TATAMIのレビュー・感想・評価
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イランでありがとうは、フランス語
この何年かは、年に何本かイラン映画を観賞することがあるが、ありがとうはmerci何ですよ。本作みたいなシリアスな状態でも。昭和の日本でチャオって言っていたのが、定着したのでしょうか。ペルシャ語にありがとうに相当する言葉がなかったりして。
今日は映画の日ではあったのですが、この地味な作品は結構人気のようで8割席が埋まっていました。
ジョージア(旧グルジア)で開かれた世界柔道に出場したイランの女子選手が、棄権するようにイラン政府から圧力を受けるというお話。実際に、2019年の東京大会で男子選手に対して起こったエピソードをベースにしているようです。イランはイスラエルの選手と闘わせたくなかったのか、同じ表彰台に登らせたく無かったのか、詳細は簡単に調べただけでは良く分かりませんでした。
時間経過としては世界柔道の大会が行われている数時間ですが、同時にイラン政府のエージェント(秘密警察?宗教警察?)に狙われる、主人公の家族の逃亡劇が同時に描かれます。コントラスト強めの、スタンダードサイズ(たぶん)の画面はきれいに撮影されており、太鼓を中心とする劇伴とあわせて、黒澤明っぽいです(ほんとは良く知りません)。柔道シーンは近くから撮影しているため、キャストが本当に柔道ができるのか良く分からないようにされています。柔道のルールも良く分からなくても、問題ありません。
柔道映画でありますが、日本人はおろか、東洋人は出てきません。テレビ(?)の実況では、『たたみ』『絞め技』『巴投げ』など日本語のままの柔道用語が頻発します。前述のとおり黒澤明風です。ベースになる話しも日本で起こったことです。でも、なぜか日本が置いてきぼりにされているような気がしました。かつて存在した、どくとくの映画文化を築いた国、誇り高い武士道のあった国、もう滅亡した日本。日本の大会スタッフは、映画の中の方々のように、選手の尊厳を守るため毅然とした態度をとることができるのでしょうか?
本作を見ながら考えたのは、Black Box Diariesをめぐる騒動です。伊藤詩織さんはアカデミー賞という大会の選手です。ノミネートされているのに、日本ではほとんど報道されません。なぜ、国をあげて応援しないのでしょう。許諾問題があったとしても、批判するのではなく、どうしたら国内上映できるかをいろんな方面から検討すべきではないでしょうか。本作が女性を主人公にしたのは、こういった尊厳の問題をより明確にするためだと思います。
女性の尊厳を守らない、スポーツに政治を持ち込むイラン。それを描く、テルアビブ出身の監督。女性の権利を守れない日本のモチーフ。置いてきぼりにされているのが、よく分かるさ。
星を五つにしなかったのは、なぜ棄権させたかったのか良く分からなかったこと、圧迫されるイランに残った家族の描写が足りないので、サスペンス感が薄かったこと(ワザとかも知れない。)、結末がわりとあっさりしていることからです。
昨日はゼレンスキー・トランプ会談がありました。この駄文をたまたま読んでくれた方には、反対の方も多いかも知れないけど、日本国憲法前文に謳われているように、「名誉ある地位を占めたい」です。
面白い
けっこうよかった
イスラエルに気を使って、イラン女子柔道選手がわざと負けるよう、イラン政府に要請される。逆らったせいで亡命せざるを得なくなる。日本が財務省に洗脳されたひどい政府だと言ってもそこまでひどくない。アラブはどこも大体そんな感じだろう。
後から調べて実話ベースであることを知る。フィクションならイスラエルの選手と戦って勝つか負けるかするだろうけど、その前の準々決勝あたりで負けて、そんなところがリアルだ。監督の気持ちが揺れに揺れて、結局一緒に亡命するところもまたリアルで面白い。
モノクロで画面が暗くて見づらい。イオンシネマの映写機の光量が低いのではないだろうか。主人公は本当に強そうで、試合も面白い。
想像を絶する信念と葛藤
主人公レイラ・ホセイニの信念と
レイラを支える監督マルヤム・ガンバリの葛藤と決断に心を震わされた。
イランにおけるスポーツ界への政治介入により、
イスラエルの選手と戦わせないためにレイラに棄権命令がくだるのだが、
レイラの信念は揺るがず試合に出て勝ち続ける。
一方、やむを得ず政府の方針に従おうとするガンバリも葛藤し続け
準々決勝ではレイラを鼓舞する。
ここでふたりとも心は決まっていたのだろうと思う。
国を捨てると。
自由と尊厳のために生きようと。
これは自分にできるか?と考えたときに、
揺るぎない信念が自分あるのか?を自問自答した。
正直、今現在の私では、レイラやガンバリのような決断はできないだろう。
同調圧力なんかにも屈してしまうほどヤワなヤツかもしれない、自分は。
