「『クワイエット・プレイス』×『ライト/オフ』のネタ一発勝負! 「絶叫禁止」の粋な処理。」サウンド・オブ・サイレンス じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
『クワイエット・プレイス』×『ライト/オフ』のネタ一発勝負! 「絶叫禁止」の粋な処理。
なんか皆さん、けちょんけちょんですが(笑)
俺はそこそこ楽しめました。
「ゆるい」B級スリラーではあるけれど、
「ゆるせる」「ゆるせない」でいえば、
俺にとっては「ゆるせる」タイプのB級スリラー。
作り手が愉しんで撮ってるのは伝わってきたので、好感度は結構高かったかも。
てか、ポスターアートが『ドント・ブリーズ』(16)のマルパクリじゃねーか!!!(笑)
どういうことだよ、この志の恐るべき低さはwww
ネタ自体は、とてもシンプル。
映画館に貼ってあったどこぞの雑誌の紹介記事で、記者の人が書いていたとおり、まさに『クワイエット・プレイス』(18)×『ライト/オフ』(16)といったところか。
「音がしているときだけ、実体化して、近寄って来て身体攻撃を加えてくる怪異」。
そのワンアイディアで押し切るシチュエーション・スリラーである。
ただし、物音をたてたらヤバい敵に気づかれるという『ドント・ブリーズ』や『クワイエット・プレイス』と違って、「音がしてるあいだだけ近づいてくる」という、なんか「だるまさんがころんだ」みたいなルール設定。
これで、怪異に追いつかれると八つ裂きにされるとか、首が吹っ飛ぶといった惨劇が待ち受けているとジャンルは「ホラー」になるのだろうが、怪異の攻撃はせいぜい「首を絞めてくる」くらいのおとなしいもので、結果的に犠牲者も出ないような穏やかな話なので、どちらかというと「サスペンス・スリラー」の領域にとどまっているというべきか。
なんにせよ、ジャンプ・スケア効果がすこぶる高いびっくらかし設定であることと、ストロボ映像のように「パッ、パッ、パッ」と敵が近づいてくる「視覚的な見た目の面白さ」は疑いようがなく、ネタ自体は一見に値するものだと思う。
逆に言うと、もともとは、2020年にアメリカのスクリームフェスト・ホラー映画祭で好評を得た彼ら自身による短編を英語長編映画化したということで、しょせん「短編映画にならちょうどいい」程度のアイディアを、無理やり嵩増しして膨らませてある印象はいなめないような……。
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とはいえこの作品、意外にきちんとしたホラーの伝統的文法にのっとった映画でもあるのだ。
まず、ネタ自体は先にも述べたとおり『クワイエット・プレイス』×『ライト/オフ』ではあるのだが、それを除けば大変オーソドックスな「お化け屋敷映画」でもある。
古いラジオと連動して現れる幽霊一家という設定も、伝統的な「怪談」の味わいがあって悪くない。昔から「ラジオ」というのは「霊界からの通信をキャッチする代表的マストアイテム」なのだ。
しかも、照明を極力抑えた室内の描写もあって(ラジオ修理したり料理するときくらいお前ら部屋に電気点けろよw)、本作には濃厚な「ゴチック・ホラー」のテイストが漂っている。いうなれば、本作は「お屋敷に住まう幽霊一家の恐怖」を扱った古式ゆかしい怪談噺の、ワンアイディアによる現代的アレンジだともいえる。
それから、『アダムズ・ファミリー』(91)とか『アザーズ』(01)を想起させるような見た目の幽霊一家は、登場の仕方だけを見ると、むしろ中田秀夫や清水崇のJホラーのそれを思わせる。あるいはTVの『怪奇大家族』とか。いわゆる「ヒロインの背中越しに部屋の片隅から這い出てくる」系ですね。
あと、「古いセピア色の集合写真」が冒頭でこれみよがしに呈示されたうえで、しきりに「シンメトリー」を意識した画面づくりが繰り返されているのは、「くるったお父さんが家族を襲う」というメインのネタもひっくるめて、『シャイニング』(80)へのオマージュが意識的に打ち出されているとみて、間違いないのではないか。
イタリアン・ホラーの伝統でいうと、少女の幽霊がしきりに何かを伝えてくるという設定は、マリオ・バーヴァの『呪いの館』(66)やオムニバス映画『世にも怪奇な物語』(67)内に出てくるフェデリコ・フェリーニの「悪魔の首飾り」あたりと呼応しているようにも思える。まあそれ以上に、類似の設定としては『シックス・センス』(99)を挙げるべきなのだろうけど。
あと、そっくりのプロットの映画をこの一年くらいで観たことがある、なんだっけなんだっけと思いながらずっと思い出せないでいたのだが、さっき思い出した。イングリット・ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル』(82)だ!
