるものの、視点が違うことを示すのがマルソーの写真だけというのはちょっと難易度が高すぎると思う
あの写真には上下左右というものがなく、観たいように観られるものなのだが、おそらくは三次元的な見方をしないとダメだというメッセージになっている
花を真上から撮ることによって俯瞰的になっているので、上下も左右も存在しない
ただ立ち位置によって手前と奥が存在し、それによって左右が生まれているだけだったりする
上下は自分と事件との関係性であり、それはどの角度から見ても変わらないことを意味しているので、そのあたりがサッと認識できないと意味がわからないのではないだろうか
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