そういうことにあらためて気づかされたし、
勇気をもらった。
自分の人生において軸となっているものは何なのか、
考える週末にしようと思う。
大傑作になり損ねた良作
政治的な問題にスポーツを絡めた映画。
これがスポーツ映画に政治的な問題を絡めた映画になっていれば傑作になっていたのにと感じてしまった。
柔道の試合の描写があまりにも単調で盛り上がらない。
最後の試合などは苦戦、コーチの覚悟の応援、息を吹き返す、勝利目前、一瞬の隙を突かれ敗戦、愕然と崩れ落ちる主人公とコーチ。
それぐらい野暮なスポ根展開にしてこそ、その落差で政治的背景が際立ったのではと思う。
人生や家族をも犠牲にし国に盾突き目指した所の手前で敗れた虚無感、絶望感。
しかも回避すべき対戦相手もその手前で敗れたという皮肉。
結局は決断をしても、しなくても結果だけ見ると同じという不条理。
大きな力に屈せず立ち向う人間の尊厳を描く良作ではある。
反面、大きな力が生みだしている矛盾、滑稽さ、不条理を描く恰好の題材を活かした大傑作になり得たのではと思えて少し勿体ないと感じてしまう。
スタイリッシュな政治もの
最近見た「聖なるイチジクの種」もイランの反体制ものですごい作品だったけど、本作も同じイランの体制批判の作品ですごかった。
まず出だしのラップの曲のクオリティが良くて聞き入ったんだけど、それはほんの序の口で、全体を通して白黒の映像の質が高いだけでなくて、カメラワークや演出もカッコよく、音楽の使い方も印象的。編集のつなぎ方もテンポよくてサスペンスの緊張感を高めている。この監督は、こうした映画としての見せ方がうまい。
それにしてもイランのイスラム権威主義体制のクソ振りがヒドイ。女性蔑視だけでなく、個人の人権意識がとでも低く、国民を国家の権力に従属する奴隷のように扱ってる。
イランの作品ということでなじみが薄くスルーされがちかと思うけど、とても質が高いので是非見てほしい。
畳の上だけではない敵
やっぱり『有効』は必要だよね。
JUDO
柔道という題材が特段重要ではなく、国の圧力というものが、分かりやすいくらい過剰に描かれていたという印象。柔道の試合もしっかりとリアルに描かれているけれど、あくまでスポーツであり、実際に発生した現場が柔道会場であったというだけのことで、メインは国家と個人というところ。個人というところに焦点を絞るのには柔道というものが最適だった印象は持ちましたが─。
展開的に、政治的介入の仕方というか描かれ方が、何となく不自然に感じてしまって、某国の圧力は確実にあるとは思うのですが、あまり現実味を持てなかったというのが正直なところ。特に、その告発めいたところを見ようとしたわけではなく、個人的な興味はあくまで柔道だったので、ちょっと消化不良といったところ・・・というのは単に個人的な思いでしかないのですけれど・・・
文句なし❗️改めて考えさせられる政治とスポーツ
イラン映画は熊は、いないに続いて2作目。
熊は、いないも色々考えさせられた作品だが、この作品も然り。
改めて、スポーツと政治はつながっていると
思い知らされた。柔道イラン代表のレイラとコーチマリアムは柔道世界選手権に出場し、優勝を目指していたが、イスラエルの選手との対戦を避けるために棄権しろとイラン政府から圧力がかかる。試合に勝ちたいが、家族を守りたいレイラの葛藤とレイラを優勝させたいが、政府から圧力を受けたマリアムの苦悩が分かりやすく描いていた。レイラとマリアムの心境の描き方が素晴らしかった。白黒、音楽も◎。見事な作品。2025年上半期、いや年間ベスト候補にふさわしい作品。おすすめします。
傑作、悲しい物語
理不尽、不条理、怒り
前日に「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」を見てなんて理不尽な話だと思ったが、この映画もなんて理不尽と不条理に満ちているんだと思った。
また実際の事件が元になっていてそれが日本で起きたことだったということに驚いたと同時に知らない自分が恥ずかしくなった。
「聖地には蜘蛛が巣を張る」でザーラ・アミールを知ったのだけれど、彼女自身の経験と心情がこの作品にも色濃く出ているように思う。
全編白黒だしなんか画面ちっちゃくないか?と思ったがこの作品全体を包むどうにもならない閉塞感を表しているのかなと段々違和感はなくなった。
むしろ白黒であることで試合シーンなんか特に迫力が増しているように感じた。
レイラの状況を知らないはずなのに彼女の心情とリンクするかのような実況が没入感を生みつつもちょっとわざとらしいかなとは思った。
喜怒哀楽なら怒りが一番エネルギーになると私の夫はよく言う。これはまさにそんな映画だ。それと同時にレイラや監督の、家族や故郷やなにもかもを捨てるしかない計り知れない悲しみにも満ちている。