部屋に居ついている子供の地縛霊が、自分を殺した虐待DV父を告発する目的で、いろいろおもちゃを動かしたりしてちょっかいをかけてくるところまでまるで一緒で、作り手が意識している可能性があってもおかしくなさそうだ。
少なくとも監督ユニットのT3が、相応のジャンル的な知識とシネフィル的なこだわりをもって、この映画をつくっているらしいことは作品の端々から伝わってくる。
でも、それがA24配給映画のようなクオリティにはつながっていないのもまた、本当のところだ。
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それにしても、「短編を支える程度」のアイディアを無理やり力業で長編にしたてているからか、終盤戦の展開はなかなかにキッチュだ。
まず、男の亡霊が「憑依」(ポゼッション)してからは、せっかくの「音がしているあいだだけ亡霊が現れる」ネタが完全に葬り去られて、単なる『シャイニング』パロディになっちゃってるのがなんとも。せっかくのネタなんだから、もうちょっとなんとかして、終盤まで引っぱれよ!(笑)。
自宅備え付けの音響ルームで、「音圧」で敵を倒そうとするシーンのくだらなさも、それなりに笑いのツボをついてくる。頭をかかえてのたうち回る悪霊憑きの恋人! なんたる茶番感! おまえはキカイダーか。しかもぜんぜんきいてねえwww
男の妻と娘の亡霊がヒロインと「共闘」するシーンのぶっ飛びぶりにも、つい爆笑してしまった。声でバトルってwww 『マクロス』かよ! 『めだかボックス』にもなんか肺活量で戦うキャラがいた気がするけど。
手つなぎ絶叫の「音量」で「怨霊」を調伏!! ヤバい、こいつはシュールすぎるぜ。
でも、もともと「音を立ててはいけない」という絶対的なルールに基づいた映画で(ポスターにも「絶叫禁止」って書いてある)、ラスボスを倒す武器が実は「絶叫」でしたというのは、なかなかに気の利いたアイディアなのではないか。
こうなると、まさにヒロインは「絶叫クイーン(スクリーム・クイーン)」なわけで、ジャンル映画的な大喜利としても、何枚か座布団をあげたいところ。
それにこれって、まさに最近はやりのいわゆる「隠れフェミニズム映画」であって、家中の女性を虐待する家父長制の権化のような帰還兵の夫を、シスターフッドの「連帯」の力で打倒するって話なんだよね!?
超・今風じゃん。
悪霊に乗り移られる恋人のセバは、常に寄り添って力づけてくれる、ノーラ・ロバーツのロマンス小説に出てくるヒーローみたいな優しい人格者で、この話は「現代的にアップデートされた男」と「過去の遺物のようなパワハラDV男」が思想的闘争を繰り広げた末、女性たちの力づけもあって、アップデート男が見事に「未来の生存権」を勝ち取るって話でもあるわけですよ。
さらには、過去に報われない悲劇的な最期を遂げた被DV家族が、現代の価値観によって改めて再調査のうえ「復権」され、慰撫され、救済される物語でもある。
しかも、ここに従軍帰還者のPTSD問題を絡めて、ウクライナ侵攻問題まで視野に入れてくるという社会性の高さ……。「声」を取り戻したことで、オーディションにも受かって明るい未来が開けるという「女性が大きな声を上げること」への絶対的なる応援……。
なんか、意外に考えて作られている映画なのでは??(いや、それはまちがいなく気のせいですがw)
物語が大団円を迎えたあとの「付け加え」パートも、単なる「悪夢は終わらない」エンディングって以上に、思いもかけない明後日の方向に着地していて、大いに笑った。
なんだよ、絵から出てくるってwww
ぜんぜんもはや、元ネタのラジオとすら関係がないじゃねーか。
いや考え方としては、これは実は「古道具屋ホラー」の第一話なのであって、『呪いのラジオ 音を立ててはいけない』編が終わって、次回の『呪いの絵画 這い出てくるルクレティア』編が予告されたってことでいいのか?
なんにせよ、それなりの予算をかけて、こういうどうでもいいネタを真剣に形にしようとする戯作精神自体、俺は決して嫌いではない。
あまり公開されない稀少なイタリア産のシチュエーション・スリラーということもあり、続編があればまた観てみたいところだ。
あと、余談ですが。
考えてみると、英語版のインターナショナル仕様にするために、わざわざヒロインの彼氏とお母さんの旦那を「アメリカ人」に設定して、「登場人物がなぜか英語で会話している理由」をわざわざでっち上げてあるイタリア映画って、初めて観たな。なんか妙に律儀っていうか、どうでもいいことにこだわっているというか。
その情熱を、ぜひ次作では「もっと面白い映画にする」ために役立ててください(笑)。
当然のようにパンフレットが未製作だったので、詳しい解説、製作陣の意図以上に広く深いかもしれない解析、非常に興味深く読ませてもらいました。ありがとうございます。作品の評価はともかく?好感が持てる作品と思いました。