「豊かな素材・人材を活かせず、登場人物が記号的」毒娘 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
豊かな素材・人材を活かせず、登場人物が記号的
元ネタがネットの投稿だそうで、検索すると割とすぐ見つかる。「扉を開けるとうつぶせの娘の上に馬乗りになったKちゃんが笑ってました」という見出しで、2011年1月下旬から2月上旬にかけて複数回の投稿があり、これがなかなかに興味をそそる恐い展開だった。
内藤瑛亮監督の「ミスミソウ」は山田杏奈が映画初主演という点を含め良かったし、ちーちゃん役の伊礼姫奈は「推しが武道館いってくれたら死ぬ」でローカルアイドルグループの地味目なメンバー役が印象的だった。漫画家の押見修造といえば個人的には「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」が最高で、2018年の映画化作品は邦画史に残る青春音楽映画の大傑作だと思う。
これだけ素材、人材が揃っているのに、どれも十分に活かせておらず、かみ合っていないようなもどかしさ。人物描写も記号的で、家事育児に無関心のモラハラ夫、その再婚相手で仕事を続けたいが妊活のため諦めさせられる新妻、そんな父と継母に不満を抱く娘、この3人家族に恐怖と混乱と衝突をもたらす“異物”ちーちゃん、そのいずれも内面が深掘りされることはない。
たとえばちーちゃんの人物造形についても、神出鬼没の人間離れしたモンスターのような設定ではなく、過去にあの家で両親と暮らしていた頃を描くなどして、彼女があの家に執着する理由を観客が理解し共感できるようにすれば、ホラー作品の哀しきヴィランとしてより魅力的な存在になるし、娘がちーちゃんに感化される流れも説得力を持ったのではないか。伊礼姫奈も可憐な少女から怪物へと変貌するコントラストで強烈なインパクトを残せただろう。押見修造がちーちゃんのキャラクターデザインだけでなく、脚本作りにも参加していたなら格段に面白いストーリーになったはず。もっとよい映画になり得たのに、もったいないと感じた。