ぬくぬくと暮らしている私にはその怒りも悲しみも全てを理解することは難しいのかもしれないけれど、全てのスポーツ選手の自由を願わずにはいられない。
後の先
ありがたいことに試写会にて鑑賞。
上映後ではなく上映前にトークショーが行われたのですが、本職の柔道解説者の方が来られて、実際に目の前で目の当たりにした選手の異変だったり、柔道を映画化する難しさと今作の柔道へのリスペクトだったりともっと聞いていたいと思えるくらい濃密なトークショーのおかげで今作への解像度がグッと上がってのめり込むように鑑賞することができました。
申し訳ないことにこの事件があった事すら今作のあらすじを読むまで知らずの状態で、普段スポーツは競馬かJリーグかくらいしか確認せずの人間で、どちらも人間関係のゴタゴタはあれど政治的なものが関わることがほとんどないので、そんな事があったのかと驚かされるばかりです。
イランとイスラエルが敵国関係であるが故に、柔道の試合であろうとイスラエルとの対戦を避けて棄権するように言われるレイラの葛藤が物語の軸ですが、史実は男性で監督も棄権を進めたという感じなのですが、今作では女性に役柄を変えて、監督も史実とは違うifを歩ませるという大胆な手を加えているのですが、これが映画的な面白さに繋がっていて驚きました。
日本に住んでいるのもあって、他国への差別的感情というのはそこまで感じることなく(強いて言えば一部の韓国の人々から嫌われているんだな〜くらい)生きているのもあって、なぜイランの人々がイスラエルを嫌っているのかなと思ったら、シンプルな対立関係で、同じ土俵の上に立つのが嫌という国の情勢はあれどめんどくさいな〜というのが印象的でした。
あの手この手を使ってレイラや監督のガンバリを妨害していき、観客を装って近づいて拉致したレイラの父親を見せたり、応援席からプレッシャーをかけたり、しきりに父親がどうなるか分かっているのか?と詰め寄ってくるのが不快でした。
国のお偉いさんまでもが詰め寄ってくるので、スポーツの一つ一つにそこまで絡んでいかないと気が済まないのかとほとほと呆れましたし、粘着的すぎる行動の連発が今もなおどこかで続いていると思うと末恐ろしいもんです。
そんな状況下でも試合を止めない、葛藤はしつつも試合を続けるレイラの姿はかっこよかったですし、スカーフを脱ぎ捨ててスポーツ選手としての自分を貫いていてギラギラしていました。
ガンバリも家族を拉致されているからこそレイラに棄権を進めるも、レイラがフラフラになりながらも諦めない姿に感銘を打たれ、レイラと共に国に抗う選択をしたところは痺れました。
運営側も2人を助けてくれており、実際にイランが大会出場無期限停止にしたことも描かれており、そうでもしないと政治思想を止められないのかと思いつつも、思い切った判断をしてくれた運営に感謝しかないです。
柔道の試合のシーンも臨場感たっぷりで、上からのアングル、引きのアングル、一人称視点での進行、手元足元での技の組み合いと演者がスタント無しで演じているのもあって見応え抜群でした。
日本人である自分でも技をかけるのって難しいのに、見た目難しそうな技を決めているんですから本当に凄いです。
畳の上での音なんかもこだわられており、実際の会場にいるような感覚になったのは劇場という環境もベストマッチしていたと思います。
政治は政治として独立していてほしいですし、選手同士の真剣勝負の邪魔はしないで欲しいと改めて思いました。
これからのレイラとガンバリ、そして今も選手を続けているサイード・モラエイのこれからに幸あれ。
鑑賞日 2/21
鑑賞時間 18:30〜20:58
鑑賞方法 試写会(トークショー付き)
栄光と自由を奪われた柔道家のプライド
『SKIN/スキン』のガイ・ナッティヴ(ナティーヴ)監督が、『聖地には蜘蛛が巣を張る』でカンヌ映画祭女優賞を受賞したザル・アミールと共同でメガホンを取ったスポ根ドラマ…というよりサスペンスドラマとして括った方が適切。イランの柔道代表選手が国際大会でイスラエル代表との対戦を棄権するよう政府から命じられたという信じがたい実話をベースにしており、緊迫感がある上に柔道の試合を劇的に魅せている。ボクシングやMMAなどと比べると地味だが、やっぱり柔道も格闘技の一種。柔道経験者の自分としては、初めて画的に生える柔道映画が観られたという喜びがあった。
『SKIN/スキン』ではネオナチグループから脱退しようとする青年を描いたが、本作はまさに宗教からの解脱。ネオナチ青年はグループ脱退の証として顔中のタトゥーを剝ぎ取ったが、柔道家もまた最後にある物を剥ぎ取る。それは栄光と自由を奪われた柔道家のプライドだ。
イラン・イスラム政権が強いる抑圧と支配を痛烈に批判した骨太な一本。観る事が出来た東京国際映画祭出品作の中でもトップクラスの出来栄え。日本での一般公開を切に望む。
全98件中、81~98件目を表示